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太政官とは、立法・行政・司法すべての政治を総轄し八省百官を統括する、天皇の代理機関とも呼べるもので、「大宝令」以後の二官八省の官制で、命令系統の最上位に置かれた機関です。
朝廷が実権を失った後も明治維新まで存続し、明治政府において再び最高官庁として実権を得ることになります(周囲の事情が異なるし構成も大幅に変わりますので、別のものと考えた方がいいですが)。
官内は、「大臣」「納言」「参議」という朝廷最上位の官吏たち、及び、太政官内に置かれた「左弁官局・右弁官局」・「少納言局」の3つの役所で構成されています。この3局をまとめて「太政官内」と言ったようです。
「参議」以上の職は、朝廷の実際的な政治における最重要職なので、官職に対する俸給を与えられます。
組織上は、「神祇官」と並んで(というか、だいたい神祇官の方が優先されて)置かれていますが、たとえば太政官から神祇官へ出された書類(官符)の形式等によって、実際には太政官の方が上位の役所であったことが知られています。
ところで、令制期のものは〔だいじょうかん〕と言って、明治以降のものを〔だじょうかん〕と言うのが通例とされているそうです。もっとも、この語句の対象となるものは他にありませんし、特に根拠があってそうされているわけでもないらしいので、あまりこだわる必要はないと思いますが、参考までに。
当時、和名では〔おほい〔おおい〕まつりごとのつかさ〕と言っています。
唐名(中国の役所名にあてたもの)です。(※このうち、「蘭省」は、後世になると弁官(=大中少弁)だけを指して言うようになります。)
実は別称ではなく、天平宝字2年(758年)の官名改称でこの名称に変更されたのですが、6年後の官名復旧で元の「太政官」に戻されます。
「つかさ」は「官」という意味ですから「官を管掌する官」てな感じです。
(現代ではどうか知りませんが、少し前までは、)「政官」の借字で、太政官の官人、の意だろう、といわれていたようです。
太政官組織は大臣・大中納言・参議、及び、左弁官局・右弁官局・少納言局の三局で構成されます。
(※ 時代が下ると、左右弁官局は合併されます。)
要職 | 太政大臣 | |||||||||||
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左右大臣・内大臣 | ||||||||||||
大納言・中納言 | ||||||||||||
参議 | ||||||||||||
局 | 左弁官局 | 右弁官局 | 少納言局 | |||||||||
職員 | 大中少弁 | 大中少弁 | 少納言 | |||||||||
大少史 | 大少史 | 大少外記 | ||||||||||
史生 | 史生〔ししょう〕 | 史生 | ||||||||||
官掌 | 官掌〔かじょう〕 | 使部 | ||||||||||
使部 | 使部〔しぶ〕 | |||||||||||
配下の省 | 中務省 | 式部省 | 民部省 | 治部省 | 兵部省 | 刑部省 | 大蔵省 | 宮内省 | − | − | − | − |
養老職員令の規定では、職員構成は以下のようになっています。 太政大臣(1名) 左右大臣(各1名) ↓ 大納言(4名) 少納言 → 大外記 → 史生 (3名) 少外記 (10名) (各2名) 左右大弁 → 左右大史 → 左右史生 → 左右官掌 → 左右使部 → 左右直丁 左右中弁 左右少史 (各10名) (各2名) (各80名) (各4名) 左右少弁 (各2名) (各1名) 巡察使(非常置・若干名----その時の必要に応じて) (※ 養老令撰定の時期は、内大臣、中納言・参議、少納言局の使部は置かれていません。 巡察使は、臨時に置かれる職です。)
(※ 詳細説明は別ページへリンクしています。)
正一位/従一位
正二位/従二位
正三位
従三位
正四位下
従四位上
正五位上
正五位下
従五位上
正六位上
正六位上(延暦二年に少外記が置かれるまでは正七位上)
正七位上
正七位上(延暦二年に設置)
(※ほんの一例。)
大臣職を辞してから務めた例外もありますが、通常は、その時点で最も高位にある大臣が兼任する役です。
(※「延喜式に至るまで(廃置分合の期間:摂政・関白・その他令外の官職)」参照。)
太政官が天皇に対して奏聞する文書をあらかじめ内見する役です。
内覧の宣旨は、摂政・関白には立場上、必ず下されますが、関白でなくても(中納言程度でも)内覧の宣旨を下される人は少なくありません。その意味で、摂政・関白に准ずる立場ともいえます。
首席の公卿のことで、会議や式典のメイン執行役です。大臣・納言が勤めます。
※『記録所』の長官も「上卿」で大臣・納言が勤めますので、混同しないよう注意。....というか、結局、そうした臨時のリーダー「議長」とか「開催委員長」とか、そうしたものを「上卿〔しょうけい〕」というようです。
公卿、の意味で上卿と言っている例もあるようです。
御禊の儀式のときに、「節旗〔せっき〕」の下に立つ役で、大臣が勤めます。略して単に『節下』と言うこともあります。
【節】=儀式の際に用いる旗。この旗そのものを指して「節下」と言っていることもあります。
【御禊〔ごけい〕】=大嘗会を行うため、その前月に天皇が鴨川で「みそぎ」する儀式。斎宮や斎院が祭祀の前や卜定後に行う鴨川での「みそぎ」を指しても言います。
節会のときに、承明門の内外でそれぞれの御用を勤める役で、大臣以下が勤めます。内弁は上卿、外弁は次席の公卿です。
【節会〔せちえ〕】=天皇参加のもと、群臣に宴を賜う儀式。
文殿を管理する役です。
たとえば、左右弁官局の場合、それぞれに、史が一名『別当』、史生が各二名『公文預』となり、一年交替で勤めます。
【文殿〔ふどの〕】=太政官内にある公文書庫。役所ごとにあって、(時代によって変遷があるかもしれませんが)単に「文殿」と言っている場合は少納言局の文殿、時代が下るとこれを「外記文殿」とも言ったらしく、また、左右弁官局の場合はそれぞれ「左文殿」「右文殿」となっているようです。
役というより、諸国の巡察をする職のようですが、常置ではなく、巡察に応じて置きます。
内外の官(都や地方の役所)に於いて「清く正しく灼然なる人」を仮に充てます。巡察する事柄の子細や規則、また、使人の数(巡察使や、雑役を勤めさせる「召使〔めしつかい〕」を2名置くなど)はその時々の必要に応じて定めます。