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       隣 人 5




 もうすっかり見慣れた、殺風景な701号室。ふと部屋を見渡して今更ながらに気付いた。
「君んとこ、電話も引いてへんのか?」
「携帯があれば、別に要らないだろう」
「そんなもんか?」
「そんなもんだ」
 まぁ確かに。新しく一人暮らしを始める大学生などは、ほんの数年のために高い加入権を払うくらいならと、携帯のみですませることも多いと聞く。仮住まいであることが明白なこの部屋には、それで充分なのだろう。
 火村の生活の本拠は、あくまでも京都にあるということだ。

「はいこれ」
「何だ?」
「俺の電話番号な」
「携帯? ほとんど自分の部屋にいるのに? お前こそ、電話引いてねえのか?」
「電話くらいあるわっ! あるけどな、ついつい仕事の電話かと思ってドキッとするんや。締め切り前は線ごと引っこ抜いてることもあるし……」
「日頃の行いが知れるな。そういう時は、携帯の電源も切ってあるんだろ?」
「……のときもある」
「……歩いて行った方が手っ取り早いな」
 用があれば、来てくれる気があるのだろうか?
 私が部屋に戻ったあと、火村が私に用事を思い出したとしたら。
 ひょいと玄関を出て3歩も歩けば済む話なのだけれども。もしも、もしも私の部屋に来たくない理由があるとするなら。

 呼んで。
 呼んでくれたら、すぐに来るから。なんなら壁を叩いてくれたっていい。
 火村の携帯に確かに登録されているはずの、私の番号。それを知らないと言うなら、もう1度教えてやる。火村が私を呼ぶ手段。今度は忘れるんやないで?

 そして。火村は、自分の携帯の番号を私に教えてくれた。
 火村の携帯電話。既によく知っている、火村の下宿と研究室の次に、とっくの昔に登録済みの―――





 翌日、久しぶりに火村から電話が掛かってきた。大学からだ。携帯でなく、私の部屋の電話に。
 昼間の、私の好きな、10年来の親友の火村だ。
「なんや、えらい久しぶりやなぁ」
 思わず言ってしまっていた。
『なんだ? いやに実感こもってるな。さては締め切りでまた俗世間から切り離されてたな?』
「『また』は余計やっ!」
 そうかもしれないと思った。
 さほど切羽詰った締め切りは抱えていなかったが、作家にあるまじく世間の話題にもなんら興味が持てないほど、私は隣の火村のことでいっぱいだった。ちょうどナイターと重なるような時間帯に、テレビもラジオもない隣の部屋に入り浸っているため、我らが阪神の勝敗すら翌朝の新聞を見るまで知らない有様で。

『最近どうだ? 変わりねえか?』
 火村の質問は久しぶりに話す友人に掛ける言葉で、とうてい毎晩会っている人間に対するものではない。
「うーん。変わり、あるといえばある、かな……」
『何だ? もったいぶるなよ。教えろ』
 何を言えというのか。君が記憶喪失になって困ってるとでも?
「んー、隣に引越してきたヤツやねんけどな」
『うん?』
「……変なヤツやねん」
 新しい隣人が越してきたことは、この前大学に行った時にちらりと話してあった。火村のリアクションが『ふーん』だけで終わったから、それ以上のことは話していない。話せなかった。
『なんだよ、変な奴って。何かされたのか?』
「君、知らんか?」
『知るわけねえだろうが! いいか、変な奴なら関わり合いになったりすんなよ。いいな?』
「もう遅いわ……」
『おいアリス! 何があった? 言え!』
 しまったー。マズイ。言い方を間違ったか?
「いや別に、何もないんやけど……」
『で、どんな奴だって?』
 言ってしまおうか。言うなら今しかない。

「……君に似てる」
「そっくりや」
「京都の大学のセンセイで」
「同い年で」
「わざわざ京都から大阪に引っ越して来た阿呆で」
「頭ええくせに大ボケで」
「友達もおらんなんて言いよるし」
「放っとけない……」


『なんだよそれ…… ずいぶん、気にしてんじゃねえか』
 気にするに決まっている。
 気になって気になって、仕事も手につかないくらいだ。……いや、仕事はそれなりにやってるつもりだけれども。毎晩同じような時間に隣ヘ行っているので、その後帰ってからの数時間を執筆に充てるという、いつになく規則正しいリズムが出来上がりつつあるくらいだ。
『誰と親しくなろうとお前の勝手だけどな、俺に似てて放っとけないってのはどういう意味だよ』
「え……」
『放っとけないって、お前はそいつに何してやってんだよ!』
 あうー、怒らせたか?
「何て、別に……」
『週末あたり、久しぶりに飲みに誘おうかと思ったんだが、止めた。行くから、待ってろ』
「は? 行くて、ウチにか? これから?」
『新しい隣人とやらの顔を拝んでやる』
「な、おい、火村……」
『紹介しろ。いいな!』

 ―――切れた。

「それは、無理やろう……?」
 一体、どうしろと言うのか。
 切れた受話器を見詰めて、暫し途方に暮れる私だった。
 


H13.6.11


書き溜めていたメモを組み立ててそのままアップするつもりが、手を入れているうちに2人とも暴走……(爆)
どーすんだ。次の話用にストックしてあるネタと続かないぞ。新しく書かなきゃ。うわー。そんな時間ないのに〜
火村、別人っすね……