05北海道旅行写真日記  その
  旭川にあった道駅で車中泊。
  日本最北端の宗谷岬を目指します。
  しかし、5月の北海道は道には雪はなかったが、
 それでも所々に残雪が残っていた。
  
 道の駅“びふか”で休息を取りました。
 ここには、右の写真のようにヤギが飼育
されていました。
 それは、ここのお土産に下のような物が
売っていました。

 牛乳ならぬ羊乳が。
 ちょっと高い気もしたが試しに飲んでみました。
 味は牛乳より濃い目のようでしたが、不味くは
ありませんでした。
 さて道の駅“びふか”を後にして一路、
 最北端
へ向かいます。
 山には雪も残っている所もありましたが
下の方は雪も無くなっておりいい景色でした。

 この写真は稚内市に着く直前辺りの景色
 中央の白い棒に羽を着けている構造物は
北海道であちらこちらに見かける風力発電
の物です →

 
    日本最北端、宗谷岬へはお昼過ぎに到着しました。
    昼飯を食べてから、早速、記念碑をバックに記念撮影
   手に持っている黄色物は、先年の夏コミでイラストレー
   ター みかき先生の所で頂いたメモ帳です。
    私の下手な絵を書くのではもったいないし、かと言って
   メモ紙として使うにはあまりにももったいないと、使い方
   に困っていました。
    しかし、今回の旅行で各種のスタンプ帳として利用する
   事を思いつき、持って来たわけです。

 ↑みかき先生のサイン入りなんですよね。
ちなみに大きさは文庫サイズの大きさ。
 何故、このような画像を撮影したかは、
この後で行くえりも岬にある、ある物の大きさ
を比較するの使用した為です。
宗谷岬周辺です。↑
 左端の建物前を登って行くと旧海軍望楼があります。
 今回は行っていません。
旧海軍望楼
ロシアとの国交が悪化した明治35年(1902年)国旗用の
防備として作られた要塞です。



間宮林蔵(まみや りんぞう、安永4年(1775年)
  弘化元年2月26日(1844年4月13日))は、江戸
時代後期の日本人冒険家。近藤重蔵、平山行蔵
と共に「文政の三蔵」と呼ばれる。
 伊能忠敬に測量技術を学んだ。
 1803年(享和3)西蝦夷地を測量した。
1808年(文化5)幕府の命により松田伝十郎とともに
北樺太を探索、海峡を渡って黒竜江下流を調査した。
 1809年(文化6年)に間宮海峡を発見した。
→↓流氷館
 日本最北端の記念碑で記念撮影した後は、
お土産屋さんを回り最北端到着証明書を買い
に回っていたところ、あるお土産屋さんに、この
流氷館と言う、流氷を冷凍室でマイナス10℃で
保存し、その中にはく製を並べて実際に、その寒
さを体験できる展示施設を見つけました。

   上の左側の写真は流氷が保存されいる冷凍庫
  の外から撮ったものです。
   中には入りましたが、寒くて、早く出て行きたいと
  思いましたが、とりあえず、ネタと記念写真だけは撮
  影しなければと思い撮ってきました。笑
   もし宗谷岬へお出かけの際には寄ってみるといいと
  思います。
   お土産屋さんの奥の方にあるので、判り難いかと思
  います。
 さて宗谷岬を後にしてオホーツク海側をひたすら
網走方面に走って行く途中で見た不思議な看板?
が右の写真です。
 自衛官募集の看板なら判るのだが・・・。
 ちなみに同じような看板は3枚ほど見ている。

  また、道のすぐ脇に、このような物も発見しました。

 拡大図
    右の写真は道の駅→
   『マリーンアイランド岡島』です。
   道の駅もいろんな形をした物があります。
   下の2枚はどこだったか忘れましたが、
  これも道の駅の物です。↓
   ちなみに、この車両、簡易宿泊施設で
  中に泊まる事もできます。


           
    右の写真は、あるお土産屋さんの
   (従業員)食堂列車のようです。
   廃止になった車両はあちこちで使わ
   れているようですね。
    前に北海道へ来た時は、何処だっ
   たかは忘れたがF104が飾られてい
   ましたから。
    
 さて道の駅に寄りながら網走方面へ走り、サロマ湖近くにあった
『かみゆうべつ温泉チューリップの湯』と言う温泉設備を有した道の駅まで行きました。
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