Paranoiacな日々
-2003年05月-
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2003/05/30

*ヤミ金融とか、ドラッグの売人とか。
 そーゆう系の、クズ商売する人々の元締め。
 暴力団、ですか。
 違法な団体を、もっと厳しく摘発して、頭っから叩き潰したら、そんな類の犯罪は激減するんじゃないかなあなんて思うんだけれど。
 なんでやらないんですかね。
 やっぱり「政治家は暴力団と結びついていて当然」だからかな。
 ちっぽけな宗教的団体なんぞをちまちま突付くヒマがあったら、もっと大きな目標を見つめてもらいたいもんであります。

*立ち食いそば屋さんで。
 カウンターにどんぶり置いたまま、カウンターに肘ついてだったり、ポケットに片手つっこんだままだったりで、どんぶりに顔突っ込んで食っているようなヤツらが結構いる。
 まあ、他人のメシの食い方にケチつける気はないけれど。
 そーゆう食い方は、あんまりよい印象ではないわなあ。
 大抵この類のモノドモは、ぼそぼそと聞き取りづらい声で注文して、もそもそとどんぶりに顔を突っ込んでソバをすすり、ごちそうさまも言わずにぷいっと帰っていくわけです。

 まあ、他人のメシの食い方にケチつける気はないけれど。
 メシの食い方には人間性が現れるって言う言葉に、納得してしまうってもんであります。

*ケチをつけるで思い出したけど。
 東京書籍の英語の教科書の挿絵に文部科学省がケチをつけたっていう話がありました。

 asahi.com : 教育・入試 : 教育最新ニュース/黒人の横顔さし絵修正 文科省が「唇が厚すぎる」と意見
 産経Web【教育を考える】/「黒人表現で誤解」→イラスト修正 東京書籍の英語

 多分、他にも同じこと言っている人はいるだろうけれど。
 これって、実は正しく「差別的見地からの修正」だよなあ。
 「アフリカ系アメリカ人の民族的特徴として唇が厚いことを誇張して描くことは、読者の誤解を招く」っていう言葉の裏には「唇の厚い人間はよくない人間である」という前提が感じられませんかね。
 唇が厚いでも、鼻が幅広いでも、鼻が高いでも、それが極端であることは総じて「よくない特徴である」という思考の前提があると感じられます。
 唇が厚いということが「よくない特徴である」という前提がないとすると、唇が厚かろうが薄かろうが修正するべきという意見が出るとは思えないよね。
 どんな特長であろうと、それが「極端である」ことは並べて「よくない」。
 無個性無特徴な、平均的で当たり障りのない顔が「よろしい」ってわけだ。

 問題は、ここで考えられている「平均的で当たり障りのない」ってのが「自分の考える平均的」でしかないっていうことで。
 一つ目国では二つ目人間は珍しいっていう落語のネタと、ほぼ同義だと思う。
 まあ、兎も角。
 結局「黒人っぽい特徴の顔」は「差別対象」であるという意識があるからこその修正指示であるわけで、それは結局修正指示をした方に差別的感情があるからこそ、なんじゃないかなあ、なんてなことを思ったわけです。

 個人的感情から言えば、この修正指示とか、古い話だけれど「ちびくろサンボ」廃刊の話とか、カルピスの商標を変えさせた話とか、そういうの、全部まとめて。
 阿呆の一言だけです。
 表現が差別的であるか否かとか、(一人でも)「痛み」を感じる黒人が存在するなら差別であるとか、そんな文法の上では、きっと差別ってのは問題にできないと思うのですよ。
 差別ってのは、たとえばある表現についての「差別的表現」云々を問題にした場合、その表現を作成した人と、その表現により差別された人と、この二者が問題の中心ではないのだ。
 問題の中心は、「表現した人」と「表現された(と感じる)人」以外の、その周りにいる「差別に無関係な」多くの人々であると思うのです。
 差別表現を助長する場合でも、魔女狩りよろしく表現を刈り取る場合でも、どっちの場合であってもね。

 まあ、こんなもんでいいか。以降はそのうち。

Mainichi INTERACTIVE ゲームクエスト/ファミコンとスーパーファミコン、9月で生産終了、任天堂
 いまだに生産していたってことの方にびっくりです。
 Nintendo©ってのも、世界標準の言葉になっちゃったもんだよなあ。
 そーいや湾岸戦争を"NINTENDO-WAR"と評したのはニューヨークタイムズ紙でありましたかな。

 なんの関係もないっぽいのだが。
 アメリカの自由の象徴はマクドナルドコカコーラだ。大統領でもスラムのホームレスでも、マクドナルドのハンバーガーとコーラは同じものが出てくる。同じ味を同じ値段で食べる。だから、マクドナルドとコーラを世界中に広めることは、アメリカの自由を世界に広めるということと同じだ。
 なんていうネタだかヨタだかわかんない話を、昔聞いたことがあります。

 日本が誇る日本の平和の象徴は、きっとNintendoかもしれないなあ。
 Nintendoであり、Sonyであり、コミックスでありアニメでありオタク文化であり。
 多分、そこらへんが日本文化の象徴であり、日本の平和の象徴であり、日本そのものを表しているのかもしれない。
 だから、日本のゲームやコミックスやアニメ、そしてそれを消費するオタク文化を込みで世界中に広めるってことは、それはもしかしたら、日本の平和を世界中に広めるということとおんなじ事なのかもしれない。

 今では日本の「マンガ」が、世界中で翻訳されて出版されているのですよ。
 そりゃもう、文化侵略かってくらいの勢いで。
 日本のマンガを読んで育つ子供たちが、世界中にいるのです。きっと、コーラを飲んで育った子供たちより多いくらいに。
 世界中に、日本のマンガを読んで、日本的な価値観に馴染んで育った人々があふれて、世界が均一化してきたら。
 もしかしたらコーラを飲まなくても、自由で平等で平和な世界を作れる、かもしれない。

 なんてな、ヨタ話。

2003/05/05

阪神。強いですなあ。
 トラッキー君(の内臓)解任問題は、もっと大きく取り上げてもいいと思うんだが。
 しかしまあ、勝っているので、いまんトコはよしとする。

 トレイ・ムーア投手。調子よいね。
 もちろん、打つ方(笑)
 投げる方も絶好調ですが。
 15打数6安打、打率4割、長打率5割3分3厘ってのは、なんか投手の成績じゃないよなあ。
 プロ野球中継のアナウンサーまで
『藤本ヒットっ! さあ、ムーアの前にランナーが出ました!』
 と、クリーンナップ扱いですよ。
 微妙になんか間違っているような(笑)

*パナウェーブ研究所です。
 ま、国民の皆様の感覚なんて結局そんなもんで、自分の脅威となる存在を排除することにはためらいがない、ってわけです。
 件の白装束たちは、所謂カルト集団なワケで、どうにもオウム真理教を思い起こさせるのは致し方ないところ。かと言って彼らが現に破壊活動を行っているわけでもなく、ただ単に『まっしろで気味が悪い』だけなんですが。
 その程度でも、住民たちにとってそれが脅威であると感じる以上、彼らは脅威であるわけだ。
 で、それを排除することは『正義』であるわけです。
 そんなかれらの口から、先のイラク戦争に対してはどんな意見が飛び出してくるのか、全く、見物です。

 旧オウム真理教信者とその家族の転入を頑なに拒み、オウムであると徴付けられた者は子供であっても容赦しなかった『一般市民』とやらが、イラク戦争では『罪もない子供を殺すな』なんて言っていたんだろうなと考えると、所詮その程度の『人権意識』なんだなあと思ってしまう。

 彼ら白装束たちにも、どこかに安住の地があればいいのになと、願わずにはいられないのですよ。

*白装束の方々ですが。
 なんかコンビニで大量のロックアイスを買い込み、移動した後には未開封のまま溶けてしまったロックアイスの残骸が残っていた、という噂が。
 やっぱ、アレですかね。
 腐ったら困るものを、冷やしているんですかねえ。
 例えば?
 ほら、ねえ。
 人間とか。

*しかしながら、この馬鹿さ加減は、あたしにとっては大好きな方面の馬鹿なんですが。
 世の中的には、不謹慎極まりない、になっちゃうのかな。

2003/05/03

*そうだ。
 以前、携帯電話の発する電磁波がペースメーカーなどの医療機器に誤動作を引き起こす恐れがあるって話をしたのですが。
 そういう方々のために[←◎]このステッカーを貼れば。

 えーと。
 様々な方面にあらゆる意味で冒涜的な冗談であったことを心よりお詫びします。

 でも、冗談は冗談として。
 各所からの情報を信じて、携帯電話の発する電磁波による誤動作を恐れるペースメーカー装着者の皆様は、彼らパナウェーブ研究所の発言や行動を、どのように受けとめたのであろうか、ってことは、非常に興味がある。

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