Paranoiacな日々
-2002年08月-
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2002/08/05

住基ネット
 住民基本台帳ネットワーク、の略称ですが。
 反対意見も噴出する中、豪快にも見切り発車の雰囲気で稼動が始まりました。

 さて。
 なんとなくわかるかもしれませんが、あたしはこの『住基ネット』の実現には、基本的には賛成です。

 まあ、あたしなんかがどうこう言うよりももっと正しい知識と情報により論じているところがきっとあるはずなんで、例えばシステムの本質であるとか、例えば期待される利便性であるとか、そういうことの詳細は割愛します。
 しかし、ネットワークを見回すと、住基ネットに激しく否定的なコンテンツが多いので、そういうところに突っ込みを入れてみようかな、と。

 例えば。
ウシは10桁、ヒトは11桁
 この言葉の醜悪なことといったらどうよ。
 牛に近いとイヤなんでしょうか。
 人は20桁ぐらいないと、牛との差別化が図れないとでも思っているのでしょか。
 それとも、何桁の番号が付こうとも、牛と同列に番号で呼ばれるのが気分的にイヤなんでしょうか。
 この言葉からは『住基ネットに組み込まれて番号として人格を記録管理されるということは、自分が屠殺を待つ家畜と等しくなるということなのではないか』という根拠のない不安感を煽ることにより、システムに対する反対意見を醸成しようという、醜悪なアジテーションしか見えてきません。
 少なくともあたしには。

 そもそも、なんで『番号で管理されること』がそんなにイヤなのかという精神的なトコロが、どうにも理解出来ないのですがね。
 今、自分が、数字で管理されていないのかというと、実は全然そんなことなく、むしろ管理下にある事で恩恵を受けている部分も多いと思うのですよ。
 健康保険、国民保険に書いている記号と番号は、使っていないの?
 運転免許証の番号は?
 何かの会員になったとして、会員券には番号は書いていないの?

 例えば。
 住基ネットを維持するための費用は膨大なものになるという反論もあります。
 しかし、これは住基ネットを導入したことにより削減できる費用を無視した論です。
 そもそも、行政業務の効率化を目指して導入するのが、住基ネット。
 つまり、導入することにより削減できる費用も膨大なものになるという見積もりで行っているわけです。
 で、どこが削減されるのかというと、そりゃもう人件費です。
 市町村の行政機関の人件費、です。
 市役所だの村役場だのにいる、住民票の管理だの公布だのの役に付いてる地方公務員を大幅にリストラできるわけです。
 だからこそ、地方自治体の公務員の皆様は、基本的に住基ネットに反対することになります。そりゃそうだ、自分の仕事を奪おうとする勢力には全力で反対するでしょうとも。
 実際のところ、どのくらいの削減が見込めてどのくらいの支出が見込まれるのか、は判りませんが。
 少なくとも、各自治体の発表する『反対表明』には、住基ネットが導入されることでどのくらいの経費削減となり、どのくらいの利便性が得られるのか、そういうことは全く書いていません。
 自治体民に対して、正しい情報を提供しているとは、言い難いと思うんですがね、そういう発表は。普通アジテーションって言わない?

 例えば。
 諸外国では否決されたのでこれは愚法であるという論調がありますが、それは本当でしょうか。
 なぜ、諸外国の流れに従わなければならないのでしょう。
 もしかしたら、世界で一番正しい流れに進もうとしているかもしれないのに。
 諸外国は、色々理由を付けて正しい道のりを選ばなかっただけかもしれないのに。

*と、まあ、ね。
 否定する言のほぼ全てが『ただ否定するために言を費やして』いるから、そういう言葉にどうしようもなく胡散臭いものを感じてしまうのです。あたしは、ひねくれているから。
 んで、ひねくれているから、その言葉の裏側を考えてしまうのです。
 上で挙げた『反対表明』しているトコのコンテンツを読んでみるといいですが。
 どれもこれも、ツッコミ所満載でしょ。

住基ネット8月5日実施を許さない実行委員会
トップ頁の、バーコードの牢獄に囚われた『叫び(ムンク)』風の人物はキャッチー。
住民基本台帳ネットワークシステムに参加しない矢祭町の基本的な考え
住基ネット不参加を真っ先に表明した自治体。カウンターの回り方がすごいことに。
国民共通番号制に反対する会
ストーカー国家に、ノーをというコピーは印象的。

 政府の、利点と安全性をのみ高らかに謳うだけの広報はどうにも信頼を置けませんが。
 反対意見を表明するこれらの、否定をのみ声高に叫ぶ有様も信頼することは出来ません。
 どっちが正しいのか、なんてのを判別するのは、あたしの手に余りますが、少なくとも、両方共をニュートラルな視点で分析することが必要なんじゃないかなと、思う。

 安全性について云々する言は、政府広報にも各種反対意見にも見受けられます。
 本当に、情報漏洩の惧れがあるんでしょうか。

 ネットワークの技術的な点について言えば、基本的にはネットワークの利用者のセキュリティ意識にかかっていると思います。これは、例えばインターネットと同じこと。セキュリティ意識を利用者が持っているかどうかが一番重要だと、どのセキュリティ担当に聞いても返答するでしょう。
 で、住基ネットなんだから、そのオペレーターは各市町村の役所の担当者です。
 なんだ、地方公務員が自分の仕事をちゃんと理解して、ちゃんと運営したら、大抵のセキュリティクライシスには対応できるってことじゃないか。
 結局そこで、地方公務員にそこまでのネットワークに対する知識と安全に対する認識を持たせるのが大変である、っていうのが否定的な言の中で、ネットワークシステムに近い人たちから出てくる反対意見だったりします。
 でも、それは仕事なんだから、ちゃんとやらせないと遺憾よなあ。そもそも税金から彼らの給料が出ているんだから。
 ちゃんと知識のある人材をそのポストに割り付ける。無頓着な人は、残念ながらそのポストには必要のない人材であるとしてリストラされちゃう。
 それは普通の企業でも行われている人材整理であって、公務員についてもそれは当てはまると思うんですが。

 担当する公務員の人権意識、つまりは『役場のおいちゃんが小遣い稼ぎのために、秘密でこっそり情報漏洩しちゃったりしないのか』ってコトを問題にする言もありますが。
 それは、どんなシステムを使っても必ず出てくる問題だと思う。
 今のシステムでも、役場のおっちゃんがちょっと帳面開いたら、自分の出生の秘密は明らかになっちゃったりするんです。
 そのシステムに合った運営方法で行えばいいのであって、人間が絡む事による危険性を言い出したら、世の全てのシステムは成り立たなくなる、と思う。

 そういう、全部を総合的に論じてくれている場所が欲しいんですが、どうも見当たらないんだよなあ…。
 やっぱり2chしかないか!?
 と思って探したら、まあ色々あるわなあ。
 どうなんだろう。
 結局は、問題のあるシステムなんだろうか。

 まあ、色々と読んでみて考えてみて。
 あたしは、やっぱり『安全であるなら賛成』という中途半端な立場に(笑)
 結局、どんなシステムにも利便性と安全性とコストとのバータートレードは絡んでくるのであって、多分将来的には安全性を高めるための方策を執られた上での利便性の追求が成されるようになればいいなあ、という願望があります。
 ただ、その『安全性』というブレーキを付けないまま車を走らせる行為には、やはり問題があります。
 最低限のブレーキ、として『個人情報保護法案』があったのですが、これはマスコミや知識人たちの猛反発に会って立ち消えてしまいましたな。

 住基ネットを成立させるためにはまず個人情報保護法案を成立させてからにしろ、但し個人情報保護法案には反対だ、しかし縦割り行政はシステムの罪悪である、税金の支出も抑えろ。
 どれも矛盾する意見だよなあ。
 どこかで我慢しなきゃならんのだろうなあ。
 あれだ。住基ネットに参加しない自治体は、きっとその分国からお金が回ってこなくなるんだ。
 もしくは税金が高いまま。住基ネットに参加している自治体は、その分経費削減をしているということで税金も安くなる。国民はどっちをとるか選択出来るんだ。
 多分、住基ネットに参加していない自治体には、個人情報を管理されたくない人々が集まるんだろうな。
 つうことは、個人のポリシーで不参加表明をした人以外にも、例えば借金取りから逃げている人とか、例えば脛に傷を持つ身の人とか、例えばあからさまに犯罪者とか、そういう人たちが集まっちゃう危険性もあるんじゃないかなあ。
 あ、日本は住基ネットで管理されるから、日本人であることをやめて、日本以外で市民権を得ることを選択する人ってのも出てくるのかも。

 システムを悪用しようとする人にとっては、悪用し得るシステムが出来たんだから、ちゃんと悪用するでしょう。
 でも、システムを活用しようとする人にとっては、便利なシステムなんだから、快適な生活の助けとなるでしょう。
 どんな道具でも、それを用いる人の考え方によってどのようにでも使い道があるのだし、それが便利で強力なシステムであればなおさら。
 ダイナマイトは便利な道具だけどその強力さゆえに戦争にも使われました。
 拳銃は最後の武器で石斧は最古の武器だ(違)。
 なんか、つまんない結論だなあ。

 多分、住基ネットは、将来的には便利なツールとして主に国民生活を助けるために運用され、恐らくは国家の国民管理に用いられ、多分情報漏洩もするんだろうな。
 日本国が米国に個人情報のリークをするために使われる、なんて意見もあるけれど、そんなのは今のままでもあんまり変わんない気がする。
 個人情報に対するセキュリティ感覚って問題が出てきて、結局個人の(現実としての)生活に対するセキュリティ感覚ってのも変わってくると思う。
 もっと、セキュリティ感覚が強烈になってくるんじゃないかな。
 逆にそうやってネットワークで管理されるからこその安心感が出てくるかもしれない。
 ヤバそうなコトを考えているっぽい人は事前に監視され、行動をチェックされ、そこらの雑貨屋でナイフを買った瞬間に警察屋さんが登場するという寸法で。
 おお、まるでマイノリティ・リポート! 現実がようやくP.K.ディックに追いついてきたというコトでしょうか(笑)
 いやいや、そんな突飛な話はどうでもよいでしょう。
 要するに、情報も含めたセキュリティ感覚とか、日本国と日本国民との関係のあり方とか、そういうところが、意識も現実も、変革を迫られているんだろうなと、そう思ったわけです。
 今さっき、2chで見てきた政治に関する論争も、結局は『今』の感覚と現実との上に成り立っている論なわけであって、この土台が変わってしまうという可能性についてはあんまり見受けられませんでした。
 もしかしたら、大きな意識の変革、パラダイムシフトなのかもしれません。

 嘘かも(笑)
 ちょっと思いつきで喋っちゃったかなあ。
 ま、いいや。

*あ〜。
 なんだか先月はお休みでした。

 こう、体内になんだかどろどろと濁った物が溜まっている感じ。
 その凝ったどろどろが、精神が働こうとする時に妨げになっている。
 ちょうど血液の粘性が高くなって、身体が動こうとするときにエネルギーを体中に送ることが出来なくなっているような。
 そんな感じで、何かを『成す可』という精神の動きについていっていない、という感じ。
 無気力感と、いうのでしょうか。

 ま、あたしはこう、元々『成す可』みたいな、前進する意欲みたいなものが希薄なタチでして。
 しかし、さっき気が付いたのですが。
 こういう、凝ったものが体中に広がってしまい、何かをしよう、何かを成し遂げよう、という気力がどろどろと停止してしまう状態。
 これが『老いる』ということなのかなあ。
 身体が、ではなく、精神が、老いるということ。

 そりゃ、あたしはおっさんと言われてもしょーがない年齢ですが。
 まだじーさまと言われるような年齢ではない。どころか、身体より先に精神がじーさまになってしまうとはどういうことですか。
 こいつは、遺憾です。
 ので、精神の血液をサラサラにしないと遺憾です。
 いやいや、身体の血液もサラサラにしないとね。運動不足だし、最近。
 兎も角。
 じーさまになるのは、まだ早いぞ、オレ。

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