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旭川にあった道駅で車中泊。 日本最北端の宗谷岬を目指します。 しかし、5月の北海道は道には雪はなかったが、 それでも所々に残雪が残っていた。 |
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道の駅“びふか”で休息を取りました。 ここには、右の写真のようにヤギが飼育 されていました。 それは、ここのお土産に下のような物が 売っていました。 牛乳ならぬ羊乳が。 ちょっと高い気もしたが試しに飲んでみました。 味は牛乳より濃い目のようでしたが、不味くは ありませんでした。 |
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さて道の駅“びふか”を後にして一路、 最北端へ向かいます。 山には雪も残っている所もありましたが、 下の方は雪も無くなっておりいい景色でした。 この写真は稚内市に着く直前辺りの景色 中央の白い棒に羽を着けている構造物は 北海道であちらこちらに見かける風力発電 の物です → |
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日本最北端、宗谷岬へはお昼過ぎに到着しました。 昼飯を食べてから、早速、記念碑をバックに記念撮影 手に持っている黄色物は、先年の夏コミでイラストレー ター みかき先生の所で頂いたメモ帳です。 私の下手な絵を書くのではもったいないし、かと言って メモ紙として使うにはあまりにももったいないと、使い方 に困っていました。 しかし、今回の旅行で各種のスタンプ帳として利用する 事を思いつき、持って来たわけです。 |
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↑みかき先生のサイン入りなんですよね。 ちなみに大きさは文庫サイズの大きさ。 何故、このような画像を撮影したかは、 この後で行くえりも岬にある、ある物の大きさ を比較するの使用した為です。 |
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宗谷岬周辺です。↑ 左端の建物前を登って行くと旧海軍望楼があります。 今回は行っていません。 旧海軍望楼 ロシアとの国交が悪化した明治35年(1902年)国旗用の 防備として作られた要塞です。 ←間宮林蔵(まみや りんぞう、安永4年(1775年) 弘化元年2月26日(1844年4月13日))は、江戸 時代後期の日本人冒険家。近藤重蔵、平山行蔵 と共に「文政の三蔵」と呼ばれる。 伊能忠敬に測量技術を学んだ。 1803年(享和3)西蝦夷地を測量した。 1808年(文化5)幕府の命により松田伝十郎とともに 北樺太を探索、海峡を渡って黒竜江下流を調査した。 1809年(文化6年)に間宮海峡を発見した。 |
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→↓流氷館 日本最北端の記念碑で記念撮影した後は、 お土産屋さんを回り最北端到着証明書を買い に回っていたところ、あるお土産屋さんに、この 流氷館と言う、流氷を冷凍室でマイナス10℃で 保存し、その中にはく製を並べて実際に、その寒 さを体験できる展示施設を見つけました。 |
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上の左側の写真は流氷が保存されいる冷凍庫 の外から撮ったものです。 中には入りましたが、寒くて、早く出て行きたいと 思いましたが、とりあえず、ネタと記念写真だけは撮 影しなければと思い撮ってきました。笑 もし宗谷岬へお出かけの際には寄ってみるといいと 思います。 お土産屋さんの奥の方にあるので、判り難いかと思 います。 |
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さて宗谷岬を後にしてオホーツク海側をひたすら 網走方面に走って行く途中で見た不思議な看板? が右の写真です。 自衛官募集の看板なら判るのだが・・・。 ちなみに同じような看板は3枚ほど見ている。 |
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また、道のすぐ脇に、このような物も発見しました。 拡大図
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右の写真は道の駅→ 『マリーンアイランド岡島』です。 道の駅もいろんな形をした物があります。 下の2枚はどこだったか忘れましたが、 これも道の駅の物です。↓ ちなみに、この車両、簡易宿泊施設で 中に泊まる事もできます。
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右の写真は、あるお土産屋さんの (従業員)食堂列車のようです。 廃止になった車両はあちこちで使わ れているようですね。 前に北海道へ来た時は、何処だっ たかは忘れたがF104が飾られてい ましたから。 |
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さて道の駅に寄りながら網走方面へ走り、サロマ湖近くにあった 『かみゆうべつ温泉チューリップの湯』と言う温泉設備を有した道の駅まで行きました。 |
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