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164話 守
……まだ、動ける。まだ、生きている。
ひっくり返ったままお迎えを待つのは、手足が動かなくなってからでいい。
まだ、やれることがある。この命が尽き果てねぇうちは、まだ。
俺は……
殺そうとして向かって来た奴は殺る。
生涯守ると決めたものを、奪おうとする奴も殺る。
今まさにあいつの息の根を止めようとしている奴を、殺さない理由は俺には何もねぇ。
俺の力は、大切なものを守る為の力。
大切なものを、これ以上失くさないための力だ。
今揮わなくてどうする。
たとえ強さが減ろうが、奴があいつの恩人だろうが、知ったことか───!!!
20.7.20
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〜165話 壊れ王
強くならねばならない。
あの子より強くなって、この生を終わりにして貰わねばならない。
国を滅ぼしてしまう前に。この国の全ての民を殺め尽くしてしまう前に。
もっと強くならなくてはならない。
そのためには、もっと多くの命が必要だ。私の魔力は、屠った生の数だけ増していくのだから。
この国の全ての民を。この城を訪れる全ての者を。あの子を。
全てを殺めてしまえば、私の力は、あの子に滅して貰える程に強くなる筈なのだから。
早く滅して貰わなければ。殺め尽くしてしまう前に。早く、あの子に───
やっと帰ってきたあの子は、その外見も、中身も、随分と変わってしまっていた。
片方失われた眼も、時々違う色に取って代わられる蒼色も、その結果半減した魔力も。
半減した魔力の代わりに得たのは、人ならざるものの力。
以前は酒や菓子類を好んでいたはずだが、新たに糧となったものの味は気に入ったのかな?
あのファイの心を捉えてしまうとは、あの若者は随分と頼もしい餌のようだ。
子供の頃のファイは優等生で、私を煩わせることがなかったが、セレスを出ていろんな世界を旅したことで、また新たな面でも成長したようだ。
やはり知識だけでなく、実際に経験することで大人になるということかな。
だが大人になるということは強くなる反面、自分以外の何かのために弱くもなるものなのか……
半身のためだけに、あれほど頑なに迷わず進んで来たあの子が、これほど揺らぐとは。
大切なものがそんなに多くなってしまっては、それだけ、取りこぼして哀しい思いをすることにも繋がるのだが。
あとは……
そう、随分と髪が伸びたね。色々と思い出してしまうから、伸ばさないものだと思っていたよ。
髪の長さは、そのまま、あの子が囚われていた時間だ。
せっかく、半身に寄り添わせるという名目で、縛られた時間の証である枷を切り離したのに。
……君はまた、何かに囚われてしまったのだね。
気の毒に。今度は私が、それを断ち切ってあげようか?
但し。代わりに君は、今度こそ私の願いを叶えてくれなくてはいけないよ。
この国の終焉を自らの手で齎す未来を、初めて視たのは何時のことだったか……
狂気に支配され、暴虐の王となってしまうのは、逃れることの出来ない私の運命と知った。
この国の民の命を、全てこの手に掛けてしまってもなお、殺戮を求める狂気は消えない。
無人になった世界でたった1人、永遠に満たされない飢えを抱えて彷徨うなど、願い下げだ。
終止符を打つ方法を視、捜し当てたのが、私を滅することのできる『呪われた子供』
自らを滅する手段として手に入れた子供ではあるが、憐れみを感じたのも嘘ではない。
解放してやれることを願って、この国に迎え入れた。
あの可哀想な子の、誰よりも強い魔力と、呪い。それが私にとって唯一の希望だった。
掛けられた呪いを私に向けさせることができれば、あの子も私も解放される。
不甲斐なく、不本意なことだが…… この国が滅びる運命にあるならば、私の民は、私と共に。
だが、違う世界のこの子だけは───
この悲劇が避けて通れないことならば、代わりに何か、1つくらい救いがあればよいと。
この国の全ての民の命と引き換えに、1つくらいは救われる命があってもよいのではないかと。
だが───
せっかくそのために強くなったというのに、あの子は私の願いを聞き入れてはくれなかった。
大事に思っていた私の許を去り、向かった先の世界で、とても大切な人を見つけたと聞く。
私の望みだった呪いを、他の世界の姫を相手に発動させてしまったという。
……寂しいね。私の知らぬ間に、私よりも優先する、縁の深い相手が増えていくことは。
永い生を共にする唯一のパートナーでいられた時間は、今にして思えば意外と短かったな。
その身に宿す呪いを捧げてくれる瞬間を最大の楽しみに、私は生きてきたのに。
その、代償を、貰おうか……
さて…… 困ったね。どうしたらあの子に殺して貰えるのだろう。
優しい子だから私の願いなら聞いてくれると思っていたのに、優しすぎて叶えてもらえないとは。
命じても駄目なら、ここにいる者たちを順番に手に掛けていくというのはどうだろう?
そうすれば、私を憎んで殺したくなるかもしれないな。
魔法がちょっと掠ったくらいで死に掛けるような人間に、君を任せるのも不安だしね。
さぁ、早く私を止めてごらん?
中途半端な覚悟では私を殺すことはできないと、君はもう思い知ったはずだ。
私を失望させるのは、これきりにしておくれ。
どうやら私は、自分で思っていたよりも君に執着していたようだ。
大事に思っているはずなのに、巣立ちを引き止め、この手で縊りたいと思ってしまうくらいには。
それから、私が受けるべき呪いを発動させた姫君と、私の代わりにこの子を連れて行く若者と。
この爪で引き裂いてやりたいと思う衝動は、どちらも同じくらい強い。
知っているだろう? この衝動に逆らう術を、私は持たないんだよ。
久しぶりの獲物だ。まずは、姫を託された少年から───
胸を貫いたのは、守護印に護られた者の刃。
……さすがだね。驚いたよ。あの子以外に、私を手に掛けられる者がいたとは。
だが、余計なことをしてくれた。これでは、あの子に科せられた次の呪いが解けないんだよ。
この刀の奥底から、僅かに感じ取れるあの子の魔力。
だがこれだけでは、あの子に殺されたことには─── ならないだろうね。
すまない、ファイ。結局私には、君の呪いを解いてやることができない。
どうして時折、夢見に歪みが生じるのだろう。
……ああ、私の魔力が君を凌ぐほどにならなかったからか。屠った数が足りなかったか。
あの子が、逃がしてしまったから……
お別れだ。君が来てくれて、楽しかったよ。
気が遠くなるほどの長い生を、分かち合う者がいてくれるのは良いものだった。
臣下はみな忠実に仕えてくれたが、彼らはすぐに年老いて、代替わりしてしまうからね。
君の緩やかな成長を見るのは楽しかった。
世継ぎを持たない私に君は、子を慈しむ真似事を体験させてくれた。珍しくも貴重な経験だったよ。
ファイ。君は、良い若者を見つけた。
強くて、無鉄砲で、人の話は聞かずに信念のまま突き進む。
本当に、日本国の姫から伝えられていたとおりだ。そしてまた、どうしようもなく若い。
見たところ、伝え聞いていたよりも更なる力を蓄え、姫がまだまだ足りないと嘆いていた心の強さも兼ね備えつつあるようだ。
昔は大人びた子供だったファイが、今は逆に幼いように感じられるのは彼のせいかな。
彼ならば、臆病な君を強引に導いてくれるだろう。
行きなさい。彼らとなら、呪いを越えられる。
私はこのセレスの地で、今度こそ君の願いどおり、永遠の、良い夢を───
「殺されて呪いを消してやりたかった」なら反撃すんなー! 私が陛下に物申したいことはコレに尽きます。
せめて呪いを解いてくれれば『いい人』認定も吝かではないのですが、これじゃ、このシーンでは単に虐めただけやん。
優しい思考に、狂気が紛れ込んで混ざり合うホラー。フォントを黒にしてみましたが判ります?
本人は普通に考え事してるつもりでいるのかと思うと、余計に恐いです。
20.7.20
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164−165話 別
黒たんが、人を、殺した。
知世姫の『呪』が掛けられてるって言ってたのに。
黒たんが頑張って頑張って手に入れた『強さ』が減るって、そう言われてたはずなのに。
黒たんが、あの人を、殺した。
その瞬間を、オレは見ていない。
呼吸を止められて暗く霞んだ視界の中に、黒たんが飛び込んできて。
さっきはピクリとも動かなかった黒たんが、立って、剣を取って、オレのシールドが間に合わないかと思った小狼君を庇って。
───黒たん、生きて、る。よかっ、た…… くろさま……
首を絞められた体勢のまま聞いた王の声は穏やかで、でも、命の気が急激に薄くなって。
呼吸を取り戻して回復した視界で見上げたあの人は、優しかった昔に戻っていた。
死に際とは思えないほど穏やかにオレを抱き寄せ、以前のように語り掛けてくれた。
オレを拾う前から逃れる道を模索し続けていた狂気から、ようやく解放されたんだ。
黒様が、解放してくれた。
一度はこの手で消そうとしたくせに、いざその時が来たら、やっぱり悲しくて。
結局は他人の手を汚させた不甲斐なさを悔やみながら、初めて優しくしてくれた人を見送った。
優しく聡明だった王の意識は、もうずっと狂気の底に沈んでいて。
それでも時折、幾重にも重なったフィルターのほんの僅かな隙間から正気を覗かせ、早く決着を付けるようにとオレを促していたのに。
だから言っただろうと、今からでも自分の凶行を止めておくれと、重ねて訴えていたのに。
それが解っていながら、オレが終わりにしてあげられなくてごめんなさい。
王の望むとおりにできなくてごめんなさい。
オレが逃げ出したりしなければ。
もっと早くに、この手を下すことができていたら。
こんな時でもオレのことを気遣ってくれていたのに、無駄にしてしまって、本当にごめんなさい。
黒たん。黒様。
できないオレの代わりに、黒様がやってくれた。
大怪我してるのに。あんなに苦しそうなのに。
ありがとう。どうしよう。息が荒いね。どうしよう。ありがとう。大好きだ。
オレが弱さであぷあぷしている間に、黒たんはどんどん強くなって行くね。
苦しそうな息をしながら、それでも顔を上げる黒様は、今まででいちばんかっこいい。
─── ひゅー……
君が格好よすぎて、たまらず目を逸らす。
君の存在が大きすぎて、オレは目を伏せる。
これ以上見てたら離れられなくなるから。ついていきたくなるから。
オレはここに残るんだから。
ファイと、王と、一緒に眠るんだから。
不幸はここで終わらせる。
ゴメンね。黒様たちのことを、オレはもうずいぶん不幸にしてしまった。
ありがとー。黒様たちのおかげで、オレはもう充分幸せにしてもらった。
だから、もうこれ以上は。
今まで本当に、どうもありがとう……
時折正気に戻ったりしなければ、悪のままでいてくれれば、ファイでも止めを刺せたと思うのになー。
陛下とのお別れをサラリと流してしまってゴメンなさい。
当サイトは原作全編を黒ファイに塗り替えるのが存在意義なので、他は極力流すぜ!(いちばんの被害者は小狼s…)
20.7.30
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165話 眠らせてやれ
死者は葬られて、永遠の眠りに就く。
生者は故人を悼み、その眠りが安らかなれと願う。
ごく当たり前の、全ての死者に対する弔い。どうしてファイだけは別だなんて思えたんだろう。
黒様に言われるまで、気付こうともしなかったなんて───
不思議な力で浮かび上がる、眠ったままのサクラちゃん。
それに呼応するように水の中から姿を現したのは……
ファ…イ……? 嘘…… 本当に?
「チィ…はもういないのに…… どう…して……」
オレがチィを創った羽根は消えてしまって、ファイを守る力はなくなったはずなのに。
ファイの躯はもう、朽ちてしまったものだと諦めていたのに。
久しぶりに会うその姿は、この国で清められ、水底に安置されたあの時のまま。
よかった…… ちゃんと、まだ、無事でいてくれた。
組み合わせた両手にしっかりと抱いているのは、オレもその名を貰った、王がお守りにくれた蛍石。
……ああ、そうか。
セレスに来た時点で、既に羽根はあったんだ。オレがチィを創る前からファイは守られていた。
よく考えれば、気付いてもよかったはずだった。
羽根を見つけるまでの間にも結構な時間が過ぎていたのに、ファイの躯はそのままだったのだから。
あの人がくれた、『お守り』の石。
王は初めから知っていたんだ。オレを拾ってくれただけでなく、ファイのことも守ってくれていた。
羽根が齎す記憶。
サクラちゃんの記憶を封じているはずの羽根がオレに伝えてくれたのは、塔の上に閉じ込められていたファイの、最後の記憶。
オレがずっと自分を呪っていた、『ユゥイ』を選んだ記憶。
自分を選んでファイを殺した、忘れたくて忘れたくて、でもできるはずもなかった忌まわしい記憶。
それが本当は、ファイがオレのことを想ってくれた、とても優しい選択だったなんて。
最後にオレに優しい記憶を見せて、羽根はサクラちゃんに還る。
ファイの躯が朽ちないよう、守り続けてくれた羽根。
守りを失った躯は、あの時から止まったままだった長い長い時間を一気に取り戻す。
ファイの躯が消える。塵となって崩れていく。まるで空気に溶けていくみたいに。
オレは失敗した。ファイを生き返らせてあげられなかった。
オレが生きてきた理由。オレの身代わりに失われた半身。
行かないで。嫌だ…… 消えないで。
喪うことを受け入れられなくて伸ばしたオレの手を、黒たんが掴んで止める。
「眠らせてやれ」
─── それは、どういう、こと? ファイは、眠りたかったの……?
目覚めたいものだと、生き返りたいものだとばかり思っていたのに。
目覚めさせねばと、生き返らせねばと思っていたのは、オレの独りよがりだった……?
眠らせてあげる…… オレは、また、間違えてたの?
黒たんの一言は、オレの信じてきた価値観を180度覆す。
オレはそのために生きてきたのに、そんな根本的なところで間違ってた?
オレとファイは一緒だった。
あの谷で塔の上と下に隔てられるまで、何をするにも一緒だった。
同じ気持ちで同じ時を過ごし、お互いの考えも手に取るように解り合ってた。
オレの願いは、ファイの願いだった。
塔の下で、オレは生きたくて、外に出たくて、ファイだって同じだったはずだ。
オレがファイに生き返って欲しいんだから、ファイも同じはずだ、と……
オレだけが手に入れた命。自由。幸せ。ファイだって欲しかったはずなんだ。だから。
ファイの分をオレが持ってちゃいけないと、早く返してあげなくちゃと、ずっと思ってきたのに。
ずっと、そう、信じてた。そのために生きてきた。ずっと、それに縛られてきたのに……
あいつの言うとおりに動き、いつか黒たんも殺さなきゃいけないって。ファイのために、って。
ファイのために、どんなに辛くても悲しくても生きるつもりでいた。
けれど生きていくことは辛く悲しいことばかりじゃなくて、幸せを知るたびにオレは追い詰められていった。
この幸せは本当はファイが手にするべきものだと、早く返さなくてはと思い続けて。
ファイのためだと思って、ファイの望まないことを、オレはずっと続けていたの……?
……オレが認められなかったからだ。ファイがいなくなってしまったことを。
取り戻せると信じていなければ、オレが耐えられなかったから。
ファイの死を、自分が殺したことを受け入れられるほど、オレは強くなかった。
だから唆かされた禁断の可能性に縋りつき、そのための指示に従った。彼の手駒として。
ちょっと考えれば、間違いに気付いたはずだったのに。
オレが誰かを殺してまで蘇らせたとしても、優しいファイが喜んでくれるはずがなかったのに。
「……オレのせいで…ずっと…… 眠らせてあげられなかった……」
オレの命をファイに返すこと。それが償いになると、そう思い込んでいた。
「ごめんなさい。……ファイ……」
眠ることのできなかったファイは、オレの迷走を、どんなに歯痒い思いで見ていたことだろう。
魂が抜けたままのはずなのに、サクラちゃんの腕は優しく慈しむようにファイを包んでくれていて。
サクラちゃんの腕の中で消えていくファイは、気のせいかもしれないけど、とても安らかそうに見えた。
どんなに求めても与えられなかった優しい腕。生きているうちに教えてあげたかった。
明るくて楽しい世界があること、ファイにも教えてあげたかった。
オレが教わった笑い方を、ファイにも教えてあげたかった。
お菓子や、お酒や、いろんな美味しいものを、ファイにも食べさせてあげたかった。
優しい人、愛しい人、大切な人…… いろんな人から貰う温かな気持ち、ファイにも感じて欲しかった。
オレが経験できた全てのことを、ファイにもやらせてあげたかったんだ。
でも…… 今やっと解った。ファイはオレと同じだものね。
オレが生きて、こうした幸せな経験をすること。それが、ファイの本当の望みだったんでしょう?
ファイが命をくれたおかげで、オレはとても幸せだったよ。
自由になって、ファイができなかったことをたくさん経験できたよ。
サクラちゃんや小狼君と出逢って、黒たんと出逢えて、オレはとても幸せだった。
だから、ファイの願いは叶えてあげられたと、そう思ってもいい……?
答えは返らない。
でもたとえ自己満足に過ぎなくても、そう思えたことで、確かにオレは救われたんだ。
また1つ、オレは幸せになれた。
ね、ファイ。たった一言でそれをオレに気付かせてくれる黒たんって、すごいでしょー?
オレもそっちに行ったらたっぷり話してあげるから、王と一緒に、もう少しだけ待っていてね。
セレスに戻ったファイに、真ファイはずっと寄り添っていたかもしれません。お話しさせてあげたかったなぁ。
躯の消滅=成仏とは限りませんが、サクラ様が起きていたら、きっとイタコ通信してくれただろうにと悔やまれます。
本当は、真ファイの 『本当の望み』 をファイに教えてあげるのは黒鋼の役目にしたかったのー。
しかし瀕死の重傷でそんな余裕はなさそうなので、ファイは自分で気付きました(笑)
20.8.10
どーせなら13日にアップしたいような内容だ……(笑)
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165−167話 セレス閉じ
ようやく、片が付いたと思った。
当初の目的どおり、傷ついた姫の躯はなんとか回収した。
恩人の命は救えなかったが、その望みは叶えた。
死んでからもこいつを縛る枷として利用され続けた、気の毒な片割れを眠らせた。
ありもしねぇ罪と間違った義務から解放され、ようやく自分で歩き出せる。そのはずだったんだ。
それを……
なんだかよく解らねぇが、魔術師の力が使われたことだけはわかった。
こいつの意思に反してるらしいのは前の世界の時と同じだが、規模が違いすぎるんじゃねぇのか。
もう1つの呪い。世界を閉じる魔法……?
あの蝙蝠野郎…… どこまでこいつを好き勝手に利用するつもりだ!
強制される急激で大量な魔力の消耗について行けずに、ひょろい身体がグラリと傾ぎ、吐血する。
ギクリと脳裏を過ぎったのは、限界を超えて結界を守り続けて倒れた、母上の……
冗談じゃねぇ。ここで失ってたまるか。
王が斃れた後、笑顔とは程遠い顔だったが、ようやくまともに俺を見たんだ。
東京からこっち、ずっとツンケンしてやがったこいつを、ようやく振り向かせたんだ。やっとだ。
さっき王が言ってたじゃねぇか。「彼らとなら呪いを越えられる」って。
越えられるはずだ。連れ出せるはずだ。もう少しで取り戻せるはずなんだ。
閉じ込められて終わりなはずがねぇ。呪いなんかとは、ここでオサラバできる筈なんだ。
魔術師は、更に指先で脱出魔法を紡ぐ。明らかに力の使い過ぎだろうと思うが、他に方法がない。
頑張れ。
魔力とやらが相手じゃ、俺にはどうしてやることもできねぇ。離れねぇように掴まえとくことしか。
小僧と姫たちが文様に包まれて消え、今度は自分の身が浮き上がるような感覚を覚えた。
万が一にもこいつが妙なことを考えねぇよう、ひょろい腕を握った手に力を込める。
だが2人分の身体が持ち上がる前に魔術師の力が尽き、せっかく紡がれた文様が弾け飛んだ。
クソ、他に方法はねぇのか!
いよいよ狭まってきた空間に、穴が開いたのはその時だ。
簡単に抜け出せた自分とは対照的に、魔術師の身体は根が生えたようにビクともしない。
掴んだ腕が持ち上がるばかりだ。
この腹の傷では、俺の力はそう長くは持たない。どうする。どうしたらいい。
その焦りを見越したかのように、ひょろいのがほざく。
「行け!」
……んだと? 馬鹿野郎が。見捨てて行ける訳ねぇだろうが!
本心から言っていると解るだけに、余計に腹が立つ。そう言われて俺が離すとでも思ってんのか。
それは、残っても1人でなんとかできる奴の台詞だ。テメェは自分のことは早々に諦めちまうんだろうが。
待ってる人間の許に自力で戻れない奴に、その台詞を言う資格はねぇ。
ここは死んでも離さねぇ。離してなんかやるかよ。行くならテメェも一緒だ。
チェスの最終戦のあの時、様子のおかしい魔術師の腕を捕まえていたつもりがすり抜けられた。
その結果はどうだ。姫は刺され、こいつは取り返しの付かない責を負った。
もう離さねぇ。あんな酷いことは2度とさせねぇ。
こいつから手や目を離すと碌なことにならねぇのは、嫌というほど経験済みなんだよ。
俺は、自分で精一杯の努力をせず、誰かの助けをただ待ってるだけの奴は嫌いだ。
だが全力を出し切って、それでも力及ばなかった奴の手を離すほど薄情じゃねぇ。
ましてやそれが連れて行きたい奴なら、その手を放してやれるほど寛容じゃねぇんだ。
放してなんかやるか。俺はこいつを、一生手放さねぇと決めたんだ。
だが、握力の限界か、力を込めすぎた左手がブルブルと震える。
腕に込めるそれ以上の力が、破けた脇腹からどんどん抜け落ちて行くような気がする。
まだ早ェ。畜生、離してたまるか。
グラリと視界が歪み、意識が飛びそうになる。クソ、まだだ。まだ、ぶっ倒れる訳には───
─── 声が、聞こえたような気がした。
幻聴か。
いよいよお迎えが来たかとも思ったが、その内容は、まさに俺の求めていたものだった。
懐かしいその声が告げるのは、現状を打破する唯一の方法。
手を離す。だからって、テメェの言うとおりにしてやる訳じゃねぇぞ。
だから…… そんな顔をするな。そんな満足そうな、寂しそうな目で見られる謂れはねぇんだ。
連れ出すために、一緒に行くために、必要なことをするだけだ。
共にいきたい。心から願う。
そのためなら、俺は。
瀕死のはずの黒様ですが、あまりそう見えん。なので、また普通に思考してます。
ファイは吐血なのか喀血なのか不明。美的には喀血の方がいいのでしょうが、語呂が悪いので吐血にしときました。
書くのがしんどいよぅ…… デレ期が来るまであと少し。頑張れワタシ。
20.8.25
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166話〜移動中 断
さよならを、したつもりだった。
ギリギリと痛いほどに掴まれていた腕が解かれて、ああ、よかった…… って思って。
お別れになっちゃうけど、黒たんは無事に脱出できてよかった、って。
元気でね、って、今までありがとう、って、最後まで連れ出そうとしてくれて嬉しかった、って。
ありったけの想いが駆け巡って、最後だから笑わなきゃと思って。
それなのに。
ごとん、って、重たい音がした。
何か黒くて長い『何か』が、オレのすぐ脇に、ドサリと落ちて。
……まさか。違う。あれは、落ちるような物じゃない。
ほんの一瞬前までオレを掴まえていてくれた、黒たんの……
乱暴で優しくてあったかい、オレの大好きな、黒たんの大事な……
何をしたの。何やってるの !!
目の前に飛び散る色と、落ちた『物』が信じられなくて、信じたくなくて。
呆然とする間もなく、閉じる世界から引っ張り出される。
あれほど重く押しつぶされそうだった空間から、いとも簡単に抜け出せたのも不思議だったけど、その前に。
今、落ちたのは。閉じてしまったあの中に、オレの代わりに取り残されたのは。
辺りに充満する、この上なく濃厚な、オレの身体が唯一欲するモノの匂い。
オレ、黒たんの血の匂いは、たとえ1滴だって判るんだよ。
こんな勢いで湧き出してたら、いくら美味しそうな匂いだって、これじゃ強烈過ぎるよ。
いつも1滴でも無駄にしないようにしてるのに、こんなのあんまりだ。あり得ない。
だってこれは黒たんの命。たくさん流れ出てしまったら、死んじゃうんだよ?
視界にどんどん広がる赤い色の中で、中心にあった赤だけが消えた。
恐ろしい形相でオレを睨みつけていた紅い瞳が、苦痛で閉じられる。
……ダメだ。呆けている場合じゃない。血を止めなきゃ!
治癒魔法が使えない身を、これほど呪ったことはない。でも今は呑気に嘆いている場合じゃない。
傷は治せなくても、手当てくらいは。道具も何もないけど、なんとかするんだ!
でもこんな場所、どうやって止血したらいいの !? と、とにかく、血が迸る切断面に蓋を……
えっと、攻撃を防ぐ為のシールド! それを傷口に。血が噴き出そうとする圧力に負けないように。
隙間なく蓋をするんだ。手で押さえるだけじゃ、指の隙間から溢れてしまうから。
これ以上の血が流れ出てしまわないように。命が、ここから抜け落ちてしまわないように。
呪文を維持する指が震えるのは、気が動転してるせい。まだ体力の限界って訳じゃない。
身体は、まだ、大丈夫…… でも。肝心の魔力が、ほとんど残ってないんだ。
使い果たしてしまったら、この命も終わるのかな。終わってもいいけど、今すぐはダメだ。
お願い。もう少しの間だけ待って。次の世界に着くまででいいんだ。
「……や…めろ………」
黒様が、うっすらと目を開けて言う。いいから。黒様は寝てていいから!
次の世界に着いたら、治療も療養もできるはずだから。だからもう少し待ってて。
黒様はもう頑張らなくていいから。すっごく痛いんだから、さっさと気を失っちゃった方がいいよ!
このシールドも、長くはもたない。魔力も体力も、限界がすぐそこに見えている。
ダメだ。今オレがここで力尽きたら、黒たんの命も危ないんだ。
黒様のためにも、オレまで倒れるわけにはいかない。
そして、オレが回復するための唯一の手段は─── ここにある。
オレの生命力を支えてくれる、唯一の回復アイテム。使わない手はない。無駄にしてどうする。
……もったいない。
食餌を摂ろう。ランチタイムにしよう。
オレ、吸血鬼だから。ご馳走が、ここにこんなに溢れてるから。
初めてお腹いっぱいになれるかもしれないくらいの夥しい量が、今ここにあるから。
既にたくさん流れ出てしまった黒たんの命。無駄になんてしない。せめてオレの力にするんだ。
一口飲み込むと、それだけで身体が楽になるのがわかる。
目に見えて傷が癒え、残り僅かな魔力もひとまず安定する。
気力も、体力も。オレの生命力の全ては、黒様が身を削って分け与えてくれるもの。
この再生力を、代わりに黒たんにあげられたらいいのに。オレにはこんな力必要ないのに。
流れてしまった黒様の血は、全部オレが貰う。
力を付けなきゃ。残りの魔力をかき集めて、黒たんの命を守るんだから!
小狼君が見てる。
こんな場合なのに自分の飢えを満たす、浅ましいオレの姿。
でも構わない。誰に見られたって構うもんか。こんなの、ただの食事風景なんだから。
黒たんの命を啜って生きる吸血鬼。それが今のオレなんだから。
自分の餌を守るのは、オレにとっては一番の優先事項だから。そのために、必要なことだから。
オレは今、いちばん大切なことをしてるんだから。だから、見られたって構わないんだ。
……それでも。
サクラちゃんとモコナには、見せずに済んで、よかった……
黒鋼はこの先暫くは献血できる状況にないと思うので、今のうちにお腹いっぱいにさせてあげないと! という話。
てか、ただ泣き喚くだけのファイじゃダメだろうと。他人にどう見られようと、自分にできる限りのことをした方がいい。
でも肩からの切断なんて、素人に止血は無理だー! せめて肘くらい残しといてくれれば……
力技でラップで包んだ状態にさせてみましたが、あの移動の間だけなら、取り敢えず押さえとく! しかできないよね?
20.9.4
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