野望へ


         17 巻




125話 うるせえ


 襟首を掴んで引き起こすにも碌に力を必要としない、頼りない細っこい身体。
 左手で支える体勢に変えても、ぐったりと無抵抗なくせにまだ軽いヒヨコみてぇな頭。
 手の中でかろうじて繰り返される、浅く不規則な呼吸。
 いつもヘラヘラと余裕ぶってるこいつが、初めて見せる苦しそうな顔。

 今にもこいつが死んじまいそうだってのに、ゴチャゴチャうるせぇんだよ。
 水がどうだの、血がどうだの、方法はなんだっていいんだよ。
 何をすりゃいい。俺に何ができる。
 早く言え。何でも言え。早ぇとこなんとかしろ!



 吸血鬼 ─── 人の血を吸う化け物、ってことで合ってるか?
 昨日戦った野郎の人間離れした動き。あれは、本当に人間じゃなかったってことか。
 吸血鬼の、血……
 それを受ければ、こいつは死なねぇ。だが、同じ吸血鬼とやらになっちまう。

 だから、俺の血を一緒に与えろと。他人の血を吸わねぇようにするため。
 俺の血だけを飲んで生きるように。俺に、こいつの餌になれと───

 片手で支えるだけじゃ心許なくて、右の手も添える。
 しっかり掴まえとかねぇと、するりと逃げられちまいそうな気がして。
 水から出て暫く経つってのに、まだ生きてやがるくせに、この冷たさは何だ。
 ただでさえ普段から体温の低い身体は、もう自分を温める力もねぇってのか。

 ……迷うまでもねぇ。
 これ以上体温が下がっちまう前に。呼吸が止まっちまわねぇうちに。早く。
 後でガタガタ抜かすかもしれねぇが、知ったことか。他の人間を襲っちまうより何倍もマシだろう。
 こいつが、俺の命で生きる。俺が死ねばこいつも死ぬ。……上等だ。
 俺は死なねぇ。こいつも死なせねぇ。望むところだ。



 ようやく話が纏まりかけてるっつーのに、当の本人から横槍が入る。
「うるせえ!」
 うっせえ黙れ! 今忙しいんだ、ゴチャゴチャ言うな! 
 そんなに死にたきゃ後でいくらでも殺してやるから、だから今は大人しく言うことを聞け!
 手遅れになっちまうだろーが!!

 生きろ。俺がいいっつーまで生きろ。
 死にたいなんて我が儘、そんな簡単に叶えさせてやれるか。
 そんな勝手に死なれてたまるか。死なせるために守ったんじゃねぇぞ。
 俺は、守ると決めたものを奪おうとする奴には容赦しねぇ。
 それが例え、当の本人だったとしてもだ。よっく覚えとけ。




2話の小狼の真似して、「コイツは絶対ェ死なせねぇ!」とか試しに言わせてみたら、うは、やっぱダメだー!(笑) 
こっ恥ずかしすぎるー。どーやっても笑うトコロになってしまって、没。
日本国で吸血鬼は一般的でない気がしますが、でも魔物はいるんだよね。それっぽいのもいるのかな?
19.4.6




125話 殺してやる


 オレの頭の上で、オレの命が遣り取りされている。
 重すぎると言われたり、水とか、血とか、代わりがどうとか……
 あんまり詳しくは解らなかったけど、この黒みーの声だけはよく聞こえた。
「……対価は俺が払う。だから……」

 なに、何をするの?
 だめだよ、くろたん。
 オレ、の魔力、……消さなきゃ。
 しゃおらんくん、が……
「うるせえ!」

 ……すごい声。掴まえててくれる腕にも力がこもった。
 ビックリして、もう開かないと思ってた目が開いちゃって、君の恐い顔が見えた。
 やっぱり、すごく怒ってた。
「そんなに死にたきゃ、俺が殺してやる。だから、それまで生きてろ」



 ─── 最期に、すごいいいこと聞いちゃった。
 どうして君は、オレを嬉しがらせることばっかり言っちゃうのかな。そんなの、反則だよぅー。
 殺してくれるって、それ、ホント……?

 それが本当なら。
 オレ、もう置いて行かれなくていいの? オレが死ぬときは黒たんが傍にいてくれるの?
 ずっと一緒にいても、最後に君を見送らなくていいの?

 今オレは君の腕に支えられてて、今こそ死ぬには最高に幸せな状況なのに。
 なのにそんな嬉しいことを言ってもらったら……!
 一緒にいてもサヨナラしなくていいなら。最期にそんな幸せな死に方ができるのなら。
 それまでは、まだ生きていたくなっちゃうじゃない……

 ……ホントに、君には敵わないよ。
 いつも君は真っ直ぐで、照れ屋さんのクセに堂々としてて、眩しくてオレには手が届かない。
 いつもオレを見てて、オレを揺さぶる言葉をくれる。
 オレには難しいことばっかりで、応えられなくて苦しかったけど、本当は震えるほど嬉しかった。
 オレはずっとそんな言葉が欲しかった。きっと喉から手が出るほどに飢えてた。
 構わないでと思いながら、本当はいつだって気に掛けていて欲しかったんだ。



 でもたぶん、オレは今ここで死ぬのがいちばん幸せ。わかってる。
 だってここで生き延びられるってことは、君に何かを犠牲にさせてしまったってことだもの。
 オレのせいで、もう誰も不幸にしたくない。オレのために、いちばん大切な君を不幸にしたくない。
 生き延びてしまったらきっと後悔する。絶対後悔する。もう目に見えてる。でも───

 ごめん小狼君……! オレ、もう抵抗できない。
 黒たんがあんまり嬉しいことを言ってくれるから、もう抵抗できない。
 もう逆らえない。もうどうしていいのかわからない。もう全て君の言うとおりでいい。
 意識がある今なら、残った魔力でこの場所から逃げ出すことも可能だとおもうけど……
 抗えないほど弱った振りをして本当は、黒たんが望むとおりにしてあげたくなったんだ。

 ……ううん、そうじゃない。それはオレの望みだよね?
 ごめん。オレの方が、何もかもを黒たんに委ねてしまいたくなっただけ。
 ただオレが、この腕の中から抜け出したくないだけなんだ……



ぉお? この一瞬だけ、気のせいか両想いのような気がする(笑)
こんなに悠長に考えてる暇はないと思うので、あの一瞬にこんなようなことが胸に去来した、つー程度で。

19.4.11




125話 滴 


 残された右目が呆然と見開かれ、観念したかのようにまた閉じる。
 諦めたのか呆れてんのか、嘘笑いの顔を作るときのように僅かに引き締められた口元。
 コラ、口は開けとけ。
 顎に手を掛け、軽く引いて僅かに口を開かせる。
 悪ィな。甘ったりぃ菓子なんかを好んでいたおまえの口には、合わねぇだろうとは思うがな。



 こいつを死なせない。
 ……それしか考えてないと言ったら嘘になる。
 俺がこいつの『餌』とやらになって、俺の血しか受け付けなくなれば、こいつは嫌でも俺といることになる。
 こいつの命を俺が握ることになる。
 小僧にもあの人とやらにも誰にもやらねぇ。俺だけのものになるんだ。

 こいつが生きるか死ぬかって場合だってのに……
 こいつが俺から離れて行かないこと。死ぬまで隣にいること。
 この旅が終わっても、いつまでもずっとこいつを繋ぎ止めて置けること。
 そのことに昏い悦びを感じてなかったと言ったら、嘘になるんだろうなやっぱり……



 水を願ったのは2人組の穏やかそうな方のはずだったが、なぜか昨日の奴の方が供給元になっていた。
「腕を出せ」
 このガキの言いなりになるのも癪だが、この際しょうがねぇ。
 緊急時だからしょうがねぇが、……陰険がうつったりしねぇだろうな?

 長く尖った爪が俺の右手首を傷つけ、その上に吸血鬼とやらの血が流れ落ちる。
 俺の血と混ざり、魔術師の口へと滴り落ちる。
 死ぬな。
 唇を紅く染め、喉元まで零しながらも、何滴かは口の中に流れ込んだはずだ。
 生きろ。
 コクリと白い喉が小さく上下し、どこか機械的な感じで閉じていた右目が開く。
 気のせいか、色が変わったように見える。焦点は合わない。そして───



この非常時に幸せな老後を思い描いてんじゃねぇ! シリアス過ぎて苦しんだ割に、できたのはギャグと紙一重……
ときに、黒鋼の傷の上に吸血鬼の血を垂らしても、大丈夫なものなんですかアレ。
ファイより先に黒鋼が吸血鬼化してしまいそうな(笑) 飲むより危険な感じがするんですが。あと、うっかり舐めたら大変。

19.4.17




125−126 血


 血の、味がした。
 これが、吸血鬼のあの子と、君の。
 甘いとか苦いとか、そんなんじゃなくて。
 熱くて。激しくて。躯に響き渡る味がした。
 身体全体を駆け巡って、内側から突き破りそうな味がした。

 それから。あとは。



 からだ、が、跳ねて。
 息が、できなくて。
 熱く、て。
 痛、くて……

 声も、出なくて、
 痛、
 そこにあったモノにしがみ付いて
 黒、た、
 息、が
 君の、手
 助、け…!

 手にしたそのモノを、命綱のように力任せに握り締める。加減なんかできない。
 これ、は、縋ってもいいもの。これだけが、オレを救ってくれる。
 包んでくれる大きなもの。
 守ってくれる強いもの。
 いつも傍にあるだいじなもの。
 頼ってもだいじょうぶなもの。
 うけとめてくれるもの。
 くろ……



 今までずっと冷たかったオレの身体を、信じられないくらいの熱が通り過ぎて、全てを造り替えていった。
 そして─── 
 ようやく。大きく息が吸えるようになって、荒れ狂う痛みが遠のいて行くのに気付く。
 指が食い込むほどにガッチリとしがみ付いていた腕から力が抜けて、そのモノの上をずるずると滑り落ちた。
 汗がボタボタ滴り落ちる顔を上げれば、至近距離で痛いほどに視線を絡めてくる、赤。
 あぁ… やっぱり、あの『モノ』は黒たんだったね───
 
 君達と一緒に旅してきた『ファイ』はいなくなった。
 オレはもう人間じゃない。ここにいるのは、君の命を啜って生きる吸血鬼だ。
 オレはもう君の知ってるファイじゃない。君を餌にしなきゃならない化け物だ。
 それなのに。

 ……変わってしまったオレを、君はどうして変わらない目で見るの。
 全て変わってしまったはずなのに、どうしてオレは、生きてまた君に会えて嬉しいの。
 生まれ変わったはずなのに、まだオレはこんなにも君のことが───
 どうして……



私の手に掛かると、笑っちゃうほど文に緊迫感というものが出ません(泣)
ここのファイ視点の黒鋼が超カッコいい。たとえ心まで生まれ変わったとしても、ここでまた一目惚れすると思うんだ。
19.4.24





126話 再生


 魔術師の身体が跳ね、ビクビクと痙攣を始める。
 毒を飲ませてしまったかと思うような、激烈な反応だった。
 おい魔女! これで、本当に大丈夫なんだろうな !?

 神威とやらの言葉で、これが正常な反応らしいというのは判ったが。聞いてねぇぞ、こんなになるなんてのは。
 最も、聞いていたところで命と引き換えにはできるはずもねぇが、死に掛けてる人間に耐えられんのか。
 取り敢えず姫を傷つけねぇように遠ざけさせ、暴れる背中を押さえ込む。こんなに力が強かったかと思うほどに、取り押さえるのに渾身の力を要した。
 背中、肩、腕─── チクショウ、一番楽にしてやるにはどこを掴んでてやりゃいいんだ。
 引き攣る呼吸。絶叫の形に開かれる口と、そこから迸ることもなく飲み込まれる叫び。
 ……泣くなり叫ぶなりすりゃ、ちっとでも紛れるんじゃねぇかと思うのにな。
 ただ目の前にある物に爪を立てて苦痛をやり過ごそうとするこいつの指が、皮膚を破るほどに俺の腕に喰い込む。
 構わねぇ。少しでも楽になるなら何でもすればいい。おまえを無理に生かそうとしているのは俺だからな。



 命を長らえて治癒能力が上がっても、それ以前に失った左目は戻らない。
「少し人間より丈夫で、少し老化速度が遅いだけ」 ときたか。しかも───
 魔女め。サラリと言いやがったな。
「貴方の何倍も生きてる」 だぁ? これでか。
 ただ者じゃねぇんだろうとは思ってたが、……若ェうちに仙人になったみてぇなモンか?

 左目が戻れば血を必要としなくなる。
 先にそれを言わなかったのは、俺の覚悟を試すためか。
 左目を取り戻せば、元の身体に戻る。 ─── そうか。一生縛っておけるかと思ったんだがな。



 ようやく、痛みが消えたか。
 腕がずり落ち、自分の意思で動かせるようになったらしい身体が、取り戻した呼吸を貪る。
 普段生っ白い顔がいつになく紅潮し、噴き出した汗が伝う。
 解けた包帯を纏わりつかせたまま、伏せられていた顔が僅かに上向いた。
 まだ虚ろにフラフラとさまよう視線を、覗き込んで正面から捕らえる。

 あぁ、その目の色…… やっぱり気のせいじゃなかったな。
 視線が絡んでも何も言ってやれずにいるうち、既に限界にきていた奴はそのまま倒れ込んだ。
 さっきまでの痛みや出血による失神とは違い、今度のは身体が欲する回復のための眠り。
 疲れ切った様子ではあるが、呼吸は穏やかで、眠りは深そうだ。

 目を覚ましたら、こいつは何と言うだろうな。
 拒絶を無視して強引にコトを進めちまった俺に、腹を立てるだろうか。
 そういや、いつも俺が怒るばかりで、こいつが怒ったところは見たことがねぇような気がする。
 ……だが今度ばかりは、そうは行かねぇかもな。

 なぁおい、血が要るのは、目を取り戻すまでの期間限定だとよ。
 だったら…… いいだろ。さっさと取り戻しゃ済む話だ。
 じゃあまずは、暴走したあのクソガキをとっ捕まえて元に戻さねぇとな。
 あの小僧もてめぇの目も、必ず取り戻す。
 俺の血なんざ飲みたかねぇだろうが、その間くらいおとなしく我慢しとけ。




背中を押さえたり肩を抱いたり、忙しなく移動する黒鋼の左手に萌えてます。あと黒鋼しか見えてないファイー!
黒モコが入んなかった。うちの黒鋼は(てか私が)、ファイのことだけで手一杯だそうです(笑)

19.5.1





126話 眼帯


 汗で額や頬に張り付いた髪を掻き分け、纏わり付く包帯を外す。
 無残に紅く染まり続けていたその場所はきれいに乾き、だが瞼の下にあるべきものがない。
 2代目小僧が寄越した眼帯でその窪みをを覆い隠してやると、そこ以外は今までの修羅場が嘘のように、普段どおりの姿に戻った。
 ……これで吸血鬼だとか年寄りだとか言われてもな。
 寧ろガキ臭ェと言いたいほどの顔つき。不自然だった赤みを早くも失いつつある白い肌。
 これからはこの眼帯付きの顔が、魔術師の普段の顔になるのか。
 最後にあの蒼が、緊張感なくへにゃりと笑うのを見たのはいつだった? 
 確か昨日も見たはずだが、遙か昔のことみてぇな気がするな。

「笑っているからといって、その子が納得したとは限らないわ」
「…分かってる」
 わかってる。解ってるさ!
 こいつはずっとそうだったんだ。へにゃへにゃの仮面の下でワケ解んねぇことばっか考えやがって、そのくせ肝心なことは何ひとつ明かそうとはしなかった。
 魔力を使おうとしない理由も、、あの人とやらの話も。
 俺がどんなに苛立とうとも、自分からは積極的に生きようとしなくて。
 ただ死なない程度に。ガキ共にはバレねぇよう、適度に楽しそうに。
 ふん。そんな奴が納得しようがしまいが、そんなもんは二の次なんだよ。嫌がろうがなんだろうが、血だけは飲ませる。力ずくでもな。



 こんなことになるなら、留守番なんか引き受けてる場合じゃなかったな。
 お願いなんか、聞いてやらなきゃよかったぜ。
 こんなになるとわかっていたら、絶対にこいつを小僧と一緒に行かせたりはしなかったのに。

 よぉ、おまえは知ってたんだろ。
 こうなることを予測して、だからあんなこと言い出したんだろ。
 馬鹿野郎が。もう2度と、てめぇの『お願い』なんぞ聞いてやらねぇからな。
 苦情は受け付けねぇぞ。……自業自得だ。



 さて、約束だ。お次は地下の水を元通りにしねぇとな。
 水は魔女がなんとかするとして、代わりに何を要求してくる気だ。
 俺には払いきれなかったこいつの命─── その代わりってんなら、どんな物を要求されても文句は言えねぇか。
 まぁいい。さっさと終わらせて、その後は洗いざらい説明してもらうぞ。

 深い眠りに入っている魔術師は、縦にして持ち上げても目覚める気配がない。
 軽い。ただでさえ細っこいのに、流れ出た血の分だけ更に軽くなった躯。
 だが吸血鬼の血で人より丈夫になったってんなら、ちっとくらい持ち歩いても平気だろう。
 俺はもう、こいつから目を離さねぇと決めた。
 小僧も、姫も。バラバラに行動すると碌なことがねぇ。極力一緒にいた方がいい。
 一緒にいれば守ってやれる。
 ちっと目を離した隙に大事なモンが擦り抜けちまうのは、もうたくさんだからな。



『俺の物』みたいな態度で、当然のごとくファイを持ち歩く黒鋼がたまらんです。照れ屋さんはどこ行った。
ファイが目覚めるまで抱っこしてて欲しかった…… 起きると同時にツン期に入るからね。

19.5.8




126−128話 オトコマエ


 水を確保するため地下に戻る途中、再びタワーとかいう所の連中が来た。
 その手に姫の羽根を持って。
 2つの勢力の間で、勝手に羽根が取引の材料にされているのを白まんじゅうが阻止しようとしたが、それは目覚めた姫によって却下された。
 姫自身の意思で。羽根は、この国に残すと。
 ここにいる全ての人間の命が掛かっているから、そう言い出しても不思議じゃねぇんだが……
 ありゃ同情や優しさからって顔じゃねぇな。小僧がいなくなって、ヤケになってねぇか?

 姫は小僧を失った。それに比べりゃ記憶の1つや2つ、どうでもいいって感じか。
 おそらく羽根が戻るたび、姫は小僧について何か思い出さねぇかと密かに期待していたはずだ。
 だが小僧がいなくなった今となっては、記憶だけが戻ったりしたら逆に辛いだけだからな。
 猫の目で、レース会場で、小僧と共にあることで徐々に取り戻したもの。魔術師が我が事のように喜んで見守ってた笑顔が、今は跡形もねぇ。



 ……気の毒にな。
 左腕に掛かる重み。俺の失えない荷物は今もこの腕の中にある。
 だが姫は一番大切なものを失った。それでこれだけ気丈に振舞えるとは大したもんだ。
 無理してんのは丸わかりだし、いつまでもつか危ういところではあるが、それでも立派なもんだ。
 俺がこいつを失ってたとしたら、これほど冷静でいられたかどうかわかんねぇぞ。

 まぁ、小僧の奴は死んだワケじゃねぇんだ。ここにいねぇだけで、相変わらず姫の羽根を追い続けるらしいしな。
 だったら、一緒だ。目的は変わるかもしれねぇが、俺達も羽根を探すのは今までと変わらねぇ。
 探す物が一緒なら、そのうち会うこともあるだろう。
 生きてさえいれば、そのうち元に戻す術が見つかるかもしれねぇしな。



 水を満たした後、吸血鬼共がタワーの羽根を持った奴と諍いを起こした。
 それは俺らには関係ねぇ話だったが…… その野郎の口から、忘れようにも忘れられねぇ胸クソ悪い名前を聞いた。
 ───星史郎、だぁ?
 あいつの弟。桜都国でヘラいのを殺した野郎の弟だと?
 あそこで俺は、こいつを1度失った。また、喰われちまったかと思った。
 あん時の怒りと後悔はもう思い出したくもねぇ。あんな喪失感は二度と御免だ。
 星史郎、か…… あいつが持ってやがった羽根も、今度会った時には回収しねぇとな。
 前回は魔女に邪魔されたが、次は絶対ェ決着付けてやる。

 そういやあの後、何だかうやむやになっちまってたが小僧もあいつに殺られてたんだったな。
 あん時も姫は眠ってて騒ぎは知らなかっただろうが、もしも起きていたとしたら今みてぇに強くいられただろうか。
 あの頃はまだ、ふわふわ頼りねぇ優しいばかりの印象だったが─── 立派になったもんだ。
 庇護してやらなきゃならねぇ対象だとばかり思っていたが、子供ってのはいつの間にか成長するもんだな。

「……ファイさんをお願いします」
 迷いのない姫の言葉。
 どうも姫って人種は、言い出したら聞かねぇってのが基本らしいな。小僧を失うことによって彼女なりに何事かを決意し、覚悟を決めたらしい。
 いい目だ。必ずやり遂げるという意思を感じる。だから止めやしねぇが…… 
 信じて、いいな? 必ず帰ってこれるな?
 どっかの馬鹿野郎みてぇに、『自分を犠牲に』なんてくだらねぇことは考えたりしねぇな?
 それが約束できるなら……
 ───行って来い。俺達はここにいる。おまえが帰って来るまでな。
 白まんじゅうやこの馬鹿を悲しませたくなかったら、無事に帰って来るんだぞ。
 あの小僧とは違うが、ここにいる新入りの小僧だって同じく姫を心配しているんだ。
 待ってる人間がいるってこと、忘れるんじゃねぇぞ。いいな。




書きたかったのは『星史郎』って名前に反応する黒鋼、だったはずなんだけど…… 完璧サクラ様に食われました。
男前はわかったからさー。無事じゃ済まないと予測されているのに、その露出度は何なんですかサクラ様。

しかしファイがいないと、黒鋼に無理にでも怪我の手当てを受けさせようとする人がいません(笑)
そこでピッフル回想を入れたかったけど、収集がつかなくなりそうでボツりました。

19.5.16








野望へ