*まんがタイムきららです。
芳文社の4コマ誌で、OL4コマとかそういう雰囲気の方向の雑誌です。
コンビニで見かけるでしょう。
女性向けっていう風情を醸し出しているかもしれませんが。
だまされてはいけません。
この雑誌、微妙な萌えを狙っています(笑)
上記宣伝文句からしてSF・ファンタジー・イヌミミなどなど盛り沢山!!
です。
ネコ耳ではなくイヌミミってあたりで既に微妙な萌え狙いです。
もっともイヌミミは1作品だけですが、ネコ耳もウサ耳もちゃんとあるので問題なしです。
ほんで、そのアオリから意図的にハズされたと思われるジャンルがあります。
くノ一・メイド・メガネっ娘ですっっ!!(笑)
いやあ、買っちゃいましたが(笑)
世の中に疎いあたしの心に響いた作家さんを探すと。
『市立鋳銭司学園高校放送部』 | (学園) | ふじもとせい |
『エミィの日記帳』 | (メイド) | 吉井夏彦 |
『眼鏡のお年頃』 | (学園メガネっ娘っっ) | むっく |
『202号室』 | (美少女ロリロボ?) | 原田たけひと |
『トリコロ』 | (擬似三姉妹) | 海藍 |
『ちかちかプラネッツ』 | (えすえふ?(笑)) | 佐々木亮 |
『かるき戦線』 | (SF?(笑)) | 太田虎一郎 |
もちろん、世に疎いあたしのこと。
この中で名前を聞いたことのある方は『佐々木亮』だけでした。
昔のRPGマガジンとか、その系で。
しかし、それでもこう、調べてみると錚々たるお歴々のようですなあ。
あたしの目は間違っていなかったようです。
ところで、上記リスト中吉井夏彦さん、海藍さん、このお二方に着いては、判りませんでしたよ。
吉井夏彦さんは、多分COCOで描いている方なのでしょうが。
海藍さんは、不明だ〜。
情報求む。
いやいや。情報もアレですが。
この雑誌は買いですよ、奥さん。
つうか、お薦め。
web頁を下に並べたので、どこかひとつでも魂に響いたら、買うが吉。
時にこの雑誌。暁式.の暁さん、好きそうなんだけれどな。日記に書いていないなあ。
スルーしたのか、ノーマークだったのか。
いや、他人の日記を見て、買うべき本を探しているので。
*ウィルス大流行のようですが、皆様と皆様のコンピュータは御健勝でしょうか。
ウチにもちょこちょこW32.Klez.gen@mm(もしくはWORM_KLEZ、
W32/Klez@MM)が送られてきますが、ノートンインターネットセキュリティが(今の所は)鉄壁の防御っぷりを発揮しております。
ちゅうか、ウチにウィルスが来るってコトは、恐らくはこの頁を見ている人の誰かのコンピが感染している可能性が高い、ので心当たりのある方は今すぐ対策を取るように。
ネットワークの空を自由に飛びたいと思うなら、その翼には細心の注意を払い、最新のウィルスブロッカーを装備して下さい!
等と、企業広告のアオリみないな台詞ですが。
いやいや『Windowsアップデートってなに?』とか『アンチウィルス(セキュリティソフト、ブロッカー等々)って、最初から入っているから問題ないっしょ』とか『アップデートってお金かかるんでしょ、だったらいらない』とか。
いるんですよ。そういう人が。実際に。
Windowsアップデートには料金発生しません。
サポートされている限りのOSならば、無料でセキュリティパッチを配布しています。そんなの知らなかった、なんて言う人は今すぐ飛べ。
Mac使いの人は…。
すまん、知らないのでした。
まあそれ以前に、最低限KLEZには引っかからないのでしょうが。
アンチウィルスソフトとかパーソナルファイアウォールとかは、何を使っているかは知りませんが。
ちゃんと最新のウィルス定義をダウンロードし、最新のウィルス検索エンジンを導入するべきです。
あたらしい版のエンジンを入れる場合には、料金が発生するかもしれませんが。
自分のコンピュータの中に溜めているファイルをごしゃごしゃにされたり、クラッキングの踏み台にされてしまったりするよりは100万倍もマシです。
コンピュータ買った時について来たアンチウィルスを、そのまんま使いつづけています、なんて方は、今すぐ調べて製品版を購入するなりアップグレードするなり、するべきです。
お金を払ってでも。
コンピュータウィルスは、リアルワールドでの風邪に例えられるコトが多いですが。
ネットワークの世界では、感染してしまった病気をさらに他の誰かに感染させてしまうと、それだけで犯罪となるケースがあります。
『そんなの納得いかない』ったって、しょうがない。
防御していないコンピュータを使っているというコトは、あなたは『人間』ではなく『ツェツェ蝿』とか『マラリア蚊』とか、そういう類の『伝染病を媒介する個体』であることを自ら選択した、と受け取られてしまうのです。
あなたが、もし人間としてネットワークの地平を歩きたいのであれば、ぜひ、ウィルス対策を。
先日も言いましたが。
『悪人は常に私の隣に座っていて私を殴る機会を伺っている』のですよ。
自己防衛は必要ですよ。
*面白いということ。
例えば、私が何かを喋ったとしても、それは面白くないのですよ。
ところが、同じことを、例えば島田紳助が喋ったら、面白かったりするのです。
面白いって言うのはつまりそういうことで、その内容ではなく、その発信者がこそ面白いのです。
とか言ってしまうと、なにやら世を拗ねているようにも思われそうですが。
そうではなく。
一般に『面白い』ということを述べるときには、内容が面白いから面白い、ということと、発信者が面白い、ということとを混同して『面白い』と評しているのではないかなあと感じる、ということです。
まだ、拗ねているかな?
『面白い人』は、喋っている『内容も面白い』場合が多いのは事実です。
ところが、一旦『面白い』と評価されると、その人が何を喋っても、面白い。
そうなってしまうのです。
これはギャグの本質でもあります。
面白いということは、その内容ではなく、発信する側と受信する側との暗黙の了解の上に成り立つ演技である、と言っていい。
『がちょ〜ん!』とか『コマネチっ』とか『三瓶です』とか。
そういう"ギャグ"って、他の誰かが喋って面白いものではない。
その人、谷啓であるとかビートたけしであるとか、三瓶友敬であるとか、そういう人が喋るから、面白い。
すなわち、発信者が喋る言葉を、受信者は『面白がろう』として待ち構えており、その『面白がる』きっかけとして、笑うための引鉄として"ギャグ"がある。
ギャグでだめなら、落語はどうだ。
300年も前から伝わっている、誰もが知っているネタとオチの古典落語。
それでも、面白いのですよ。
もちろん、演者の出来不出来も影響します。演出や、演技や、間の取り方。そういうものも大きく作用しますが。
基本的には、その内容については不変であり、それでも面白かったり感動したり泣いたりする。
それは、受信する側が、そこで『面白い』や『感動』や『泣き』を期待しているから。
そのための引鉄がネタの中に既にあり、そして発信する側受信する側共に、そこに引鉄があることがわかっている。
その引鉄を引く一瞬に向けて、発信する側受信する側が、共同作業によって場を高めていく。
これが、例えば古典落語の面白さの一つである、と思うのです。
発信者の出来不出来って言うのは、この共同作業に発信する側が上手にのれていないということなんでしょう。
と、ここまできたら『面白い』から、もっと一般化してしまっても同じであることが判ると思います。
『感動大作!』であっても『燃えるッ!』であっても『萌え〜(≧▽≦)』であっても『キタ━━━(゚∀゚)━━━ッ!! 』であっても、なんでもいいのですが。
そういうものってのは、受信する側が期待しているところに、発信する側が上手にスイッチを押しているということなのです。
以前から言っていますが『わかりきった罠の中にこそ、真の『萌え』は存在している』ってのも同義。
『ご都合主義と笑わば笑え。しかし見よ! 見よ! この燃える展開っ!』ってのも同義。
その引鉄の存在は発信/受信の双方が100年も前から知っているのですよ。
如何にその引鉄まで互いに高めあうことが出来るか。それこそが、クリエイターの才能なのでしょう。
セックスと一緒ですね。
そういや『誰も見たことがない映像は驚きだが、誰もが見たいと願う映像は感動である』みたいなこと、映画監督の誰かが言っていたよな。ジョージルーカスだったかな?
と、面白いからものすごく一般化したストーリーテリングの話になっちゃった気もしますが。元に戻って。
面白いと、受信する側は知っている。否。『面白い』を受信しようと待ち構えている。
さて。ここで発信する側は既に『面白い』という評価を得ているとします。すると受信する側は、ここでの発信者は『常に面白い』と認識してしまいます。
従って、ここでの発信者が何を喋っても、受信者にとっては『面白いに繋がる引鉄』であると誤認してしまうことになります。
あるいは、発信者が何かを喋ったことにより、受信者の誰かが不意に笑ってしまったとしましょう。
するとその他の、面白いと思わなかった受信者も、それが『面白いに繋がる引鉄であった』と誤認してしまい、笑ってしまうのです。
受信者側からの言葉では『つられ笑い』、発信者側からの言葉では『誘い笑い』といい、お笑いの基本のひとつです。笑い屋なんてのもあるくらいだしね。
露天商のサクラなんかも、この方法論の延長線上にあるものでしょうな。
あるいは『箸が転んでも可笑しい年頃』なんて、昔の人は言いましたが。
それも、ここらへんのことと近いのではないでしょうか。
世の中はとっても面白いと『認識してしまっている』年頃の娘さんにとっては、何があっても『面白いに繋がる引鉄』になってしまうのでしょうなあ。
*と、色々と『面白いということ』について書いてきましたが。
これは何かというと、いつもどおりちゆ12歳で知った、ろじっくぱらだいすの面白いサイトを作るには?を見て、思ったことだったのでした。
上記『面白いサイトを作るには?』は、話題の展開の方向、提示する方法、判りやすさなど、まるで『ホームページ製作で収入を!』なんて唄う通信教育あたりで使っていそうなプレゼンテーション風に仕上がっていて、非常に面白いです(罵詈雑言に非ず)。
つうか、講演会でこんなスライド使って喋っていそうだよなあ。『次のスライドお願いします』とか言って。
ただ、結論として、その『面白いサイト』を作るための『方法論』の『一般論』だけの提示だったので、もうすこし消化不良の部分があたしの中に残ってしまったので、その部分についてぐつぐつと消化してみたら、いつもどおりの支離滅裂な長文になってしまった、ということなのですよ。
もちろん、方法論の詳細なんかが提示されてしまったら、それこそ通信教育の教材になってしまうので、あれはあれでよいのだとおもうのですよ。
上記リンク中にもある『なぜ侍魂系フォント弄りサイトは衰退したのか?』を、自分の言葉を元にもう一度展開させたいなんて、露ほども思っていないっぽいしね。
で、ろじぱらでは一般論を再提示して終わったので、あたしは裏から『面白い』の本質を探れないかと、思ったのですが。
失敗した雰囲気(笑)
あ、そうそう。この↑『(笑)』ってのも『これは面白いことを喋ったのですよ』という符号のひとつだよなあ。
あるいは林屋三平師匠の『こうやったら笑うところですからね』ってのと同じ感じで。
顔文字なんかも含めて、こういう記号は、発信者の感情を表す記号であると同時に、発信者/受信者をひっくるめた、そのコンテンツの発表の場の雰囲気を、この発言の部分ではどのように操作したらよいのかお互いに確認するための符丁である、と言っていいのかもしれません。
あたしはあんまり顔文字は使わないのですが、この『(笑)』てのは多数使用しています。
そうか。
『ここで高めておくとよい』っていう暗黙の了解を、受信者に強制している表現だったのだなあ。
ここで笑っておかないともう笑うところないですからね(by酒井くにお・とおる)。
*映画『The Lord of the Rings』の第2作目のタイトルは『二つの塔(The Two Towers)』です。
このタイトルは、その原作者J.R.R.トールキンが1954年に発表したときからずっと変わっていません。
ところが。
このタイトルが、世界貿易センターの攻撃を思い起こさせる悪趣味なタイトルだとして、タイトルの変更を望む嘆願が行われている。らしいです。
いや、この嘆願サイトなんての、見つからないのですが。
ハリウッド流のガセなのかな。
しかしまあ、ありそうな嘆願ですが。
なんでもかんでも、言えばいいってもんじゃないでしょうに。
全ての歴史を無視して、自分にとって重要であることのみの主張、しかも、ただ単に『気に食わないから』という理由で発する、非常に愚かな意見であると、あたしは断じますが如何に。
*北朝鮮からの亡命者を追い返したことについて、人道的にどうだとかなんだとか、批判が続出しているようですが。
そんなら、その批判をしている人々は、全ての亡命者を安全に日本で保護し、もしくは第三国への出国を支援することを是としているのでしょうか。
日本という国を総体としてみると、日本はどうも日本人以外について厳しい環境を維持することを望んでいるのではないか、という感じを受けてしまいます。
別に日本が鎖国の国だったからとかムラ意識だとか、そんなコトではなく。
異邦人を好まないというのは世界中で当然のようにある意識なので、日本人特有の感覚ではないのですから。
ただ、体制として、もっと自由な国がある中で、比較として、日本は移民に対して厳しいというだけのハナシなんですが。
阿南惟茂・駐中国大使の『追い返せ』発言にしても、普通の言葉だと思いませんか。
もちろん。外務省だの担当者だのの、嘘(と思われる)報告には、全くの非難を表明します。
人がする最も重い犯罪は、嘘をつくことであると信じるものであります。
しかし。
人権問題なんていくらでも揉み消せるけれど、日本−北朝鮮−中国の間のいざこざになってしまえばコトは外交上の重大事です。ちょっと揉み消しや執り成しは大変。
障らぬ神にタタリなし。
そう考えるのは、当然じゃないかと。
いや、外務省の行為を正当であるとは、言わないけれどね。
でも、日本が"人種の坩堝"になることを善しとする人は、実際どのくらいいるのか、考えてしまうってワケ。
例えば自衛隊とか在日米軍とかの問題も然り。発電所だのゴミ処理場だのの建設に反対する地元住民との軋轢も然り。
言うだけ言って、享受するだけ享受して、でも自分の隣にはいないでいて欲しい。
その描写が、例えば沖縄だったりするんではないかな。
日本に軍隊は要らないという人は多いだろうけれど。
ならば日本が侵略されるような事態となったとき、彼らは日本国に何を望むのだろうか。
当然のように、日本国政府が日本国国民を保護することを求めるでしょう。
その時、彼らの望む国家では、日本国国民を保護するための軍隊は日本国にはなく、米国人にお願いする他はないでしょう。
しかし、彼らは安全保障のための支出について渋い顔をするかもしれません。
金は払わないが保護は望む。
いくらお人好しの『七人の侍』でも、守ってくれないと思う。
また、こう言うかも。
『侵略されたりしないように、諸外国との友好を深める外交努力をするべきだ』と。
その言は、それはそれで正しいのだけれど。
しかしその言こそ、太平洋戦争の際の『日本国が負ける等と言うのは非国民の行為である』的な、ナイーブ過ぎる精神論の極地だと思うのだが。
好ましくない事態を無視し、最悪の事態の想定を省いた上での最善の策の模索であるという意味で、等しい意見だと思うのですよ。
性善説、性悪説ではなく、あたしは、人は常に他人に対して敵である可能性を内在している存在である、と考えています。
ルソーの『社会契約論』とかスピノザの『国家論』とか、そういうあたりに書いていることに非常に影響を受けていますが。
そういやどうでもいいかもですが、スピノザの『国家論』はルソーの『社会契約論』とえらく近いことを、その100年も前に言っているのに、そこらへんの関連性についてあんまり説明している文献が少ないような気がするのですが。閑話休題。
兎も角、悪人は常に私の隣に座っていて私を殴る機会を伺っている、というのがあたしの人間観です。
ので、どれだけ外交努力をしようとも、常に日本に対して害意を持つ個人/団体/国家はありうるので、その外敵に対して対処を考えていない個人/団体/国家は『甘い』と言われてもしょうがないのではないかと、考えます。
よって、あたしは自衛隊の設置は賛成であるし、有事法制についても、今のままでは到底賛成は出来ないけれど、法の制定そのものについては異論はないのです。
どころか、全ての国民は一定期間自衛隊に入隊する義務を負うべきだという、一種の徴兵制に近い制度を導入することをも是とするくらいです。
で、有事法制だの対テロだのと言う前に、憲法の見直しとか、自衛隊のあり方とか、そういうことを議論するべきなのに。
憲法とか自衛隊とかは、政治の世界においてはアンタッチャブルなんでしょうか。
なんにも、問題にされていません。
憲法とか自衛隊とか、今あるものはそのままとして、その上に『何か』を糊塗することによって、なんとかしようと考えているようです。
それは、改革じゃないよなあ。
有事法制だの個人情報保護だの有害情報規制だの、そんなことを問題とする前に、もっとやるべきことがあるはずだと思うんですが。
そのヘン、どう思うよ。小泉純一郎どの。
*このweb頁を開設した当初は、日々のだらだらとした思い付きと、えろ落描きの発表の場ということで、開いたのでしたが。
案の定というかなんと言うか、お絵描き全然していませんなあ。
1年以上前だぞ、最後が。
まあ、日々の労働で意欲とか精力とか、そういうモノがごりごり削り取られているような気がするので、しょうがないのかも。
元々長続きしないクチだし。
とはいえ、それも寂しいので、もうちょっとパワーの出る生活をしたいなあ、等と。
*日本対ホンジュラス戦は、日本ディフェンスの甘さを露呈した形の3-3ドロー。
まあ、順当な結果なんじゃないのかな。
オフサイドトラップは、ディフェンス最終ラインの少ない人数で、相手チームのどこから飛び出してくるかわからない全ての選手を封じ込めるフォーメーション、と考えていいのかな。
そうやって、少ない数のディフェンスで多くの攻撃人数を封じ込めることで中盤から攻撃方面への人数を増やし、数的優位の攻撃を行う、ってことですよね。
その数的優位を産み出すための3人が、相手側のワントップ一人に翻弄されているってことは、既に数的優位って言う思想を覆されちゃっているよな。
なんて、そんなことを考えたホンジュラス戦でした。
今更ですが、がんばれ日本!
もちろん、愛国心くらい、あたしにだってありますとも(笑)
*そういえば、4月29日にはプリンセスワルツに行っていましたよ。スタッフで。
内部告発とかする気もないし、出来るほど深くも関わらなかったので、そういうのは期待しないで頂きたいのですが。
サークル入場証とかスタッフ証とか、えらく凝った綺麗なものを使っていました。
なるほど。これは、ちょっといいかも。
とりあえず、当日みやこめっせでやっていた『どこぞの問屋が倒産したから衣類靴その他大放出』っていうイベントと勘違いしたじいさまばあさまが多かったのが、一番苦労しました(笑)
あたしは、そのへんで働いていたので、朝から閉会までず〜っと会場の外でしたよ。
よって、会場内のアレコレは全然わからないのでした。
問題もあり、盛況でもあり、という、まあ普通のイベントだったのかなあ。
カフェは盛況だったようでよかった。
そりゃあ、給仕してくれる妹(コス)達っていうのは、絵として最高だよなあ。
ただ、無責任な雑感として、ですが。
なるべく大きな箱を用意しよう、という意気込みで企画したのだが、ふたを開けたら案外参加者が少なかった、っていう感じです。
当日は関西圏では大きなイベント、他になかったのだけれど。
あんまり、参加者が多くなかったのですな。
そこらへんで、主催者側の見積もり甘かったのかなあという感じ。
まあどのくらい集まるかなんて、水物だからなあ。
今回の会場の半分ぐらいの面積で、こじんまりとイベントやってもよかったのかな、っていうのが、終わった後だから言える話。
ま、コミケみたいな巨大イベントでの、雑然とした騒然とした(一部殺伐とした)雰囲気も、嫌いじゃないんですが。
あたし基本的には、小さめのイベントにお手伝いとして幾度か参加していて、その和やかな雰囲気が好きでスタッフやっているっていうのがあるので、そういう感じをもってしまうのかも。
ネタ。
40がらみのおじさんと中学〜高校生くらいの息子さんの二人連れ、っていう方が来ました。
おじさんの方が大乗り気で『カタログ600円? いいよ、二人ね』とか言っているのに、息子さんは『え〜、なんだよ〜、ぜって〜違うって〜、きしょいって〜』とか言いながらおじさんに引きずられるようにして入場していきました。
あれは『昔はオタクのお父さんとその息子』っていう絵だったんでしょうか。
ヘンな親子連れだったなあ……。
じいさまになっても、同人とかやっているような、そんなじいさまになりたいと思います。
イベントの一般参加列に並ぶ60歳のじいさま。
いっぺん、見てみたい絵ですなあ(笑)
*明日(というかすでに今日かな? 5月2日)、キリンカップ日本対ホンジュラス戦が、神戸で行われますね。
いやいや、あたし関西在住とはいえ、観戦にいくわけではないのですが(笑)
対戦相手国、ホンジュラスですよ。
あたし、橋梁設計なんて仕事してますが。
そういや、ホンジュラスの橋も、設計したっけなあなんて、思い出してしまいました。
1998年10月、巨大ハリケーンミッチーが多大な被害を及ぼしたのが、ホンジュラスです。
このハリケーンで、幾多の橋梁が流されてしまいました。
あたしが設計に携わったのは、これらの橋梁のうちのいくつか。
色々と、紆余曲折もありつつ、こないだ架橋が終わったという現場からのお知らせがありましたよ。
いや、あたしは設計だけなんで、鉄筋曲げたりコンクリート打設したりなんだったりっていう実務は何にもしてはいないのですが。
それでも、マッシヴな現実がそこにあるという写真を見てしまうと、やっぱり感慨ひとしお。
と。そんなこんなでサッカーになんの関係もない、国際貢献なハナシなんですが。
しかし、あたしが触って、これで進めておっけいと言った橋梁の上を、既に誰かが通行しているのですよ。
しかも遠く異国のホンジュラスで。
感慨深いよなあ。土木の仕事は。
だもんで、サッカーとは何の関係もないのですが、ホンジュラスにもがんばって欲しいのです。
ねえ。そういうの、判っていただければ。
*はぴれす。
第5話「ガンガン☆吹雪の一夜」
さつきママですよ。さつきママっ!!
一番好きっ!
もう、さつきママに引きずりまわされたいっっ!(変態)
とりあえず、行方も知れぬチトセ君と五箇条さんを誰も心配していないあたり、それはどうよって感じなんですが。
それだけさつきママが、体力勝負の状況にあっては信頼されているということなんでしょうか。
それ以前に、スキー場の裏手に突入してしまった二人をあまり心配しないって言うのは、もう既に間違いですよ、みなさん。
遭難するとかではなく。
崖から落下とか、谷川に突入とか、林に突貫とか、そういう事態はマジあるし、しかもそれは致命的なほど危険なんですが。
チトセ君とさつきママは平気で歩いていましたが、あれは死の危険と隣り合わせだったりする、場合もある状況なので、みんなも注意だっ!!(誰だよ)
つうか、あたしはスキーで頭蓋骨陥没骨折をしましたが。12歳の時。
あたしの聴いた話では、スキーヤーは結構頭蓋骨周りを破損する場合が多いそうです。特に鼻骨。
頭蓋骨陥没骨折は、怖いぞ。
頭がへこむし。
あたしは、ロリコンであることを自認して憚らないのでありますが。
しかし、本質としては実は『お姉さま大好きっ!』なのですよ。
しかも『体力満点! 肉体美のお姉さま』系が、一番ヒットするのです。
ダーティペアのケイで、それに目覚めたんだと思う。
いやいや。目覚めのハナシではなく、さつきママが一番だって話ですよ。
さつきママ。
可愛いのです(断定)。
今回は、さつきママ、全然、剛毅で格好いいって感じのカットがありませんでしたが。
それはつまり、さつきママの思いが全部空回りしているって言うことなんだろうな。
スキーの特訓にしても。
歩いたら何処かに着くだろうっていう判断も。
足をくじいたのを隠して歩きつづけるのも。
細かいモチーフの描写について、色々と文句もつけたくなりますが。
身体は温めてスキー靴は脱がして患部は冷やさないと遺憾よ、とか。
発熱しているんだったら全部脱がせて汗を拭かないと、とか。
雪崩に乗って流されて無事だって言うのはご都合主義過ぎるぞとか。
帰ってこないスキーヤーには、ちゃんと捜索願を出さないと一刻を争うような事態を招いちゃうぞママ達っ! とか。
しかし、それはそれで、アニメの文法ということで我慢してもいいです。
それならそれで、他のママ達の細かいエピソードは省いて欲しかったとは思いますが。
さつきママの、自分の思う通りに何でも進むはずだって言う根拠のない自信と、チトセ君のママだって言う自負と、それに反して何もかも上手くいかない現実との距離、っていう、そういう方向性が、今回のミソだと思います。
そういう部分を、他のママ達(+みなづきちゃん)が壊してしまっていると、思います。
シリアスだったらシリアスで、恥ずかしがらずにもっと長回しで描き切る根性と実力が、ああいったシーンを描くのには必要だと感じます。
ママが5人で萌えも5等分、というのが物語世界のルールである以上しょうがないのですがね。他のママのエピソードを挿入しないといけないっていうのは。
それならそれで、あんな『二人っきりの極限状態』にしないでも、さつきママの魅力を前面に押し出した物語は作れるはず。
なので、さつきママの魅力は感じ取れるのですが、しかしそのためにわざわざ雪山にくる必然性はないよなあ、という感じ。
シナリオを作った人。いいかげんに造っていないか?
もっと、もっと上手にさつきママを描けるはずだという、得体の知れない不快感は残ってしまいました。
ので、折角のさつきママが台無しだあっ!
もっとがんばれ。
*黄色と黒は猛虎のしるし
ペナントシリーズを闘えますか
タイガース〜
タイガース〜
阪神タイガース〜
(リゲインのCMの節で)