*戦争。
テロとか、レジスタンスとか、そんなのも含めての、戦闘という行動としての『戦争』。
殴る。切る。撃つ。NBCR兵器までを含めた、全ての『人の力』による行動。
その力を上回るものが、あるとするなら。
自然の力でしょう。ま、当然だけど。
イラン南東部ケルマン州バムで26日未明に起きた地震で、イラン内務省は27日、死者2万人、負傷者3万人以上と発表した。軍のほか、スイスやドイツなどの救助隊が続々とバム市内に入っているが、約11万人が住む周辺村落への救助活動はまったく行われておらず、ムサビラリ内相も同日、「犠牲者は、大幅に増える可能性がある」と語った。
またAP通信によると、現地で救援活動の指揮に当たる政府当局者は、死者が最終的に4万人にのぼる可能性があると述べた。バム市内の一つの通りでの1時間の作業だけで、200人もの遺体を搬出した例もあるという。
国際社会の救援も始まった。27日早朝、第一陣としてスイスの救助隊が到着。英、独、ロシアからの救援隊も続々と被災地に入った。
ただイラン国営テレビによると、救援活動は人口9万人のバム市街地に限られているという。周辺村落は放置されたままで、被災状況もはっきりしていない。こうした地域では、夜間には気温が氷点下に下がるため、犠牲者がさらに増えることが懸念されている。
(12/27 21:46)
人の力は、どこまでいっても『自然の力』には敵いません。
あきらめや、神聖への不可侵を説く言葉ではなく、な。
哲学的な、絶対的な限界を言っているだけです。
当然でしょ。人間は、今のところ、自然に内包される存在です。であるならば、自然を超える存在足ることは不可能です。
限界まで、自然に肉薄することこそが、人間の『挑戦』であるのだから。
自然を神聖視し不可侵の存在であるとして、自然への挑戦を戒めるような心積もりは、全くにありません。
てな、哲学ぽいハナシはどーでもいいです。
感情的、感傷的、と言われても構わないです。
日本は、地震や台風と言う、自然の災害の多い国です。
日本で発生した地震の被害に対して、多くの国が援助してくれたのです。
地震が、戦争なんかより全然怖い、全然身近な、全然激しい『暴力的自然』であると、ちゃんと知っているはずです。
だったら。
日本人なら、たとえ相手がどんな国であったとしても。
地震の被害で泣いている人のために、最大限の援助をするべきであると、固く信じます。
いいのよ。
どんだけ、感情的で愚かな言葉でもさ。
相手が、地震なんて言う『最大級の自然の暴力』なんだもの。
理不尽で、不合理で、だからこそ平等な『自然の暴力』の被害者なんだもの。
日本の、日本人による軍隊が、彼らを助けないで、何のための『平和憲法による軍隊』なのよ。
何のための、平和憲法による国際貢献なのよ。
*イラクにだって、自衛隊を派遣しちゃうことが可能なんでしょ。
だったら、地震の災害復興の経験の豊富な日本の自衛隊は、地震の被害を受けた人々を助けるためにこそ派遣してしかるべき、なんじゃないのかなあ。
そんなことを、思いました。
感傷的で、いいです。
日本にあるべき軍隊、日本にあるべき愛国心、日本にあるべき誇り。
そういうものは、例えばこんな時に起てるもの、なんじゃないかなと、思うのですよ。
日本の軍人が、こんなときに彼らを助けるために駆けつけることこそ、日本の理想とするべき、軍隊なんじゃないかな、なんて、思うのですよ。
*日本は軍事力を保有すべきか、否か。
執筆子は、軍事力を保有しなければならないと信ずるものであります。
平和は大切だの、人の命は地球よりも重いだの、武器は戦争しかもたらさないだの、憎しみを棄て隣人を愛せよだの。
そりゃもう、お花畑のお題目を、皆様唱えますが。
では、話し合いと、粘り強い説得と、必ず分かり合えると言う信念と。これらで、現実に発生している戦闘行為が解決できるのか。
誰も、それを解決することは出来なかったでしょ。
平和的解決を求めていた裏で、幾人もの日本人が北朝鮮の工作員に拉致された、わけだ。
彼らの命だって、地球よりも重いんじゃないの?
国が若者を戦争に駆り立て無為に殺した、と、軍備反対を叫ぶ人々は主張するけれど。
そういう『護憲派』の方々は同じ口で、平和のためには軍備を保有してはならない。万一何かあったら無抵抗のまま死ねと言っている。
それは、平和と言う夢のために無為に死ねと言っているに等しい。
国のために死ねと言う言葉と、平和のために死ねと言う言葉。どこが、どう違うの。
死にたければ、一人で死ね。私は死にたくない。
全ての人の命は平等だと叫びながら、圧政下で死ぬ人々を無視し、今そこにある危機に怯える人を切り捨て、戦闘地域に赴き助けようとする同胞には丸腰無抵抗で行けと主張している。
それは、人の命をあまりにも軽視しているのではないか?
日本国憲法を『平和憲法』と言い換える人々の偽善にはうんざりだ。
その『平和な』憲法とやらは、軍事力の保有を禁じ、戦闘行為を禁じ、国民を守ることを禁じているだけの、無抵抗憲法でしかない。
そして現に、日本人がこの『平和憲法』とやらのおかげで死んでいっているのだ。
戦争と死との上に成り立つ平和を否定する同じ口で、不条理な無抵抗の死を人々に強いるのは、平和的といえるのか。
『平和憲法』とやらと非武装無抵抗主義とで、日本人の命を守れると言う確かな方法論を、示して欲しい。示さねばならない。
*マスコミの中朝韓に媚び擦り寄る態度といい、中朝韓いわゆる『アジアの人々』のヒステリックな日本非難の態度といい、もううんざりです。
*陰謀史観、という方向の世の中の見方をすると、世界はとてもどす黒い。
陰謀史観といえばアカシックレコード。
まあ、要するに『陰謀史観な世界の見方をエンタテイメントする』ってサイト、か。
どこまで正しいか、とか、真実に迫る、とか、そういう方向性よりも、世界を別の切り口で見たらこんな風に見えると言う娯楽を提供しているのだなあ、という認識に、最近ようやく落ち着きました。
さて、彼はアメリカ大統領選挙について、ちょっと面白いことを言っています。
2004年は米大統領選の年だ。
04年秋には共和、民主両党の大統領候補もすでに決まっており、11月の投票日に向けて連日両陣営の動向がトップニュースとしてマスコミをにぎわせている……わけではない。トップニュースはずっと、世界的ミュージシャンで黒人のマイケル・ジャクソン(MJ)の裁判だ。
(中略)
上記の予測は絵空事ではない。米国の事情に詳しい方には、科学的なシミュレーションとしてご納得頂けよう。
04年の大統領選は、いつもの大統領選とは米メディアの扱いがまったく違うはずだ。(中略)
もはやブッシュのイラク政策を批判する余裕などない。
白人の民主党支持者にとって最大関心事は、自分があの汚らわしいMJと同様の同性愛者やそのシンパと疑われないようにすること、なのだ(さらに、白人同性愛者が自分たちへの差別や偏見を回避するためMJを非難し、黒人同性愛者と距離を置く可能性もある)。こうなると米民主党の選挙対策本部は選挙戦をどう戦っていいかわからず、頭を抱えてしまうだろう。(後略)
ま、要は選挙戦と言う米国最大のお祭り騒ぎのトピックスは、人種差別および同性愛者差別と言う米国に深く根を下ろした問題が表面に出てくるよ、ってこと。
このテの差別云々なニュースが米国から多く出てくるなあ、って雰囲気が出てきたら、アカシックの陰謀史観エンタテイメントが面白くなってくる。
▽参考ニュース
ルイジアナ州ラフィエット(AP) 米ルイジアナ州ラフィエットの小学校で、同級生に母親が同性愛者(ゲイ)であることを説明した2年生の男子生徒(7)に対し、学校側が悪い言葉を使っていると注意、「二度と学校で『ゲイ』という言葉は使いません」とする念書を何度も書かせる処罰を与えていたことが分かった。
人権擁護団体の「全米市民自由連合」(ACLU)が1日明らかにし、男子生徒と母親に謝罪するよう学校側などに求めた。場合によっては、法的な対抗措置も辞さないとしている。
これを受け同小は3日、処分を下したのは男子生徒の母親がゲイだからではなく、ほかの生徒に学校内でゲイについて説明したことが不適切な行動だったと判断したと反論、謝罪は拒否している。
ACLUによると、男子生徒はクラスメートが両親について質問した際、母親がゲイで、両親は2人の母親だと答えた。ほかのクラスメートから詳しく聞かれると、「ゲイとは女の子が女の子を好きなこと」などと説明したという。
しかし、これを聞いた先生が、「ゲイ」という言葉は「悪い言葉」として男子生徒を叱(しか)り、校長室に連れて行ったという。翌週、男子生徒を始業時間前に登校させると、「学校では二度と『ゲイ』という言葉は使いません」との文面を何度も書かせたという。
男子生徒の母親は、「教頭から電話をもらい、息子が電話では言えないような悪い言葉を使ったと知らされた時は心配した」などと説明。「しかし、帰宅した息子から、うちの家族が汚い言葉だと先生に言われたと聞いた時は、とてもショックだった」と述べている。
アメリカ人は、性的変態に対しては容赦が無いな。
いいことなんだか悪いことなんだかと言う判断は、あたしには難しいので保留するが。
この当の子供は可哀想だな。
米歌手のマイケル・ジャクソン容疑者(45)による少年への性的虐待事件で、カリフォルニア州サンタバーバラ郡のジム・トーマス元保安官は4日、93年に巨額の示談金で和解した13歳の少年とは別に、同容疑者から同じような被害を受けた少年(当時9〜10歳)がもう一人いるとの事実を明かした。
米CNNによると、被害者は93年に受けた被害の詳細をテープで語り、元保安官に提供したという。検察側もこの事実を把握しており、マイケル容疑者の公判に被害者を証人として出廷させる可能性がある。
元保安官によると、被害者は当時、強い屈辱感を感じ、友人に知られるのを恐れて裁判の証人になることを拒否。事実が伏せられたという。元保安官は「かつては証言を強いることはできなかったが、成長した今は事情が違う」と語っている。(スポーツニッポン) [12月6日6時9分更新]
早速、MJをハメる選挙広報が始まっている、のかな?
*陰謀史観風な、ちょっと穿った見方の例。
ラストサムライって映画。知っています、よね。
そりゃもうサムライ日本なワケで、日本を美化する映画であるのは、しょうがない。美化と言うのは正しくないな。日本文化の美しいところに光を当てた作品である、くらいでありましょうか。
兎も角、そんな作品であるが故に日本ではちょっと嬉しくもあり。
米国では、イマイチ評価らしい、等と聞こえても来ますが。
▽参考ニュース
米東部などの主要紙は5日、明治初期の日本を舞台にした映画「ラスト・サムライ」(エドワード・ズウィック監督、6日に日米同時公開)の批評を一斉に掲載、「冗長」(USAトゥデー)「不出来」(ワシントン・ポスト)など厳しい見方が目立っている。
ワシントン・ポスト紙は長文の批評で、映画が武士階級を美化していると述べ、映画の歴史解釈を含めて徹底的に批判。ワシントン・タイムズ紙は、物語の組み立てに不自然さがあるとして「製作者の意図が奇怪なまでに裏目に出ている」と指摘した。
ラスト・サムライは、人気俳優、トム・クルーズさん演じる米国軍人が、明治政府に軍隊の教官として招かれて来日、武士道の精神に魅了されていく物語。(共同)
なんで、そんな批評を受けそうな映画を作製したかって?
ラストサムライは、トムとスピルバーグのコンビで以前から話題になっている究極の反日映画、第二次世界大戦での日本軍による雨人、オージーへの虐殺行為を題材にした通称バターン死の行進を映画化「ゴースト・ソルャー」を実現させめためにある。
ラストサムライはそのための日本人に対する対策なのである。
いきなり「ゴースト・ソルジャー」を見せられたら日本人はそっぽを向きトムに反感を持つことだろう。
しかし、一見日本人に媚びている映画公開後ならどうだろう?
日本人のトムに対する反感はかなり和らぎ、「ゴースト・ソルジャー」も大ヒット。
まさにトムの思う壺。
今回の企画ラストサムライの製作意図はまさにここにある。
トムがいかに親日家かを日本の大衆にアピールすることにある。
だがトムが本当にやりたい企画は先ほども行った究極の反日映画を撮る事なのだ。騙されるな。
こんな話を、聞きました。
ゴーストソルジャー?
「Minolity Report(マイノリティ・レポート)」(2002年6月公開)で組んだ俳優トム・クルーズ(38)=写真右、AP=とスティーブン・スピルバーグ監督(55)=同左=が、米でベストセラーのノンフィクション「Ghost Soldiers」の映画化で再び、組むことがわかった。
同著は第2次世界大戦中にフィリピンのバターン島で3年間、日本軍の捕虜となって囚われた兵士の救出を描いたもの
(後略)
(01/29/02、ロサンゼルス=ZAKZAK特電)
う〜ん。それは、ちょっと深読みしすぎではないかな?(笑)
ま、なんにせよ、だ。
目の前にある現実を、ただの現象として受け取るだけでは、面白くない。
もっと、その後ろに在る(もしくは在るであろう)隠された理由を推測して楽しむ、という非常に知的な遊戯を、誰かが悪巧みをしているっていう前提の元に行うのが、陰謀史観。
人間不信に陥らない程度に楽しめるのであれば、これもまたよし、ではないでしょうか。
*日帝の陰謀ニダ!<丶`∀´>
アンニョン イチュムセヨ
*昨日の、朝日毎日の訳語の使い方についての話ですが。
別に朝日新聞を貶めようってワケでもないのよ。
ただ、原語には全く無いイメージを用いるというやりかたには問題がある。
TBSの石原慎太郎発言『100%正当化するつもりだ』捏造問題とおんなじくらいの問題だと思うのです。
捏造と言う意味で全く同じであり、気がつきにくく指摘されにくいと言う点でもっと大きな問題であると、思うのです。
だもんで、朝日、毎日、産経の3社に質問メールを投げてみました。
返答があったら、ご報告いたします。
*言葉狩り?
米テキサス南東部のジェファーソン郡にある道路「ジャップ通り」(延長約5キロ)は、日本に対する侮蔑(ぶべつ)的な名称だとして、全米日系市民協会(JACL)や米の人権団体などが5日までに、改称を求める申請書簡を米運輸省と住宅都市開発省に提出した。
書簡によれば、「ジャップ通り」はもともと、約100年前にこの土地に移民して稲作に成功した日本人家族の功績をたたえ、20世紀初めに名付けられた。だが、第2次大戦などを経て「ジャップ」が日本人をおとしめる言葉に変わった後も、そのままになっている。
書簡は、このままではジェファーソン郡が偏見や差別を助長しているとの印象をもたらすと指摘。名称が変更されるまで同郡への連邦税の支出を中止するよう求めている。
93年にも改称を求める動きがあった。しかし、郡当局は「郡には名称変更の権限はない」として地元住民に判断を任せた。その結果、「なじんだ名称で差別感はない」などとされた。今夏、JACLなどが再び郡に申し入れたが、同様の返答だったため、連邦政府に訴えることにした。
地元の日系人社会には、10年前の体験から、地元住民との間に感情的な摩擦が起きることへの不安があるという。妥協策として「ジャップ」の発音を残したまま、つづりを「J.A.P」とし、「Japanese American Pioneer(日系米国人開拓者)通り」にしてはどうかとの案も出ている。 (12/06 22:24)
結論から言えば『まだこんな差別が残っていますよ』と喜んで騒ぎ立てる、阿呆の為すことであると思います。
別の言葉では、例えば北朝鮮代表が国連で"JAP"と発言したことに関連して、その単語は実は英語だと言うことや、まだ米国にはその単語が残っていると言うことを明らかにすることで北朝鮮の発言の異常性を薄めようと言う援護射撃であると思います。
当のJAP通りに住んでいる人々が『それは侮蔑的意味を持って使われているわけではない』といっているんだから、そうなんじゃないの?
あたしは、現実は知らないけれど。
その単語について『差別語だ』『侮辱的だ』等と言い、その単語そのものを消滅させようと言う人々は、大抵の場合『何が差別であるか』を知らないで喋っている、という現実があるが故に。
また、そうやって『差別』を声高に叫ぶ人こそ、差別の存在を期待していると言う現実があるが故に。
この報道については、どうにも眉唾。
年配の方に対して『ばばあ』『じじい』と呼ぶことが『年寄りをバカにしている』ワケではないのだ。
綺麗な言葉ではないのは、事実だけれどさ。
そこに、どんな感情を込めて喋っているのかってコトのほうが、本当は重要なんだと思うのだよ。
で、例えば北朝鮮が国連で"JAP"と発言したことは、それが差別的だの侮辱的だのそういう意味で非難されたわけではなく。
単に、オフィシャルな場での発言なのだから汚い言葉を使うべきではない、というだけの話でしょ。
彼らが『北朝鮮(North Korea)』という言葉に対して侮辱的感情を受け取るか否かというのは、ここではあまり問題ではなかったりするわけだ。
まあ、相手に対して誠意を持って話しかけると言うことの必要性は、言うまでも無いけれど。でも、汚い言葉ではないのだ。
▽関連ニュース
ロサンゼルス郡の職員は、奴隷制を経験した同郡の歴史から考えると、「マスタ」「スレーブ」という言葉は差別的と受け取られる可能性があると考えている。
(後略)
そろそろ、コネクタの『オス』『メス』も女性に対する差別だって言って、フェミニスト団体から抗議がきますよ(笑)。
つか、笑い事じゃないかもしれないけどな。
*以上。
*現在、イラクは連合軍の統治下にあります。
かつてのイラク政府は崩壊し、新政府樹立のために、まずは国内安定を図っていると言うところ。
んで、現在イラクを現在暫定統治している組織はCAPといいます。
CAP。"Coalition Provisional Authority"の略称です。
外務省では『連合暫定施政当局』と訳しています(→参考)。
- co・a・li・tion
- ━━ n. 提携, 合同, 連合, 連立.
- pro・vi・sion・al
- ━━ a. 仮の, 臨時の.
- au・thor・i・ty
- ━━ n. 権威, 権力 ((over, with)); 権限; 典拠; 影響力; 確信; 権威者, 大家 ((on)); (時にA-) 公社[団]; (普通pl.) 官憲, 当局, その筋; 【法】判決例.
このCAPの訳語は新聞各社で違っています。
毎日新聞と朝日新聞との呼称が際立って目立ちます。いや目立つように大きな文字で書いたからなんですが(笑)。
しかし、元の英単語にはちっとも関連しない『米英』『占領』なんていう単語を喜んで使ってしまうあたり、この2紙の体質が伺えるってもんです。
報道です。上に挙げた新聞6社は、報道を生業としている組織です。
報道とはなんであるか。
辞書的な意味では広く知らせる、ということなんだけれど。
報道の意義とは、真実を知らせると言うことだと、思うのです。
真実ではない『脚色』や『ドラマ』や『ストーリー』を伝えるためのメディアなり枠組みなりは、別に用意されている。
報道は真実を伝えるためにあるってのは、恐らく皆様に納得していただける定義であると思うし、報道が真実を伝えるためにあると言う前提があるからこそ、報道の自由が憲法で保障されているのです。
最近の「捏造報道」報道のあれこれを見ると、ここらへんの原則を報道関係者が忘れているんじゃないかと言う気がしますがね。
朝日毎日両新聞が伝えたい真実は、あの軍事作戦は侵略戦争であると言うことと、あの軍事作戦は米英が行ったものでありその他の国々はその尻尾に食いついていったオマケであると言うこと、なんでしょう。
そして、その『真実』を広く国民に知らしめるために、あのような訳語を用いた、と好意的に言えば、言えないことも無いかもしれなくも無い。
と言ったものの、結局は元の単語に無いイメージを勝手に使い、元の言葉の意味とは違う語を勝手に広め、新聞社の望む方向に世論を誘導するよう印象操作を行っているということに変わりはない。
長くなっちまったな。
まあ、一言で言ったら『朝日新聞が超絶翻訳単語を捏造して読者の印象を不当に操作しようとしている、よくある光景が繰り広げられています』ってことなんですがね。
なんだ一言でいいじゃん(笑)
相変わらずの、国民舐めっぷりです。
流石、朝日新聞。
そういう報道だってコトを理解して、朝日新聞の喋ることはたっぷり割引きして聞くべきである、ということだな。
- ほうどう ―だう 0 【報道】
- (名)スル
- (1)新聞・ラジオ・テレビなどで広く一般に知らせること。また、その知らせ。ニュース。
「新聞―」- (2)告げ知らせること。また、その知らせ。報知。
「猶も委しく聞き繕ひ―せんと其儘其処に佇立し耳を欹(そばだて)て聞くに/八十日間世界一周(忠之助)」
*で、そんな捏造単語を駆使してまで朝日新聞が望む印象操作とはつまり、日本には軍隊は必要ないと言う主張であると、私は考えます。
もちろん、平和と言うことに対する方法論として、軍隊を必要としない道を模索すると言うあり方は、とても尊いと思いますがね。
現実はそんなに甘くないってコトが、そろそろバレ始めているし。
だもんで、あたしは軍隊は必要だと思うし、むしろ軍隊が必要であるほど現在の日本は危機的状況にあると思うのです。
どこに危機があるの? って人もいるでしょうがね。危機がいっぱいだよ。どことは言わんけどさ。
*
*ええと。
また、しばらくサボっちゃったな。
期待してご来訪していただいている皆様には、大いなる謝罪を。
*この新聞は何を言いたいのか。
中国とインドの関係が目に見えて良くなっている。
「中国はもはや脅威ではない」。インドのバジパイ首相が先ごろ国内の遊説先でそう明言した。5年前にインドが核実験をしたとき、インド国内で核開発の理由の一つに「中国の脅威」が指摘されたのがうそのようだ。先月には、両国海軍による初めての合同演習が上海沖で行われた。
60年代はじめの国境紛争以来、両国の緊張は長くアジアの火種の一つだった。インドがパキスタンとともに核兵器保有国になったことで、軍事的な構図もいっそう複雑になった。風向きを変えたのが2年前の9・11テロだ。対テロ協調で米中、米印関係が改善に向かい、中印関係も動き出した。昨年、当時の朱鎔基中国首相が訪印してこの流れは固まった。
底流にあるのは、経済の発展を優先したいという共通の意識だ。そのためには何より紛争を避けたい。両国はともに今世紀の半ばには経済大国になる可能性を秘めている。巨大な市場や潜在力を互いに生かし合わない手はないというわけだ。
ことし6月には、バジパイ氏がインドの首相としては10年ぶりに中国を訪れた。インド側はチベット自治区を中国領と初めて文書で確認し、中国側もそれまでインド領と認めていなかったシッキム州とチベット自治区との間の貿易の再開を受け入れた。政治的な関係の強化がインドの情報技術産業の中国への進出に弾みをつけ、両国間の貿易量も急増している。
相互の不信が解け去ったわけではない。中国とパキスタンの緊密な結びつきに、インドは警戒を解いていない。だが、中印の改善は印パの緊張緩和を助けてもいる。来月、印パ間の航空機の相互乗り入れが2年ぶりに再開されるのはその表れだ。
中印両国が今世紀の大国をめざすなら、それに伴う国際的な責任も果たしてもらいたい。例えば、軍備管理の分野である。
中国は包括的核実験禁止条約に署名したが、批准はまだだ。インドは署名さえしていない。ミサイル関連技術の輸出規制や、弾道ミサイル拡散防止の国際行動規範には両国とも未参加だ。これでは困る。
米国の単独行動主義に世界が揺れている。中印両国にとっては、国連などを舞台にした積極的な多国間外交で存在感を示し、世界から信頼を得る好機でもあろう。
いま両国の視線は東南アジアに向いている。ともにASEANの友好協力条約に署名し、自由貿易協定にも熱を入れる。将来、中印・東南アジアという経済的な枠組みだって生まれるかも知れない。
さて日本だ。首脳交流さえ乏しいインドはまだまだ遠い。中国とは経済のパイプこそ太いが、政治的には靖国問題をはじめ多くの課題が立ちはだかる。東南アジアでの存在感も薄らいでいる。巨竜と巨象の時代を見通した外交が必要な時なのだが。
相変わらずの『朝日新聞節』ですな。
特にシメの段落あたりが。
しかしまあ、順番に。
インドは核保有国となったことで「中国はもはや脅威ではない」と考えるようになった、ということを指摘しています。
また合同軍事演習を行うことが友好関係にあると言う照査にもなるようです。
つまり朝日新聞的には『軍備を増強し軍事的に対等になり、さらに核を保有し、共通の敵を持つことが、国家間の友好関係においては重要なファクターである』と言いたいらしいです。
日本も武力放棄の憲法を棄て、核を保有するべきでしょうね。中国と友好的でありたいなら。朝日新聞もそれを肯定しています。
チベットは、中国領らしいですよ。
朝日新聞的にはチベットは中国らしいです。
中国がチベット人に対して行っている侵略と暴虐と拷問と非道とは、全くスルーですよ。
流石朝日新聞。中国様のやることには全く逆らいません。
▽参考リンク
靖国神社参拝は政治的に問題だそうです。
中国と友好関係になれないのは靖国神社があるからですか。
朝日新聞の本領発揮ですな。
はっきり言って、それは中国の内政干渉なんで無視しろ。こんなんでいちいち文句垂れるような国だったら、友好関係していらん。
何が「さて日本だ」だ。僕も中国と仲良くならないとっ! ってことか?
いらんって。
*大体、中国なんてなこんな国だよ?
トヨタ自動車が中国の月刊自動車雑誌や新聞に掲載した4輪駆動車の広告が、中国人の感情を傷つけたとして、中国のインターネットなどで問題とされる「騒動」が起きている。トヨタは近く広告を掲載した媒体に謝罪広告を出すことも含めて対応を検討しているが、ある外交筋は「それほどひどい表現とは思わないが、
中国人の対日感情の悪化を映す出来事だ」としている。 広告の写真の1枚は、2頭の石の獅子がトヨタ車に敬礼やお辞儀をするポーズをとっており、「尊敬せずにはいられない」とのコピーがついている。もう1枚は、トヨタ車が雪道で中国の国産車とみられるトラックを牽引(けんいん)している。
これらの写真が「中国の象徴である獅子に敬礼させたり、トヨタ車が牽引するのが人民解放軍の車に見える」などとして、一部の中国人がインターネットなどを通じて「中国人を侮辱している」と問題視した。
トヨタは「気分を悪くした人がいるのは事実で、対応を検討している」としている。掲載した中国の媒体の中には、すでにインターネットを通じて謝罪した雑誌もある。 (12/04 03:07)
つまり。中国人にとっては
中国が日本を尊敬しているかのように表現するのは、中国を侮辱している行為である
日本車が中国車より優れているのは、中国を侮辱している
そう感じるということだな。
つまりは、中国は日本を踏みつけていないと我慢できないってこった。
ふざけているな。
あんたらの感情は尊重してやってもいいけど。だったら、そんな国からODA援助なんて受けてるんじゃないっての。
▽参考リンク
*しかも、そんなに偉そうに述べるくせに日本の投資は必要なんだそうです。
だけど偉そうなのは変わりない。トコトン頭を下げる気は無いらしい。
中国江蘇省の省都、南京市のトップである羅志軍共産党南京市委員会書記(52)が3日、友好都市提携25周年の代表団を率いて訪れた名古屋市で共同通信のインタビューに応じ、「今の世の中にあった方法で南京大虐殺事件の教育を変えていく」と述べ、未来志向の平和教育を進めていく考えを明らかにした。
「南京=大虐殺」とのイメージで、日本からの投資が敬遠されがちなことを意識した発言で、平和教育を通じて市民らの対日感情を和らげ、投資環境を整備する狙い。
南京市は昨年12月、虐殺65周年の追悼集会で「平和宣言」を発表。市のイメージを広島、長崎と同様の「国際平和都市」に転換するよう目指している。羅書記は「これまでの教育が間違っていたわけではないが、世代にあった方法を考えていかねば」と語った。(共同通信)
[12月3日20時47分更新]
南京大虐殺、かよ。
何人殺したと言いたいんだろうか、彼らは。
20万人? 30万人? 40万人? そのうち軍人は何人で民間人は何人? 日本軍の規模はどのくらいだったの?
当時の南京の人口は20万人程度、軍人は4万人程度だったらしいですよ。しかも日本軍の南京侵攻の後南京の人口は25万人ほどになっていたそうです。
どうやって殺して、どうやって遺体を処理して、どうやって人間を掻き集めたのよ。
ちなみに、日本に落とされた原子爆弾による死者数は、広島・長崎あわせて32万人くらいだそうです。
日本軍は原爆2発より強力な軍隊ですか。大日本帝国万歳、ですな。
▽参考リンク
あたしは南京で30万人が死んだなんつうお話は信じていません。
つうか中国の言うことは99まで信用できませんから。
南京で死んだ人はいるんでしょう。死んだ人と、その親族に対して嘘つき呼ばわりする気はありませんよ。
しかし、今の中国の「南京虐殺教育」とやらは、全くに政治的プロパガンダに過ぎないと思います。
▽参考リンク
李洪遠氏、呉野氏など南京政治協商会議(政協)委員は先ごろ、「南京大虐殺遇難同胞記念館」の展示物などの保管状態を視察した際、同記念館の名称を「中国南京国際平和センター」に改めることを提案した。この提案は大きな反響を呼び、南京市民の80%が改名に反対している。
政協委員は「記念館は愛国主義教育と世界平和アピールのための重要な場所だ。『中国南京国際和平センター』へ改名することにより、その意義がさらに深まる。記念する価値があるのは大虐殺だけではない」と述べた。
市民には「『国際和平センター』という名称では記念館の本質を伝えることはできない。旧日本軍による犯罪の記憶が薄れるだけだ。当時犯罪にかかわった者が、まだ十分に反省していない現在、我々が寛容を示すことは、日本人に尊重されないだけでなく、かえって自らを侮辱する結果になり兼ねない。あの惨劇が後世の人にますます忘れられていくだけだ」という意見が多い。
「名前を『国際和平センター』と改めることで、同記念館の意義はさらに深まり、人類平和というテーマに近づく」として、改名に賛成だという人はおよそ5%に過ぎず、ほとんどが若年層だった。
「人民網日本語版」2002年3月25日
あったのか、なかったのか、大きかったのか、小さかったのか。
それは兎も角。
当の中国人が、それを永遠に忘れないと言っており、しかも寛容は自らへの侮辱であると言っているのだ。
彼らは、何があろうとも、日本に対して頭を下げることは屈辱であると感じているってワケだ。
いいじゃないのよ。
中国なんてほっとけば。
わざわざ南京に投資する必要なんてないでしょ。
どうせ反日感情120%なんだもの。なんのメリットも無いよ。
*結局、日本にとって一番利益のあるオプションは。
日本の(あんまり平和の役に立たなかった)平和憲法とやらの修正。
軍事力の保有(核についてはあたしはちょっと否定的)と、妥協しない強力な外交。
中国、韓国、北朝鮮の、アジア戦略からの切り離し。
国際社会での発言力を増すための国際貢献。
国内での過去の戦争に対する認識の修正と、中朝韓の主張に対する反論および国際社会で認められる歴史認識の構築。
国際社会での、中朝韓の暴走と迷走とに対する抑止力としての存在意義の確認。
そういった類の、まあ言っちゃえば大国に進む方向が良いのではないかなあ、等と。
うむ。世界政治についても激しく疎いので、あんまり正しい認識ではないかも、です。
しかし、だ。
当の中国の故事にも「遠交近攻」と言うではありませんか。
つか、現在の中朝韓こそが、一番近い日本を敵国と看做して「遠交近攻」の策を採っているんじゃないかと思えるのですが。
あたしは、もっともっと日本は強いと信じていますよ。ええ。
現実として、第二次世界大戦時の日本は、ほとんど世界中を敵に回してでも自分で立とうと思い、立ち上がったんだもの。そしてちゃんと立っていたんだもの。
ちっぽけな島国日本だけどさ。
もっと、強力な国家として、ちゃんと立ち上がる国家として、日本はあって欲しいのです。
- 遠交近攻
- …いま王が採るべき方法としては、遠い国と交わりを結んで、近い国を攻める、すなわち遠交近攻の策が一番よろしいかと存じます…
- kjfの世界へようこそより
でわ。