野望へ


         22 巻




167話 待機中


 ドキドキとうるさい心臓と、のぼせそうな頭を抱えて、オレは待っている。
 部屋に駆け込みたい衝動と、この場から逃げ出してしまいたい衝動とを抑えて、じっと待っている。
 黒様が目覚める瞬間を。
 黒様が知世姫と再会する瞬間を。
 それから。オレが、黒様に会える、その時を。

 何を言おう。なんて言えばいい?
「よかった」と「おめでとう」と「ごめんなさい」がバラバラに駆け巡って、頭の中は大混乱中。 
 死んでしまうかと思った黒様が、ちゃんと回復して目を覚ましてくれる。
 目覚めさせてくれるのは、黒たんがあんなに会いたがってた知世姫。
 そして。目覚めたら、オレのせいで失ったものの大きさを、黒様は改めて知ることになる。
 その後で、オレは黒様に会うんだ。



 薬の準備や、休憩のためにここを使っていたお医者さんたちがいなくなって、ガランと広くなった隣の部屋。
 まだ残されている薬は、黒たんがこれから飲ませられる予定のもの。
 すごーく苦いんだって。かわいそうに。
 眠る黒様を囲うように吊るされているカーテンの内側から、久しぶりに焚かれた──最初の頃は煙たいほどに充満していた──練り固めた痛み止めの薬草の匂いが、この部屋まで漂ってくる。
 傷は塞がったはずだけど、まだ完治したわけじゃないから、念のためにって。
 大丈夫かな。痛くないかな。
 更に念を入れて、最後の癒しの術を施してから眠りを解くって言ってたけど。

 目覚める瞬間に同席するのを辞退した理由は、自分でもよく解らない。
 知世姫との再会を邪魔したくなかったのか。
 腕を失ったことにショックを受けるだろう黒様の様子を見るのが恐かったのか。
 あるいは…… 知世姫との再会を喜ぶ黒たんを見るのが嫌だったのか。

 セレス国の次が日本国で良かったと、そう思ったのは嘘じゃない。
 重傷を負った黒様の治療には、この世界が最適で。だから、良かったと思った。
 適切な治療も受けられたし、目が覚めたら、慣れ親しんだ環境で療養に専念できるはずだもの。
 黒様のためにはこれ以上の国はないんだから、良かったねって言ってあげたいと思う。
 それは絶対に本当だよ! でも。それだけじゃない気持ちも、どうしても消せないんだ。
 ……ごめんね。
 黒たんの念願が叶って、やっと日本国に帰ってこれたのに。オレってば心が狭いよね。
 生きていてくれるだけでいいと、本当に心からそう願ったのに。
 日本国の神様は親切でちゃんと叶えてくれた。これ以上欲張ったら、罰が当たっちゃうよ。



 そんなことを考えているうちに、知世姫が部屋に入ってから数分が過ぎて───
 声が、聞こえた。くろさまの!
 黒さま、起きた。ちゃんと起きた! よかった……
 第一声で皆の安否を気遣うなんて、黒たん、君はなんて立派なおとーさんなの。

「おかえりなさい」と迎えられた黒様。よかったね。帰ってこれてよかったね。
 もう少し早く辿り着けていたら、君はセレスになんか行かなくて済んだのにね。
 その前にここでお別れしていれば、あの国で大怪我することもなかったのに。

 黒様の声。知世姫と会話する声が、はっきりと聞こえてくる。
 身体から力が抜けて寄り掛かりそうになるけど、この扉はガタンと外れそうで怖い。
 いつもの声。苦しそうな様子はない。しっかりした、落ち着いた優しい声。
 立ち聞きになっちゃうけど…… きっともう、オレがいるのは判ってるよね。
 気配を消すのは諦めてる。どうせ気付かれるに決まってるんだ。黒様はニンジャだから。



 知世姫が───黒様に、教えてくれたんだ。
 オレを連れ出す方法。オレの魔力が込められた何かを、身代わりにするように、って。
 ビックリの連続のはずなのに、君はとても冷静だね。
 却ってオレの方が、あの魔法の性質については知ってたくせに動揺してる。
 ゴメンね。オレが、黒様の腕に魔法を掛けてしまったばっかりに。
 もしも刀の方に掛けていたら、黒様は無事で、蒼氷を置いてくるだけでよかったの?

 知世姫は夢で何もかも知っていて、それでも黒様を信じて送り出してくれた。
 そして。先に告げなかったことを咎めないのかと言う問いに対して、黒様の答えは。
「知っていて言えない苦しさは、知らない者にはわからねぇ」
 くろ、たん……!

 ……ちがう。違う。間違えちゃいけない。
 これは、夢見である知世姫に対しての言葉。わかってる! でも。
 あぅー、どうしよー。なんだか泣きそうだ。
 知世姫の前で黒様にゲンコツするまでは、絶対に崩れるわけにいかないのに。
 オレが。力の戻ったサクラちゃんが。今一緒にいる小狼君が。
 それぞれがお互いに言えないことを抱えて、結局、正直者は黒たんとモコナだけだったね。
 どんなに言いたくても言いそうになっても言うわけにはいかなくて。言ったらおしまいだと思って。
 知世姫だけじゃなくてオレたちのことも、黒さまは許してくれるかなぁ……?

 君は、オレを置いてどこまで大人になるんだろう。
 もしかして、今なら「黒わんこ」って呼んでも、もうそんなに怒らないんじゃないの?
 最初はおっきな子供だった黒たんが、こんなに優しくなって、懐が広くなって、頼れる人になって。
 今のはすっごい殺し文句だったよ。カッコよかったよぅ。知世姫だって絶対感動したよ。
 黒たんたらオレだけじゃなくて、主君までも射落とすつもりなの?
 でもきっと、本人にそんなつもりはないんだろう。



 言うべきことは、「よかった」でも「おめでとう」でも「ごめんなさい」でもない。
 どうしても言わなきゃいけないのは、たった1つ。「ありがとう」だよね……?
 本当に、どうもありがとう。生きててくれて、助けてくれて、今まで一緒にいてくれて。
 泣きそうになってる場合じゃない。しっかりしなきゃ。
 ありがとうって。心から感謝してるって、黒様にちゃんと伝えるまでは。



ファイは廊下で待ってたのかと思いきや、あれは次の間ですよね。床の板目が横じゃないものね。
焚いてる薬草というのは、蚊取り線香イメージで(笑) 意識はそのまま、痛みだけを麻痺させる優れものだ!
(そうじゃないと、看病する人まで腑抜けてしまうから)
しかし小狼とモコナは、サクラを看てた様子もないし、この間いったい何を……(禁句)

20.12.7




167話 諏倭の眼帯さんを思い出して欲しかったが…… 名前がわからない


 ここは…… どこだ。
 自分1人が寝かされているらしいことに、背中が粟立つ気分を味わった。
 愕然として一気に目が覚める。
 力任せに握っていたはずの腕の感触がねぇ。どこへ行った! あいつは、あいつらは。

 ……あぁ、いや。腕は。 
 あいつの腕を掴んでいた俺の腕は、あの場に置いてきたんだったか。
 当の本人はどこだ。引き換えに引っ張り出したはずの、ひょろ長ぇのは。
 焦る俺の耳に届いたのは、信じられねぇが間違えようもない声だった。

 知世姫─── 
 いつぞやのような、魂を同じくする別人じゃねぇ。本人だな、これは。
 変わらねぇその姿。細く開けた障子の向こうの空気も、紛れもなく肌に馴染んだものだ。
 帰って……来たのか。帰れたのか。日本国に。
 あいつらも全員ここにいると言うなら、何も問題はねぇ。
 ……そうか。連れて、来られたんだな。
 置いては来なかったんだよな。あの凍て付いた場所に、独り残しては。
 あの時聞こえた、懐かしい声。求めていた答え。
 幻聴かと思ったが…… 本当にお前だったのか。



 教えてくれて、感謝する。おかげで、大切なものを再び奪われずに済んだ。
 あの声がなかったら俺は、ただ闇雲に手を掴んだまま、為す術もなかったことだろう。
 いずれは力尽きて、あいつをあの場所に置き去りにしてしまっていたはずだ。

 それから。旅立ちの際、「守」を授けておいてくれたことに感謝する。
 術を掛けられた時点では、さっさと戻ってこの戯けた「呪」を解かせることしか頭になかったが(や、あの状況と日頃の言動からして、フザけんなと思われてもしょーがねーだろ)、おかげで生きて戻って来れた。
 あの時から既に一連の困難を知り、無事を祈っていてくれたことに感謝する。

 そしてもう1つ。その昔、俺を拾ってくれたことに感謝する。
 魔女の一手なんぞになったつもりはねぇが、あの野郎の駒になるよりゃよっぽどマシだからな。
 あのとき知世姫に鎮められなければ、俺は人の心を失ったままだったろう。
 喪失の衝撃で己を見失い、怒りと憎しみのままに銀竜を振るった。
 魔物も人も関係なく、近づくもの皆全てを吹き飛ばした。あれは狂気だ。
 あのまま蝙蝠野郎に拾われていたら、どうなっていたことか。
 父上の教えも忘れ、今でも俺はその歪んだ力を振り回していたのだろうか。
 魔女の許へ送れと、知世に危害を加えてでも次元移動を強要してたかもしれねぇ。
 奴の野望の器としての姫の護衛の役割を割り振られ、変わっちまった小僧みてぇに、邪魔者を血も涙もなく機械的に排除していただろうか。
 そんな状態の俺があいつらに出会ったとして、守ってやりたい気になるとは思えねぇしな。



 知っていても喋っちゃならねぇとか、面倒くせぇしきたりは俺には解らねぇ。
 だが力ある連中がそれぞれの制約に縛られた範囲内で、己に出来る限りの手を尽くしてきたと俺は信じる。
 その結果何か不都合が生じたとしても、それはしょうがねぇことだろう。次の手を打つまでだ。
 特別な力はねぇが、俺は俺のできることをやる。

 俺には、世界を変えるような特別な力はない。
 だがだからこそ、他人に利用されることもなく、俺は俺のままでいられたのかもしれねぇな。
 知世、お前が利用されてなくて何よりだ。
 天照やら月読やらが取り込まれたとあっては、日本国の一大事だからな。
 諏倭や、魔術師の故郷のようなことになってもおかしくねぇ。あの姫の国も無事では済むまい。
 俺自身が、日本国が揺らぐ元凶になってたのかもしれねぇと思うと、ゾッとするな。
 先読みの力の強さが影響しているのか?
 魔物には有効だった母上の結界も、中央の守護たる月読の力には遠く及ばないものだった。
 その中でぬくぬく守られたガキなんぞ、きっと格好の餌に見えていたことだろう。畜生。

 知世姫の言う『真の強さ』ってのが何なのか、俺にはイマイチよく解らねぇ。
 しかし俺の得た答えが正解だと言うなら、それはあいつらに教えられたことだ。
 守りたい思いの分だけ強くなる。またその相手からは、想う分だけ逆に力を貰える。
 それほど大切に思える何かを見つけることが、強さを得るということなのかもしれない。





 知世姫が立ち上がるのとほとんど同時に、次の間に続く襖が開いた。
 開ける前から、そこにいる気配には気付いていたが、……なんつー着物を着せられてやがる。
 どう見ても特別誂えのその意匠。どーせ知世の仕業に決まっているが。
 必要以上に人を着飾らせて喜ぶ悪趣味、まだ飽きもせずに続けてやがったのか。
 日本国の風習を知らねぇこいつは大人しく応じただろうから、さぞかし存分に腕を揮えたことだろう。

 神妙に入ってくるその姿。真っ直ぐに歩いてきて、俺の脇で静止する。
 俯いたままの視線。また何か、くだらねぇことでも考えてやがるのか。
 しょうがねぇから、こちらから水を向けてやらなきゃならねぇかと思ったその時。

 額に衝撃が降ってきた。ガキの頃、親父にやられて以来の。
「お返しだよ、『黒様』」
 ……この野郎。元気じゃねぇか。
 あぁ、久々に俺を呼んだな。知世の前で犬呼ばわりしなかったことは誉めてやる。
「ぶっ飛ばすぞ、てめぇ」
 吸血鬼にしちまって以来、微妙に逸らされ続けていた視線が、真っ直ぐに俺を射抜く。
 ふん、これなら大丈夫だな。じきに、前みてぇなへにゃ笑いもできるようになるだろう。
 見てろ。そのうちに、今度は本当に笑えるようにしてやるからな。



「大変良いものを見せていただきました。それでは、私はこれで」
 ……クソ、遊ばれている。
 これでまた後で、嬉々として報告された天照から、どうして私にも見せなかったと嫌味を言われるのだろう。

「知世」
 ホホホと軽やかな笑い声を立てながら退室しようとする姫を、思わず引き止める。
 長く仕えてきて、こんなことを言う気になったのは初めてだが。
「……礼を言う」
「…………」
 ───おい。
 驚くのは解るが、そんなに固まるほどのことかよ。失敬な。
「あっ、そうだよ! 知世姫は、黒様に癒しの術を何度も掛けて下さったんだよ」
「そうか…… 世話を掛けた」
 俺に頭を下げられた知世はなぜか、隣で慌てて一緒にお辞儀をしたヤツの手を取った。
「ファイさん! よくぞここまで黒鋼を礼儀正しく躾けてくださいました。お礼申し上げますわ」
「誰が躾けられただ!」

 怒鳴ったつもりが腹に力が入らず、我ながら情けない声になった。
 さすがに、まだ本調子には程遠い、か。
 下手をすると、笑わせるどころか泣かせることになりかねないので、ここは大人しく引き下がるしかねぇか。
 支えるようにしゃがみ込んだ魔術師と俺とを等しく見詰めた後、クルリと背を向けて出て行く主の後姿は、心なしか楽しそうだった。
 頼むから、今のは報告しないでおいてくれと言いたかったが…… 無理な相談だよな。



起き抜け早々、なぜにコメディと化すのだウチの黒鋼は…… 原作はあんなにカッコいいのに、おかしいな。
そしてファイがげんこつを落とした意味は、黒鋼に伝わっていないのであった(ありゃ)
月読が夢見でなくなっても、日本国は大丈夫なんですかね? 結界さえ張れればそれでいいのかな。
私は知世姫の扱いを間違っているかもしれませんが、どうにも怪談に打ち興じる最強姉妹の姿が抜けなくて……

20.12.22




167話後 ようやく、デレ解禁!


 布団の上に起き上がってる黒様。
 ……久しぶり。元気そうだね。
 カラ元気じゃないよね。ヤセ我慢じゃないよね。ちゃんと治ってるよね。
 オレの見たところ、体力は落ちてるだろうけど、傷は取り敢えず平気そう……?
 やっと塞がったところなんだから安静にしてて欲しいのに、黒様ってばしっかり起き上がってる。
 それだけ体力が残ってたってことだよね。……ホントに、頑丈なんだから。
 よかった…… よかったねくろさま。元気になって、帰って来れて、本当によかったね。

 部屋に入って、側に寄って。お返しのゲンコツを落として、「黒様」って呼んで。
 ここまでは上手にできた。次は「ありがとう」だ。
 言うぞ。言わなきゃ。頑張る。頑張るよ。……でもどうやって?

 にっこり笑って「ありがとー」なんて、旅の途中でもさんざん言ってきた。
 サクラちゃんたちにお店のお手伝いしてもらった時も、料理を褒めてもらった時も。
 黒たんがしょっぱい顔しながら、小麦粉いっぱい買ってきてくれた時も。
 こんなに大きな犠牲を払って命を救ってもらった時にも、おんなじ「ありがとう」でいいの?



 知世姫のからかいに怒ったのに、大声で怒鳴れなかった黒様。
 痛かった? 苦しいの? 大丈夫? 思わずしゃがみ込んで腕を取った。
 黒様の腕。オレがたまたまこっち側にいたから掴めた、片っぽだけ残った右腕。
 もしも反対側にいたら、ヒラヒラした袖しか掴めなかったんだと思うと、たまらなかった。
 ぎゅううぅっとしがみ付いても文句が出ないほど、こんなにがっしりと丈夫なのに、もう片方は。
 この身体から切り落とされて、閉ざされたセレスに置き去りにされて。
「……ったのに」
「ぁあ?」
「オレ、のせいで、誰も不幸にしたくないって、……言ったのにっ!」
 あぁ、何言ってんのオレ。ありがとうって言うつもりだったのに。

 黒様は馬鹿だ。大切な腕と、オレなんかを引き換えにするなんて。
 見たくせに。オレが今まで、どれだけたくさんの人を不幸にしてきたか、知ってるくせに。
 ファイも、王も、大切な人をみんな。両親も、皇も、肉親の全てを。
 違う世界なら大丈夫だろうと願っても、結局は同じことで。
 ヴァレリアも、セレスも、直接には関わりのなかった人まで、そこに住む全ての人を。
 サクラちゃんを直接手に掛けて、小狼君から彼女を奪って。
 黒様だって。東京でオレの餌になって、今度は腕を……

 人と交わる限り、オレは、不幸の源になる。
 誰も不幸になんてしたくない。それは本当に本当だよ! ……でも。

 オレは待ってた。連れてってくれる人を、ずっと。
 1人でどこへでも行けるようになってからも、変わらず待ち続けてた。
 逃げるだけの、偽りばかりのオレが、『本当』になれる人。
 友達、仲間、恋人、家族…… どんな関係でもいい。たった1人の、大切な人。
 心の奥底では欲しくてたまらなくて、でも諦めてた。どの世界でもオレは凶兆なんだって解ったから。
 大切な人を不幸にしてしまうくらいなら、独りでいた方がいい。
 心から、そう、思って─── 思い込んで。自分に、そう言い聞かせて。ずっと。
 それなのに。
 本当は嬉しくて。セレスから一緒に連れ出してもらえたことが嬉しくて。
 いちばん大切な人を不幸にし続けているのに、それでも嬉しいなんて、オレは……



「不幸にしたくないと言ったな」
「……うん」
「一緒にいたら不幸を招くと」
 黒たんの口からそれを聞くのはさすがに辛くて、掴んだ手に顔を埋めるようにして肯いた。
 それはさすがに鬱陶しかったのか、その手で払い除けられちゃった。
「ご、ごめんな さ…ぃ !? 」
 振り解かれて哀しかったけど、迷惑だったのなら謝らなきゃ、と口を開いた瞬間、

 たった今振り払われた黒様の右手が、なぜだかオレの肩の上にあった。
 しかも、何だか、ひ、引き寄せられてるみたいなんですけどーっ???
「いなくなる方が酷だとは思わねぇか」
 え…?
「あいつらが寂しがると思わねぇか」
 そ、そりゃ、あの子達は優しいから、たぶん…… そう感じてもらえたら嬉しい。
「俺が、平気だと思うか」
 えっ、黒様も寂しいと思ってくれるの? だったら凄く嬉しいなぁ。

「ひとが何を不幸だと思うかは、テメェが決めることじゃねぇ」
 黒様の声が、頭の上から降ってくる。
 黒様の手は、オレの肩から離れない。
 さっきオレが黒様の腕を掴んでたときみたいに、ぎゅうぅぅーっと。痛いくらいに。

 ───あの。ねぇ、もしか、して。
 ……黒たんは、オレが招く不幸より、オレがいなくなる方が嫌なの?
 大事な腕を、苦労して得た強さを失う不幸より、オレがいる方がいいと思ったの?
 そんな、オレを嬉しがらせるようなこと……!



 あぁ、もしもそれが本当なら。
 この腕の意味を、そう解釈してもいいのなら。オレは。
「ぁ、ありが、と……」
 ……言えた。遅くなったけど、あんまり声にならなかったけど、やっと言えた。言えたよー。

 もう、泣いてもいいよね? お礼言えたし。げんこつのお返しもできたし。
 ダメって言われても、もう遅いけど。
「ありがと…」
 生きててくれて。助けてくれて。連れ出してくれて。
「ありが、とぉ」
 出会ってくれて。一緒にいてくれて。生きたいと思わせてくれて。
「ありがとーーー」
 これだけはファイにも譲りたくない、大切な、特別な、幸せな……
 
 長く長く生きてきて、今が一番幸せだ。
 日本国の神様はとっても気前がいいね。この国で生きる黒様も、きっと幸せになれるね。
 もうすぐお別れする最後に、大切な宝物みたいな想い出ができた。
 たくさんの世界、たくさんの人の中でも、今のオレが、きっと一番幸せ───



1ヶ月ぶりですすいません。ここで両想いイベントを起こそうと苦戦してたのに…… 起きませんでした! なんてこと。
周囲にはとっくにバレバレだし、もうこの際、このまま突っ走ってもいいか? と思いつつあります。
次の黒鋼サイドでなんとか! ……ならんな、この分ではきっと。

21.1.25




167話後 要、軌道修正


 知世姫が退出してほどなく、魔術師から苦情が出始めた。
 俺の残った腕にぎゅうぎゅうしがみ付いて、不幸にしたくないと言ったはずだと。
 ……あのなぁ。
 この部屋に入るずっと前から、おまえは襖の向こうにいたんだろう?
 俺が知世と話してる間、ずっとそこにいただろーが。ちゃんと聞いてなかったのかよ。
 悔いる気持ちはねぇって言っただろ。

 確かに、それは前に聞いた。追い詰めて抉じ開けてようやく垣間見えた、本音の欠片らしきもの。
 周囲の不幸は、全て自分が原因だと思い込まされてきたのも知った。
 だがな、単にてめぇがいなくなりさえすれば済むと思ってんなら、そりゃ大間違いもいいとこだ。

 いなくなることで不幸にするのはいいのか。
 あそこにおまえを捨ててきたとして、俺がその後、のうのうと生きてられるとでも思ってんのか。
 腕を惜しんでおまえを喪って、その方が幸せだとでも本気で考えてやがるのか。
 遺される者の辛さは、おまえこそが身を以って知ってるはずじゃねぇのか。……馬鹿野郎が。
 じゃあ何か。姫を取り戻そうと必死な小僧に向かって、怪我するから止めとけとおまえは言えるのかよ。
 いくら危険だろうが傷つこうが小僧は姫を諦めねぇと知ってんだろ。同じことだ。
 だいたい、小僧のために自分の目を差し出しやがったてめぇが、人のこと言えんのかよ、



 どうすりゃいい。
 腕なんかよりずっと大事なものがあるんだと、コイツに教えるには。
 てめぇの犠牲になった訳じゃなく、俺が自分で選んだのだと解らせるには。
 この頑固なわからず屋にそれを信じさせるには、何をすればいい。
 どう言ってやりゃコイツは納得するんだ。

 掴まえる。言葉で解らねぇなら、行動で解らせる。
 失くさなくてよかったと、いなくなることこそが不幸だと、共にあるだけで報われたと。
 そのために強くなった。大切なものを今度こそ奪われずに守りきれた。これ以上の満足があるか。
 追い詰めるたびにすり抜けてきたコイツを、今度こそ俺はこの手で捕まえたはずだ。
 この期に及んでまだ逃げ出そうってんなら、また何度でも掴まえる。
 もう絶対逃がさねぇ。
 
 
 
 ……が、しかし。
 実際に今、この手で掴むためには、右腕にしがみついているこいつを一旦振りほどかないことには、どうにもならないことに気づいた。
 こうなったことを悔いちゃいねぇが…… 片腕だけってのは、なんとも不便なもんだな。
 仕方なく力任せに腕を引っこ抜くと、その乱暴な動きに俺が怒ったとでも思ったか、即座に謝られた。
 違うっての。こうでもしねぇと、俺が腕を使えねぇだろーが。
 俺が、俺の意思で、おまえを掴まえる。
 今度こそすり抜けられねぇように、腕だけでなく、今度は身体ごと。

「いなくなる方が酷だとは思わねぇか」
 なんだその不思議そうなツラは。本気で解ってなかったってか。
 てめぇだって、俺がくたばったら、ちっとは堪えるんじゃねぇのかよ。
 今のおまえが、こんなにやつれた酷ぇ顔してんのは、俺がずっと臥せってたからじゃねぇのか。
 同じことだろうが!



 最初は、震える息遣いに紛れた、微かな擦れ声。
 囲った俺の右腕に大人しくすっぽり納まって、ヤツは馬鹿の一つ覚えみてぇに繰り返す。
 消え入りそうな「ありがとう」 
 泣き出す寸前の「ありがとう」
 大泣きするガキがよくやる、駄々っ子みてぇな「ありがとう」
 ……ふん、ようやく一歩前進したか?

 ───と、ここまではよかった。

 もういいからと、しょーがねーなと、頭のひとつでも撫でて宥めてやろうかとした矢先に、俺の耳に届いた言葉は。
「ほんとに、本当に、今まで、どうもありがとう……」



 ? ……ちょっと待て。ちょっと待てコラァ!
 ドサクサに紛れて、聞き捨てならない一言を聞いた気がする。
 
 今まで、とか言ったか? どーゆー意味だコラ。
 どこへ行くつもりだ。帰る場所もねぇくせして、当てもなく、ただ俺たちから離れるつもりか!
 あの記憶はインチキだと判明したってのに、未だに自分を不幸の元だとか、思ってるんじゃねぇだろうな? 冗談じゃねぇぞ。
 んなことさせてたまるか。手放してたまるかよ。
「今更、てめぇだけ勝手に足抜けできると思うなよ」
「え?」
 べそべそしていた顔が上がり、濡れた蒼いひとつ目が、不思議そうにゆるりと丸くなった。
「抜けるのは…… 黒様でしょう?」

 おい─── 途端に襲い来る脱力感。
 まさか、おまえは、俺がこのまま、日本国に残るとでも思ってやがったのか?
「……ば、」
 俺が決着も見届けずに一抜けすると、本気で思ってやがったってか。
「馬鹿かてめぇは……!」
 いくら日本国に辿り着いたからって、ここまで来て、はいサヨナラと放り出せるワケねーだろーが !!

 ……手に入れたと思った。
 あれほどまでの思いをして、ようやくコイツを手に入れたと思った。
 その相手が─── あっさり俺を置いて行こうとしていた現実に、冷や汗が出そうになった。
 俺が知世の許に残る道を選ぶと決めてかかり、疑ってもいねぇらしいコイツに、眩暈がした。




再開早々、やっぱりコメディ落ちですまん黒鋼。だがウチの子である限り、ヘタレる運命からは逃れられないようだ。
いや、できればカッコ良く決めさせてやりたいと思ってはいるんだが…… すまんのぅ。

21.10.18




167話後 こんなオチですいません


 しあわせだなぁー って、うっとりしてたら…… 怒られた。
 バカかって言われた。ひどいー。
「ここで、おまえらだけ放り出せる訳ねーだろーが!」
 ん? え、
 ……あの、えっと、それって、まさか。
「く、黒さま、も……?」
 次の世界に、行くの? 一緒に? 一緒に? 本当に?
「当然だ」
 そ、それ、ホント !?  でも…… 
 せっかく帰れたのに。あんなに帰りたかった、知世姫のところに帰れたのに。
 それに、オレと一緒にいて、これ以上不幸になったらどうするの?



 とかいろいろ考えて、一瞬パニックになりかけたけど……
 オレの肩に回された黒様の手が、あり得ないくらいに優しくて─── それでやっと気がついた。
 そうだよねー。こんなの、あり得ない。
「なぁんだ。これ、夢かぁー」
 オレってこんなに欲張りだったっけと、我ながらおかしくなった。
「……んだと?」
「どーりでオレの都合のいいようにばっかり、話が進むと思ったよー」
 思わずクスクスと笑いが漏れる。いくら夢だからって、自分が嬉しいことばかり思い浮かべて。

 眠ってる証拠に、頭がふわふわする。夢だから、黒たんに寄り掛かっても怒られない。気持ちいいー。
「何で夢だと思う」
「えー、だってさ、せっかく知世姫のところに帰れたのに」
 まるで桜都国みたいにリアルだったからさ…… うっかり、また現実だと信じちゃうとこだったよ。
 まるで桜都国みたいに幸せだったからさ…… だからこれ、また、夢だよね?
「こんなにいい夢なら、オレ、もうずーっと寝てたいな」

 オレは、どこまで図々しくて欲張りなんだろう。
 黒様が生きていてくれさえすれば、それだけでいいと願っていたつもりだったのに。
 本当は、心の底では、こんなにもたくさんのことを望んでいたのか。
 元気で、優しくて、強くて、温かくて、近くで、一緒に、これからも、ずっと───
 夢なら全部叶えてくれる。オレの身勝手な我が侭を、諦めていた望みを、こんなにいとも簡単に。
 ……夢だけならいい? 夢の中だけにしとくから、今だけ、望んでも、欲しがってもいい?
「もすこしここにいたい。もう少し、もっと長く、もっとずっと、傍に、いたいよ……」



 どこからが夢? 日本国に着いたのも夢? 
 あのままオレはセレスに残って、魂だけで夢を見てるの?
 それとも…… 旅に出たのも、黒様に出逢ったのも、全部、全部、夢なのかなぁ。
 オレの身体は今もあの谷で、雪に埋もれて眠っているの?

 それでもいいや。夢を見るのは、オレ、好きなんだー。
 寒くもなくて、痛くもなくて、寂しくもないから。
 そこには崖なんかなくて、あってもどこまでも簡単に登れて、どこへでも行けるんだ。
 目覚めたときに悲しいけど、夢の中では誰かに会えるから。
 そこにはいつでもファイがいて。時には、会ったことのない父様と、二度と会えない母様がいて。
 初めて見る人でも、そこでは友達にだってなれるから。
 何度も会ううちに、そのうち大好きな人達になるから。
 王も、チィも。モコナも、小狼君も、サクラちゃんも。
 たとえ夢の中の人でも、オレにとって、こんなにも大切な人になることだってあるんだ───



「……心配するな。正夢にしてやる」
「ほんとー?」
 そうだったら、どんなにいいだろう。
「おう。だから安心して、朝までゆっくり寝てろ」
「あははー、黒さまやさしー。やっぱり偽者クサイー」
「んだとコラ」

 正夢だったら最高に嬉しいけど、ただの夢でも、もう、それでもいい。
 オレは、幸せな夢を見た。
 夢で旅をして、黒様を好きになって、幸せになった。
 黒様が生きてて、この次の世界へも一緒に行くって言ってくれた。それを聞けた今この瞬間が、たぶん、この夢のいちばんのクライマックスだね。
「その代わり、ちゃんと起きねぇと承知しねぇぞ」
「……うん」
 ちぇー、つまんなーい。……でも。
 君がそう言うなら、どんなに名残惜しくても、いつか、ちゃんと起きなきゃね。

 こんなに、あり得ないくらい近くに黒様がいて、普通だったら、心臓が壊れそうにドキドキ騒ぐよ。
 でも夢だから。泣きたいくらいに穏やかで、これ以上ないほど安心してる。
 そっと目を閉じると、肩に置かれた手の強さと温もりが、薄い着物越しに今以上に伝わってきて。
 このまま眠ってしまうのがもったいなくて、目覚めてしまうのがもったいなくて。
 もう、どっちだかわからなくなって───



勝手に夢オチにされた黒鋼が不憫ですが…… 極度の寝不足で疲れ切ってるんだよ。許してやってー。
安心して緊張の糸が切れた後は、やっぱり爆睡させてやりたい母(誰がじゃ)心。

21.10.25




167話後 黒鋼サイドのみ、ようやく極々そこはかとなく両想いっぽい自覚が(笑)


 ……寝やがった。
 思わず、盛大な溜め息が漏れた。
 この分では、明日もまたこの話を蒸し返さねばならないのかもしれない。

 日本国に戻れた。それだけでもう、こいつの中では、俺がここで抜けることは決定事項ってか。
 この件に関して、俺はとことん信用がないらしい。
 俺と一蓮托生になっちまったことを、忘れている訳でもないだろうに……
 あぁ確かに最初の頃は、日本国に帰ることだけが目的で、他には一切関わらないつもりでいた。
 小僧の事情も、てめぇの過去も、知ったこっちゃねぇと思ってたさ。
 だがそれだってなぁ、こうまで長く一緒に旅を続けてりゃ、情が移るってこともあるだろうが。
 仲間だと認めた奴が騒動の渦中にあるなら、手助けしてやりてぇと思っちゃ悪ィのかよ。

 それに何より、蝙蝠野郎のことがあるじゃねぇか。
 あん時見せられたおまえの記憶の中で、初めて奴の顔を拝んだ。
 あの男は小僧の敵、お前の片割れの仇ってだけじゃねぇ、俺の両親と領民の仇だ。
 倒さねぇでどうする。あいつの息の根を止める前に、投げ出せる訳がねぇ。
 日本国に戻っただけで、何一つ解決しちゃいねぇってのに、ここで抜けられるか。



 いい夢だと言ったな。
 俺が一緒に行くのは、おまえにとって都合がいいんだと。
 もっと長く、ずっと傍にいたいと。確かにそう言ったな。
 それは、建前じゃないおまえの本心だと…… そう思っていいんだな?

 さっきとは別の意味で、深い溜め息が漏れる。
 吸血鬼にしちまって以来、頑として崩さなかった、あの腹の立つよそよそしい態度。
 目も合わせず、得意の『笑顔』すら作らず、表面上だけは普通に交わす会話。
 あれは、無理して他人行儀に振舞っていたんだと、そう解釈してもいいんだな?

『自分からは近づきたいくせに、他人からは踏み込ませない』 それがこいつの基本だ。
 以前は後半だけを隠していたが、ここんとこずっと前半もひた隠しだったな。
 ……馬鹿が。
 本当は誰かに─── 俺に、甘えたくてしょうがねぇんだと、そう白状したも同然だと。
 そう解釈しても、……なぁ、いいんだろう?

 安堵の、溜め息が漏れる。
 掴まえた。ようやく手に入れた。
 いちばん大切なものを無くさずに済んだ。俺が勝った。この手で守りきった。
 代償は確かにちっとばかし高くついたが、こいつと引き換えだと思えば惜しくはない。



 伸びた金色に半ば隠れた耳を珍しい角度で見下ろしつつ、あの時見せられた光景を思う。
 自分からは決して話そうとしなかった、魔術師の過去。
 ありゃ確かに、俺たちには知られたくねぇことばかりだったろう。
 誰からも疎まれ、その後は誰にも省みられなかった幼少期。
 片割れを喪い、新たに得た保護者の許で、科せられた『義務』のために生きたという日々。
 そして、この旅に加わる最初っから、悪党の手先たる自覚があったという事実───

 長髪野郎が与えた守り石の中に、姫の羽根さえなけりゃ、な。
 そうすりゃ片割れの躯は時と共に朽ち果て、失われた命が戻るとかいう蝙蝠野郎の与太話を、延々と信じ続けたりしなくて済んだはずだ。
 時の止まったままの亡骸を後生大事にして、水底を覗き込み、話し掛けたりしてたんだろう。
 片割れのためだと信じ込んだ『義務』を、いつか必ず果たすと骸に誓ってもいたんだろう。
 蝙蝠野郎に誑かされたまま、命も名前も返すとか、阿呆なことだけを生きる目標なんぞにしやがって。
 死んだ当の本人が、大事な片割れのおまえにそんなことを望んだりするはずもねぇと、疑ってみることすらしなかったのか。

 ……馬鹿野郎が。
 フザけた望みを植えつけられ、そのまま大人になっちまいやがって。
 稽古して作れるようになった『笑顔』に、何もかもを隠すことばかり上手くなりやがって。
 どんなにお偉い魔術師様だったかは知らねぇが、本当のこいつは今も、人に飢えた子供のままだ。
 当然だな。誰かの代わりに生きているつもりの人間が、本心から満たされる訳がねぇ。
 苦しくて、寂しくて当たり前だろう。



 これからは、自分のために生きてもいいだろ。
 片割れの代わりにじゃねぇ、おまえ自身の望みを叶えるために。
 傍にいたいと言ったな。夢だと信じている戯言の中で。この耳で確かに聞いたぞ。
 叶えるためにはどう行動すべきか、自分で考えて決めればいい。手助けくらいはしてやる。

 が、それはそれとして、俺は俺のやりたいようにさせてもらうがな。
 こいつの希望が俺の意思に反するようなら、全力で阻止しなきゃならねぇ。
 こいつの望みが俺の望みどおりならいいと思うし、そうなるように仕向けるつもりではいるが。
 取り敢えず今は、「傍で」「寝ていたい」という、ささやか過ぎる願いを妨げる理由は何もない。
 正面切って甘やかしたりはしないが、これくらいなら叶えてやっても……

 ……いや。正確には、何もないという訳でもない。
 その辺で監視がてら待機しているはずの、忍の顔が浮かばないでもなかったが───
 がっちりと握られたままの袖を見れば、これを引き離す気にはどうしてもなれなかった。
 報告を聞いた知世に後でからかわれるくらいは、……しょうがねぇ、我慢してやるか。
 仕方ねぇと覚悟はしたものの─── 憂鬱な溜め息が漏れるのは止めようもなかった。



そういうのを我慢できるようになったことが、いちばん大人になった部分だと思うんだ。
ホリツバの黒鋼先生並みの、ため息の多さでお送りしました。奴らにプライバシーはないのか!(笑)
病み上がりにつき、念のために蘇摩さんあたりが、小声なら聞こえないくらいのところに待機してると思います。

21.11.25








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