133話 おそろい
姫からまんじゅう共の口を経由して魔女に渡った、淡く不思議な光を放つ白い卵。
血の提供と引き換えに吸血鬼の願いを引き取った、あれが水の対価。
姫がその命を懸けて持ち帰った、ここの全ての住人の命を繋ぐ水。
俺が姫を行かせたのは、姫自身が言い出したら聞かねぇってのもあるが、魔女が黙って見てたからってことが大きい。
魔女が要求する水の対価が、姫の命と引き換えってことはねぇだろうと。
もし失敗したら、ここの連中も干からびる。そうなったらこっちの対価が大き過ぎるだろ。
姫は命懸けだったろうが、無事に生還することは魔女には予め判っていたはずだ。
そのために、どの程度の傷を負ってしまうのかも? その困難の度合いが対価の大きさを決める。
……魔女め。えげつねぇにも程があるだろう。
それに─── 今の話からすれば、姫の命がなければ、この旅も意味を失う。
いや、その方が悪事を阻止しようという魔女の思惑には副うんだろうが、それなら初めから俺らを同行させなきゃいいだけの話だ。
魔女の野郎は、あくまでも『俺達』に何かをさせようとしている。
ここで嘘はねぇだろうとは思うが、魔術師よりも胡散臭い、魔女の言うことを鵜呑みにしてもいいものか迷う。
あまりにも重大で、旅の根幹に関わる事実。
飛王・リード。それが、姫の記憶を奪った張本人。
そして、あの蝙蝠野郎の名前でもあると───
そもそもの初めから、俺たちはそいつに踊らされていた?
「黒鋼の母上を殺め、国を滅ぼした」
母上を刺しただけでなく、あの魔物らもそいつの仕業だと?
父上の、家臣たちの、領民全ての命を喰らい尽くした魔物。全てはこの旅のためだったってのか。
そんなテメェ勝手な都合で、そんなくだらねぇことのために諏倭を滅ぼしたってか!
───ふざけんな。
俺1人手駒にするために、そんな回りくどい事しやがったのか。
俺が知世に仕えたのも、強さを求めたことも、全てそいつの思う壺だったってのか。
そして───
「仕組まれた事とそうでない事。貴方はもう分かっているでしょう」
こいつもか。こいつも蝙蝠野郎に過去を狂わされているのか。
眼帯のせいでこちらからは表情が読めねぇが、僅かに俯き、その当時に心を飛ばしているように見える。
飛王とやら、こいつには何しやがった。何を奪った。どんな酷ぇことしやがったんだ。
湖のある国で「忘れようとしたって忘れられない」って言ってた、『辛いこと』ってのがそれか。
そのせいで、こいつはこんな面倒くせぇ性格に育っちまったんじゃねぇのか?
あんなにヘタクソな『笑顔』しか作れねぇのは、そいつのせいなのか?
畜生。過去は関係ねぇと言ったのは俺だが、それが今もなおこいつを苦しめているなら───
と、そこへ、自らも傷ついた姫の手がそっと伸ばされる。
当時の記憶を彷徨っていたらしい魔術師はふと意識を戻し、姫の手をぎゅっと握り返した。
どうせまた、例の『心配要らない』とでも言うような表情を浮かべているんだろう。
心配…… されたっていいだろ。
どうせ俺から心配なんてされたくねぇんだろうが、姫からの心配くらい受け取っておけ。
俺の何倍も生きてるって言ってたな。
怒りもせず、泣きもせず、どれほど長い間おまえはそうやって生きてきたのかと。
おまえを救ってくれた者はいたのか。それが、あの『水底で眠ってる』とかいう奴なのか。
ちゃんと笑えるようにしてくれる奴はいなかったのか。泣かせてくれる奴は。
……クソ。いなかったなら不憫だし、いたらいたで面白くねぇような気がする。我ながらどうしようもねぇな。
俺の過去はサラリとバラしやがった魔女が何も言わねぇってことは、俺が知るべきじゃねぇことだからか。
ふん。こいつの過去がどうだろうと、俺には関係ねぇがな。
同じ野郎に、同じ目的のために過去を奪われ、同じ立場で今ここにいる。
それが判っただけで充分だ。
おそろいだってことにウキウキ盛り上がる黒鋼君(笑) あまり喜ばせると後で気の毒ですが…… 頑張れワカゾー。
写身も魔物も変な兵士も他次元に送り放題のアゴおやじは、既に何でも操れそうだけどなー。
(不治の病と老衰以外? でもそれはサクラ様でもどーしょーもないよね)
19.8.6
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134話 選択
それがおまえの選択か。
「我が唯一の姫君」
俺が知世姫に忠誠を誓ったように、おまえはサクラ姫の下に就く気か。
本気か?
そこは小僧の位置だと思い込んでいたから、生じる違和感に戸惑う。
いいのか。おまえはあの人とやらに忠誠を誓ってたんじゃねぇのか。
逃げてきた、追いつかれるかもしれねぇってあんなに懼れていた、おまえの国の奴に。
保護者から臣下に。おまえは自ら姫の従者たることを望んだ。
一生? それとも、それほど深い意味はないのか?
……気に入らねぇ。
旅を続けるのに、姫の許しなんざ得る必要はねぇ。
なぜ今までと同じじゃいけない。小僧がいなくなったのはおまえの所為じゃないだろ。
まるで左目と一緒に、同行して姫を守る力や権利まで失ったみてぇな言い草だ。
小僧を捜すのには役に立つから、だからお情けで置いてくれと言ってるように聞こえるぞ。
姫が傷ついたのも、怪我を治せねぇのもおまえの所為じゃない。
なぜ目を伏せる。そんな態度を取らなきゃならねぇ理由がどこにある。何をそんなに卑屈になる必要があるんだ。
変わらねぇものと変わったものがある。
俺はいつか日本国へ帰る。知世に仕えるため、あいつを守るためだ。
それ以外に大事だと思うものを、諏倭を失って以来俺は持たなかった。
だが今、俺には他に大切なものができた。守るべきものが増えた。
「我が唯一の」 か…… 悪ィな。俺は両方守る。知世姫も、てめぇらも、どちらも手放す気はねぇ。
過去に自分の手で守れなかった分、今手にしているものは絶対に守る。
そのために最強を目指して来たんだ。大切なものを守る為に、更に上を目指す。それだけだ。
旅のために集められたこの面子。姫を守り、姫が安全に次元を 『記憶』できるように。
魔女んちの庭先で顔を合わせたのは、たまたまなんかじゃなかった。
全ては必然だと、最初っから魔女はそう言ってやがったっけな。
知世もそれを知ってたというなら、阻止しようと思えば俺を送り出さなきゃ済む話だ。
魔女らがそれを止めかったのは、そうならない可能性もあるからだろう。
俺たちが一緒にいても、そいつの思惑どおりにならずに済む道が。だったらその道を進むしかねぇだろ。
絶対に裏をかいて、いつかこの手で討ち取ってやる。
俺たちはそいつのせいで多くを失った。
だが魔女の言うとおり、仕組まれたっていう旅の道中で得難い経験をしてきたことも事実だ。
当初は最悪だと思ったが、振り返ってみればこの旅はそう悪くなかった。
たとえそいつの思惑に踊らされていたとしても、いい連中と出逢えたと思う。
今更、知り合う前には戻れねぇんだ。最後まで付き合わねぇと気持ち悪ィだろうが。
姫は守る。羽根がありゃ回収して、国に辿り着くまで無事に送り届けてやる。
小僧は取り戻す。姫は奴の心を取り戻すと言うし、魔術師の左目と魔力も取り戻さねえと。
蝙蝠野郎は討つ。母上だけじゃねぇ、諏倭の民全員の仇。加えて、魔術師の過去の誰かの仇だ。
そして魔術師には───
そんなに過去が気になるなら、精算できるまで付き合ってやる。
見ててやるから、ちゃんと笑えるように何もかも片を付けりゃいい。
飯もやらなきゃならねぇし、身体も元に戻してやらなきゃならねぇ。
俺の血を必要とするのが期限付きなら、それまでに魔術師の分厚い殻も破っておく必要がある。
血を必要としなくなっても俺自身を必要とするよう、繋ぎ止めとかなきゃならねぇ。
姫よりも国のヤツよりも俺を選ぶように、その身に叩き込んでおかねぇと。
日本国に帰るまで、大忙しだなこりゃ。
約束は1つじゃなくてもいい ───ですが、ちょっと欲張らせすぎました(笑) 約束と言うより今後の宿題ですが。
黒鋼あんなにカッコいいのに、私の手に掛かると何故にお笑い系になってしまうのか……
何を間違ったか、いつの間にかファイの玖楼国エンドを心配する黒鋼になってました。あれぇ?
19.8.15
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134話後 治療中
この世界に来てから、モコナはとっても泣き虫になっちゃった。
みんなの寂しいが大きすぎて、つられて泣きたくなるの。
でもみんなガマンしてるのがわかるから、モコナも頑張ろうと思うのにすごく難しくて。
この国に来るまで、大変なこともたくさんあったけどとっても楽しかった。
小狼も黒鋼もファイもみんなどこか寂しかったけど、悲しくなんてなかった。
それなのに……
今まであったかかったサクラも、新しく来た小狼も、みんなが寂しくて悲しい。
モコナがこの世界にみんなを連れて来ちゃったからいけないの?
せめてみんなを慰められたらって思うのに、上手にできなくて。
サクラが傷の手当てを受けてる間、黒鋼も背中をやっと看てもらってる。
黒鋼はいつも大したことないって言うけど、そんなことないよ。大アリだよ!
今までなら、他のみんなが無理矢理にでも手当てしてたのに…… 今日はファイもサクラも何にも言わなくて、小狼もいなくて。
看てもらうように、モコナが説得するの大変だったよ。
お願いしてもなかなか頷いてくれなくて、思わず泣いちゃったらやっと言うこと聞いてくれたの。
サクラは女の子だから治療中は衝立をして、小狼はそのすぐ脇に。
新しい小狼は今までの小狼とは違う人だけど、サクラが心配なのはおんなじだね。
ファイは部屋の隅っこに座って、手当てされてる黒鋼の背中を斜め後ろからぼんやり見つめてる。
時々黒鋼がそっちを見るけど、その時ファイはそっと目を逸らすの。
そうしてまた黒鋼が前を向くと、ファイは視線を戻す。そのくりかえし。
怒ってるんじゃないよね? さっきのケンカは、サクラが帰ってきたからもう終わってるよね?
いっつも寂しいファイは、今日は特に寂しくて。
小狼がいなくなって寂しいサクラと同じくらいに。
みんなで一緒にいるのに、まるで独りぼっちみたい。
「……ファイ?」
「なに?」
膝の上に飛び乗って見上げると、ファイはモコナが大好きな優しい顔でにっこり笑ってくれる。
けど、それはほんの一瞬で。
またすぐに遠くを見るみたいに視線を戻して、独り言みたいに呟いた。
「背中……」
「え?」
「あの傷、魔法だね」
……わかるの?
「オレの、魔法だ」
そう。ファイの感じがした。小狼が奪って使った、ファイの魔法。
「でもそれくらい、彼なら避けられたはずなのに。……ホント、バカなんだから」
そんな、そんなこと言っちゃダメ!
「ファイ! 黒鋼は、ファイをかばって───」
「だと思った。……何かを庇ったんでなければ、あんな風に背中をやられるはずがないもの」
知ってた……?
「カッコつけちゃって。オレなんか放って、さっさと逃げればよかったのに」
「ファイ……」
「オレはどっこも焦げてないのに、自分はあんなに派手にやられちゃってさ……」
そう言うファイの視線はさっきから動かないけど、なんだか虚ろで、本当に黒鋼を見てるのかよくわからない。
「『変わったんだ』って……」
「え?」
「黒鋼が言ってたの。ファイは小狼とサクラのために変わったんだって。2人が少しでも笑ってられるように、って」
「…………」
「小狼に向かって、一生懸命叫んでたの。……届かなかったけど」
そこでモコナはぎゅうっと抱きしめられちゃって、ファイの顔は見えなかったけど───
でもその代わり、トクトクって、ファイの心臓が騒ぎ出すのが聞こえたの。
「本当に、馬鹿なんだから……っ」
その声と一緒にモコナの目からポロンと1つ落ちた涙は、嘘泣きしかできないファイの分だよ。
あの黒鋼の叫びは是非ともファイに知っておいて欲しかったので、捏造挿入。書いてて久々に癒されました。
東京はモコナがヒロインよなー。いい子だー。もっとほのぼの妄想したい和ませたい癒されたいよぅ〜〜(禁断症状)
19.8.22
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135話(143話) 移動前
ゆっくりと水底に沈んで行く、わたしの記憶の欠片。ここに残すと自分で決めた。
記憶は戻らないけど、お世話になったこの世界の人達の命には代えられない。
……ううん、本当はそれだけじゃない。受け取るわたしの覚悟もできていなかったの。
ずっと、小狼君のことを思い出したくてたまらなかった。羽根が戻るたび、今度こそって祈ってた。
でも今ここで思い出してしまったら、余計に辛くなるもの……
それに、また力の記憶だったりしたら、わたしには受け止めきれないかもしれない。
この世界で戻った羽根は2枚。
それだけでも今のわたしには大き過ぎて、こんなにも混乱しているのに。
記憶だけじゃなくて、力が戻る場合もあるなんて知らなかった。
以前のわたしは、どんな力を持っていたというの? これ以上の力が戻ることもあるの?
飛王・リードという人がそれほどまでに欲しがるような。
黒鋼さん、ファイさん、そして小狼君の人生を狂わせてまで手に入れようとするような。
だからあんなに、行く先々でわたしの羽根のせいで騒ぎが起こってしまうの?
特別な力なんて要らないのに。記憶だけを湛えて、静かにわたしを待っていてくれたらいいのに。
この世界に来てから、全てが変わってしまった。
わたしが眠っている間に、小狼君とファイさんの身に起こった取り返しのつかないこと。
そして、わたし自身の─── 今まで知らなかった、失っていたことすら忘れていた力。
そして、記憶ではなく、力によって知る残酷な真実と未来。
他の人には聞こえない声、他の人には見えないもの。
植物や風の声、亡くなった人の姿。それから……
そんなに特別なことだとは思ってなかったし、怖くもなかった。
でも、違ったんだ。それはわたしの『力』───
まだ雪兎さんに扱い方を教えて頂いている途中だった。
あの時見えてしまったもの、あれは一体何だったのか。
あれが本当にこれから起こることだとしたら、どうしてあんなことに……
わたしに何ができる?
雪兎さんはいないし、ファイさんには訊けない。どうするべきか、自分で考えなきゃ。
小狼君が、もういないなんて信じない。心が失われてしまったなんて、思いたくない。
あの夢の中ではっきりと解った、わたしのいちばん大切な人。
絶対に取り戻す。今までのこと、わたし達のこと、絶対に思い出させてみせる。
そして、もう1人の小狼君は───
わたしの大切な小狼君ではないけれど、でもきっと同じ人。だから、あの人はわたしが守ります。
きっと何か方法がある。あの時見えてしまったものとは、違う未来が選べるはず。
でもごめんなさい。選んだ結果がどうなるのか、今のわたしには全然わからないの。
だから黒鋼さん、何かあったらその後のことをお願いできますか。
ファイさんが壊れてしまわないように、支えてあげてください。
どうしてあんなことになるのか判らないけど、きっといちばん苦しむのはファイさんだから。
わたし達には辛さを綺麗に隠してしまうファイさんだけど、でも黒鋼さんになら……
わたしや小狼君やモコちゃんに対しては、黒鋼さんもファイさんも、いつも優しくて頼りになる素敵なお兄さんでいてくれた。
とっても強い黒鋼さん。なんでも上手にできるファイさん。
お2人ともケンカばっかりしてるけど本当は、兄様と雪兎さんみたいにとっても仲良しだと思う。
あんまり自然だったから、その笑顔の下に上手に隠されたものがあるって、わたしには気付けなかった。
わたし達に見せてくれていた面だけが、全てだと思い込んでいた。
その裏にある痛みも哀しみも、気付いてあげられなかった。ううん、知ろうとしてなかった。
黒鋼さんは、ファイさんが何かを隠していることに気づいていたんでしょう?
お2人は正反対だけどそっくりだから。
だから未だに気を許せない素振りを見せたり、ファイさんに対してだけあんなに苛立ったりしていたんですね。
だったらお願い。これからもファイさんを見てて。
もっと話して、よく解って、しっかり捉まえていてください。
あんな未来が来ないように。どうしても避けられない未来だとしたら、その後にはなおさら。
わたしは守られてきた。何も知らなかったから。女の子だから。力がなかったから。
わたしは子供だった。何も知らなかった頃も、色々と思い出し始めてからも、ずっと。
今だって。ファイさんも黒鋼さんも物凄く大変だったのに、わたしに対してはそんなことを感じさせない、普段どおりの態度で。
いつも自然だから、こんなにも気遣われていたことにも気付けなかった。
でも、もう…… これ以上甘えたままでいてはいけないの。
もっと強くならなきゃいけない。
早く大人にならなきゃいけない。
今まで守ってもらった分、今度はわたしが返してあげなきゃ───
黒ファイ仕立てにするため、「自分は小狼担当。ファイは黒鋼に任せたぜ!」なサクラ様で行こうと思ったのですが……
物凄く難産だった上、失敗した感がありありとー。そして実は出発シーンにするつもりが、ちっともそれらしくない(凹)
小狼を失ったショックで精一杯かと思いきや、次の世界(恐らく)で既に色々と策略を巡らせていたことが判明したサクラ様。
だったらこれくらい男前でもいいかなと思いました。
19.9.9
9/10追記
侑子さんとの取引は、服装が同じなので次(未確定)の世界で子供に見つかる前なのかと思いましたが、よく見たら両手の包帯と膝の絆創膏がなくなっていたので、少なくてもその後ですね。
すぐ次がインフィニティ(のある世界)なのか? 以後の3ヶ月の消息も含めて、もう少し情報が欲しいところです。
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135−136話間 いつのことだかわかりませんが
気分が悪い。
まだ慣れない視界のせいで、なんだか頭がクラクラする。
長い1日が終わり、ようやく休めるかと思うと正直ホッとした。
小狼君はずっとこんな見え方だったんだね。早く慣れないと、戦いになったら支障が出ちゃうかも。
少し丈夫になった以外はあまり変わらないらしい身体も、微妙な違和感が拭えないし。
黒たんへの態度を改めると決めたのはオレだけど、他のみんなの雰囲気もガラリと変わってて、視界と同じく距離感が掴めない。
それに。
前の世界では、廃墟と化した街に充満する魔力の気配に眩暈がした。
あれは、オレ自身の力に他ならない。もう誰も、傷つけたくなかったのに……
生々しい惨劇の跡。魔力で増幅された緋炎の炎が焼き尽くした街並と、燻り続ける煙に混じる血の臭い。
オレが間違えたせいで奪われた多くの命。オレが、小狼君に眼を渡してしまったばかりに。
同じことが、これから先もまだまだ繰り返される。
もしかしたら今この瞬間にも、どこかで起こっているのかもしれないと思うと───
「おい、ちょっと来い」
突然、連行されるようにして連れ出された屋外。
なに? ナイショ話? 子供たちの目に触れないようにか、少し離れた物陰までズンズン歩く。
外は寒いね。けど、ちょっと乱暴に掴まれた右腕から、君の熱が伝わって来るような気がする。
「何の用? ……疲れてるんだけど」
これは突き放すためだけのセリフじゃなくて、ちょっとだけ本音。黒たんたら強引なんだからー。
まぁ本音の残りの大部分は、『どんなに具合が悪くたって一緒にいたい』なんだけどね。
でもそれは言っちゃいけない。
……ねぇ、2人でお出掛けするの、久しぶりだね。
思い出すのは、桜都国や陣社や夜魔の国。あぁ、あの頃は楽しかったね。
懐かしくて、どんなに愛想悪くしようと頑張っても─── 嬉しくて。
浮かれて、足元がなんだかフワフワするくらいに。
でも今は嬉しがったらダメだから、困るんだけどなー。
それで、どんな用事かと思えば。
「おまえ、腹減ってんだろ」
え?
「ったく、ふらつく前に言えよ。んな蒼い顔しやがって」
あ、あれ…? 今まで感じてた不調は、単にお腹が空いたせいだったのかな???
「……いや、言えねぇか。───血ィ寄越せなんてな」
いや別に、言えなくて我慢してた訳じゃないんだけど……
どうして? どうしてそんなによく見てるの。オレ自分でも気付いてなかったのに。
気付いて欲しくないことばっかり、どうしてそんなに目敏く見つけちゃうのさ。
「で? どうやって飲むんだ?」
え。……えっと?
そうだ、どうするんだろう。グラスに注いでストローで飲めるわけじゃないんだ。
確か言い伝えでは、鋭い牙で首筋に噛み付いたりするんだったような……?
───できるわけない。
そんなことできるはずもないのに、ちょっと想像してみた途端、全身に顫えが走った。
鼓動が脈打ち、心臓が熱くなった。 (……欲しい) ざわざわする。
身体が、期待してる? オレの身体、吸血鬼仕様になっちゃってる?
─── 嫌だ。
「要らない」
ちょっとくらいお腹が空いたって、どってことないんだ。
どうせ何も食べなくたって、そう簡単に死ねないのは経験済みなんだから。
「いいから飲め」
「まだお腹空いてない」
ただ判らないのは、どのくらいの期間なら正気を保っていられるかってこと。
長く生きてきたけど吸血鬼になった経験はないから、前と同じく痩せ細るだけで済むのかどうか分からない。
意識が朦朧とした挙句、本能のままに『餌』に襲い掛かってしまったら元も子もないもの。
そうなる前に、ちょっとだけ血を貰えたらいいんだ。ほんのちょっとだけ。
「嘘吐け」
「本当だよ」(……嘘だ)
だって、オレ、黒たんの血しか飲めないんだ。
他の人の血も飲めるなら、いろんな人からちょっとずつ血を貰うなら、それほどその人の身体に負担を掛けなくて済むかもしれないのに。
オレは黒たんの血を奪い続ける。
黒たんの血でしか命を繋げなくて、黒たんの血でしか生きられなくて。
一口毎に黒たんの強さを奪い、黒たんの身体を弱らせ、黒たんの命を縮めていくことになるんだ。
そんなの……!
「……そうかよ」
止める間もなく抜かれた蒼氷が、音もなく閃いた。
「! 何を…」
スッ、と。
周囲に敵はなく、刃先は彼自身に。
真っ直ぐに手首に走る線。
見る見るうちに溢れ、肘を伝い、地面に滴り落ちる、赤───
妄想せよと言わんばかりの隙間の割に、夜魔と比べて明らかに少ない初吸血話。オフ本ではあるのかな?
ここまでで既に充分長いので一旦切ります。(なんか、1話分がどんどん長くなってるのは気のせいじゃない)
サクラが侑子さんと取引してる、そのあたりになるんでしょうか? あれ東京から何日後くらいなんだろ?
あそこは外なのか、雪なのか、野宿なのか、さっぱり状況が読み取れませんが、そこしか情報がないのが辛い。
19.9.18
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135−136話間 摂取
幽かな雪明かりの中、そこだけがくっきりと浮かび上がるように目に飛び込んでくる、赤。
それは、オレが吸血鬼だから?
今までになく嗅覚を刺激する血の匂いが、感じてなかったはずの飢餓感を煽る。
「……やめ」
止めて、やめてよ!
少しでも流させたくないと思ってた君の血が、あんなにも無駄に流れていく。
せめて床に溜まってるならオレ、それを舐めたっていいのに。地面に染み込んでしまったら、どうにもできないよ。
そんなもったいないことしないでよ!
「戦ってかすり傷でもついたら、それを舐めようとでも思ってたんだろ」
……そうだよ。
「俺はめったなことじゃ、そんなドジ踏まねぇぞ」
わかってるけど。
「おまえがそのつもりなら、わざわざ切られてやらなきゃなんねぇんだが……」
ちょっと…、待ってよ。
「下手すっと、うっかり切られすぎるかもしれねぇな」
馬鹿なこと言わないで!
「その前に自分で切った方が、手加減できる」
だからって。
「早くしろ。これで飲まねぇなら、もっと切るぞコラ」
……やめて。頼むから。
「どこまで切らせるつもりだ? 俺が死ぬまでか?」
───っ!
「……『黒鋼』」
この人は本気だ。きっとオレが飲むまで、血を流すことを止めない。
「そんな無駄使いしないでよ。湧き水じゃないんだから、限りがあるんだよ」
流れ過ぎたら死んじゃうんだ。無茶しないでよ!
「もったいないから舐めてあげる。止血代わりにね」
痛くない、上手な血の吸い方を教えてもらっとけばよかった。
せめてオレに治癒魔法が使えたら、最小限の血を貰ったら瞬時に傷口を塞げるのに。
きつく掴んで、止まれ、止まれと念じながら傷口に触れる。
あの時感じた衝撃的な味。忘れたわけじゃなかった。
美味しいとか不味いとかじゃなく、全身に沁み渡る生命の味。これは、黒たんの生きる力そのもの。オレの命の糧。
もうあの時みたいな痛みが襲ってくることもなく、ただただ飢えた細胞が歓喜しているのがわかる。
黒たんの生命を削っているのに、身体はご馳走をもらって大喜びだなんて。サイテーだ。
モコナとはちゅーしたことあるけど、黒たんに口付けするのは、これが初めてなのに、な……
ずっと触れてみたくて、でも諦めてて───まさかこんな形で実現するなんて皮肉だよね。
もう笑うしかないって心境なのに、実際に口から零れてしまった音は笑い声じゃなかった。
必死で噛み殺そうとするほどに身体が震えて、血を飲むこともできなくなった。
ダメだ、まだ血が止まってないのに。早く止血して、きれいにしなきゃいけないのに!
オレは黒たんを突き放すって決めたんだから。早く飲んで、さっさと離れなきゃいけないんだから。
こんなに囚われているのが、バレたらいけないんだから……!
焦れば焦るほど、止まらない。オレに泣く資格なんかないのに。
と、頭の上に。
「落ち着け」
乗せられた手の、子供をあやすような動きに息が詰まる。
「もう急がせたりしねぇから。ゆっくり覚悟決めろ。それからでいい」
「…………」
この人はどこまで優しいんだろう。自分に害をなす存在にまで、こんなに……!
ねぇ、今だけ。優しいついでに、今の情けないオレのことはすぐに忘れてくれないかな。
たとえバレバレだとしても、知らない振りをしていて欲しい。
今のうちに気が済むまで泣いて、さっさと復活するんだ。
「最初だからな。ヘタでもしょうがねぇだろ。今日は練習だと思っとけ」
「…ん。……おはし、よりは…っ、かんたん……」
慣れなきゃいけない。平気な顔で飲めるようにならなきゃいけない。
全然できる気がしないけど、やらなきゃいけないんだ。
オレはまだ死ねなくて、生きようとする限りこれがずっと続く。
先を思うと絶望的な気分になるけど。
それでも君が優しくて嬉しいと感じてしまうオレは…… どうしようもなく利己的だよね。
餌に死なれると困るから吸血鬼の唾液には傷を治す成分が入ってると思うんですが、そんな公式設定はないのか?
せめて、ウチのサイトだけでもそういうことにしとこう。だってしょっちゅう切るのに、治らないと困るじゃん!
……あ、それとウチのファイは、黒鋼が傷つくと無条件で泣くのでご了承ください。女々しくてすいません。
19.9.24
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136話 チェス
着飾ったウサギが告げる合図。解き放たれる鎖。戦いの開始だ。
黒様の口元がニヤリと上がる。
目元は見てないけど、きっとあの紅い瞳は嬉しそうに輝いてるんだろう。
うっかり油断してると黒たんと視線が合ってしまうから、最近はその辺を見ないようにしてるんだ。
意思に溢れた紅は大好きだけど、あまりに力強くて負けてしまいそうになるからさ。
君はいつでもオレたちを見てる。バラバラになりそうな今だからこそ、特に注意深く。
サクラちゃんを気遣い、小狼君を見守り、オレの全てを見透かそうとしてる。
夜魔の国で、言葉の通じないオレを案じてずっと見ててくれた、あの頃みたいに。
そんなに楽しそうな姿を見るのは久しぶりだね。最初の頃のやんちゃな黒たんに戻ったみたい。
生き生きしてて、何よりすごくカッコいい。やっぱり暴れるの好きなんだー。
そしてオレは、そんな黒たんの活躍を見るのが大好き。
オレも戦わなくちゃいけなくて、じっくり観戦してらんないのが残念だけどねー。
でも一緒に戦うの楽しい! マスターのサクラちゃんのおかげで普段より体が軽いし。
あんな脳味噌まで筋肉みたいなお兄さん達なんて、目じゃないよね。
サクラちゃんから言い出した、賞金を稼ぐためのアルバイト。
命懸けではあるけど、負ける気はしない。
羽根が優勝商品だとは言われていないけれども、主催者の周辺から気配がするのは確かだ。
だから出場するのは自然な流れなんだけど、ただちょっとばかり……
うーん?
小狼君のことがあるのに試合まで3ヶ月も費やしたり、何か裏がありそうな気はするんだけどね。
でもそれは脇に置いといて、今はようやく始まったバトルを楽しもうか。
戦ってる時の黒様が、強くてカッコいいのは初めから。
それから戦ってない時も、最近は厳しくて優しいお父さんみたいで、反則なくらいカッコいい。
いつから君は、こんなにカッコよくなっちゃったんだろう……
最初の頃はそうじゃなかったよね?
大きな身体の割に、まだまだ反抗心と好奇心いっぱいの子供みたいで、微笑ましいなぁと思って見てたのに。
いつの間にか大人になって、子供たちの保護者になって、長く生きてるオレですら追い抜いてない?
和気藹々から程遠い雰囲気になっちゃってる今も、君は我慢して保護者に徹してくれている。
オレも君とは必要最低限な話しかしてなくて……
雰囲気悪くしてるってわかってるのに、直せなくてごめん。
昔の黒たんなら、完全に怒ってるよね?
もうとっくに見限られててもおかしくないのに、君はまだ辛抱強く受け入れてくれる。
(……許してもらえるのは、いつまでかな?)
小狼君を失ったサクラちゃんは、精一杯張り詰めてギリギリで自分を保ってて。
新しい小狼君は、前の小狼君に遠慮してサクラちゃんを支える行動に出られない。あんなに心配してるのにね。
オレはそんな彼の代わりにサクラちゃんに付いてるんだけど、まだ小狼君の気配は感じられないし、あの子を慰めることもできないんだ。
あんなに元気一杯だったモコナも、オレたちの所為ですっかり泣き虫になっちゃったね。
このガタガタのメンバーがかろうじて今までどおりパーティとして成立してるのは、君がいるから。
黒様が大黒柱みたいにしっかりと存在していてくれるから、オレたちはその周りに立てるんだ。
ありがとー。
やっぱり今でも、黒たんはおとーさんみたい。君にだけ任せっきりにしてゴメンね?
だからね。
このチェスの試合では、久々に暴れてスカッとしない?
思いっきり派手にやって、ストレス発散しようよ。
気持ちよく勝って、心配して待ってるモコナのところに早く帰ろう?
一緒に祝杯はあげられないけど、おいしいお酒は買ってあるからね。
自分が戦闘に興味がないのでチェスは書くことないなーと思っていたのに、ファイの目を通してみたら……アレぇ?
黒様の活躍を大喜びで観賞しているファイがいました!(笑) ビックリだ (黒鋼しか目に入ってないにもほどがある)
状況説明だけで終わろうかとも思っていたのに、書き上がってみたらほとんど入ってないでやんの。
19.10.3
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