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        隣 人 15





「悪かったな」
 ポツリと、火村の声が落ちる。
「俺はお前が欲しかった。でも逃げ道も確保しておきたかった。どうしても失いたくなかった……」
 あいかわらず表情を見せないまま、火村の自供が始まった。

「拒絶される心配はないだろうとは思ってたんだが…… 万が一ってこともあるからな」
 私の頭を抱え込んだままの手は、そのままゆっくりと髪を梳いていく。耳の上を滑り、項へと辿る指がこそばゆくて首を竦める。
 でも、どうしよう。嬉しい。
 態度も、言葉も、私が欲しくてたまらなかったものばかりで。
 怒っていたはずなのに。そんなふうにされたら、もう怒りを持続させることなど不可能だ。
「このまま親友でいるのも悪くなかったが、それも上手くいかなくなってきてただろう?」
 ……ああ、そのとおりだ。
 一緒にいる楽しさの中に、辛さが混じるようになったのは、いったい何時の頃からだったろう? 最近はもう、平気な顔で馬鹿話をするのもしんどくて。
「お前はだんだん笑わなくなるし」
 確かに。こうなる前の私は、もう限界に近かった。
 触れれば溢れそうなくらいに火村でいっぱいになっているにも関わらず、それを隠そうととして必死になって。会えばバレそうで会わなければ辛くて。普通に話している間にもふと泣きたくなったりして、情緒不安定も甚だしかった。
 自分が精一杯で、火村の想いにまで思いを巡らす余裕なんてなかった。

「触れなば落ちん、って風情を見せながら、いつまで経っても落ちてきやがらねぇ。待ちくたびれたんだよ」
「む゛ーー。触れられもせんのに落ちれるか。そこまで判ってんねやったら、もぎ取ってくれたらよかったやないか」
「臆病だったのはお前だけじゃねぇよ」
「……似合わんで」
 余裕ぶって軽口を叩いてみたものの、この新しい関係が確定したのかどうか今一つ自信が持てなくて、心臓がドキドキと音を刻む。
「今すぐ手を打たねえと、友人としてのお前まで失ってしまうと思った」
「ひむら……」
「失えないのは、お前よりも俺の方なんだよ」
 こんな猿芝居を打つほど。切羽詰っていたのは、君の方だと?



「お前がいなくても、俺はたぶん今の仕事を続けられる。だがな、そんな寒々しい未来はゴメンだ」
「今までだってそうだ。俺からお前の記憶を抜いたら、今の俺とは違う人間が出来上がるはずだ」
「お前に出会わなかった俺が、人並みに温かい人生を歩いてこられたはずがないんだ」
「今の職には就いていたかもしれないが、却って、身近に溢れかえる誘惑に抗しきれる自信はない」
「数年も経たないうちに研究される対象の側に回ってしまっても、きっと意外には思われないだろうな……」

 火村の言葉が続く。
 私が必要だと。私が火村を欲しがるように、火村にも私が必要だと言ってくれている。
 一緒にいたいという私のワガママは、君のためにもなれるの?

 彼のシャツに吸い込まれて行くのは、先程とは全然違う涙。
 気づいた火村が顔を上げさせたがったが、今度は私が抵抗する。情けない顔を見られたくないのは、私も同じだ。
 結果的にはさっきから変わらぬ体勢なのだが、今度は自分からぎゅうぎゅうと顔を押し付けながら、私は永遠に続くはずだった片想いとの別れをかみしめていた。名残惜しいわけではないが、いちばん大切な想いだったから。

 もう、隠す必要はないんやって。
 今までずっと閉じ込めてて、ゴメンな―――
 



H13.11.13


お、終わらない……(><)