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『中務』の【中】は「大中小」の「中」ではなく「禁中」の意味で、【中務】=禁中の政務を執る、ということです。和読で[なかのまつりごと]と読み、『なかのまつりごとのつかさ』、それを略して『なかつかさ』となりました。
天皇の側まわりの事務、及び、詔勅・宣下などを担当し、3職〔しき〕6寮を支配します。
※ 大宝令の頃は、その他にも3司を支配しています(※「大宝令・養老令」参照)。
中国の役所名に当てたものです。
左弁官局 → [中務省] → 中宮職〔ちゅうぐうしき〕 ・太皇太后宮職〔たいこうたいごうぐうしき〕 ・皇太后宮職〔こうたいごうぐうしき〕 ・皇后宮職〔こうごうぐうしき〕 大舎人寮〔おおとねりりょう〕 図書寮〔ずしょりょう〕 内匠寮〔たくみりょう〕 内蔵寮〔くらりょう〕 縫殿寮〔ぬいどのりょう〕 陰陽寮〔おんようりょう〕
卿 → 大輔(1名) → 大丞(1名) → 大録(1名) → 史生(20名)→ 省掌 → 使部 少輔(1名) 少丞(2名) 少録(3名) 権少輔(1名) 侍従(8〜20名。うち3名は少納言が兼任。) 大監物(?名)→ 少監物(4名)→ 監物主典(4名?)→ 史生(4名) 大内記(2名)→ 少内記(2名)→ 史生(?名) 大主鈴(2名)→ 少主鈴(2名) 大典鑰(2名)→ 少典鑰(2名) 内舎人(90名 ※しばしば増減あり)
正四位上
正五位上
従五位上
正六位上
※ 中務省の大丞までは、他の省の四部官(四等官・四分官)と較べ、官位相当が一階高いです。
従六位上
正七位上
正八位上
従五位下
従五位下
正七位下
従七位上
正六位上
正七位上
正七位下
正八位
従七位下
従八位上
四〜五位の人の子や孫
天皇の側近で、詔勅宣下や叙位のことに関係する朝廷の重職です。定員1名。
四品〔ほん〕以上の親王が任じられたもので(無品親王はだめということです)、そうした人がない場合には欠員とします。物語などで『中務の「宮」』『中務の「御子」』といった表現が見られるのはこうした理由によります。(※ 仁明天皇の代までは臣下が任命されることもありました。)
中国の官名に依ります。
卿を補佐する役で、定員は各1名ずつです。
配下に、『史生〔ししょう〕』『省掌〔しょうじょう〕』『使部〔しぶ〕』などがあり、これらの職員で省内の事務を取り扱います。
天皇の側近で、天皇の思慮を補い、注意を促し、また、『侍衛(=ボディガード)』の職でもあったので「帯剣(=剣を帯びて勤める)」の職です。
しかし『蔵人所〔くろうどどころ〕』の勢力が増してからは、天皇側近としての職掌を奪われます。
もとは定員8名でしたが、のちには20名ほど。うち3名は少納言が兼任します(なかには、大納言や参議が兼任している場合もありました)。
【おもとひと】=御許人 =側に侍る、の意です。
「まちぎみ」=前つ君、の意だろうといいます。
中国の官名によるもので、天皇の思慮を補い欠けた部分に注意を促す=「拾遺補闕〔しゅういほけつ〕」を職掌とするところから来ています。歌などでは『のこりをひろう』『ひろいのこす』などと表現されていることもあります。
[じじゅう]の音が鈴虫の鳴き声に似ているからだ、などの説がありますが、由来不明のようです。
※ これらの役を務めるのは中務省の官吏とは限りません。
天皇の雑事を給仕する役です。
八省、その他の役所から、四、五位で長年の労がある人を選抜します。
侍従(正員)の定員が8名だった頃は、次侍従の定員を92名として計100名としました。
宮中で酒を下賜する際、杯を勧める役です。
儀式の際、出居〔でい〕の座に就いて用を勤める役です。 【出居の座】=別に設けた席。
即位や元旦の朝賀の際の侍従(お付き)役で、三、四位の人が務めます。
これは役ではありませんが、節会に参列する人で、まだ侍従になったことのない人をこう言います。
本来は『うちとねり』で『うどねり』はその略称です。
【うち】=禁内。
【とね】=近侍官。由来は諸説あり、「刀禰入り」の意、だとか、「殿侍り」が縮まったのだとか、「殿馴〔とのなれ〕」の通音だとか、「殿居〔とのい〕する」意、など言われています。
「舎人」の字を用いたのは、中国の官名によるもので「左右に親近する者の通称を舎人という」ことから来たのだ、といいます。
帯刀して宿衛し、供奉、雑使を勤め、もし駕行があれば前後で分衛を担当します。
もとは定員90名でしたが、のち、ちょこちょこ増減があります。
古くは大臣・納言の子息を任じたこともありましたが、のちには四、五位の人の子息や孫から性識や儀容が優秀な人を選抜しました。(※ 次点の人たちは『大舎人』や「中宮舎人」「東宮舎人」に任じます。)
醍醐天皇以降は『侍〔さぶらい〕』(=親王・大臣以下諸家に仕える身分の高くない人)を任じており、その後、藤原・源・平氏で内舎人になった人をそれぞれ、藤内〔とうない〕、源内〔げんない〕、平内〔へいない〕などと言うようになります。
・ 『大監物〔だいけんもつ〕』
養老令の頃は『下物職〔げもつしき〕』で、和名『おろしもののつかさ』とも言います。
大蔵省、内蔵寮などの出納に立ち会い、入用時に『い司』(=倉庫の鍵を預かっている女官。【い】の漢字は、門構えに韋を入れます)から倉庫の鍵を借返する職です。
配下に中監物・少監物・史生が各4名ずつありましたが、のちに中監物は廃止となり、少監物の下に監物主典〔けんもつさかん〕が置かれます。
監物と共に、倉庫の管鑰を女官から借返する職です。大典鑰・少典鑰があり、ともに定員2名ずつです。
・ 『大内記〔だいないき〕』
詔勅・宣命を作り、位記を書きます。儒者で文章の上手な人を選任し、定員2名。
配下に中内記・少内記が各2名、史生などがありましたが、のちに中内記は廃止となります。
内記の作った詔書を検討修正するのが太政官の「外記〔げき〕」です。
和名です。禁内の書類を記す官、という意味でしょう。
周・秦の役名「柱下」=常に殿柱の下にあって事を司る、に依るものです。
駅鈴伝符を出納する職です。大主鈴・少主鈴ともに定員2名ずつです。