*今日は予想通り、社説は北朝鮮一色でした。
そーいや今週の週刊文春の電車中吊り広告に『「負け犬」国家北朝鮮』と書いてあるのを見て、鳥肌閣下を思い出した(笑)
社説は後で。
今日の天声人語。
『第5福竜丸事件から50年が経った。原水爆廃絶のための運動は着実に広がっており、根付き、芽吹いている』
天声人語子は、他人の言葉を引用し、その言葉に自分の主張を乗せて文章を作る、というのが得意なので。どうしても、その『引用された言葉』を理解し解釈して読まないと遺憾のですが。
その言葉が、朝日新聞的アクロバット引用ではないのかどうかは、このコラムの中だけではわからないのですよ。
まあ、ここでは言葉のみを追いかけて解釈するけれど。
朝日新聞は卑怯者だから、そういう解釈を見て『いやそんな意図で引用したのではない』とかなんとか、平気で言ってくるだろうな。
気にしない、という方向で。
原水爆の禁止を訴えるのは、まあ理念としてはいいんだけれど。
現実、それが可能かって考えたら、難しいよなあ。
局地的な、例えば北朝鮮の核武装解除とか、朝鮮半島の非核化とか、そういうことならある程度可能性はあるだろうけれど。
全世界規模での核兵器の廃絶は、どーなんだろうなあ。
で、そういう『反応爆弾』とか『第5福竜丸』とか、わかりやすい『ご神体』を据えてから『平和!』を説くと言うのは、なんかちょっと、引っかかるものを感じるのです。
具体的に何が、ってのは言い難いんだけれど。でも例えて言えば、天声人語的『彼はこう言った(私もそう考えている)』だったり、筑紫哲也的『こういう声もありますが、どうですか』だったり、サヨク言論人の『日本国民は誰もそれを望んでいない』『アジアの声を聞け』だったり、そういう雰囲気を感じてしまうから、なんだと思う。
つまり『私は平和を望みこの行動を選択する』ではない『彼らは苦しんでいる』『その兵器が全ての原因である』『お前たちは行動しろ』という声だ、ということね。
彼らの言葉はどうしても『あなたたちは行動しなさい!』という絶叫にしか聞こえないのですよ。つまり、かれらは正しく『行動していない』ように見える、ということです。
あ、そうか。つまり彼らの声は『しない善』の方に見えるってことだ。
しない善よりする偽善、という言葉には、ある種の真実があると信じていますが。彼らの行動は正しく『しない善』に見えるから、胡散臭いというか、なんだか納得のいかない部分が残ってしまうんだな。
*天声人語なんぞよりよっぽど正鵠を射ている、と評されるらしい。
サンスポ『コラム甘口辛口』
大した理由もなく文系を選んだが、数学だって決して嫌いなわけではなかった。もしかして理系に進んでたら、いまごろ大金をゲットしていたかもしれない。
そんなことを思わせるような判決が先日、東京地裁でまたあった。『アスパルテーム』という人工甘味料の製造法を開発した「味の素」の元研究所長が、会社に特許権を譲渡した対価の一部として20億円の支払いを求めた訴訟で、会社側に1億8935万円の支払いが命じられた。裁判長は発明によって会社側が得た利益は約79億7000万円と算定。元所長の貢献度を2・5%と判断した。
東京地裁では1月にも青色発光ダイオードを開発した中村修二・米カリフォルニア大教授の請求通り、元勤務先の日亜化学工業に200億円の支払いを命じる判決があった。発明の対価というものは実に巨額だ。
それにしても、会社側はたまったものではない。開発に失敗しても給料はもらう、成功したら巨額の対価を要求する−ではノーリスクハイリターン。ある民間企業によると、企業レベルの研究は商品化されるのが全体の約1割。そして採算ベースに乗るのがさらにその約1割。つまりほとんどがムダと失敗の繰り返し。そのリスクを研究者側が負うことはない。
『箱根山駕籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人』。研究者だけでは利益は出ない。企業には営業も総務もある。それらのセクションで働く人の貢献度は何%なのか。裁判長の判断が正確だとは到底思えない。
スポーツ新聞も自分の記事で新聞が売れたら、裁判でカネをブン取れるのだろうか。やってみるか。もちろんノーリスクという条件つきで…。
(サンケイスポーツ 宮川 達也)/著者プロフィール
この件については、朝日新聞は諸手を挙げて『正しい判決だ』的な論調の社説を書いていたと思うのですが。
そーだよなあ。
個を重視したら組織が成り立たない。組織を重視したら個は埋没する。
そのバランスがどこにあるべきか、を問うているのだと思うのです。
もちろんあたしも組織で働いている歯車の一個なんで、その個を尊重する風潮はありがたいと思いもするのですが。
でも、組織が組織として成り立たないほどに『個』を尊重するようになってしまえば、組織は潰れるしかないと思う。
そのとき、その『才能溢れる個』は、組織を潰して別の組織に乗り換えたらそれで万々歳なんでしょうが。それ以外の、彼を支えていた『その他大勢』は、どうなるんでしょう。
世の中アインシュタインだけで成り立っているわけじゃない。あんたのはいているパンツは誰が作っているのか、考え直すべきだと思う。
ま、朝日新聞論客諸氏に言わせれば『そんな仕事は人件費の安い中国にやらせればいい』なんて言うんだろうがな。
民主党の菅代表は28日、水戸市内での街頭演説で、道路公団民営化に関連し、「(政府の)民営化(案)はインチキであるのに、小泉首相は『こんな画期的な改革はない』(と言っている)。昨日判決を受けた人と同じだとまで言ったら言い過ぎになるから言わないが、自分を自己催眠にかけることにかけては首相は天才的だ」と述べ、オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告を引き合いに出して首相を批判した。
(2004/2/29/00:10 読売新聞 無断転載禁止)
相変わらず下品な発言の続く民主党代表です。
ご自分の日記では『「知的基礎体力」の欠如』を憂え『ワンフレーズ総理』なんて小泉首相を評していますが。
こんな発言しているご自身の『知的基礎体力』の欠如っぷりは、遺憾ともし難いようで。
つか、一国の首相を捕まえて死刑判決の出たカルト教団の教祖と同列に論ずるなんて、知的云々以前に、相手に対して敬意を払うと言う最低限の『人間的資質』が欠如していると受け取られても仕方ありませんよ。
*社説のハナシ、ね。
結局、北朝鮮の未来について、どう考えているのか。
ってところを正直に話して欲しいと、思うのです。
北朝鮮という国家は、実は国家ではなく、朝鮮半島にたったひとつあるはずの国家の片割れ、なのだな。米ソによる分断統治なんてのが原因だけれど。
だから、韓国と北朝鮮とは、現在『戦争中』なのだ。休戦しているけれど、朝鮮戦争は終わっていないのですよ。
そんな過去は兎も角、では将来どうあるべきなんでしょうかね。
独裁政治だろうと民主政治だろうと、それで国民が満足できるのであればその政治体制は『悪くはない』と思います。
あたしは、今の『民主主義』なんてのに幻想はないんで。
どうも『民主主義 = 平和的』なんて勘違いしているヒトビトも多いようなんですが、単に民主主義よりマシな方法を思いつけないから民主主義を使っているだけで、もっとマシな方法も在るかもしれないし。
で、北朝鮮の金正日独裁政権が、国民のための政治を行うことが可能であるのならば、その『独裁政権』は、まあマシな統治方法であると言えると思うのです。
どっこい、彼のやり方では、あまり上手くいかないようだ。現実は国が傾き、人が死に、他国に依存してなんとか運営している。
北朝鮮が核兵器と言う武力を放棄して自国を運営できるのかと言うと、残念ながら不可能だと思う。
ナイフを振り回して『メシ呉れよ〜! 呉れないと挿すよ〜!』って叫ぶ駄々っ子からナイフを取り上げちゃったら、駄々っ子はもう『メシを脅し取る』ことが出来なくなっちゃうじゃない。
韓国中央日報の社説だけが書いていた、と思うんだが。
『北朝鮮は、核問題が、米国の政権レベルの問題でないことを、もう一度肝に銘じなければならない。民主党が執権しても、核を保有したままでは、決して経済支援など期待できないとのことに気付かなければならない。』
この、アメリカの民主党vs共和党の『国内紛争』を、北朝鮮の結論引き延ばし作戦の勝機であると書いたのは、日本にはいなかったな。
まあ、ある種慧眼かもしれませんね。
北朝鮮と米国との『米朝枠組合意』による、核開発の凍結と重油供与、軽水炉の建設を取り纏めたのは、民主党クリントン大統領でした。
民主党は親中国、原子力重視らしいのでね。現大統領共和党ブッシュさんの方策とは反対方向だ。
だから、米国大統領選挙が民主党の勝利となってしまえば、自国の延命に光明が射すかも、と思うのは、当然だあな。
既に、つーかもう50年も前から、北朝鮮に対して『信義と良心』なんて望むべくもないわけで、だったら北朝鮮が折れるときは、体制が崩壊するときか、体制を崩壊させないよう、なりふり構わず頭を下げたとき、なんだろうなあ。
うーん。
北朝鮮が、どう在るべきか。
そういう思考は、面白い実験ではある。
*では。
*今日は主要6紙(朝日、毎日、読売、産経、日経、東京)全部が、社説とコラムでオウム真理教について取り上げてました。
まあ、当然だわな。
全紙斜め読みしてみましょ。
*朝日新聞社説『オウムを産んだ社会の病巣は教祖の死刑では解決しない。何が原因なのか考え続けねばならない』
天声人語『松本智津夫は自分の行動について口を開くべきだ』
毎日新聞社説『権力機構の不作為こそがオウムの暴走の原因だ』
余禄『闇やその犯罪の傷跡があろうとも、私たちは必ずやそれを乗り越えられるはずだ』
読売新聞社説『裁判にも、社会秩序の維持にも、オウムの教訓はまだ生かされていない』
編集手帳『オウムの教訓を活かすよう法整備が必要だ』
産経新聞社説『迅速な裁判を求める』
産経抄『弁護団の正義に対して不信を表明する』
日本経済新聞社説『司法のあり方の見直しや、社会秩序維持のための法整備が必要だ』
春秋『今までの教育や行政の在り方こそが、この事件の遠因ではないか』
東京新聞社説『宗教や心の内面に目を向けなくてはならない』
筆洗『事件を生んだ社会について考える必要がある』
まあ、ざっくり一言で纏めているので、読み違いや言葉足らずについてはご容赦を。
社説とコラムとの論調が似てくるのは仕方がないでしょ。その新聞社の意向と言うものがあるからな。
しかしまあ各紙並べてみると、それぞれにそれぞれの考える『ポイント』があるんだなと、思い知らされる。
まあ、被告松本智津夫の死刑はしょーがないでしょ、と思います。
オウム真理教は『宗教』だと考えます。その行動の異常性を以ってそれが『宗教ではない』と断ずることは、人には決して出来ないことであると確信します。
彼はただ『犯罪行動』によって裁かれたに過ぎません。人を殺す宗教が全て異常なカルト集団だったら、世の全てのキリスト教徒は十字軍と言う罪によって裁かれちゃいますよ。
そんなこんなを考えつつ、新聞の言説に突っ込みを入れていこうかと。
人に言われたコトについて、とりあえず『それは本当か?』と疑ってみるってのが、性分なもので。天邪鬼というか。
*司法のあり方について述べる言があります。
つまり、なんでこんなに裁判が長引くのか、ということ。
あたしはこれは、司法制度のリスク側と考えています。つまり、しょうがない、ということ。
ある人物の犯罪について、奪った人命の数や彼のイメージによって判決が左右されてはならない、と考えます。従って『誰の目にも松本智津夫の異常さが明らかだ』なんていう理由によって彼が裁かれてはならない、と考える、ワケです。
誰の目にも彼が異常であり彼が犯罪者であることが明白である、ということを理由に犯罪を断定する。というのは、即ち『リンチ』に他なりません。
証言する100人が、みんなで口裏合わせて『彼が犯罪者です!』と叫んだとき。被告人席の人物が、その100人の声を理由に、弁明する機会すら与えられずに断罪された場合、それは単なる私刑です。法治国家の為すべき松本智津夫『裁判』ではありません。
そういう『感情に引きずられた判決』を出してしまわないように、検察側と弁護側とで法廷論争が行われるのであり、その結果とか『社会通念』とか『判例』とか、そういうものを総合して判断するのが、判決と言う結果です。
従って、弁護人の採った戦略について云々するのも全くに筋違いであり、それは『司法制度』そのものを揺るがしかねない『感情論的』言であると思います。
弁護士の仕事は、正義ではないとあたしは思っています。もちろん正義は必要だけれど、それは彼の行動規範であるだけで、彼の仕事ではない。
現行の司法制度は、冤罪や過剰な罰を与えることを避ける、という理念で構成されているのだと思います。
逆に言えば、罪を犯した人を『彼は罪を犯していない』と判断してしまうことの方がまだマシであると考えている、という制度であると思います。
疑わしきは罰せず、です。
これを『疑わしいから罰する』制度に変更するのかどうか。
それを望みますか?
そういう司法制度はすなわち『アカ狩り』なんて言葉で言い習わされた、サヨクの方々が好んで糾弾する『戦時中の暗黒時代』とやらの罪と罰との認定法です。
私は、松本智津夫が犯罪者であり、極刑を以って裁かれて当然であると信じますが。
それでもなお司法が長大な時間をかけて審議し、罪と罰とを判断するのに慎重であることを見て、制度がどれ程『個人の権利』を尊重しているかを確認し、安堵するものであります。
最もこれは『加害者の人権と被害者の人権とどっちが大切なんだ』なんつう言説とは別次元のハナシとして、受け取っていただきたい。
あくまでも『加害者にも人権はある』ということと、司法制度にヘンな例外を設けてはならないということとを、述べているに過ぎませんので。
*オウム真理教と言う組織が出来た要因や、そこに信者が多数集まると言う現象や、それが犯罪者集団となっていった原因を、どこに求めるか。
なんてコトも言っています。
バブルや、教育や、社会不安や、そういうものを持ち出して解釈しようとしていますが。
あたしは、そんなものは表層に過ぎないと考えます。
いつの時代でも、そういう鬱屈や暗部を心に持つ人は、存在すると思います。
ただ、そういう捩れを持ったまま生きることを社会が許容しない、のかな。もしくは『宗教』という口実を付けることでそれを許容しているのか。う〜ん。考えたのだが、結論が出ません。
常に在る『「この世」とうまく折り合えない人々』は、『余禄』でも書いているのだけれど『文明そのものの欠陥』なのかもしれないと思うのですよ。
むしろ、全ての人が、この類の『「この世」とうまく折り合えない』感覚を持っているんじゃないかと思う。
その『捩れ』をどうにか抑えこんだり、同じ方向の『捩れ』を持つ人同士で連帯したり、何かの対象の方向に積極的に『捩れ』たり、そうすることで『自分以外の多数の捩れた人々』と生きている、というのが、現代社会でしょう。
捩れていることを肯定し、捩れたままで平然と生きることが出来るほど『強い』精神をもつ人ってのは、そう多くはないと思うのです。
で、そういう『捩れ』を『病巣』と切って棄て、それを探り摘出しようと言う試みは、しかし成功しないと考えます。
何故なら全ての人が既に『捩れ』ているのだから、異常な『捩れ』を見つけ出すと言うことは、すなわち『自分と同じ方向に捩れていない』人物を探し出す行為に過ぎない。
だから根本原因を探り当てたとき、そこにあるのは『多様性を認める』という一文だけなのではないかと思うのです。
生や思想や思考の多様性を認めた場合、そこには『カルト教団に入信し殺人者となる』選択肢も厳に存在する。
もしも『そんな反社会的な存在は認めない』としたとき、それは選択肢を刈り込むということです。
そう、別に『殺人者となること』を認めているわけではないのです。あたしは。
ただ、例えば『カルト教団に入信し殺人者となる』選択を刈り込もうと考えたとき、あなたはどの草を刈りますか。
つまり、どこを『反社会的』と判断するのかと言うこと。
『殺人者』は反社会的でしょう。でも『殺人者』という可能性を刈ることは難しい。なぜなら『殺人者』は『人を殺した後』でなければ刈り込めない。
では『殺人者』となりそうな可能性を刈り込む? それはなに? カルト集団? 個人の思想や思考や嗜好?
そのやりかたは、思想により人を弾圧する手法と、なにが違うんだろう。
*と、二つほどの主題について、突っ込みを。
ほとんど反論のための反論なんで、あっさり論破されそうな気がするんですが。まあ、いいや。
ただ、思うのは。
『個人の自由』と『社会秩序』とは、常にバータートレードの関係にある、ということです。
様々なカネやなんやらの取引も裏ではあったんでしょうが、それはそれとして。彼等「オウム真理教」に対して破壊活動防止法だのなんだのの強制力を持った手段で望めなかったのは、彼らのもつ『個人の自由』を尊重していたから、だとおもうのです。
で、彼らの『個人の自由』とやらを尊重していたが故に、彼らが『社会秩序』を乱す行動をとった、ということですね。
どこまで『個人の自由』を認めるべきなのか。個人の自由をある程度制限してでも『社会秩序』を守るべきなのか。
そういう『方法論』を考える必要は、あると思うのです。
*まあ、ここらへんの主題は根源的な問題を含んでいると思うので、簡単に断ずることの出来るものではないと思うのです。
よって、あたしも煮え切らないまま終わり。
*ビンラディン逮捕はウソなのかね。
まあ、もうちょっと大統領選挙が近づいてから、捕まえるんだろうな。
6者会議はどうもなんの成果もないままに終わりですなあ。
まあ当然ですな。
北朝鮮を除いて、誰も北朝鮮現体制の存続を望んでいない。誰も北朝鮮現体制の安全を保証したいなんて思っていない。
ただ単に北朝鮮が暴発することを恐れているだけであり、北朝鮮に対して武力で以って制裁を行う口実を見つけられないだけであり、そのリスクとメリットがつりあっていない、ということでしょう。
北朝鮮は日本に対してはまだまだ強硬姿勢を続けるのかな。
うむ。
こうやって危機感が脇腹に突き刺さっている間に、国内の体制の整備を整えてもらいたいものである。
小泉首相の行った最大の『構造改革』は自衛隊改革、つまり軍事力の整備であると評している人もいるくらいで。
隣国の危機を奇貨として国内を整えてもらいたいと思う次第。
*終わる。
*今日の天声人語は、月に一度の『最近の言葉から』です。
ので、要約もなにもあったもんじゃない。
だって、今日はコラム書きは自分の言葉を書いていないんですよ。コラム書きの言葉ではない、他人の言葉が並んでいます。
そして、どんな言葉を選んだのか、と言うことだけにしか、コラム書きの意思が表現されていないんです。
………あれ?
いつもどおりじゃん。
いつもどおりなので、やっぱり要約を試みます(笑)
最近の言葉から。女優の岸惠子さんが戦時下に「子供を止(や)めた日」を思い出す。「直撃弾を受けて燃えあがり、身もだえする我が家を、松の木に登って見ていた私は、顫(ふる)えてはいたが悲壮感など微塵(みじん)もなく、『今日で子供を止めた』と思った。大人の言うことを聞いて急拵(きゅうごしら)えの防空壕(ごう)に避難した子供達(たち)は、爆風による土砂崩れでみんな死んだ」と。
「ひとをにくんだり、さべつしたり、むりに言うことをきかせようとしたり、じぶんのこころに戦争につながるそういう気もちがないかどうか。じぶんの気もちと戦争はかんけいないと考えるかもしれないが、それでは戦争はなくならない」とは詩人の谷川俊太郎さん。
相次ぐ児童虐待について東京都三鷹市の子ども家庭支援センター相談員佐伯裕子さん。「最初に気付くのは現場の相談員。実際の危険性が10あって、相談員が8を感じ取っても、上に報告されるごとに危険性の認識が薄まっていきがち。いかに現場レベルで連携できるかがかぎ」
「火をおこせ」が口癖の日清食品社長安藤宏基さんは飽食の若者に「原始人さながら木をこすり、実際に火をおこしてみなさい、ということです。私は手を豆だらけにして3時間かかりました」
バースコーディネーターの大葉ナナコさんは「体が変わると心が変わる。意識が変わると細胞が変わるんです」
電話がなく手紙で予約を受ける民宿を岩手県で経営する坂本久美子さんは「一日も退屈したことはないわ。都会にはない貴重なものがあるから、わざわざ遠くから来てもらえるのかな」と。
引用された発言が、どういう文脈の中で、どういう意図の中で語られたものか、これだけでは全然わかりません。
朝日新聞が得意とするアクロバット引用かもしれないのですが、とりあえず言葉だけを追いかけてみることにする。
第1段落『大人の言うことを聞かなかった私は「子供を止めた」。大人の言うことを聞いた子供たちは、戦争が殺した』
第2段落『戦争は、自分の心の中の、憎み、差別、強要、そういうものから生まれる』
第3段落『現場で携わっている人間には危険がわかっているのに、統率者にはそれがわからない』
第4段落『実際に自分の手だけでやってみないと、それがどれ程大変かはわからない』
第5段落『身体が精神を、精神が身体を変えてゆく』
第6段落『文明や文化を離れるのもいいもんだ』
こんな感じ?
天声人語は何も語っていない。何も主張していない。この言葉を選択した意図がどこにあるかは他の誰にもわからない。
そういう『誰かが言った言葉を引用する』ことで、解釈は読者持ち、責任は言った人持ちで自分の意見を主張すると言う、卑怯なことをするのが、朝日新聞です。
仕方がない。選択された言葉をあたしの解釈でまとめてみると。
『統治者は何も判っていない。統治者の言いなりでは戦争で死んでしまうだろう。統治者の言うことなんて聞いていちゃダメだ。それは困難な生き方だろうが、思い続け行動し続けることでその生き方が習慣となる。文明から離れるのもいいだろう』
なんだ? 朝日新聞はニヒリストを育成したいのか?(笑)
危険な思想を持っているなあ。遺憾よ、遺憾。
まあ解釈次第では、周囲に流されず、自分で考え自分で立つ、どんな困難にも負けない強い大人になれ、という意図にも取れちゃうのですが。
朝日新聞に対して、そんなに好意的な解釈はできないなあ。
- ニヒリスト 3 [nihilist]
- (1)ニヒルな考え方をする人。虚無主義者。
- (2)〔ツルゲーネフが「父と子」で名づけたといわれる〕一九世紀後半のロシアにおける、一群の過激な唯物論者・革命家・無政府主義者・テロリストたち。また、その結社や党派。虚無党。
*今日のコラムおよび社説で、オウム真理教元代表・松本智津夫被告の判決について書いていたのは、読売新聞・編集手帳だけでした。
まあ内容は『なぜオウム真理教が危険だと知りながら事前に手を打つことが出来なかったのだろうか』というだけなんだけれど。
また、読売新聞は社説で、公明党(いや創価学会と言うべきか)が参政権付与法案を提出したことについて糾弾していたけれど、これも読売だけだったな。
オウム真理教、公明党、創価学会、永住外国人、北朝鮮。
共通項があるよね。これらには。
いい加減、日本国内に根を張る危険な組織や寄生植物について、真剣に危機を感じるべきだと思います。
小泉首相は27日夜、オウム真理教元代表・松本智津夫(麻原彰晃)被告に対する死刑判決について「あれだけの大犯罪ですからね。死刑は当然ですね。もっと早く裁判が終わっていればいいんですけどね。被害者はやりきれない思いでしょうね。悔しい思いよく分かります」と語った。被害者に対する政府の支援策が十分かとの質問には「状況は人によってそれぞれ違いますからね。できるだけの対応はしないといけないと思っています」と語った。首相官邸で記者団の質問に答えた。
歴代首相は、三権分立の原則から確定前の判決について評価を述べるのは避けるのが通例で、こうした発言は異例。小泉首相は昨年8月、大阪教育大付属池田小での児童殺傷事件で宅間守被告が死刑判決を受けた際にも「当然だと思う」と語っている。
(02/27 20:38)
三権分立って、なんですか?
つまり、司法の判断を立法府が操作してはならない、もしくは、立法府の望むとおりに司法が判決を下してはならない、ということだな。
だったら、首相の言葉を聞いて裁判官が判決を修正することがあるならば、それはこの場合裁判官の資質の問題なんでないの?
つか、首相に質問して、それに答えたら『異例だ!』って騒ぐってのは、それは一般的にマッチポンプといいませんか?(笑)
小泉首相は27日夜、大阪地裁が首相の靖国神社参拝を公的性格と認定する一方、慰謝料請求は却下する判決を出したことについて、「何で参拝して(原告に)被害を与えたのか、いまだにわからない。(請求は)退けられ、何の問題もない裁判だ」と述べた。
(2004/2/27/23:25 読売新聞 無断転載禁止)
あたしは、小泉首相は、こういう言い方もどうかと思うが、非常に『常識的な』判断と発言をする首相だと思うんだがなあ。
まあ、世の中の『権力者を引き摺り下ろせ』とか考えている革命主義者や、単に権力者が嫌いな我儘な人々等は、何でもかんでも叩きたいんでしょうがね。
首相が至極当然な行動をし、それに対して過剰反応するのがどういう人々か、どういう反応をするのか。
そういう過剰反応の異常さが際立ってくればくるほど、首相の思い通りなんじゃないかなあと思っちゃいます。
つまり『釣り』ね(笑)
小泉純一郎首相としては、どうなんだろうねえ。意図的なのかなあ。ナチュラルなのかなあ。
新聞読んで『今日もバカがいっぱい釣れますた( ´,_ゝ`)プッ』とか『全く何言ってんだか( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ』とか思っていたり。ああ、そんな首相もちょっとイヤかも(w
*うむ。ぐんない。
*今日はコラム・社説は新聞各紙、ヤフーBBの件で賑わっていました。
読売新聞社説の出だし『個人情報の漏れ方も、高速で大容量だった』は笑った。上手い事言うなあ。
しかし、どうも住基ネットの危険性と結びつけて語りたがっているものもあって、おいおいお前らマスコミが個人情報保護法案にイチャモンつけていたんじゃないかと、今更ながらのツッ込みを入れてみたくなりました。
全く『言論』という立場は楽なもんで、自分に都合のよい言葉はもてはやし、ちょっと痛いところを突かれると掌を返してキーキー騒ぎ、自分で喋った言葉に責任を持たなくてもよいという、自分で風を起こす風見鶏みたいな状態で屋根の上でくるくる踊っていれば褒めてもらえる、そんな感じを。
*今日の天声人語。
『個人情報が漏れる事件があった』
いや、これで以上です(笑)
だって、これ以外の情報は、全くの蛇足なんですもの。
第1段落『もしコンピューターのネットワークでつながっている人同士を同じ色の線で結んだとしたら』ってのは、全然意味がわからん。1対1に結ばれる『ネットワーク』ってのは、糸電話くらいしか思いつきませんよ?
天声人語子の言う『ネットワーク』が何を意味しているのかわかりませんが、なんかちょっと勘違いしているような気がします。
第2段落『県の人口でみると、静岡と福岡の間ぐらいになる』って、人数を表現するのにすごく不向きな表現だな(笑)。全然イメージできませんよ。
あと、1車両に30人を『全国の同じようにすいた電車の車両にも』っていう表現もちょっとどうかと思った。過疎化に悩む地方をバカにしている、と取られかねませんよ。まあこれは正しく揚げ足取りなんだけど。
第3段落『多用途のほか、多目的な、何にでも使えるという意味もあるが、こんな「用途」まであったとは』って、あ〜たそんな小噺しなくても(笑)
情報の価値とはデータがどんな媒体に記録されているかではない、でしょ。情報の価値の本質を、技術にすりかえちゃダメですよ。
第4段落『手口は古典的…しかし…不安を人質にしているのが今風だ』って、これも情報の価値の本質を技術にすりかえている気がするなあ。
結局、個人情報を『盗まれた』というのが、一番の問題でしょ。その情報を『ヤクザに売る』のか『ネットワークで無制限に垂れ流す』のか、そういう『使い方』については技術の方の問題だけれど。悪用であると言うことについては、同じく悪用だよな。
『情報が盗まれると言う恐怖』と『情報の使われ方への恐怖』とを、すりかえてしまっていませんか?
ここで問題になっているのは『情報が盗まれる』ということへの憤りと不安、だと思うのですがね。
第5段落は、まあその通り。変に勘ぐったらなんぼでも採りようはあるだろうけれど、ここは素直に聞く。セキュリティってのは技術ではなく運用であると言う事実を、知っておけということだろう。
第6段落『便利ながら、苦みも強い「ラインダンス」』っていう比喩は、どうにも的外れだと思うんだが。
ネットワークに接続する経路を"LINE"と読んで、ラインの上で踊らされている、とでも言いたいのでしょうが。
的確ではない上に、やっぱりここでも『情報が盗まれる』ということへの恐怖を、ネットワークと言う存在そのものへの恐怖にすりかえている。
ということで。
今日の天声人語は、中身が『情報が盗まれたよ!』っていう一言だけ。しかも『だからネットワークって怖いね!』っていうアジテーションを、これでもかと言うくらい盛り込んで造っています。
従って、読む価値なし。むしろ害毒。
『大義をすりかえるな』なんて言っている新聞が、問題をすりかえてちゃだめでしょ。
*ひゅーまんらいつ。人権、ですか。
【ワシントン和田浩明】米国務省は25日、世界各国の人権状況をまとめた年次報告書の2003年版を公表した。フセイン政権の崩壊によるイラクでの改善を強調する一方、北朝鮮の日本人拉致問題にも触れ「世界で最も非人間的な国家の一つ」と昨年に続いて厳しく批判。日本に関しては、「警察や刑務官による服役囚などへの暴力行為の報告が続いている」と指摘し、名古屋刑務所での受刑者死亡事件にも言及した。
(以下略)
原文は英語なんで、がんばれば読めないこたないでしょ。
East Asia and the Pacificの項、Japanを見ると。概ね好意的、かな。女性に対する暴力や少女売春について述べるのは、当然だわな。
しかし、報告書に『慰安婦(comfort women)』について書かれちゃうのはなあ。しょーがないのかなー。文献的にも結構否定されてきているんだがなあ。
『いじめ(bullying ("ijime")』なんつって、日本語での読み方まで紹介されちゃうのは、どうよ。
まあ、ざ〜っと原文と機械翻訳文とを斜め読みした感じでは、日本国内での報道とあんまり変わらないことが書かれているかなあ、くらい。
北朝鮮(Korea, Democratic People's Republic of)は、厳しいことが書かれているな。正に地上の楽園。
韓国(Korea, Republic of)は、おおよそこんなもん。レイプや児童虐待、マイノリティへの偏見の多さについてはしっかり言及されていたけれど。まあ、韓国のレイプの多さと障害者への差別は、良く知れたことだからなあ。
中国について「台湾(China (Taiwan only))」と「中国(China (includes Tibet, Hong Kong, and Macau))」に分けて書いているあたり、まあ、そう見るのが普通だよなあ、なんて思ったり思ったり。香港だって、所謂『支那』とは別の世界だしね。
中国は、大陸内のなんちゃら自治区とか、香港とか台湾とかを全部手放して、初めて『一つの中国』に戻れるのかもしれませんな。
しかし日本のマスコミは、中国の大陸内での新疆ウイグル自治区やチベット自治区に対する虐殺について、触れませんね。産経は書いていたけれど。
で、台湾が中国本土とは別に、一つの項として記述されていることにも触れませんね。
翻訳や要約されたものと、原文とを見比べると、マスコミがどんな真実を『殺したいのか』見えてくるね。
*昨日の日記の補足。
まずは、アナン国連事務総長国会演説の全文。
自民党のweb頁に上がっておりました。そうか。政党のweb頁ってのは気がつかなかったよ。
新聞の報道では『要旨は次の通り』なんてな言葉で纏めているけれど、そういう要約が本当にクリアに行われているかは、全文を見ないとわかんないよね。
全文と、報道が行った『要約』とを見比べると、報道が『どんな真実を殺したのか』があからさまになります。
自民党のトコで全文はわかったけれど、出来れば原文(英語)も知りたいな。
国際連合の事務総長が『核兵器による破壊の恐ろしさを知っている唯一の国として、日本は平和と核軍縮の最もたゆまざる支持者の一員です』って言ったのは、皮肉なのか当てこすりなのか日本に対する脅しなのか、微妙な表現だな。
連合国が、『国際連合』と言う名の欺瞞で隠している『連合国』こそが、日本に核兵器を用いたんじゃなかったのかね。
流石に、この表現は新聞社が報道で扱うには重かったのか、要約するときには華麗にスルーされちゃいました。残念で仕方がない。
『多極主義を確固として信じておられる、皆様』という呼びかけ方にも、なんだかケツの座りの悪いものを感じるな。
アナン氏の演説から感じるのは。
国連と言う組織にも構造改革が必要なんだけれど、既得権益を握って放さないヒトビトの我儘によって全然進んでいない。ここは一発、国際連合にとって一番の異端であり、しかも国際連合に対する貢献は抜きん出て高い日本に、国連改革を手伝ってもらいたいんだがなあ。
っていう雰囲気を。
分担金第2位の日本に来て、そのパトロンにイヤミなんて言わないでしょ、なんつう下品な評をした新聞がありました。もちろん朝日新聞ですが。
そんな朝日新聞ですら書けない程の、国連からの切迫した『脅迫』めいた発言じゃないかなあ、なんて思った次第です。
原爆はもうイヤだろ? そりゃそうだよなぁ。そーいやさぁ、今いる上の奴ら、うざくねぇ? オレも困ってんだよ。なあ、オレはお前のこと、スゲぇ奴だって尊敬してんだぜ。なあ、オレに手ぇ貸さねぇか。クソみてぇなシキタリなんて変えてやっからよ。
そんな感じで(笑)
最もこれも、日本語訳文から感じる印象なんで、原文はもちょっと違うニュアンスなのかもしれません。
*昨日の日記の補足その2
民主党の菅直人代表は24日午後、国連のアナン事務総長と都内のホテルで会談した。
事務総長は「(イラク戦争不支持は)同じ立場だ」としながらも、復興支援については「米英両国に『尻ぬぐいもやれ』と言いたい気持ちは分かるが、今や(国連加盟国の)みんなの手に委ねられた。安定化に全力を尽くさなければいけない」と協力を求めた。
これに対し、菅氏は現状での自衛隊派遣に反対する理由を説明し「イラク人政権と国連の要請があれば、国連平和維持活動(PKO)の拡大での対応もすべきだと考えている」と、前向きな姿勢をアピール。事務総長は「立場は理解できるが、現実的なニーズがある」と重ねて復興支援への協力を要請し“擦れ違い”に終わった。(共同通信)
[2月24日21時51分更新]
■ アナン国連事務総長
Date: 2004-02-24 (Tue)
アナン国連事務総長の国会演説があり、その後、民主党幹部と会談の機会があった。アナン事務総長はイラクに対する民主党の姿勢をよく理解していて、今日イラクに軍隊を送っていない国には民主党と同じ意見が多いと述べられた。特にイラク戦争を始めることについては国連は一貫して査察の継続を主張し、反対であったことを明言された。アナン氏が自衛隊派遣を評価したことで、戦争の大義名分が認められたかのような論陣を張ろうとしているが大間違いだ。アナン氏は逆に、戦争に対しては色々な意見があるがイラクの安定化は全てに国にとって必要だと強調。
同じ物事も、別々の見方があるもんだと言う好例ですね。
外から見たら『擦れ違いに終わった』だが当人には『民主党の姿勢をよく理解』なのだな。
菅さん。これが『バカの壁』ですよ? ちゃんと、読みました?
*さて、今日の天声人語。なんだが。
「日本はいま十字路に差しかかっている」とアナン国連事務総長が指摘したのは99年11月、東京の国連大学での講演だった。「数年のうちに日本国民が行う選択は世界の人々に影響を与えるだろう」と語った。
あれから約5年、来日したアナン氏は昨日、国連事務総長として初めて国会で演説をした。本人も言うように「決定的な時期」の演説で、ときに率直に、ときに婉曲(えんきょく)に語りかけた。
氏は「多極主義を確固として信じておられる皆様」と呼びかけた。「皆様とは私たちのこと?」と顔を見合わせた議員もいたかもしれない。国会論戦で、国連との協調と日米同盟重視とを使い分けて防戦につとめた小泉首相はどうだったろうか。
99年の講演も、多数の国とのつきあいを重んじる多極主義が主要なテーマだった。「日本は強力に多極主義を進めている。そして国連を外交の基軸にしている」とたびたび言及、高く評価した。国会での言及も、嫌みやお世辞でなく、期待も込めた確信なのだろう。
「軍事行動を語り始めるときは、外交の失敗のサインだ」。当時そう語ったアナン氏が、今回は「いつ武力の行使が認められるのか、そして誰が承認するのか? 各国が独自に行うのか、それとも共に行う方が安全か?」と問いかけた。イラク戦争に至った「外交の失敗」への批判と反省とがうかがえた。
日本のイラク復興支援の「表明」には敬意を表し、「困難な議論を経」た自衛隊派遣にも言及した。5年前の「十字路」から、その後、日本がたどった道を直截(ちょくせつ)に論評することはなかった。
『イラク戦争は「外交の失敗」だった。アナン氏は自衛隊派遣は評価したが、日本が目指した方向が正しいかは言及しなかった』
こんな意訳で勘弁を。
つうか、なんていう悪文を書くかな、天声人語子は。これで『クオリティペーパーのコラムニスト』なのか。
天声人語は6段落で構成されています。1段落毎にまとめると。
ホント、中身がないよね。他人の言葉を紹介して終わり。しかも卑怯なことに『どうだったろうか』『うかがえた』『論評することはなかった』なんつう、他人の行動を表す表現を用いて自分の論を展開している。言論人とは思えませんなあ。
昨日も書いたとおり、アナン氏はイラクへの軍事力の派遣を『必要なことである』と考えているわけだ。
つまり、朝日新聞だの天声人語だの民主党だのが言っているような『派遣のお墨付き』『戦争の大義をすりかえるな』なんていう言葉は既に通り過ぎている。
今のイラクに必要なもの、人道的な見地での今のイラクに必要なものを、語っていると思います。
で、そこでは結局『武力』も必要だと言うだけ。
アナン氏は、ものすごくはっきりと、日本が今行った選択を、評価していましたがね。
そこらへんは、どうよ。
*朝日新聞がどのくらい厚顔無恥かと言うと。
今日のこの天声人語だけではありません。今日の社説でも阿呆を晒しています。
国連のアナン事務総長が満員の参院本会議場で演説した。
事務総長の来日は珍しくはないが、国会演説は初めてだ。そして「昨年は国連の歴史の中で最も困難な年の一つだった」という言葉から本題に入ったその内容も、イラク問題をめぐる深い苦悩と、日本への大きな期待を強く印象づけるものだった。
イラク戦争後の占領統治とイラク側への主権移譲が行き詰まり、米政権が求める国連の関与のあり方をめぐって、活発な外交が続くさなかである。招待した小泉首相にとっては、この演説は国際協調の重視を内外に印象づけ、自衛隊のイラク派遣にもお墨付きを得る好機だったに違いない。
アナン氏は、日本の「(イラク復興に関する)安保理決議の要請に応え、窮状に立ち向かうイラクに連帯する姿勢」を称賛し、巨額の復興援助やサマワでの自衛隊による活動を例にあげた。
しかし、アナン氏が演説でほんとうに訴えたかったのは、9・11の大規模テロやイラク戦争をきっかけに世界の国際協調体制がいかに大きな危機に直面しているか、また、その立て直しに日本の協力をいかに必要としているかということである。自衛隊派遣が評価されるかどうかに目を奪われて、そこを見過ごしてはならない。
「イラクをめぐる意見の相違は、私たちの集団安全保障体制について、根本的な問題を提起した」とアナン氏は述べた。名指しはしないものの、安保理の明確な承認を得ないで米英両国が戦争を始めてしまったことへの遺憾の表明だ。
国際テロや大量破壊兵器の拡散に対処できる国連の改革を言いつつ「国連憲章は他に代わるもののない行動の枠組みだ。今なお正統性を提供する場だ」と強調したことも同じ文脈にある。
イラクの再建に「政治的に中立で独立した国際機構」がどのようにかかわるべきか。その苦悩も随所ににじんだ。
アナン氏は、戦争をめぐる対立があったにせよ、イラクの国造りはすべての人々に共通する関心事だと力を込めた。6月末までに占領を終わらせ、暫定政権の樹立から選挙実施につなぐプロセスを、国連がイラク人と共に進める意向も明らかにした。
しかし、アナン氏が言うとおり、治安が確保されなければ国連の本格的な活動はできない。そこに最大の悩みがある。占領終結に伴って、当然、新たな安保理決議も必要になる。実効性のある決議を採択し、実際に治安回復や復興を進めるには、米欧の亀裂の修復が前提となる。
そのための外交を率先して進めることこそ、アナン氏が日本に期待する国際協調主義であろう。
アナン氏の演説後、河野衆院議長は「日本こそが国連の大きな柱の一つだという気持ちで取り組む必要がある」とあいさつした。多くの議員が共感したと思いたい。
もう、他人の演説や論文や言論から自分に都合のいいところだけを抜き出し、相手の意図とは反対の方向に結論を置くという、朝日新聞的アクロバティック引用法がスーパーE難度で着地しています。
身伸新月面宙返り降り。
国連事務総長の言葉ですら、朝日新聞にかかると『しかし彼の言いたかった本当のことはこれだ、彼は言わなかったが私には判る』で料理される、と。
アナン氏が朝日新聞を読んだらなんと言うか。
アナン氏が『朝日新聞の中にもバカの壁はあるんだね』とか言ったら面白いな、なんて思っちゃいました(笑)
笑い事じゃない。
しかも、朝日新聞の2月21日の社説と、今日の社説とを比べると面白いですよ。
社説 2月21日付 ■アナン来日――国際協調へ転じる時だ
首相には、建前や面目にこだわることなく、アナン氏の説明に耳を傾けてもらいたい。
国連は他国から与えられるものではない。積極的に参画してつくるものだ。そのことをアナン氏と確かめ合ってほしい
社説 2月25日付 ■アナン演説――国連の柱となるには
しかし、アナン氏が演説でほんとうに訴えたかったのは、9・11の大規模テロやイラク戦争をきっかけに世界の国際協調体制がいかに大きな危機に直面しているか、また、その立て直しに日本の協力をいかに必要としているかということである。自衛隊派遣が評価されるかどうかに目を奪われて、そこを見過ごしてはならない。
その(米欧の亀裂を修復)ための外交を率先して進めることこそ、アナン氏が日本に期待する国際協調主義であろう。
ヒデえ(笑)
4日前には『素直に聞け』とか言っていながら、今日は『いや彼が本当に言いたかったことはこっちなんだ』かよ。正反対じゃん。
朝日新聞も、アナン事務総長の言葉を素直に聞くべきだと思いました。
こんな飛び魚ターンを平気でやっておきながら、知らん顔で給料もらってんだなあ。こいつらは。
インテリゲンチア気取りのブルジョワジー奴(笑)
やっぱりプロレタリア革命は必要ですよ?
しかも、今日の社説では、イラク国内の治安回復のためには『米欧の亀裂の修復が前提』だそうな。そして、日本は米欧の亀裂を修復するためにこそ働くべきだ、と。
つまり、その『米欧の亀裂』とやらが修復されない限り、イラクは混乱のまま放置しておくべき、ということか。
その間どれ程のイラク人が死のうとも関係ないってこと?
朝日新聞は非人道的のチャンピョンだな。
それとも、イラク人の死は米国の責任だから、全部米国にやらせておけってことかな?
それは『アメリカ一極主義』を認めた言葉に他ならないと思うのだがなあ。
朝日新聞さん。アナン氏は、本当にそんなこと、言ったの?
*今日の新聞各紙の社説やコラムの大半は、アナン氏の演説についてのものでした。
まあ、全部並べて読み比べて、加えて出来れば原文を読んで、アナン氏が『何を言っていたのか』を汲み取ればいいでしょ。
朝日新聞的ねじれた言論を信じるも善し。産経新聞的逆方向にねじれた言論を信じるも善し。
あたしのように『アナンは日本を脅しに来た』なんつう斜め上の解釈をしちゃうも善し(笑)
飛びぬけて面白い解釈を思いついたら、教えてください。
日記上で紹介させていただきます(笑)
*今日の社説のもう一方は、有事法制のハナシでした。
有事法制も、各社ほとんどが取り上げていましたな。
もう、阿呆の戯言にはうんざりなんですが。
有事ってのは、既に武力組織により権利を激しく侵害されている状況です。
そんな時に『いや私は個人の権利のほうを重視する』と言いながら一人仁王立ちしていたら、前後左右から飛んでくる銃弾で蜂の巣になりますよ?
もしくはアレだ。法隆寺前の蕎麦屋「かどや」みたいに『和を以って貴しとなす』と言いながら履帯に踏み潰されるんだ。
阿呆が一人で踏み潰されるんなら、勝手に死んでろなんですが。
そういう阿呆は、己の『権利』を主張することで他人の『権利』を激しく侵害することに気がつかないから始末が悪い。
主義主張は自由だけれど、阿呆は阿呆で一人で死ね、と、思っちゃう次第。
*でわ
*今日の天声人語。
『国連の食糧援助機関、世界食糧計画(WFP)は世界の飢餓地帯への学校給食プログラムに40年以上携わってきた。しかし援助できる子供たちは、世界に3億人いるという飢えに苦しむ子供たちの5%に過ぎない』
ポール・テルガドさんの話はおまけということで、本質のみを抽出。
世界の貧困にも目を向けつつ偉人の半生を知る、という、道徳の教科書の説話みたいだね。
世界が支え得る人口、地域が産み出しうる食料はどのくらいなんだろうか、とか。
給食援助は子供が大人になるまでを支えるだけで、その大人が地域でどれ程働けばどれ程の経済を支えうるんだろうか、とか。
そういう、食糧援助で子供を救えというお題目の裏では、単に彼らが飢えと貧困と暴力とで死ぬ時を遅らしているだけだった、という可能性についても、考慮すべきだとは思うのですがね。
まあ、そんな陰の部分だけを考えて何も行動しないより、何か出来ないかと考え、何かを行うというのは、尊いと思います。
「しない善よりする偽善」というコピーは、あたしは嫌いじゃないのだよ。あたしも夢見るオポチュニストである、ってわけだ。行動したならば、行動したと言う事実だけは評価されるべきだと信じているのです。
そういうオモテはここまでで。
天声人語のウラは、やっぱりアナン国連事務総長の来日と日本の国際貢献への評価に対して、イラクへの軍事力派遣よりももっとやるべきことがあるんじゃない? という問題提起を。
と『問題提起』と言えば朝日に好意的だが、別の言葉では『目くらまし』をしたいんだろうな。
朝日新聞としては、イラクへの支援は国連主導でと言っていたのに、その国連の事務総長がわざわざ日本に来てまで『国連への貢献とイラクへの支援を高く評価する』なんて言われちゃったら困っちゃう、ってワケだ。
だもんで『いや軍事力のコトじゃないんだ、こういう国連の"人道的支援"について言っていたんだよ』ってごまかしをしているのではないかと、勘繰ってみました。
*その、アナン事務総長のお言葉。
アナン事務総長が24日に行った、国会演説の要旨は次の通り。
(以下略)
国連のアナン事務総長は24日昼、参院本会議場で演説し、イラク復興支援で国連の役割を拡大するとともに、安全保障理事会など国連組織の強化に取り組んでいく姿勢を強調した。事務総長が国会で演説したのは初めて。
(以下略)
政府とかの正式な発表はまだの模様。新聞での報道を並べて見ました。
まあ、国連事務総長が日本を訪問しての演説としては、常識的なもんだわな。
民主党菅直人氏は、自身のweb頁にて『アナン氏は戦争に大義があったなんて言っていない、日本の報道はアナン氏の言葉を間違えて、戦争が間違ってなかったと言っている。戦争は間違っていたし民主党は間違っていない』と言っていますが。
いや、菅さん、まだ間違っていますよ。
どうも産経の方を見ると『イラクをめぐる意見の相違は、私たちの集団安全保障体制について根本的な問題を提起した。いつ武力の行使が認められるのか。誰が承認するのか。各国が独自に行うのか、ともに行う方が安全か』と書いています。
あたしには『国連には武力の行使不行使を決断する機能が足りなかった』と読めるんですが。
それに民主党のような考えもある、と言っているだけで、国連安保理決議は日本が貢献することを求めた、日本は自衛隊を派遣したので評価する、とも言っているよ。
いいかげん腹括って、自衛隊隊員を応援できんもんかね。
*ところで、国連憲章に残る『敵国条項』とは、なんぞや。
国連憲章第107条を指して、一般に「旧敵国条項」と呼んでいる。その内容は、第二次世界大戦の際、枢軸国だった日本・ドイツ・ルーマニア・ブルガリア・ハンガリー・フィンランドを対象(イタリアは途中で枢軸国から脱退し、連合国側に立って日独に宣戦したので除外)に、これら諸国が国連憲章等に違反した軍事行動(侵略等)を起こした際、旧連合国(アメリカ等)が国連決議等の拘束力に優先して軍事制裁を課す事が出来るとした差別条項。しかし、戦後半世紀も経ち、日・独等が国連の中でも重要な地位を占める現状においては死文化条項であり、時勢に合わない事等から、1995年の国連総会に於いて、同条項の国連憲章からの削除を求める決議が圧倒的多数で採択された。ただし、安全保障理事会改組問題の難航で、国連憲章の改正に支障を来しており、同条項の削除自体は未だ実現していない。
帝國電網省より
第8章 地域的取極
第53条
- 安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極または地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。
- 本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。
第17章 安全保障の過渡的規定
第107条
この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。
国連広報センターより
いやあ、ヒデぇ条項だよなあ。
日本には何をしても、国連は文句を言わないよ、ということか。
そんな国連に、日本は19.5%、世界第2位の分担金を提供しているわけだ。
世界はまだ、日本を奴隷の国とでも見ているのかねえ。
それでも尚世界との連帯を説き、なんだかんだ言いつつもボロボロの敗戦後を脱し世界有数の経済力と軍事力を保有する国家に成り上がった日本国という国家を考えると。
確かに、異常を通り越して狂気の国家だよなあ。普通、そんなに都合よく復興成長なんてしないって。
そんな第2次世界大戦での成功例を夢見てイラク占領をプログラムした、なんていう言葉も、ただのプロパガンダ臭ぇなあ等と思っちゃうね。
*あ〜。ねっとをふらふらとしてたら、全然書けませんでした。
このくらいで。
*今日の天声人語。
『貧しさは実感しやすいが豊かさは実感しにくい。日本の国内総生産(GDP)は高い水準にあり尚成長を示しているが、貧しさを感じている人も多い。貧富の格差の拡大も見られる。何が豊かだと言うのだろうか』
大新聞社で雑文書き散らして生活できる人間が『貧しさの実感』なんて言っても、あんまりリアリティを感じませんが(笑)
いや、これは低賃金で日々を過ごす執筆子のひがみだな。いやいや、あたしだって低賃金と言う程でもないんだけれどね。
というか『戦後、ほとんどの国民が飢えを経験したような国』って、どこの国ですか? 日本を指しているんだろうけれど、例えばあたしは、戦後も飢えも経験していませんよ。
戦争経験世代なんてのを持ち出して『戦争を知らない子供たち』との差別化とそんな無知な世代への啓蒙、という意図でもあるんでしょうか。
しかしそんな『飢えと貧しさを知らない』という人間が増えているということそのものが、日本と言う国家全体の『豊かさ』を示していると思うんだがな。
いつの世でも、何も悪くないのにワリ喰って不幸な人生送っちゃう人もいるんだし。
このコラムでは、貧しさがわかりやすいと言っていながら、実感とか数字で表された指標とか、そういうものが提示されていません。
生活保護を受けている人の数、失業率、賃金格差などを挙げていますが。こういう『数字を出すといかにも科学的分析っぽく見える』罠にはまると、ころっと騙されますよ。
例えば生活保護。
厚生労働省による平成14年度 社会福祉行政業務報告の概要によると、生活保護の被保護実人員は、平成4年は90万人ほど、平成14年では124万人ほどとなっていますが。
さらに10年前、昭和57年は140万人ほどでした。
つまり、10年前の数値が変動の底値だっただけで、この10年で極端に上がったってワケではないのですね。
失業率だの賃金格差だのも、調べたら大体似たような『数字遊び』をしているんでしょうな。そもそも具体的な数値もなく『高まった』『広がった』なんて言っているだけなんですが。
姑息なイメージ操作ですね。
紹介されている62歳無職の人の事例も、一つの事例に過ぎないよね。
むしろ、生活保護が受けられると言う事実は、日本国の豊かさがそれを支えているわけでしょ。年金引き下げは今までの不景気の影響だろうけれど、国内総生産が上昇しているという報告は、これからもうちょっとマシになるかもしれないっていう予兆でも、あるよね。
楽観を善しとするわけじゃないが、あんまり『全然豊かじゃない!』を煽るのは、どうかと思いました。
*昨日の天声人語。
『ベンジャミン・フランクリンは、人間はしたいと思うことは何だって理屈や理由を付けて正当化できる、と言っている。イラク戦争は、本当に正しかったのか。フランクリンは、よい戦争も悪い平和もなかった、と言っている』
There never was a good war or a bad peace. --Benjamin Franklin--
まあ、良い言葉だとは思うんだけれどね。
その言葉を発した人間はアメリカ建国の父と呼ばれる人物ですが。そのアメリカは数多くの戦争を行ってきた国であり、そもそもアメリカの成立は独立戦争により自由と独立とを勝ち取った事からはじまっているんだが。
揚げ足取りではなく、な。
よい戦争も悪い平和もなかった。それなのに、何故戦争をしなければならないのか、ていう方向に考えをめぐらすべきなんだと、思うのです。
よい戦争はなかった、だから戦争反対! では短絡的過ぎる。自分の脳を使った思考が足りないよね。
だって他人の金言を己の思考にしているでしょ、それじゃ。
そうやって、耳と耳との間にある何かを使うことなく、条件反射で他人の金言を持ち出して行動を正当化するのは如何なもんかと。
いやまあ、そう言う態度が悪いではなく。畏れ多くも『大』朝日新聞のコラムニストがその程度だなんて、日本の教育の質の低下を痛感し悲しく思う、っていうね。
この日の天声人語は、自分のイメージに合致した他人の金言を探してきて、それを適当に散りばめて『戦争イクナイ』っていう6文字を一日分のコラムにしただけだな。
だから、なんか重みがありそうに見えて、実は中身のないコラムになっているのだろう。コラムニストの思想や考えの過程なんかが、感じられないのだな。
他人の金言を己の思考に使っても、金メッキにしかなりませんぜ。
*と、揚げ足ばっか取っていると、お前自身の思想とか思考とかはどうなんよ、なんて言われちゃいそうだな。
あたしは、アメリカの戦争は『赦されないが致し方ない』程度に、今は考えています。
『赦されない』というのは、まだまだ固まっていないところ。
でも、致し方ないっていうのは大体正しいと思っています。
『戦争の大義』を言い、アメリカに大義はなかったと結論付けると、じゃあイラクには大義があったのか、ってことになる。
でも、イラクにも大義は全然なかった。
それともイラクにこそ大義があったなんて、言う?
じゃ、どっちにも大義がない。では何を基準にするのか。
例えば、朝日新聞的『戦争は絶対いけない!』ってのも、一つの『大義』として有り得ると思う。
でも『今戦わなければもっと多くの人が死ぬ』ってのも、一つの『大義』として有り得ると思うのですよ。
そういう『大義』の他にも、経済的損得、まあ反戦を主張する方々には赦し難い言葉でしょうが、金勘定の上で『戦争は損』『戦った方が得』というベクトルもあるでしょ。
他にも、宗教的ベクトルや民族的ベクトルや歴史的経緯、その他様々な思惑を総合して、考えているわけだ。
大義だって大事だろうけれど、その他のベクトルだって同じくらい大事だと思うのだよ。
そういうのを考えると、イラクの行為を放置し彼の『ゴネ得』を赦してしまうのはこれ以上許容できない、ってトコロだった、のではないでしょうか。
この『彼のゴネ得は許容できない』ってのは、なんだか日本の隣の国々にも当てはまりそうだな。
*で、日本の派遣については。
これは、本当に必要だったのかは疑問です。
派遣が遺憾ワケではないんだけれど。日本的『金は出すけど口は出さない』貢献だって、アリだったと思うんですよ。
日本には軍備は必要だと、思います。他国への貢献の一つのあり方としての軍事力の提供も、必要だと思うんです。
でも、こんなドタバタの中でしか己の国家の保有する軍事力について考えることが出来ないと言う、自国内の言論のお粗末な有様には、げんなりしてしまう。
まあこれを奇貨として国内状況を転換させるってのは、パターンとしてはしょーがないかなつう思いも。
ただ、そういう『日本の目を覚まさせるために働け』って言って自衛隊員を送り出すのは、それはちょっと、彼らに重荷を背負わせすぎじゃないかなあ、なんていう、ね。
イラク国民のために、日本の国益のために、海外へのアッピールのために、その上さらに日本人を目覚めさせるために、なんて、色々やらせすぎでしょ。
その過剰な激務を背負わせてまで、派遣するのがよかったのかどうなのか。
そこのところに、疑問があるのですよ。
*今日の産経新聞は、主張も産経抄も日の丸君が代がらみでした。特に産経抄は、春の季語から入学式→君が代日の丸、というアクロバットをかましています。
いやあ、主張そのものは正しいと思うんだが。もちょっと、美しくキメる事が出来ないもんかなあ、なんていう希望を。
執筆子は国旗国家は日本国の国民としての『当然の義務』であると、考えます。
社会秩序なんてお題目でもなく、思想良心の自由に反するなんていう駄々っ子のわがままでもない、それ以前の当然の在り様だと考えます。
日本国国民でしょ。日本国国民であると言うことは、日本国国民であると言うことに自信と誇りとを持ち、他の日本国国民と共に生きていくと言う信念を持っていると言うこと、だと思うんだがな。
*朝鮮日報のコラム【噴水台】プロ意識が面白かった。
噴水台は、ただ単に読み物として面白い、政治臭のないコラムを載せるときがあって油断ならない。
まあ、韓国の新聞にこういうコラムが載ると言う時点で『知日親日的』という政治色があるのかもしれませんが。
*NEWS23で、坂本龍一"教授"が筑紫哲也と共演していますが。
反戦吟遊詩人として名高い教授ですんで、そりゃもう筑紫哲也好みの『護憲』だの『平和』だのを吐いております。
いあもー、お腹いっぱい。
とわいえ、あたしは彼の音楽は、好き。
どんな芸術でもそこに政治的メッセージが載ってしまえばそれは単なる『プロパガンダ』でしかない、というのは真実です。
でも同じくらい、どんな政治的メッセージが込められていようとも芸術は芸術そのものとして評価されるべきものである、というのも真実だと思うのよ。
なんつーと、いかにも『偏見のない知的人』だの『余裕のある芸術人』だのを気取っているかのようだな。
そんなご大層なもんでもないんだけどな。
つまり、単に節操がないだけ、という。音楽の上に載った思想的メッセージまで含めて音楽として愉しむっていう程度の余裕は、あるつもりだけれど。
しかし、NEWS23みたいな番組が『がんばれ日本!』なんていってサッカー日本代表を応援していても、なんか素直に聞こえないなあ(笑)
*あ、なんか変なニュース。
自民党の古賀誠元幹事長、二階俊博元運輸相と、政界を引退した野中広務元幹事長が近く「日中韓問題検討会」(仮称)を立ち上げる。小泉純一郎首相の靖国神社参拝によって日中間の首脳往来が途絶えていることなどをにらみ、三国共通の懸案を論議するのが目的。中国の武大偉駐日大使のほか、財界人も参加する予定だ。
検討会は当面、貿易・通貨問題を主なテーマとし、検討結果を踏まえて年内にも中韓両国を訪問する計画だ。 (07:02)
何を検討する気なんだか知らんけど。
古賀誠、二階俊博、野中広務(注:公式頁は閉鎖中)、この面子で、日中韓で、靖国、かあ。
皆様、親"アジア"派、時には日本を売ってまで"アジア"と仲良くしようと言う程の親"アジア"派なんで、何をやろうとしているのかはまあ、予想がつくと言うか、賭けにもなりゃしないと言うか。
まあ個人的には、巻き返しを図る政権脱落組みが利権を求めて暗躍している、程度の印象しか、持てません。
そんなウラの見えた、もう暴かれちゃった手口で何かやろうだなんて、悪あがきの失墜加速運動にしか見えないんですが。
まだ『"アジア"の魔法』も威力があるのかな。だって、だからこそこの3人は"アジア"を後ろ盾になにかやろうとしているんだから。
この3人が耄碌して阿呆な見込み違いをしているって言うパターンを期待して止みません。いやホント。
▽参考情報
*今日の天声人語。
『オーストリアのケーブルカー火災では155人が亡くなった。この事故の判決は、被告は全員無罪、というものだった。やり場の無い憤りと敗北感でいっぱいだ。』
この事故で亡くなった方々には謹んでお悔やみ申し上げますが。
朝日新聞的『似非人道主義』的アジテーションに煽られて、この判決が不当判決だなんて騒ぎ立てるのも、どうかと思います。
人道的判断、とやらを非難するつもりは全く無いが、法により定められた手続きで運営していたと、司法が判断しているわけだ。
その司法の判断が正しいか間違っているか、そこについては、現地の法や司法について判断するべきなんですが。失われた人命の数によって司法が判断を覆してしまうのは、間違っていると思うのです。
それを天声人語は『155人もの人々の命』とか言ったり、事故に遭遇した中学2年生女子のエピソードを持ち出したりと、煽動に忙しいようで。
この司法判決が正しかったのかどうか、それについては、執筆子は判断しません。
遺族にしてみれば、どこかに『罪』を見つけ出したいのでしょうが。
誰にも『罪』はなく。当人にも『過失が』ないにも係わらず、ただ『運が悪い』というだけで死んだ人が、有史以来一人もいなかったわけじゃないし、これから先にも誰もいないってワケじゃない。
人の死について、常にどこかに『罪』を造ろうとするのは、罪も無い人に無理矢理罪の衣を着せ、その衣に『罪』と書いているを以って彼を殺す所作に繋がる、と、思うのです。
*昨日の天声人語。
『フランスには死者との結婚がまれにある。サンフランシスコ州では同性同士の結婚が認められた。『負け犬の遠吠え』では、30代、未婚、子なしの作者自身を「女の負け犬」と書いて論議を巻き起こしている。結婚は様々だ。』
バルザックやキェルケゴールがこんなこと言ったのかどうか、知らないんでなあ。
あと『負け犬の遠吠え』の著者を書いてあげようよ。昨日の藤原書店の優遇具合から考えると、えらい差別を感じますが。
内容(「MARC」データベースより)
どんなに美人で仕事ができても、「30代以上・未婚・子ナシ」は女の負け犬! 「負け犬にならないための10箇条・なってしまってからの10箇条」等、全女性必読の書。『In☆pocket』連載のエッセイを単行本化。
結婚は様々、はいいんだけれど。
死者との結婚といい同性結婚といい、そして『負け犬の遠吠え』といい、共通するのは『子を成す』から離れた位置にある、ということだな。
少子化が良いんだか、多産がいいんだか、それは経済とか環境とか政治とか、多くのファクターが絡むので、判断しませんが。
現在の日本も含めた多くの先進国では、少子化が問題になっているわけだ。
そこで、簡単に『少子化でも良いじゃん』なんて言葉を、多様な個性を認めるという美辞麗句の下に吐いてしまっていいのかなあ、という、感想を。
*朝日新聞の捏造体質について、産経新聞社説および読売新聞編集手帳が指摘しています。
この日記の読者諸兄は、朝日新聞の捏造体質などもう100年も前から続いているって知っておられるでしょうので、何を今更という感じ。
朝日新聞にも構造改革が必要だね。
朝日は反発していますが。
今までも数多くあった『指摘−反発−敗訴−ゴネ−謝罪せず』という流れを考えると、どーもウソ臭いんだよなあ。
いや、今回は本当だったという可能性を否定はしませんが。
ウソつきの狼少年の教訓を、朝日新聞は強く受け止めるべきではねーかな。
平成11年10月15日付け朝日新聞夕刊のコラム「窓」において、「建設省のウソ」とのタイトルで、長良川河口堰に関する記事が掲載されました。
建設省は、これに対して、10月22日付けで朝日新聞論説主幹宛に記事の記述の根拠等を尋ねる書簡を送付し、公開での議論を開始いたしました。
朝日新聞の捏造報道と、それを冷静に指摘されて逆ギレ、お前が悪いと棄て台詞を残して一方的逃亡という、愉快でエキサイティングなノンフィクションドラマが繰り広げられています。
一読の価値はあり。面白かった。
*竹島切手、ですか。
執筆子は、郵政公社の判断を否定はしませんが。
それは、やっていることのバランスが悪いよなあ、というね。
韓国が、竹島の切手を、国を挙げて発行しているわけだよ。国を挙げて阿呆な韓国、というわけだ。
国際問題を引き起こす恐れって、既に韓国が引き起こしているのだよ。
その阿呆な韓国の姿勢に対して、どれ程強固な態度で対応したのだ、日本国は。
非難して、それだけ、じゃないか。
そんな自分の行動を棚に上げて、日本国民は『ふさわしくない』で切捨てか。
他国の阿呆と同じ行動をするのを戒める、というのは、正しいと思うのです。
万国郵便憲章に、政治的な切手を発行してはならないという決まりがあり、わざわざ日本がそれを破る必要は、無いと思うのです。
だからこそ、韓国は阿呆であると世界中に発信し、韓国を徹底的に追い詰め、徹底的に叩きのめしてやっても、いいくらいだと思うのです。
それをしないまま、韓国には頭を下げて日本国内では締め付ける、という、今まで続いた阿呆な外交の成れの果ては、もう要らないんですが。
日本国内に『ふさわしくない』と言って拒否を示すなら、同じくらいの態度で、韓国にも当たって欲しいもんです。
*未来予測TV
スペース・エレベータってネーミング、止めて。軌道エレベータって言ってよ。と、オールドSFファンとしては、思っちゃうのでした。
幹細胞バストアップ!
すげえ。面白いな。しかし貧乳派のあたしとしては、ぺちゃぱいでもいーじゃん、なんだが(笑)
オッパイ星人タモリと山田五郎のやり取りは、面白いね。
*今日の天声人語。
『先日の党首討論で民主党菅代表は、小倉和夫『吉田茂の自問』を引用し小泉首相に戦争の大義を問うた。兵を動かす者は自らの命を賭ける程の覚悟が必要だろうと前著は述べるが、小泉首相の答弁は今までの言葉の繰り返しに終始した。政治とは古い見解と新しい見解との闘争だとブルデューは言ったが、小泉首相から繰り返し以外の答弁を引き出せない民主党は強力な新しい見解を持たないと言うことか。根本に誤りがないことが、重要だ』
うーん。
いつもどおり、主題がどこにあるかわかりづらい文章だね。
朝日新聞的主題は、多分二つ。『民主党は変革するパワーが無い』『小泉は誤っている』だ。
ブルデューとやらの著書を読んだことが無いので、天声人語的解釈が正しいのかどうか知らんのだが、どうやら『今までに無い新しい見方 = 変革するパワー』として、古い権力である自民党と新しい権力である民主党との闘争、として政治を読み解こうとしているようだ。
しかし『自民党 = 従来の見方 = 古い権力』という前提が間違っている可能性も、あるよね。
その場合、民主党が従来型であるか新しい型であるのか、問題になる。
しかしまあ、どっちにしろ民主党にパワーが無いと言うのは、その通りだろう。
今まで民主党を激しく応援していた朝日新聞が、そのあまりのヘタレっぷりに苛々している、という感じでしょうか。
小泉首相は誤っている、ってのは、朝日新聞の論調を見ていると、彼らの根底に流れるテーゼのようです。報道、客観視を求められる報道ですら、朝日新聞が書くと『小泉は誤っている』フィルターを通されて読者に提示されています。
だから、この主張だけは、民主党を叱咤する際にも外せないってワケだ。
*菅代表が振り回していた、朝日新聞も紹介している『吉田茂の自問』と言う著作は、こんな本です。
内容(「MARC」データベースより)
2003年4月、50年の眠りから覚め外務省により公表された文書「日本外交の過誤」は悲劇の進行をとめられなかった、日本外交の誤りを分析していた…。戦後の平和外交を問う。いま日の目をみた外務省「極秘文書」全文収録。
つまり。外務省外交資料館で公開されている「日本外交の過誤」(整理番号 03-119)という調査資料を、元外務官僚が読んで解釈文を付けた、所謂『読み解く本』というわけだ。
菅代表も、なんつうか『お手軽歴史旅行』をしてしまうタイプだってワケか。がっかりだね。
種本である『日本外交の過誤』っていう資料は、既に公開されているのだよ。外交資料館に行ったら入手可能な文章だ。むしろ現外務官僚だの外務に携わる政治家だのは、折角ブームになっているんだから、種本の方を読んでおくべきなんじゃないの?
それを『読み解く本』の方を振り回して引用するとは。
軟弱者奴。
あたしは『読み解く本』を全くに信じておりませぬ。
大体、そういう『読み解く本』は、それを『読み解いた』人物の主観によって構成されます。
つまり、種本である「日本外交の過誤」を、元外務官僚小倉和夫が解釈して提示したものを、菅代表が受け取って垂れ流している、ということだ。
脳を使うことすら他人任せか。ご立派な『民主党党首』ですこと。
しかも、討論終了後、首相にその『読み解く本』を手渡したらしい。
本屋の御用聞きですか(笑)
菅代表、ご自身のweb頁では、この『読み解く本』を読んだ感想として『既成事実の追認が無責任な外交の背景にあったことを改めて知らされた』なんて言っておりますが、それを、他人を攻撃するためのネタとして使うのではなく、自身の外交姿勢に対する箴言として受け取ることが、彼には可能でしょうか。
戦争を選択したことが間違いだった、という結論を、それのタネ本は提示しているわけじゃないと思うよ。
あと『ばかの壁』(原文ママ。正しくは『バカの壁』)を読んで『思考を遮断してスローガンを言い募る小泉さんの顔が、本を読んでいる間何度も浮かんできた』らしい。バカの壁は彼の心の中にも在るようだ。養老先生は笑っているか、泣いているか。
*この小倉和夫という方。『新アジア論』と言う『アジアの連帯と普遍的アジア精神の創出により、西欧文化に対抗し得るアジア文化を発進し、アジアという価値観の復権を目指す』なんつうことを言っている方です。
あたしは、前から言っている通り『普遍的アジア』『アジアの連帯』なんて言う人間を、あんまり信用してないし。
あと、藤原書店。
天声人語で出てきた『吉田茂の自問』『政治』という二つの著作のどっちもが、藤原書店出版です。
なんか『人文書の優良出版社』とか言われている、ようですが。なんか知らんが朝日新聞とつながりが深いようで、書評を紙面に載せたりイベントを協賛したり、非常に友好的な関係にあるようです。
だもんで、いかにも朝日新聞の好きそうな本を多数出版しております。
ま、思想の優劣を付ける気はないし、ショーバイに係わる政治的問題について非難する気も無いのだけれど。
天声人語も、民主党党首菅直人も、どうやら『藤原書店』がお気に入りなんだなあってのが、こんなにあからさまに見えてくるパフォーマンスも、珍しい。
つーことで。
菅代表も天声人語も、ただ藤原書店のプロモーションをしただけってことですな。
どれ程売り上げが伸びたか、聞いてみたいもんである。
▽参考リンク
*それはそれとして、朝日新聞は社説でも党首討論に触れ、民主党の不甲斐無さを嘆いております。
よっぽど、腹に据えかねているのかな。
しかも、戦争責任について菅氏が、小泉首相の爺さんは戦後公職追放されたが云々の、菅氏の差別思想っぷりについても包み隠さず掲載している。
うむ。
朝日新聞は、菅直人に見切りをつけたか?
*でわ。
*今日の天声人語。
『象の墓場という伝説は幻想に過ぎないが、象が仲間の死を悼む姿は心に迫るものがある。ボルネオ象やアジア象は絶滅の危機に瀕している。象を追い詰めているのは人間の開発や密猟だ。彼らの弔いの姿は(彼らの優しさと共に)人間の罪深さを映している。』
まあ、普通のコラムだな。
第6段落の『人間の罪深さを映して"も"いる』の"も"は、天声人語特有の晦渋つうか思わせぶりで、書いた本人は何も考えていないのに、読者に何かを考えさせる時に使う、どうとでも解釈が可能な言外の意図を読み取らせる"も"だと、思います。
こういう文章を使うから、テストに使われるんだろうな。
あたしは素直に『象たちの優しさ』と充てたけれど、質問者の意図や、同時に提示される別の文章によっては『象たちの怒り』とか『開発で傷ついた大自然の悲しみ』とか、どうとでも解釈出来るね。
まあ、それはそれとして。
象の行動を見て『仲間の死を悼んでいる』と感じるのは人間の勝手な思い込み。
ボルネオ象が亜種であるというのは人間の勝手なカテゴリー分け。
生息数の少ない種の絶滅を心配するのは人間の勝手な感情。
「絶滅危惧種指定」も人間の勝手な行動。
そんで勝手に保護政策で保護して、逆に増えすぎて困っているのも人間の勝手な事情。
象の死の原因を『人間の行う開発や密猟』と単純に思い込み、象の姿に『人間の罪深さ』とやらを見出して頭を垂れるのも人間の勝手な感傷。
『人間の身勝手さ(開発と密猟)が象を殺した』と言っているけれど、人間が象に注ぐまなざしだって同じくらい身勝手なものだよね。
どっちが良い悪いは無いけれど『象は優しい象は賢い象は追い詰められている象を助けなきゃ!』って、盲目的に突っ走るのは危険だと思います。
捕鯨を忌み嫌う方々や、犬を食べることを糾弾する方々、行動する過激な動物愛護主義者たちの、脳がコリ固まった有様と同じだよね。
天声人語は『象を墓場に追い込んでいるのは、開発や密猟である』と断定しているけれど、本当にそうなのか、保護政策そのものが彼らを殺している場合もあるのではないか、そういう疑問をこそ持つべきだと、思います。
あ、あと、それだけ象と言う異種族に思いを寄せることが出来るなら、靖国神社に祀られる英霊たちにも、同じくらいの悼みの感情を寄せて欲しいと思った。
象は襲ってきたライオンの死すら悼む、のでしょ?
それが出来ない『アジアの方々』や『国内の良識的な日本人』とやらは低俗な存在だっていうことも、コラムから導き出せるんですが。
まあ、中学生の国語の授業にでも出てきそうな、それこそ『教科書どおりの』コラムでしたな。
こんな教科書で学んで、内容に疑問を持つことなく育つと、アサヒ信者が出来上がるってワケだ。
- かいじゅう くわいじふ 0 【▼晦渋】
- (名・形動)[文]ナリ
言葉や文章がむずかしくて、意味や論旨がわかりにくい・こと(さま)。難解。
「徒(いたずら)に―な文章を書く」
[派生] ――さ(名)
*朝日新聞、今日の社説『イラク戦争――「大義」をすりかえるな』
デビッド・ケイ氏、大人気だね。
ケイ氏は『大量破壊兵器は大量には無かったが、イラクは脅威となりえたし、戦争は間違いではなかった』と言ったらしい。
朝日新聞的には彼の『大量破壊兵器は(大量には)無かった』という報告だけが重要で、その次の『しかしイラクは脅威で、戦争は正しい』という報告は省みるべき言葉ではないと考えているってわけだ。
他人の文章から自分に都合のいい段落だけを抜き出し、他人の文章の意図と全く逆の結論を引き出す、という、著作権法上認められる正統な引用の範囲を逸脱するかのようなアクロバットを平気でするってワケだ。
そーいやこの社説と同じようなことを、国会で小泉首相に対して言った人がいたな。民主党の平野議員、ですか。
大義のすりかえ、なんて言っているけれど。
大義があれば侵略戦争を赦すのかね、朝日新聞は。言うんだろうな。
サヨクの方々は『北朝鮮の拉致は、日本の軍国化を恐れ、これに対抗するための自国の軍備増強を必要とした北朝鮮の、日本語教師の確保にあった。拉致問題は日本の軍国化が原因であり、彼らの行動は理解できる』なんて、平気で吐くからね。
なんにしろ、朝日を含めたサヨクの方々は『国連こそが正しい』と言うわけだが、国連決議1441(2002/11/08 大量破壊兵器の廃棄・査察への全面協力・違反した場合の『重大な帰結』の警告)が、既にイラクに対する最後通告になっていたと言う事実は、見ない振りをしていますね。
まあ、国連決議1441そのものに反対するヒトビトまでいるので、彼らは国連すら見ていないとも思えますが。
国際協調の輪に引き戻すべきは米国ではなく、イラクだったんでないの?
最も。
イラクが査察に抵抗し、大量破壊兵器を保有しているかのように見せかけていたのは。
軍事大国イラクは本当は大量破壊兵器なんか持っていないと知れてしまうと、アラブ諸国に対する睨みが効かなくなり、軍事行動が暴発してしまう恐れがある。イラクはそのような小競り合いを抑制する働きを持っていた。
なんて意見も、どっかで見た。本当かどうかは知らない。
*難しい問題だとは、思うんだよ。
でも。朝日新聞の今日の主張のような『大義をすりかえるな』っていう言葉は、ちょっと同意できない。大義を判定する『神』の存在を前提としているから。
人の判定した『大義』の一方は、例えば国連決議1441だったり、ケイ氏の『だが戦争は正しかった』という言葉だったりするのだが、彼らはその『大義』に難癖をつけ、自分の望む主張こそ『大義』であると言っている。
自分の望む意見から導き出される『大義』を絶対とし、自分の望む意見以外から導き出される『大義』を否定し、世の中に大義はたった一つだけ存在し不変のものであると主張しているのだが、それは、大義を判定する神が存在するという主張であり、同時に『自らこそが神(もしくは神の代理人)だ』という主張である。
結局、大義なんて一つではない。複数の大義がぶつかるところで、なんとか次善の策を模索しているってのが、真実だよな。
だから、朝日新聞的『大義』について、否定はしないけれど。
朝日新聞が『自分の大義こそ正しい、他の意見は阿呆の戯言だ』なんて言うのであれば、朝日新聞の主張には、彼の言う『大義』を含めて懐疑的にならざるを得ないのであります。
*まあ同じような論法で、執筆子は産経新聞の主張に対して全く手放しに賛意を示したりしない、のだがな。
今日の産経抄が『ところが早くも「過度の刺激 逆効果にも」(朝日)などとブレーキをかける新聞がある』等と言い出すと、いやいや圧力こそが力って本当か? 等と疑問符つけてしまいたくもなろうと言うもの。
なので、今日の新聞各紙社説は、主要6紙(朝日・産経・毎日・読売・日経・東京)全員が、カネボウの再建計画に疑問を投げかけていますが。
これについて執筆子は、もちょっとちゃんと知識がついて自分で判断できるようになるまでは、新聞にの書いていることの方がウソ臭いと考えておきます(笑)
天邪鬼だなあ。
*今日も遅くなっちゃった。
好き嫌いの哲学、のハナシがどこに繋がるか、全然進みません。
まあ『サヨクは日本が理由も無く嫌いなんじゃないか』という、そういう方向に話が進む予定。
彼らは『理由も無く日本が嫌い』なんだから、どこかに『理由も無く好きが嫌いに変わるターニングポイント』があるはず、っていう、その転換点を探ろうと思います。
*そんなトコロで。でわ。
*昨日の天声人語に関連して。
そういやスパイゾルゲの尾崎秀美は、朝日新聞の記者でしたな。偉大な大先輩を貶めるようなことは、そりゃ出来んでしょ(笑)
でも、例え彼が『正義』のために行っていたとしても、それは触法行為であったという事実は、覆らない。正義のためには何をしてもいい、というワケではない。
時代が変われば法も変わるように、正義も不変のものではないのだ。
*今日の天声人語。
『NFLスーパーボールでの珍事の余波で、時間差放送が広まりそうだ。5分遅れの放送で検閲を行おうという意図らしい。なんとも味気ない、騙されているような感じだ。日テレのサブリミナル疑惑事件ではテレビの影響力の大きさが伺えるが、テレビメディアは現実に立った放送をして欲しい』
ジャネットジャクソン乳出し事件。検閲。日テレサブリミナル事件。『現実に踏みとどまって欲しい』。
えーと。ハナシに全然つながりがありませんが(笑)
好意的に読むと『不祥事は良くないが、検閲も良くない。メディアは自覚しろ』とでも、取ることができましょうか。
しかしなあ。
全然自覚が出来ていない、どころか意図的に『非現実』を『現実』と捏造して報道するのが大得意な朝日新聞が言っても、上滑りした印象しか受けません。
お詫びしているようだけれど、全然そんな素振りは見えませんよ。少なくともwebからは。
上に挙げた記事では
『未成年者への配慮に欠け、中学生や保護者の名誉を著しく傷つけた』
『季節が寒いこともあって、(記者が考えたような)場面を見つけられなかった』
『「やらせ」と受け取られてもやむを得ない。深く反省している』
配慮って、配慮していたらヤラセでもいのかよ(笑)
場面が見つからないからって、その場面を捏造してでも記事にするのか。それは報道じゃないなあ。
やらせと受け取られてもやむを得ない、って、それは『やらせじゃないけどそう見えるのでごめんなさい』ってことか。素直に『やらせでした』って言えないもんかね。
本当に、謝ると言うことが出来ない集団だな、朝日新聞は。
大体朝日新聞は、嘘を真実であるとして報道して悪びれることないモノドモだから。
北朝鮮が『地上の楽園』だと伝え、数多の人命を北朝鮮に散らしたのはどこの新聞社だったか。
「中国の旅」で中国のプロパガンダに与し、日本軍虐殺の資料や写真を捏造したのはどこの新聞社だったか。
記者が沖縄のサンゴに傷をつけ、地元のダイバーの仕業であるとの記事を掲載したのはどこの新聞社だったか。
そしてこれらの事件の悉くについて、指摘されても認めず、罪と認められても謝らず、遂に謝罪するに及んでも『行き過ぎたことがあったことは認めます』等と言を濁しているのは、どこの新聞社か。
そんでもって、報道姿勢を問われたり、報道範囲を規制されたりすると『検閲だ』『知る権利の侵害だ』『大本営発表だ』『軍靴の音が聞こえる』等と大騒ぎする。
そんな愉快な朝日新聞に、偉そうに『少なくとも一方の足は、しっかりと現実の方に踏みとどまっていてほしい』等とご高説を垂れて頂いても、嗤うしかないのであります。
*朝日新聞、今日の社説『大相撲訪韓――じかに触れ合う面白さ』。
韓国の方に対して、突っ込みどころ満載。
『日本の衛星放送が韓国でも映るようになった90年ごろには、相撲中継がやり玉にあげられ、文化侵略論が高まった。「シルム(韓国相撲)があるのに、子供たちが日本の相撲のまねをするようになった。親日的な人間になってしまう」といわれた。』
韓国に放送する気のない衛星放送を勝手に受信しておいて『文化侵略』とは片腹痛い。しかも『親日的な人間』になるのが問題なのかよ。反日でなければ韓国人ではない、ということか。
『韓国に抵抗感が残っていないわけではない。「日本はかつてシルムを禁止した」「相撲のルーツはシルムだ」「首相が靖国神社参拝を繰り返すような国の国技ではないか」。そんな反発があるのも事実だ。』
とりあえず、相撲やブフ(モンゴル相撲)、レスリングなど、裸で組み打ちをする競技は世界中にあるんだから、どれがどの起源だなんてナンセンスだと思う。むしろシムル(韓国相撲)の方がモンゴル相撲の影響が強いような気が。あと靖国参拝のどこが問題なのか。
で、朝日新聞はそんな韓国の言葉に反対することなく、そのまま日本に素通ししている。
こういうのが朝日新聞の全く卑怯なところで、韓国人が喋ったことに自分の主張を託して報道し、自分は何も喋っていない振りをしている。世論がどっちに転んでも都合がいい方につけるように布石を打っているかのようです。
しかも『互いに大きく胸を開いてこそ、文化の交流は本物になる』とは。阿呆な韓国人は胸どころか股まで開けと言い募っていますが。
いや正しくは、強引に日本の脚を割り広げ日本をレイプし続けているのが、今の韓国ですよ。どんだけの領土や財産や人命や文化を朝鮮半島からレイプされ続けたら、満足するのだろうか。
朝日新聞はまだ満足せず、ケツの穴まで広げろと言いたいらしいが。
あたしは、いい加減阿呆を阿呆として糾弾するべきだと思います。もちろん、その阿呆には朝日新聞も含まれますが。
*『好き』ということと『嫌い』ということとに、理由は無い。
私は、そう思っています。
例えば『容姿』だの『口調』だの『性格』だの、そういう理由を付けて説明をしたりもしますが、それは単なるアト付けの口実であって、好き嫌いの一番最初にたどり着けることがあれば、それは精々『第一印象』という曖昧なモノに過ぎない、と思うのです。
では、その『第一印象』のバックボーンとなるべき、教育や思想や哲学や嗜好性に、好き嫌いの『理由』を求めるべきかと言うと、そうではない。それは好き嫌いの『原因』であり、理由とはなり得ない。
言葉遊びと言われそうだが、好き嫌いは『理由と帰結』という理性的な推論により導き出される結論ではなく、『原因と結果』という数学的且つ機械的な反応によりもたらされる結論である、というのは、重要なことです。
『好き』ということと『嫌い』ということとに、理由は無い。
これはどういうことか、というと。
『好き』が『嫌い』に変化する、または『嫌い』が『好き』に変化するのにも理由は無いということです。
理由無く『好き』なんだから、理由無く『嫌い』になり得ると、思うのです。
こんな変化にも理由を付けて『意外な一面を見た』だの『離れてみて大切さが実感できた』だの『案外悪いヤツじゃないじゃん』だのと、言いますが。
それも単なる『原因』なんだと、思うのですよ。
だって、好き嫌いに理由があって、その理由が説明できるようなものなら、何で好き嫌いが反転するようなことがあるのよ。
まあ、色々と言葉をこねくっていますが。
つまり『好きと嫌いとに理由は無いし、好きが嫌いに嫌いが好きに変わることにも理由は無い』ということを何とかして言葉にしようとしている、と言う。
それ程に『好き嫌いと言う感情』は曖昧であり、曖昧であるが故に頑迷に固辞されるものであると、思うのですよ。
*何でいきなり、こんな『好き嫌いの哲学』が出てくるのかというと。
それは明日以降にわかるのです。
本当は、単に眠くなって寝る、というだけなんですが(笑)
*明日に宿題残したまま、おやすみなさい。
*ニュースステーションで、ラーメンの具について『支那竹』と言ったらしい。んで『中国に対する差別用語なのでお詫びして訂正します。正しくは麺麻です』等と言ったらしい。
そういう言葉狩りは、愚かですよ。
あたしは、新しい流行語や流行りモノの短縮形を好みませんが。
それ以上に、あらゆる言葉狩り運動を毛嫌いしています。
もちろん『支那』というのは固有名詞であり、その固有名詞の表す『中華人民共和国』が『私はその名前で呼ばれたくない』と主張するのであれば、それを尊重するに吝かではありませんが。
彼らは日本以外の国が彼らを"China"なり『チャイナ』なり『チーナ』なり呼ぶことを忌み嫌っておらず、日本が『支那』と呼ぶことだけは嫌がり『中華の国と呼べ』と言っています。
即ち、単に『中華思想(中心にある偉大な国が周辺蛮族を従える)』を日本に押し付け、支那本国が日本より上位にある国家であると認めて呼べ、と言っているに過ぎません。
こんな言葉の遊びで日本を支配した気分になって喜んでいる阿呆に付き合ってあげる気はサラサラないですよ。
まあ、あたしは『中華人民共和国』略して『中国』と、彼の国を呼称しますが。支那とも言うし、チャイナとも言うよ。別に、差別語として使っているワケではありませぬ。
もし、この日記を読んだ方が『支那』という『言葉』に差別的感情を感じたとしたら。
支那とかそういう単語が問題なのではなく、執筆子が、中国と言う国家そのものを阿呆扱いしているからに過ぎません。
*今日の天声人語。
『R・ククリンスキ氏は、冷戦下のポーランドから世界を動かした重要な人物だった。彼は祖国の開放を望み、無報酬のスパイ活動を続けていた。ル・カレ氏に倣い巨大な歴史に対抗し個を表現する人をスパイと呼ぶなら、彼は偉大なスパイと言えるだろう』
例えば、第1段落と第2段落は逆にするべきじゃないかな。なんつか全体的に、変に文章に凝りすぎという印象を受ける。
読み物コラムとしては、ちょっと面白い。
スパイ大作戦、じゃないけれど。ドキドキするスリルがあるよね。こういう人物の物語ってのは。
でもこの社説について穿った見方をすると『平和を願い歴史に抵抗する個人は、社会の法に反してもよい』という、なんだか反社会活動容認論に見えてくるから不思議。
書いているのがアサヒだから、素直に読めないのかな(笑)
遺憾な。
今日は産経抄がデムパ臭いな。
金縷梅(マンサク)の花を見て『花弁は黄の細いリボンに似て、イラク派遣の自衛隊の無事を祈っているかのようだ』ってあーた。花は花として、無心に愛でようよ。
産経抄の、天声人語とは逆ベクトルのこういうトビっぷりには、時々辟易する。
編集手帳(読売)は昨日の朝日新聞社説でも書いていた自然エネルギーによる発電について、書いていた。アサヒ程過激な論調ではないんで、ぬるいと見るか現実的と見るかは、人それぞれ。
*昨日も書いた『従軍慰安婦ヌード』は、お国では大問題だそうです。
タレントの李丞涓(イ・スンヨン)さんが今月12日の記者会見で、日本軍慰安婦を題材に、上半身の露出を含む映像物をインターネットなどで有料配信すると発表した後、各種団体やネチズンから激しい抗議が殺到している。
(以下略)
まあ、ね。
この『元従軍慰安婦』とやらの主張を素通しに信じる気はないけれど。
だからって、ちょっとこの『ヌード』商売は、やりすぎなんじゃないかなって言う感じはする。
品がないよね。
あと『日章旗を燃やすシーンも含めた写真を全体的に見れば、純粋な企画意図だとをわかってもらえるはず』とか言っているけど。
また、国旗燃やして喜んでいるのか。この点についても、品性の欠如を感じるね。
『パラオで撮影した写真2000枚余を持って挺対協を訪ね、対話を通じて妥協点を探したい』って、おい、これパラオで撮ったのかよ。
小さく偉大な親日国、パラオで、そんな絵を撮ってきたというのか。
世界中にクソ塗りたくってホルホル喜ぶモノドモ奴。
全く。小学生に上がりたてのガキが、周囲の大人の反応を面白がって『うんこー』『ちんこー』とか言ってはしゃいでいる、っていう絵しか、思い浮かびませんよ。
そんなアレコレもあるけれど。
それがエロければ、まあ問題なし。エロスは偉大です(笑)
下品であることも、エロにはある程度必要だと思うのよ。禁忌を犯すと言うのはそのイメージだけでエロスだし、背徳感や屈辱感もエロスにおけるスパイスだし。
従軍慰安婦妄想も実はただのセックスファンタジーだったって言う証左になるかもしれないしね。
とか、思ってたのに。
ロトトは16日、「タレントの李丞涓(イ・スンヨン)さんの映像制作プロジェクトを一切中断する」と発表した。
ロトトは同日、公示を通じて、「いい意図を持って始めた計画だが、進行過程で未熟だった部分があり、本来の意図と趣旨が正しく伝達されなかった。心からお詫び申し上げる」と述べた。
ちっ。やめるのか。
まあ、韓国が勝手にやって勝手に盛り上がって勝手に大騒ぎして勝手に中止しただけなんで、いつも通りといえばいつも通りか(笑)
*Tomahawk氏から、従軍慰安婦と言うファンタジーを信じる人々の態度について『事実や正論は関係なく、声が大きいものが勝つというのは明らかに異常です』というご意見のメールを頂きました。
マスメディアの行っているのは『シナリオのあるドラマを垂れ流している』だけなんで、テレビという箱の中で繰り広げられる紙芝居は、氏の言うような『声が大きいものが勝つ』なんてもんですらない、単なるお芝居です。
感情論と女の涙が勝つ、とか、元慰安婦に出会い感激し深く共感する元暴走族総長とか、そういうお約束あたりからも、定型的なドラマツルギーの存在がチョンバレなわけであります。
あ、そーいや『チョンバレ』ってのも『ちょん』が含まれるから、差別語にされちゃうのかな?
- ドラマツルギー 4 [(ドイツ) Dramaturgie]
- 演劇・戯曲に関する理論。演劇論。作劇法。
兎も角。
従軍慰安婦という『主張』に対して、そんな『お涙頂戴浪花節』でしか補強が出来ないと言う時点で、その主張そのものが胡散臭く感じられてしまうのですが。
それでもそんな『ドラマティックなドラマ』が垂れ流されるのは、その『ドラマ』に涙を流す視聴者がいると言うことであり、それこそが問題なのですね。
それは『ドラマと真実との境界を知ることの出来ない人々』を確実に侵食し、『テレビと言う箱の中にこそ真実があると信じる人々』をドラマの再生産に動員している、わけです。
"MASS"(集団・多数・多量)なメディアを超えた"MUSS"(乱雑)なメディア、無数の発信者が思い思いに情報を垂れ流し、受け取るほうも思い思いに取捨選択する、という、従来型のコミュニケートとは違う情報のやり取りが、既に行われていると、思うのです。
例えばその先鋒が、2ちゃんねるだったりする、わけでね。
で、そういう地平で情報を得、情報を垂れ流しているヒトビトは、『テレビと言う箱の中の、報道と言う名の定型的ドラマ』を、ドラマ以上でもドラマ以下でもない存在として観ていると思うのです。あたしも含めて、ね。
2ちゃんねるの格言に『嘘を嘘と見抜けない人には(掲示板は)難しい』と言うものがありますが。これが、結局は真理なんだろうなと、思う次第です。
つまり、ネットワーク上にも大量の嘘が転がっているのですが、実はテレビと言う箱の中や新聞と言う紙の上にも、やっぱり大量の嘘が転がっている、ということ。
で、従来型のマスメディアの卑怯な所は、経済力を用いて大量の嘘をリンクさせて『どっちを向いても嘘』の状態に視聴者を引きずり込む、というところ。
今尚蒸し返される『アポロは月に行っていない』というハナシも、そういう『マス(大量の)メディア』による嘘があるんじゃないかと言う、そういう不信感のはけ口なんじゃないかなと、思ったり思ったり。
脱線しっぱなしだな。
要するに。
従来型マスメディアの発信する『ドラマと言う嘘』に惑わされる人と、惑わされない人とが存在する、ということだ。
で、嘘を造る人と、嘘を嘘と見抜けない人と、嘘に乗っかった方が得するヒトビトとが、大声と財力と政治力と暴力とを用いて嘘を再生産し続けているのが、問題である、と。
折角インターネットと言う、わりと無限な地平に降り立ったのだから、もうちょっと『私の真実』と『あなたの真実』とを見比べて、分析してみてもよいと思います。
従来型"Mass media"は『どっちを向いても嘘』を提供していたけれど。ネットワーク上の"Muss media"は『どっちを向いても嘘と真実』を提供しています。
右翼と言い左翼と言いウヨクと言いサヨクと言い、そのどっちを向いても嘘と真実とが転がっているわけで、どっちに向いて進むのでもいいのだけれど、嘘と真実とを、全方位見渡してみてより分ける作業は大切だし、楽しい作業であると思うのですよ。
そいや、中国はインターネットに大規模な検閲を行い、情報を規制していますな。韓国では親日的web頁を開設した高校生が逮捕されたりしているし。北朝鮮はそもそもインターネットに接続していない。
情報が制限されていると言うのは、悲しいです。
右を見て嘘しかなく、左を見て真実しかない。そういう状況にあったら、左こそが真実であると思うでしょうが。
どっこい、"検閲のない"ネットワーク上では常に嘘と真実とが混在している状態こそが『真実』なんで、嘘しかない状態や真実しかない状態そのものが、恣意的であると思わねばなりません。
*あ〜。
なんだか、嘘とか真実とか、そういうことを考えながらだらだら書いているうちに、こんなことになっちゃいました。
取り留めない、雑文でしたな。
*でわ、ぐんない。
*まあ、なんかネタが無いと日記も書きにくいもの。
なもんで、朝日新聞を毎日あげつらっていこうかな、なんちゅうね。
で、今日の天声人語。
『ゴラン高原には多数の地雷が残っており、争いの根の深さを感じる。そんなゴラン高原にも自衛隊は派遣されたが、イラクはゴラン高原とは違う。また派遣が決定された時のイラクと今の状況も違う。』『本当にイラク派遣が正しかったのか疑問だ』
最後の一文が行間の意。なんの面白味もない、イラク派遣反対の文章ですな。
今日の社説。
『日朝協議――拉致打開に一層の力を』
北朝鮮の意図は様々な推測が可能、と言うけど、彼らの意図は一つしかなく、全くに自己保身のみでありましょう。そして、現北朝鮮体制が維持されるということは、単に北朝鮮の破滅を先延ばしするだけです。
その前に、彼等自信が変革する可能性がないワケじゃないけれど。それは難しいな。
ので、拉致と核の二次元方程式、等とご大層なことを言っているけれど、両方ともを綺麗に解決するのは零を乗じる以外ないと思います。どーせ、それで困るのはごく一部の支配階級だけなんだし。
『風力発電――促進どころか抑制法か』
この新エネルギー利用特別措置法(RPS法)については、不勉強故詳しくないのだが。
社説から判る主張は、電力会社にもっと足枷を付けて風力発電の電力を買うよう政府は規制するべきだ、ということか。
民間企業に対して政府が規制を強化することは、いいことなのか?
風力発電の不安定性を言っておきながら、それでもハイコストな風力発電による電気を電力会社が買わなければならないように規制しなければならない、というのは、いささか傲慢を感じるな。
化石燃料以外のエネルギーの必要性は認めるが、だから石油を棄てろ、とも言えんでしょ。少なくとも今は。
RPS法とか電力の事情とかを調べてからまた考えるけれど。
朝日新聞的『市民の明るい未来のためにはどんな規制でもするべきだ』ってのは、ちょっと賛同できません。
しかも、それが本当に未来のためになるかどうか不明瞭で、全くに『クリーンエネルギー』という美名の下に行われるアジテーションであればなおさら。
*今日の新聞各社の社説とコラムでは、東京新聞の社説『いまどきの独裁者は…』がちょっと面白かったな。
時には『アサヒよりアカい』とすら言われる東京新聞ではありますが、アサヒも含めたそういう『アカいアカいサヨクはアカい』体質は結局、思想としての左翼変革思想なんかじゃなく、単なる損得勘定の上だけの進路設定である、ということなんでしょう。
だからこそ、そういうサヨク的アジテーションを胡散臭く思うのですが。
*韓国では『従軍慰安婦ヌード』なんつう写真集を企画しているそうで。
その思想発想の下品さは兎も角。エロスは常に商売になるっていう、それだけのことなんじゃないかなあなんて、思ったり。
東亜日報の社説では「からゆきさん」を例に挙げ『性的なサービスのため、女性を輸出する伝統を持つ日本は、韓国の女性も日本軍慰安婦として駆り出された。』なんて、日本を売春婦輸出国扱いしていますが。
自身韓国だって朝廷(昔の中国)に貢女していた、慰安婦輸出国だったし。在韓米軍にだって遊興村造ってセックスを提供していたし。
あんたらだってやってるジャン、ではなく、良い悪いではなく。エロスとセックスとは、常に商売になるってことだ。うん。ま、フェミニズムな反論だのなんだのは、ほっとくけど。
要は、韓国人も相当に、エロが大好きな人々だってコトだ。
▽参考資料
*でわ。
*今年も、聖バレンティヌスさんの命日がやってまいりました。
ああ、もう。これ以上はノーコメントと言うことで(笑)
*今日の天声人語のオレ意訳。
『市町村合併で、多くの地名が消滅する。地名には歴史の重みがあることを知るべきだ。従って、国が進めようとしている「平成の大合併」は歴史を消滅させることに等しい』
こんなもんかな。
オピニオン面に『文化の切り捨てはやめよ』と題した自治体合併に対して非難する論調も載っているし、合併には反対、ということか。
文化や歴史と言う面からの、地方自治体維持を望む声も正しいと思うのだが。
経営の効率化と言う面からの、合併を望む声も、正しいと思うのだよ。
どちらを取るか、でもないでしょう。0か100か、しかありえないと言う問題じゃないんだから。
合併をしつつ、歴史を残すというやり方もあるはずなんでね。
ついでに、昨日の天声人語のオレ意訳。
『英国の刑務所は軽妙で明るく、日本の刑務所は陰鬱だ。だが問題は、そこに収監された人物がどう変わるか、だ。元社民党衆院議員の辻元清美被告は、有罪判決を受けどう変わるか、見守りたい』
罪を憎んで人を憎まず、は日本人の美徳としてあってもいいけれど。それを恣意的に自分の好きな人にのみ適用するのは、如何なもんかね。
戦前からこっちの多くの人々に対して、未だに『罪より彼を憎め』とばかりに、その人物の名の書かれた書物にすら鞭打つような所業を行っている新聞が『なぜ辻本清美だけが』なんて言ったって、あんまり重みがありませんよ。
*もちょっと、朝日新聞から。
今日の社説の、■相次ぐテロ――イラク人の犠牲を思う。
結局、イラクという国家には、相反する勢力が現実に存在しており、それぞれがフセイン後のイラクを思う通りに支配したいと思っている、ということなんでしょうな。
この社説中では、勢力争いを『米英占領軍』vs『イスラム過激派&フセイン政権残党』であるように印象操作しています。その上で、そのどちらでもない、生きていくのに必死な人々を配置し、全くの被害者として説を展開しています。
ちょっと、卑怯だよね。
一般市民、という括り方は、イラクの上で正しいかどうかはわかんないんだけれど。でも、政治信条でもなく、宗教的理由でもなく、民族感情でもない、ただ今日と明日のご飯こそが大事な人々ってのは、実際いると思うのです。むしろ多いんだと思うのです。
そんな彼らの死を以って、暫定統治機構がイラク人を殺しているかのように言うのはよろしくないと思うのですよ。
しかも。
最終段落が『それまで、イラクの人々の犠牲が一人でも少ないように祈るしかないのだろうか。』だなんて。あんた、人の死という感情的に反論しにくい現象を配置して『私はどうしたらいいの?』なんて問いかけるとは、持論を展開する方法としては、感心できないな。
社説だよ。社説。読者に対して『朝日新聞はこういう論を持つ』と知らしめる文章だよ。
そこで、印象操作と感情論とで、しかも判断を読者に丸投げって。
卑怯だと思いますよ。
オレ意訳。
『テロの標的は、占領軍からその周辺に移った。イラクには議会政治を望まない勢力が存在し、彼らが米英占領軍に対してテロリズムにより抵抗しており、その被害は全く無関係な市民に及んでいる。イラクの治安回復のために、市民を殺さなければならないのか?』
こんなもんでしょうか。
まあ、占領軍と言い暫定統治機構と言い、どっちでもいいけれど。
各国の軍隊が出て行ったら、早晩、イラクに住むどっかの勢力が、武力によりイラクを制圧して、次の独裁政権が誕生すると思うよ。その政権が安定を望む政権ならいいけれど。そうはならないだろうな。国内外に問題が多すぎるからね。
実際問題、どうするべきかなんて、あたしにはわかんないけれど。
最低限、全くアラブから手を引いて、知らない振りを決め込むって言うのは、多分ありえない選択肢だろうな。
石油はいらない、電気もいらない、文化的生活なんかいらない、ってんなら、そんでもいいけどさ。
*でわ。
*天声人語です。
そーいや学生の時分、毎朝天声人語を英訳する、というのをやっていた先輩がいたなあ、なんて思い出した。
朝日新聞は『朝日新聞は入試に出るくまー!』なんて言っていますが。
要は、サヨク受けする文章の読み方書き方が学べるから、ということと、例えば天声人語のような『主題をぼかして、どうにでも解釈が可能な迂遠な文章』すなわち悪文を載せているから、というのが、理由なんですなあ。
その天声人語を英訳していた先輩は、交換留学でアメリカに行たらしい。
まあ、使いようによっては役に立つ、ということか。
*ほんでもって、今日の天声人語のオレ意訳。
『朝日新聞が主催する「ピンク・フロイド・バレエ」は素晴しいので見れ』
以上(笑)
いやいや。内容の方は、なんだか解釈の難しい文章で。
とりあえず『日本の舞踊は全て「ちん、とん、しゃん」だと勘違いしている』『バレエは全てクラシックバレエと勘違いしている』という、見識の狭さはおいといて、だ。
その、日本の農耕民族型『地表から離れない』舞踊と、遊牧民族型『跳躍する』バレエとの差異がどこにあるのか、とか。
日本人ダンサーがバレエの世界で活躍していることと『総体としての』日本人の文化を比例と考えているのかいないのか、とか。
普通、舞台を愉しむのに『伝統と現代』なんてご大層なことは考えないんじゃないかなあ、とか。
全く、主張と言うものがない文章なんだものなあ。
流石『入試に出る悪文』です。
つか、自社の協賛イベントを宣伝するのを遺憾とは言わんが。もちょっと宣伝になる、いい文章を作るべきなんじゃないかな。
*昨日は『建国記念日』と言いましたが、正しくは『建国記念"の"日』なんだそうです。
第2条 「国民の祝日」を次のように定める。
…
建国記念の日 / 政令で定める日 / 建国をしのび、国を愛する心を養う。
…法庫より
建国記念の日となる日を定める政令をここに公布する。
御名 御璽
昭和四十一年十二月九日
内閣総理大臣 佐藤 栄作
ここらへんの『の』という字の意味は、知らなかったのですが。
要は、かつて『紀元節』という、日本書紀に表される神武天皇即位の日を日本国の建国の日として祝おう、という祝日があったのですが。
これが廃され、やがて建国記念日の候補として挙がり、名前は『建国記念"の"日』、日付は紀元節、という、まあ言っちゃえば日本人的玉虫色の現状、つーか。
いやまあ、この日この名前ですら、反対する人々も、いるんですがね。
いやまあ、共産党とか、日の丸君が代に反対するヒトビトとか、その類の所謂『サヨク』の方々なんですがね。
いやもう。そんなに日本がキライなら、とっとと日本から出て行けばいいのに。このテの方々は、義務は全部『押し付け』と言って否定し、権利は当然のものと受け取り、わがままいっぱい活動しておられます。
このテのヒトビトが、なにかにつけ『はんたーい!』と叫ぶ時には『戦争の責任』だの『過去の反省』だの『歴史の清算』だの『アジアの視点』だのが枕詞につくわけです。
彼らの頭の中では、どういう状態が『戦争責任を受け止め、過去を反省し、歴史を清算して、アジアとの共存を望んでいる』状態であると、想定されているんだろうか。
例えば、中国人が『日本人は全て腹を切って死ぬべきである』とか言ったら、彼らは率先して腹を切るのだろうか。
断言するが、このテの夢見がちなサヨクの方々は、絶対腹など切らない。
隣の人が腹を切ることを強制されても、平気で『アジアの視点』とか言い募るくせに、自分が腹を切る段になったら最悪に卑怯な裏切りをしてでも逃げようとするだろう。
全くに『サヨク』を侮辱しすぎだって?
でも、現在の彼らは、日本に住み、日本から恩恵を受けながら、日本が存在するに値しない国であると公言し、日本以外の国の言葉こそが日本にとって重要であると主張し、日本国の国民である意識を持たず、むしろ日本国を超える存在であることを望みながら、尚日本を棄てることなく日本に寄生し、当然むしろ自分こそ正しい『日本人である』という顔をしている。
でしょ?
まあ、サヨクのクソはどーでもいいや。
サヨク的な言葉から『せんそー』だの『アジア』だのの言葉を全部そぎ落としてしまうと。結局『日本はどうあるべきか』が残るわけだ。
で、サヨク的言葉から本質を抽出すると『日本は日本を誇るべきではない』が残る、と思うのです。
あたしは、日本はかつて誇らしい国であり、誇らしい国として存在し続け、今尚誇らしい国であると思っていますので。
彼等『サヨク』の方々とは相容れないわけであります。
建国記念の日でも、建国記念日でも、紀元節でも、なんでもいいんだけれど。
愛国心というものは、その国に住む人にとってあるべき精神であると信じます。従って。
『建国をしのび、国を愛する心を養う』日は、その名の通り、自らの国が誇らしい国であると再確認する日でありたいと、思う次第であります。
サヨク的、欺瞞で出来た罪の沼に日本の過去を突き落とし、その過去を踏みつけ微笑むような精神は、よろしくないと思うな。
と、ここまで書いて唐突に、サヨクの方々が『パンを踏んだ娘』に重なってしまいました。
昔、NHKの人形劇かなんかでやっていて『パンを〜踏んだ〜娘〜』という歌が流れていたことを、唐突に、全く唐突に思い出してしまいました。
伝説の人形劇である。それを見た誰もがその恐ろしさを語り、永年にわたり幼い心にトラウマを刻みつづける。 どのくらい放映され続けているのか知らないが、「20年ほど前に見た」との証言も寄せられている。
…
うむう。
あたしは、たった今から『サヨクの方々』を『パンを踏む人々』と評します。
googleでは『パンを踏』と『サヨク|さよく|左翼』で、ひとつも引っかからないので、この評は多分ほとんどあたしだけのものだと自負します。
つか、パンを踏んだ娘でぐぐったら、結構な数が引っかかって、そうか皆様トラウマになっているのかな、等と思ったり。
*思っても見なかった結末のまま終了。
*今日の天声人語は、イラン革命25年に思いを馳せていますが、日本人なら自分の国の建国記念日に思いを馳せろよ(笑)
産経抄と編集手帳(読売新聞)は、今日は建国記念日ということにからめた話。筆洗(東京新聞)は関学ワンゲル部の遭難についてアルピニズムの話。
いやあ、流石朝日新聞。日本国内を見ていませんね。
内容については、ホントに何にも内容がなく、最後の段落『五十嵐さんは「新生イラン」の希望を若い世代と中間層に託していた。きょう革命25周年のイランである。』だけしか意味のある言葉がありません。
よっぽど『建国記念の日で日の丸を掲揚して君が代を歌おう』から離れた場所に目を向けたかったんでしょう。地球の反対側を向いていますね。
後ろから膝カックンされたり、後頭部に延髄蹴りくらったり、そういうのに気をつけるべきだと思います。
*新聞拾い読み。
派遣した自衛隊と現地住民らとの関係を良好に保つため、イラクには政府開発援助(ODA)が柔軟に投入される。その柔軟性を今後、他の途上国に対する協力にも生かしたい。
(中略)
贈与の基準が二重、あいまいになれば、せっかく協力してもかえって相手国の不満を招きかねない。ODA予算は無尽蔵ではないが、基準は注意深く設定せねばならない。
まず手始めに、対中国ODAの中止を提案します。
ロシア・ウスリスクのスイフン川近隣に旧韓末の独立闘士、李相ソル(イ・サンソル)先生の遺墟碑が立っている。またクラスキノには安重根(アン・ジュングン)義士の断指同盟結成を記念する断指同盟碑が、サンクトペテルブルクには李範晉(イ・ボムジン)公使の追慕碑がある。
(中略)
韓国とロシア、ともに教科書の中で愛国主義の象徴とあがめながらも直接訪問できなかった現場を、ほぼ100年ぶりに相互訪問して小さな追悼碑を建て、歴史の教訓を再確認するこの事件らは、北東アジアでも冷戦が徐々に崩れ、過去の帝国主義時代の傷が少しずつ癒されていることを表している。
金錫煥(キム・ャNファン)論説委員 2004.02.10 21:36
韓国人にとっては『抗日=愛国心』かもしれんが、それを他の国の人にも当てはめようとするなよ。
つか、なぜか韓国で、韓国と露西亜とが、日本抜きで、日露戦争100年の行事を行うわけだが。全く、歴史から学ばない民族だな。今度は露西亜に事大か?
露西亜にしてもいい迷惑だと思うよ。
日露戦争開戦100周年を記念して、ロシア太平洋艦隊の「ワリャーグ」など軍艦3隻が10日、日本との海戦で同名のロシア艦が自沈した韓国・仁川沖に到着した。11日に記念碑除幕式など追悼行事があるが、韓国の市民団体が「ロシアや日本による朝鮮半島侵略の歴史を正当化するものだ」と反対。困惑した韓国政府は積極的な広報を控え、表向き無視に近い態度をとっている。
在韓ロシア大使館によると、今回の式典は多数の船員の「名誉の死」をたたえ、北東アジアの平和を願うもの。仁川市も記念碑建立用地の提供などで協力している。
しかし、「平和参与仁川連帯」など10以上の市民団体や一部メディアは、日露の覇権主義の衝突で起きた戦争が、結果的に日本の朝鮮半島植民地支配を招いたことを指摘。「侵略を受けた地で追慕とは何ごとか」と怒っている。韓国政府関係者は「行事を静かに見守る。政府が前面に出れば、国民の情緒に合わない面もあって……」。
(02/11 14:18)
おいおい、実際、韓国はどっちに向いているのよ(笑)
ま、露西亜も韓国領土を狙っていたと言う認識を持っているだけ、まだマシか。次は侵略されたという認識を改めるべきだな。
牛丼チェーン最大手の吉野家は11日、牛丼類の販売最後の日を迎えた。牛海綿状脳症(BSE)の問題で米国産牛肉の輸入が止まって2カ月足らず。最後の2日間は全国各地で予想を大幅に上回る「駆け込み需要」があり、早々に「売り切れ御免」となる店が相次いだ。
(以下略)
そんな事より、ちょいと聞いてくれよ。ニュースと関係あるけどさ(略)
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、牛丼中止如きで普段来てない吉野家に来てんじゃねーよ、ボケが(略)なんか親子連れとか(略)よーしパパ最後に特盛頼んじゃうぞー(略)もう見てらんない(略)
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、大盛つゆだく(略)問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい(略)
最新流行はやっぱり、
カレー丼、これだね(略)
まあお前らド素人は、豚丼でも食ってなさいってこった。
とにかく貴様ら、BSEのヤバさをもっと知るべきだと思います。
そんなヤバイ輸入牛肉使わないで経営する決断した吉野家とか超偉い。もっとがんばれ。超がんばれ。
牛丼再開の日を、待っています。カレー丼食って。
外務省の田中均外務審議官と薮中三十二アジア大洋州局長が11日夕、北朝鮮による日本人拉致問題などを話し合うため、平壌に入った。複数の外務省幹部が明らかにした。
日本政府は従来から北朝鮮に政府間交渉を呼びかけてきたが、先週末、北朝鮮側が北京の大使館を通じて、日本側に受け入れる考えを伝えた。田中外務審議官、薮中局長に、3人の外務省職員が同行している。14日の土曜日に帰国する。
(02/11 21:58)
例の『爆弾仕掛けられてもあったりまえの』田中審議官ですよ。
まだ働いていたんだな。しかも北朝鮮相手に。
疑惑が多いんだから、配置転換でもすりゃいいのに。よっぽど、北朝鮮から好かれているのかな。
*ほんでわ。
*今日の天声人語。
「そのときの私の気持ちを共有してほしい。サダム・フセインがアメリカへの脅威だと思ったのは間違いない」。イラク戦争開戦についてブッシュ大統領は8日、米NBCテレビでそう語った。
(中略)
なぜ戦争をする必要があったのか? 米英日首脳の発言は開戦当初から少しずつ変化してきた。いずれ歴史の審判を受けるとしても、問いを発しつづけることに意味はある。
*執筆子の3分意訳。
『イラク攻撃開始について米大統領は、理論ではなく感情で、宗教的ともいえる感情で判断した。各国首脳や小泉首相もそれを支持しているが、本当に正しかったのか、糾弾し続ける必要がある』
キーワードは『宗教的な感情』と『糾弾』だね。
*バカな日本のマスコミ。
◇日本の報道陣に提供するな
◇「悪さ強調している」−−米英占領当局など指示
【サマワ藤原章生】イラク南部サマワにあるムサンナ県警のカリム・ザイディ本部長=写真=は7日夜、毎日新聞に対し、同県警がサマワ駐留の米英占領当局(CPA)と県知事から、日本の報道陣に治安情報を一切与えないよう指示されていたことを明らかにした。事実上のかん口令について本部長は「一部でサマワの治安が悪いかのように報道されたため」と述べている。
本部長によると、ムハメド・ハッサン県知事から報道規制を指示されたのは1月20日過ぎごろ。「日本の報道陣がサマワの治安の悪さを強調している」と県知事に言われ、その後、開かれた知事、本部長、CPA代表らによる治安対策会議で「日本の報道陣に情報提供しないよう確認し合った」という。これを受け県内全警察署に同じ指示を発令した。
発令の根拠として本部長は、日本の報道機関の具体名を挙げ▽1月上旬に検問所で逮捕され、後に釈放される5容疑者について「テロリスト」と断定報道した▽サマワで殺害された警察官を「警察幹部」などと伝えた――などと述べている。
本部長によると、県内では殺人事件が昨年12月の9件から今年1月には6件に減った。本部長はこれを例に「私たちは日本人にムサンナの安全さを分かってもらいたい一心なんです」と説明する。一方で本部長は今後、知事やCPAと相談し、かん口令を再検討する可能性も示唆した。
(毎日新聞2004年2月10日東京朝刊から)
ああ。先日もちらっと書いたけれど。日本のマスコミは、イラクで阿呆っぷりを世界中に発信しています。
まあ、このニュースについても含めてIrregular Expressionさんがしっかり書いておられます。
まあ、なんだ。
イラク情勢についてこう評するのは非常に不遜であるとは思いますが。
阿呆なジャップマスコミ海外旅行組が、ビッグイベントではしゃいじゃって、周囲が眉を顰めるのにも気がつかずにあちこちで迷惑をかけ、あまつさえ『イラクってすんげー危ないの。オレ、死ぬかと思ったよゲハハ』とか、日本に向けて誇大妄想気味ウソ情報を垂れ流しているもんだから、いい加減『お前らいいから出てけ』って言われちゃった、という。
そんな、阿呆ジャップスっぷりを晒しているってこと、でしょうな。
むしろ、自衛隊の情報を事細かに世界中に配信することで自衛隊がテロリストの標的となりやすいよう謀り、自衛隊がらみの事件や惨事をいち早くニュースとして配信して視聴率を取ろうとしているのではないか、とすら思えるほど、なんでもかんでも報道しようとしている。風に見える。
日本政府が、阿呆なマスコミをしっかりと抑えて欲しいもんです。
いや、それ以前に、いくら阿呆なマスコミとはいえ、ちゃんとした大人なんだから。自分でやっていいこととやっちゃいけないことを、判断するべきだ。
うむ。マスコミを阿呆なクソ餓鬼扱い(笑)
*こんなもんで。
*今(2004/02/10 01:32 +0900(JST))見つけて、速攻貼った。
あたしんトコのバナーの横に『タグ打ち推奨委員会』のバナー。
会員規約/AGREEMENT
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web頁の情報よりも、web頁をいじくる行為そのものを遊んでいる、というわけだ。
手段のためには目的を選ばない、という感じだよなあ。
ぎゃふん。
*思うんだが。
アメリカの戦争が正当性を持たない、なんて、ず〜っと、そうだったじゃない。
日本人こそが、それを良く知っているんじゃないの?
日本の、太平洋戦争、もしくは大東亜戦争、もしくは第二次世界大戦、つまり、2発の原子爆弾で終了した戦争が、そうだったじゃないか。
日本は極悪非道な帝国で、膨張政策により諸外国を植民地化し、民衆を圧迫し、虐殺し、だから戦後裁かれた。
サヨクの方々は、それが正当であり、そんな日本は制されて当然であると、常日頃から言っているじゃないか。
アメリカが、その時、日本を叩き潰したんだよ。
もしかして、忘れたのか?
サヨクの方々は、それが『正しかった』って信じているんだろ?
日本の植民地政策は何から何まで間違っており、アメリカは正しかったって信じているんだろ?
だからこそ、アメリカがもたらした、日本国憲法と言う名の占領統治憲法を崇拝しているんだろ。不磨の大典だって。
だったら、サヨクのあなた方は、アメリカの『悪の帝国を叩き潰し事後法で裁くこと』に、全くに賛成するはずなのに。
憲法第9条は『世界の至宝であり世界中に広めるべきもの』と信じているんだろ?
今の日本の憲法がどうやって成立したか、知らないわけじゃないでしょ。
サヨクのあなた方が智恵を絞って造ったわけじゃないのだよ。国民の声を元に造ったわけじゃないのだよ。長い審議と検討の末に造ったわけでもないのだよ。
アメリカが、もたらしたんだ。
単に占領統治を行うために、アメリカがでっち上げたんだ。
そんな憲法こそが、至宝なんだろ?
じゃあ、アメリカのイラク統治も正しいに決まっているじゃないか。
なのに、サヨクのあなた方は、なんで今回は非難するの?
占領と統治。正統性のない戦争。弾劾裁判。
イラクに対するそういう行動を非難するなら、かつての日本に対して行われたそういう行動も非難してくれよ。
そして、日本はかつて『踏みにじられた』国であると、声を挙げてくれよ。
今のイラクと同じか、それ以上に『不当に』『踏みにじられた』のが、かつての日本だったって、気づいてくれよ。
*今のイラクに関して、アメリカや日本政府を非難する声が上がるにつれて。
どんどん、かつての日本の姿がダブってくる。イラクに。
もっともっと、サヨクの方々は、非難したらいい。
今のアメリカを非難し、日本政府を非難し、そして歴史を紐解けばいい。
やがて、かつての日本にたどり着いたとき、慌てて『なかったこと』にするドタバタがあるだろうと思う。
その時、サヨクの方々が隠したい『何か』に、誰かが気がつく。
誰かが気がつく、と言うことは。全ての人が気がつくということだ。
中途半端は遺憾。
サヨクの方々には、徹底的に阿呆をさらけ出して欲しい。
その向こうに、サヨクとウヨクと阿呆がふるい落とされた向こうに、左翼と右翼が残るんだろう。
執筆子としては、阿呆の網にふるい落とされないように、知識を蓄えしっかりと勉強しておきたいと思う次第。
左翼でも、右翼でも、その他でもいいんだけれどさ。
愛国心のカケラもない阿呆には、なりたくないのだ。
*『戦争とか危ないことになっても国のために戦うなんて絶対いやだし、逃げればいいじゃないの、そんな時には』なんて言っている人々も、いるだろうけれど。
日本を棄てて逃げるを由とするヒトビトは、今すぐにでも、日本を棄ててもいいんじゃないの?
日本に期待しないし、日本を支える気もないんでしょ。あんた方は。
日本人それ以外を問わず、日本は『日本を支える気のある人々』のために、あるんだから。
*新聞休刊日は、天声人語がなくてつまらん(笑)
いやあ。やはり、日本最大部数を誇るエンターテイメント日刊紙、朝日新聞は、偉大だねえ。
なんてな。でわ。
*こないだから続いている、高校生が総理に嘆願書を送った云々、のこと。
とっても正確な情報収集と、的確な分析をしている方がおられましたので、紹介。
■ 高校生の「請願書」について
まあ、内容はリンク先に飛んで見てきてください。
断片的な、しかし大量の情報収集から、事象の外見を、手探りで探り当てるという、とってもエキサイティングな遊戯を行っています。
惜しむらくは『どーせアカっぽい方面の後押しがあったんでしょ?』っていうオチがみえみえである所から、このゲームを始めなければならないってトコでしょうか(笑)
ま、結論を急ぐ気もないし。というか、オチがどこにあっても、別にいいし。
ただ。
小泉首相の『この世の中、善意の人間だけで成り立っているわけじゃない。なぜ警察官が必要か、なぜ軍隊が必要か。イラクの事情を説明して、国際政治、複雑だなぁという点を、先生がもっと生徒に教えるべきですね』っていう言葉を。
なんで、みんなちゃんと考えられないのかな。
ほんと。教育の重要性を、感じるね。
ちゃんとした教育を受けなかったクソガキが、そのまんま大人になって、教師や報道関係者やアジテータになっているんだな。がっかり。
あなたが、ちゃんとした、大人だったら。小泉首相の言った言葉の意味を、理解して、誰かに説明してみたまい。
理解する気もなく、また、高校生の嘆願書を読むことすらなく、単に『首相は人民の声を聴くことの出来ない独裁者だ!』的なヒステリーを起こすことしか出来ない方々には。残念ながら、読解力と理解力と分析力と知識と智恵と、その他なにもかもが足りない人間であると、評させていただく。
*今日の朝日新聞は、社説も天声人語も、日露戦争に関するコトでした。
日露戦争の開戦から、きょうで1世紀になる。朝鮮半島の仁川に日本軍が上陸、中国の旅順でもロシア艦への攻撃を始めた。2日後に日本は宣戦布告をした。
…
戦争の大義、実像、影響などを繰り返し問い、本質に迫る努力を続けて後世を誤らないようにする。それは、いまだに戦火が絶えない21世紀に生きる我々にとっても重要なことである。
1904年の2月8日、日本軍は朝鮮半島に上陸した。2日後に宣戦布告した。日露戦争の始まりだ。
…
群馬県立近代美術館(高崎市)の「戦争と美術」展で「日露戦争軍人木像」を見た(15日まで)。背丈50センチほどの軍服姿の像162体が、並んで立っている。近郷出身の死者の慰霊として、写真などを参考に作られ、寺に収蔵された。
周りを巡る。照明の具合で、ガラスの入った目が、時に光る。その小さな明滅は、1世紀のかなたから届いた無言の訴えのようだった。
いや、ねえ。
天声人語の方は、単に『そういう人もいた。今は彼らが支持されているだけだ』ってだけで、なんとも感傷的な爺の繰言に過ぎないんで、はいはいそうね、なんだが。
社説の方はなあ。事象を逆から捉えて、自分に都合のいいように結論を持ってくる、稚拙な詭弁術だよな。
『日露戦争は意義ある戦争であったという論調がある。しかし物事は全体的に正確に見るべきだ。肯定的論に浸っていてはいけない。日本の野望が強かったとする研究もある。日露戦争こそがその後の敗戦を引き起こしたと言う見方もできる。後世に日本の罪科を語り伝えねばならない。』
ざっくり、意訳してみた。
この執筆子の略がどれ程正確に社説を汲んでいるかは、読者諸兄に判断していただくとして。
この論調は、詭弁だよな。
今までの『日本の過去は全て罪の中』という論調に対して、いやそうではない。日露戦争には別の意義や、意味や、意図があった、という論を出してみたら。『そういう論はうんざりだ、いいから謝罪してろ』なんて言われてしまった、ってわけだ。
正しく。朝日の頭の中では、過去は全て罪の中、なんでしょうとも。
朝日新聞とは別の論評を。
世界史の大きな転換点となった日露戦争の開戦から、二月八日で百年を迎える。
日本人の記憶から遠ざかりつつあるこの戦争が、国家の存亡を賭けた重い決断によるものだったことを、改めて思い起こしたい。
…
日露戦争とその後の無謀な戦争との比較からは、いろいろな教訓が引き出せるだろう。だが、日露戦争を境とした歴史への単純な線引きには無理がある。今日の尺度だけで、時代の善悪を決めつけることも出来ないだろう。
ともあれ日露戦争百年を迎える今、複雑な日本近代史を様々な角度からとらえ直したい。それは、日本の現在を考える上でも大いに参考になるはずだ。
(2004/2/6/01:35 読売新聞 無断転載禁止)
要するに、過去の世代の善悪は今の世代の善悪とは違うのだから、朝日新聞的『日本は謝罪汁』という論調だけではない別の見方も必要だ、といっている。
小泉首相の『世の中善意の人間だけで成り立っているわけじゃない、国際政治とは複雑だなぁという点』と、重なる部分もあるな。
サヨク的『日本は黒確定』という曇った目ではなく。かといって『日本は最高、何にも問題ない!』という光しか見ていない(即ち何も見ていない)目でもなく。
クリアに、見ることは、出来ないもんかの。
そう、思うのです。
日露戦争での日本海海戦、世界最強と謳われしバルチック艦隊を、後に「東郷ターン」と呼ばれる奇策を以って殲滅せしめた戦いは、ここより下り明治38年5月28日になりますが。例えばこれは、日本が誇りに思っていいことでしょう。
日本人が、多くの露西亜人を殺した事件です。それだけで、平和論者や脳ミソお花畑の方々にとっては、忌むべき事象なんでしょうが。
それは、この海戦でなくなった幾多の日本人、露西亜人に対する、これ以上ない侮辱であると信じます。
現在の目で、敗戦後と言う現在の目で見て、戦争イクナイという脳で考えて、だからこの勝利こそが日本の破滅の始まりだ、なんて簡単に片付けるのは、過去の人物に対する侮辱です。
戦争は、よくない。それは、いいんだ。
でも、その鼻の上のくぼみには銀紙張ってあるわけでもなく、両肩の間にあるのは帽子掛けじゃないでしょ。だったら、もちょっと、目とか脳とか、使ったほうがいいと思うのだよ。
*祖父を断頭台に蹴り上げ、その血の滴る生首を持って『ほら日本は悪かったんだ!』等と言い放ち悪びれもしない精神には、がっかりしてしまうよ。
第2次世界大戦で、誰が、どうやって、どういう経緯で『咎人』となったか、には、そのうち。
一つ言っとけば。日本人はハメられた、今でもハメられ続けている、ということ。
世界中で、日本人だけが、世界中からハメられ続けているのだ。
*リンクのページを更新しました。
相当に、整理しましたが、まだまだだな。
トップページにも、リンクを置きます。そのうち。
法則『そのうちやる、は、永遠にやらない、と同義である』
*でわ。
*いやあ。今日の天声人語は、ヒットであった。
ご飯に焼き魚、のり、みそ汁の食事だと自給率は85%、ハンバーガー、フライドポテト、コーラでは自給率が20%になる。農林水産省が試算した。自給率を高めるために、もっとご飯を食べましょう、というわけだ。
カロリーに換算すると、日本の食料自給率は40%である。40年前には70%を超えていた。ご飯中心から欧米型の食事に変わってきたこと、外食が増えたことなどが原因にあげられる。占領政策を進めた米国が、自国の農産物を売りつけるために日本人の食生活を変えた。そんな説もあるほどだ。
フード・マイレージという言葉がある。食品の量と輸送距離とを掛け合わせた数字だ。食料調達にどれだけエネルギーを使っているかの指標になる。輸入食料についての試算では9千億トン・キロメートルで、自給率100%を超える米国の3倍にのぼった。農産物輸入額でみると、日本は世界全体の1割を占める。世界中から食材をかき集めているのが現状だ。
街から牛丼が消え、外食産業では鶏肉の仕入れに苦心する。そんな風景が広がると、不安の方も広がる。最近の農水省調査では、国民の9割が食料供給に不安を感じている。
自給率が低いことにも利点がないわけではない。食卓を直撃する国際情勢に敏感にならざるをえない。他国と仲良くしようとの意識も強まる。何より戦乱や紛争のない平和が、食べていくためにも大事であることを実感できる。
ただ、とうふや納豆の原料になる食用大豆の自給率が25%と聞くと、もう少し国内産が増えてほしいとの思いも禁じえない。
バカでしょ?
こいつ、バカだと思いません?
全編通してバカなんだが。
第2段落。食料自給率の低下の原因として『欧米型の食事への変化』『外食の増加』を挙げています。
普通、第1次産業人口の減少が、一番大きい原因だって、思わんかね。それを語らず、欧米型云々言うのは、やっぱり『占領政策を進めた米国が』にかかる枕詞として使っているのかな。
第5段落。自給率が低いことにも利点がないわけではない、って。あ〜た、この論理はこじつけでしょう。
貧乏国家であることに利点がないわけではない。他国の援助が欲しいから、国際情勢に敏感になる。ということ?
いじめられっこであることに利点がないわけではない。殴られないために他人の顔色を伺うことに長けるようになる。ってことか?
自給率の低さは、どう考えても『利点』じゃないでしょ。原因であり、その結果として国際情勢に敏感になると言うだけだ。
大体『他国と仲良くしようとの意識も強まる』って、小学生の作文じゃないんだから。
仲が良かったら食料輸入が可能である、ワケじゃないでしょ。先立つものがどうしても必要なんだから。
『戦乱や紛争のない平和が、食べていくためにも大事であることを実感できる』ってのは、詭弁だよね。食べていくことが、戦争より平和より大事である、というだけだ。
メシが喰えない平和より、メシが喰える戦争のほうを選択する、っていうパターンもあるでしょ? 平和ならメシが喰えるってわけでもあるまい。
第6段落。何故、大豆? あんたの個人的嗜好として豆腐が好きだってのは、認めてもいいけどさ。
じゃあ、遺伝子組み換え作物についても、もちょっと冷静な議論をしませんか?
ヒステリックな『自然の摂理に反する!』ていう論をひっこめて、さ。
いやあ。面白かった。
特に、自給率が低いことを利点と言い切る精神が。
日本のエネルギーの大部分を占めている原油。この原油は、主に中東から輸入しているわけです。エネルギーの自給率が低いことも利点だな。なんたって中東情勢に敏感になる。中東が安定することが、電気を使う生活のためにも大事だって実感できるよ。
時に、自衛隊は中東情勢の安定のために、派遣されているんだと思ったんだが。違ったの? また、産油国への影響力を強めるために、パワーとマネーのある国家であることを国際的に示すためにも、自衛隊の海外派遣は必要なんだと思うんだが。
- だいいち-じさんぎょう ―さんげふ 6 【第一次産業】
- C =クラークによる産業分類の一。原材料・食糧など最も基礎的な生産物の生産にかかわる産業。農・林・水産業など。一次産業。
*アサヒ新聞は、やっちゃったって感じっぽい。
朝日新聞で読者の投稿などを掲載する「声」欄のカットに対し、読者から「自衛隊員の墓標を思わせる」などと批判が寄せられたため、同紙は5日付紙面から別のイラストに差し替えた。
批判されたのは、2月1日から4日まで掲載した「声」のカットで、「異国の空の下」という文字を添え、小銃を地面に突き刺してヘルメットをかぶせたイラストが描かれていた。
朝日新聞社広報部によると、このイラストに関し、4日までに電話など6件の反響があり、うち4件は「隊員の家族が悲しい思いをする」などの批判だった。米軍などでは、兵士が死亡した際にこうした形で追悼するためとみられる。このため5日付から、1月末まで使用したイラストに戻した。
朝日新聞は6日付の「声」欄で経緯を掲載。イラストは彫刻家に依頼して制作された原画をそのまま使用したが、「『こんなことがあってはならない』とのメッセージを込めるため、墓標をイメージさせる図柄を選んだ」と説明し、「隊員と周辺の方々はもちろん、イラクでの自衛隊活動を見守る読者の皆さまに不安や不快感を与える恐れがありました。配慮が足りませんでした」と謝罪した。
(2004/2/6/12:42 読売新聞 無断転載禁止)
▽参考。こんな絵でした。
アサヒ新聞の言い訳も転載。
まず、一番大きなつっこみ。絶対、反響が6件ってウソやろ。どう考えても、ウソだ。
もしかして、文書で郵送されてきたものが6件、とか?
電話やファックスやメールによる意見は、朝日新聞の耳には入らない、ということか。流石『大』朝日。傲岸不遜にも程がある。
以下、大意をざっくりと。
この絵を描いたのは船山と言う人物で、彼は『こんなことがあってはならない』という意図で描いたが、配慮が足りなかったので差し替えます。これからもがんばります。
こんなことがあってはならない。つまり、これが『墓標』であると言う意図を持って、使ったと言うことだな。
じゃあ、こんな絵を描いて、こんなことがあってはならない、と言い添えたらアリってことか?
そんなワケないでしょ。
いいか、悪いか、ではなく。品性の問題だよね。
朝日新聞は、品性下劣な新聞だな。その『異国の空の下』で働く日本人の身になって考えるってことが、できないのだろう。
朝日新聞の責任ではなく、船山と言う人物がそういう意図で描いた、と述べるのみで、掲載した朝日新聞の意図については全く触れていませんね。
朝日新聞は、卑怯な新聞だな。その絵でよいと判断して、朝日新聞として許可したんだろうが。責任は他人任せか。
この絵を掲載したことについて、一言の謝罪もないよね。ごめんなさいの一言もいえないのか。そんな態度で、よくもまあ『日本はアジアへの謝罪がない』なんて、言えるな。
というか、もしかしてこれで謝罪したってことになるの?
うわー。これで謝罪なんだったら、日本の対中国支援や対韓国支援は五体投地ですが。もしくは土下寝?
頭の下げ方を知らないんだったら、大好きな中国から頭を踏みつけてもらいなさい。
総合して。朝日新聞。なんで最近、こんなに必死なんだろう。って感じを。
しかも、朝日新聞の必死さが空回りしているのが、そろそろ哀れを感じるほどになってきている。
よっぽど、日本が左旋回をやめることに対して心を痛めているんでしょう。朝日新聞が、ではなく、アジアの国々が。
あ。朝日新聞やサヨクの方々が『アジアの国々』と言ったときには『中国・北朝鮮・韓国』の三国のみを指す、ですよ。他の国々は、アジアですらないんだと。差別主義者供奴。
*もう、アサヒ新聞、面白すぎ。
ネタとして、ね。
小泉首相は5日のイラク問題を審議する参院特別委員会で、イラクへの自衛隊派遣の意義を学校で教育するよう求めた自身の発言に関連し「先生方が、自衛隊は戦争に行くんです、武力行使です、憲法違反ですと言ったら問題だ」と述べた。
首相は2日、高校生らがイラクからの自衛隊撤退などを求める請願書を内閣府に提出したことをめぐり、「自衛隊は平和的に貢献する。先生もよく生徒さんに話さないとね」と記者団に述べた。この発言について斎藤勁氏(民主)が特別委で「強制的に受け止められるとしたら問題だ」と追及したが、首相は「先生は政治活動より生徒の教育に精を出してほしい」。
ただ、首相発言をめぐっては、周辺からも「言い過ぎだ」との指摘がある。首相自身、言い過ぎたと思ったのか、同日夜には記者団に「賛否両論ある。議論するのはいいんじゃないですか。政治参加のいい勉強材料になる」と軌道修正。「押しつけるわけではない」と4回も繰り返した。
(02/05 20:24)
小泉首相は2日夜、平和的な手段によるイラクの復興支援と自衛隊の撤退などを求める小泉首相あての請願書を高校生が内閣府に提出したことに関連して、首相官邸で記者団に「自衛隊は平和的に貢献するんですよ。学校の先生もよく生徒さんに話さないとね。いい勉強になると思いますよ」などと語った。
請願書を提出したのは宮崎県内の高校3年生、今村歩さん(18)。昨年12月から一人で署名活動を始め、ファクスやメールを通じて輪が広がった。1カ月余りで全国をはじめ、オーストラリアや米国からも署名が届いたという。5358人分の署名付きの請願書は、首相に自衛隊や各国軍隊の撤退を呼びかけるよう求め、「首相として勇気ある行動を」と訴えている。
この活動について問われた首相は「読んでいない」とことわったうえで「この世の中、善意の人間だけで成り立っているわけじゃない。なぜ警察官が必要か、なぜ軍隊が必要か。イラクの事情を説明して、国際政治、複雑だなぁという点を、先生がもっと生徒に教えるべきですね」と述べ、請願の内容には応えず、独自の教育論を展開した。 (02/02 21:30)
*独自の教育論。アサヒ新聞的には独自の教育論、らしいよ。
どこがじゃね。当たり前のことなんじゃないの? 悪辣な印象操作だよなあ。
つか、上で挙げているような『世の中善意の人間だけではない』『暴力装置はなぜ必要か』『国際政治は複雑である』っていう事項は教えない、というのが『正当な教育』だとしたら、それは今の教育のほうが間違っていると思います。
だって、小学生なら兎も角、高校生だよ? こいつ。
いや、まあ、朝日新聞の記者とか、朝日新聞にどっぷり浸かっているようなヒトビトにとっては、首相の言の方が『独自』なのかも知れんけど。
アサヒ新聞は『先生は政治活動より…』と報道したけど。
別の新聞を読むと、この発言も歪曲報道であることがわかります。
(前略)
首相はさらに斎藤氏に対し「日教組には『イラク派遣は憲法違反だ』とデモしている人もいる。先生は政治運動に精を出すよりも生徒の教育に精を出すべきだ」と述べた。首相は5日夜、官邸で記者団に対し「私は(教育現場に)政府の考え方を押し付ける意図は全くない」と述べた上で、「生徒が先生を交えて議論すればいい。先生の中にもいろいろな考えがあるから」と語った。【中川佳昭】
[毎日新聞2月5日] ( 2004-02-05-21:38 )
つまり、日教組の、授業もせんと政治活動に精を出していながら教師ヅラしているような人々を批判している、わけだ。
でも、朝日新聞の書き方だと『先生は政治に口出しするな』と言っているようにも受け取れる。
そういう取り様もある、という書き方をする、卑怯な行いだよね。
全く。報道こそが、真実を殺している。
ま、この18歳が、本当に自分の考えで運動をはじめ、自分の力で活動し、自分の手で署名を手渡すに至ったのなら、その行動力については評価しますが。
ぶっちゃけ言えば、親だの教師だのの影響や努力が、強いんだろうな。
日教組の政治活動に、教え子を巻き込んじゃ遺憾よ。
まあ、それ以前に、教師が『特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない』のですが。
*あたしの、今日のお仕事は。
技師Bの仕事じゃないよなあ。技術員ですか?
愚痴。
*例えば、先月の、韓国人の日本人学校襲撃事件。
あれは、あの事件としては単なる『ある阿呆が精神を病んで起こした悲惨な事件』っていうまとめに括られる、と思うのよね。
でも、その『精神を病む』理由が、どこかにあったかもしれない。ということを、考えるべきなんでしょう。
だって、そうでしょ。彼の攻撃志向の矛先が日本人に対して向けられていたと言う事実は、かれがもし狂人であったとしても覆せない。
ま、ぶっちゃけ言っちゃえば、中国朝鮮韓国の、反日教育の凝ったものではないかなあ、なんて思うんだがな。件の親父の凶行は。
先方の狂的な反日感情から目を逸らしながらの『日韓友好!』なんて言葉は、胡散臭くてしょーがねーですよ。
【モスクワ30日時事】日露戦争の最初の海戦となった仁川沖海戦の100周年記念行事が2月9日、韓国・仁川港で行われる。ロシア極東連邦管区と太平洋艦隊が計画、韓国海軍の艦船も参加するが、日本政府や自衛隊関係者は招待されておらず、戦後約100年を経てもなおロシア側の複雑な感情が見え隠れしている。
日露戦争の100周年記念行事を、日本抜きで、韓国が参加して行うことに、なんか意味があるのか?
むしろ、日露戦争、日清戦争は、日本が国土防衛のため、朝鮮半島の共産化を阻止するために行った戦争だと、思うんだがなあ。
んで、歴史上の日露戦争の意義ってのは、極東の新興国でちっちゃな島国で有色人種の国が、白人国家にも堂々と戦いを挑み、なおかつ勝利することが可能であると言う、衝撃的な歴史のターニングポイントである、というところに、あると思うんだが。
いやいや、本当のところは、アジア人は世界史上では常にユーラシア半島の覇権を握っていたし、だからこそ『むかしの中華』は、偉大な国家であったと思うんだがな。あたしは。
日清戦争の頃や、今の中国が偉大かといえば、それはちょいと疑問符。でも、まあ、人間の数の多さはパワーであると思う。数は常に力だから。いや閑話休題。
兎も角、露西亜に侵略されそうな朝鮮半島が、日本と露西亜との戦争でなんとか命運を保った、というのは、年表や白地図から判る事実だと思うのね。その韓国と露西亜が、何を記念して式典を開くのだ?
単に、日本の軍事力が(今も尚)怖いっていうだけなんだと、思うのだが。
それとも、日本に圧倒された国家が集まって傷を舐めあおうと言うこと?
なんて卑屈な式典だ(笑)
まあ、反戦平和を唱えるヒトビトにとっては、日本のかつての戦争のことなど汚らわしくて聞く気にもならない、かもしれんがの。
誇り高く闘ったかつての日本、私たちの祖先に対して、敬意を払う必要は、あると思うのだぞ。
戦争賛美をする必要はない。戦争反対を叫ぶのは構わない。でも、戦わなければ自らを守れないと信じ、戦って自らの家族を守ろうとした人たちに敬意を払うことが出来ないのであれば、それは、傲慢であるな。
つか、日露戦争100周年を記念して、露西亜と北方領土問題の議論を深めたらどうかねえ。どうよ。
*反戦平和の素晴しさを、疑うわけじゃないんだけれどさ。
ただ、なにがなんでも非武装、どうあっても非殺、ってだけじゃ、守れないものもきっとある、と思うのだが。
例えば憲法9条や、例えば非武装宣言で、本当にあなたの命が守られるのか。
命は守られても、もしかしたら生活は圧倒的に貧しく悲惨になるかもしれないけれど、それであなたは本当にいいのか?
そういう、ことをね。思っちゃうのですよ。
スローライフ、とか言って、あくせくしない生活を尊ぶような言を聞くけれど。
それは、単に『あくせくしなくても生活できる』人が、自分の生活の質を落とすことなくゆっくりと生活できるから、のどかな生活を送っているだけなんであって。
ほとんどの人々は、疲れ切って倒れても、また立ち上がり身体を絞る、ような生活をしているんだが。
中東の戦争に対して不干渉不介入を叫ぶ、反戦平和の方々にしても。
原油輸入が途切れてしまい、国内の電力供給量が低下するとなれば、今の電気を大量に消費する生活の質を落としてまで『不戦』を叫び続けられる人は少なかろうと、思うのです。
また、海路による交易を海賊だのテロリストだのに妨害され続け、輸送船が山ほど拿捕されるような事態になれば、海上自衛隊の奮闘に期待するだろうし。
現に今でも漁師の方々は、韓国の漁船の不当な密漁や、甚だしくは漁船への攻撃、撃沈、殺害までを被り、非常に苦しい思いをしているのだが。
そういう、生活が圧倒的に圧迫される事態になってまで『せんそーはんたーい』を叫び続けられる人々が、どれ程いるのか、というと、あたしは、ほとんど存在しないだろうと思っております。
結局、メシが喰えて明日も多分生きていける、と言う安心を得て初めて、人は文化的だのなんだのを考えられる、と思うのだ。
明日のメシがわからない、だったり、今日いきなり殺されるかも、だったりすると、文化的もへっちゃくれも無いと思うのです。
だから、逆説的に言っちゃえば、日本国内でこんなに『非武装反戦平和!』を叫ぶヒトビトが多いと言うことは、それだけ平和で安定しているのだな、と言うことだな。
もっと『平和的でない』状態、例えば、アルカイダだのなんだののテロリストが横行し、毎日毎日どっかで爆発が起こって人がぼこぼこ死ぬようなことになれば、あっさりと軍事力の強化を望む声に変わると思うのですよ。
どうかな。
それでも『非武装平和!』の声をあげる人が多かったら、それはそれで素晴しいとは思うのだが。
あたしは、非武装平和を胸に抱いて死ぬ気は、ないぞ。
*お仕事忙しくて、時間がねーですよ。
今日は雑文で終了。