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イギリス・パリ Part 2
1996年11月6日〜13日(8日間)
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Part 1 ロンドン、ウィンザー城、ピカデリー・サーカス、バッキンガム宮殿、タワーブリッジ、ロンドン塔、大火記念塔、トラファルガー広場、国会議事堂、ビッグ・ベン、大英博物館、ハイドパーク
Part 2 ユーロスター、パリ、モンマルトルの丘、コンコルド広場、ルーブル美術館、シャンゼリゼ大通り、凱旋門、エッフェル塔 、シャン・ド・マルス公園、ノートル・ダム大聖堂
Part 3 バース・スパ、ロイヤル・クレッセント、エディンバラ、エディンバラ城、ニュータウン、オールドタウン


イギリスとパリイギリス事情LON PAR
 イギリスの正式国名は『United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(グレート・ブリテン島および北アイルランド連合王国』です。イングランド(England)と言うのはイギリスの一部でイングランド州を指します。日本で学校の英語教師は「イギリスのことを英語ではEngland」と教える場合がありますが、これは間違いです。イギリスを指す表現はUK(United Kingdom)と言った方が良いでしょう。「イギリスの人」という表現も教師は"English people"と教える場合がありますが、これも間違いで、"British people"と言ったほうが良いです。こういわないとスコットランドや北アイルランドの人から反感を買うことになります。"English people"では「イングランドの人」と言う意味です。

 大ブリテン(Great Britain)島は『イングランド』・『ウェールズ』・『スコットランド』で成り立っている『連合王国(United Kingdom)』です。さらに北アイルランドが海の向こうにあり、大ブリテン島(実際は単に「ブリテン島」と呼んでいるが)と『北アイルランド』をあわせて前述のような国名になりました。

 産業革命の時代に、大気は汚れてスモッグかかかっていました。其の為住宅の暖炉は禁止されました。住宅は日本のようにマンスリー(monthly,月極)ではなく、ウィーリー(weekly,週極)となっています。カーテンやら絨毯やら大家は装飾にお金をかけて高い家賃を取ろうとしますが、借りる人は「あれはいらない、これはいらない」とどんどん撤去を依頼して家賃を安くさせることが出来ます。

 イギリスでは核家族がかなり進んでいます。女子学生の場合、16歳になると大抵ボーイフレンドが出来て、両親は心配します。そして妊娠させてはいけないと思って、避妊器具を娘に渡すのです。これに反して18歳になってもボーイフレンドが出来ないと「うちの娘は一生結婚できないんじゃないか」と心配するのです。

 ヨーロッパでは駅構内のドアを開けたら、後ろの人のためにドアを抑えてあげるのが常識です。後ろに人が居なければ閉めます。列車など狭い空間で人と触れたら一言"Excuse me."と謝るのが礼儀です。日本では列車の中で触れても、最悪の場合靴を踏まれても謝ることは非常に少ないですが、ヨーロッパのこの点は見習うべきですね。


エディンバラ ウィンザー城へ バース・スパ パリ
11月9日 (4日目)


パリへユーロスターで日帰り
 朝からユーロスター(the "Eurostar")に一人で乗り、初めて列車で国境越えをしました。地下鉄でウォータールー(Waterloo)駅へ行き、英国鉄道のウォータールー駅と隣接のロンドン・ウォータールー・インターナショナル(London Waterloo International)駅に到着しました。この駅はユーロスター専用の駅です。ユーロスターは全車指定席で、当時発車20分前までにチェックインを完了しなければなりませんでしたが、現在では発車30分前となってしまいました。その後乗車前に手荷物の保安検査が必要です。2007年11月からウォータールーからではなく、セントパンクラス発着に変わりました(ロンドン=パリ間:約2時間15分)

 8:23発の9010便ユーロスター号パリ・ノール(Paris Nord)行に乗車しました。列車は出発すると暫く60km/hほどのスピードで走り、15分後に160km/hにスピードが上がります。しかし前を走っている列車が遅れたため、私が乗った列車までノロノロ運転でした。電気を取り入れるのは地下鉄のようにレールの横からです。列車はアッシュフォールド・インターナショナル駅に到着しました。イギリス国内では降車を行わず乗車のみです。隣のホームにはベルギーのブリュッセル・ミディ(Brussels Midi)行のユーロスターが後から到着しました。列車は出発し、電気は屋根の上から取り入れる方式に切り替えられました。いよいよ51.8kmのユーロトンネルを通ることになりました。トンネルの入口右側に、シールド工法で掘削した巨大なマシンがありました。そして人が乗ったまま自動車を搭載できる『ル・シャトル(Le Shuttle)』の乗場もトンネル入口から少し離れた所にありました。

 ユーロトンネルに入る前に放送があるのですが、"Euro Tunnel"ではなく、"Channel Tunnel"(海峡トンネル)と呼んでいました。ドーバー海峡を通過するためか海峡を強調するのでしょうね。世界第2位の長さのトンネルですが、海底部分の長さは世界第1位です。青函トンネルみたいに数種類の岩石や断層がたくさんあったわけではなく、ユーロトンネルは1種類の岩石に断層が無かった為、難工事ではなかったのです。トンネル内は160km/hで走り、ユーロトンネルを25分ほどで通過して、フランスの地を走りました。
ウォータールー・インターナショナル駅
ロンドン・ウォータールー・インターナショナル駅
ユーロスター路線図


starユーロトンネル内の火災
 私がイギリス・パリ旅行をするのに職場の上司が出発予定日の2週間後だったら休暇を与えると言う話でした。私には都合が悪い期間だったため予定通り11月6日に出発しました。もし上司が言っていた日に出発したら、1996年11月18日に発生したユーロトンネル内の火災の影響で数ヶ月に渡って列車が殆ど運休した為、ユーロスターでパリへ行くことが出来ませんでした。運良く私はパリへ往復することが出来ました。


パリ到着
 列車はパリ・ノール駅(Paris, Gare du Nord)に7分遅れて(当初12:23着)12:30に到着しました(ロンドンから494km)。イギリスとは時差が1時間の為、所要時間は時刻表上3時間でした。
 このノール(北)駅からナチス・ドイツ時代にユダヤ人が家畜用の運搬車でアウシュビッツの強制収容所へ運ばれたのです。パリ駅も複数の駅があり、北駅・南駅などあります。私が下車した駅は北駅でした。到着後、フランス・フランに両替して行列、メトロと言う地下鉄の切符売り場で行列でした。

ユーロスター
パリ・ノール駅に到着した『ユーロスター』


バラメトロの切符購入で困ってしまった
 切符売り場でカルネ(carnet)と言う10枚つづりの回数券、当時46フランスフラン)を買う時にフランス語で"Un carnet, s'il vous plait."と言ったのですが、その時切符売り場の男性はフランス語で何か言っていてアメリカ式のgoodの手つきをしたため、何のことだか分かりませんでした。彼は1フラン硬貨を見せていたのですが、それでも私には何のことだか分かりませんでした。そして私が英語で「何と言っているか分からない」と伝えると、その男性は54フランのおつりと切符を出しました。結局その男性は「もう1フラン出してくれれば(合計101フラン)、55フランのきりの良いおつりを渡しますよ」と言いたかったのですね。手つきも国によって表現が違うものですから、後になって何でこんなことが分からなかったのかなと思いました。

 ユーロスターが到着してから地下鉄に乗るまでに1時間もかかってしまいました。帰りの列車の発車まで約6時間しかありませんでした。しかも次の観光地『モンマルトルの丘』へ行くのに、メトロ2号線が一時運休したため乗換えができず、途中から町並みを見ながら歩きました。ロンドンとは違った町並みですがここも趣がありました。


パリの地図


凱旋門 エッフェル塔とシャン・ド・マルス公園 シャンゼリゼ大通り ルーブル美術館 コンコルド広場 モンマルトルの丘 パリ ノートルダム大聖堂

ペンギンメトロに乗るときは注意!
 メトロに乗るときは自動改札に切符を通して抜き取ればドアが開きますが、降りるときは自動改札が無く、出口専用のドアを通過するだけです。だからと言って切符を途中で捨ててしまう人が居ますが、検札を行うこともあり、最終区間まで切符を持っていないと罰金を取られます。パリのメトロではスリが多く、小学生や赤ちゃんを抱えている母親でもスリを働きます。なるべく駅では空いている所で列車を待ち、ホームのベンチに空席があるときは座ったほうが安全です。車内で人に囲まれたらスリ集団の可能性があるため、他の所へ移動しましょう。
 フランス語が話せなくても、出口(Sortie)・乗り換え(Correspondance)・方面(Direction)の単語さえ覚えれば乗車するのに何とかなります。


モンマルトルの丘
カフェから見た
モンマルトルの丘とサクレクール寺院

モンマルトルの丘
 『モンマルトルの丘(Montmartyer) 』に到着して、麓のカフェで丘を見ながら昼食にしました。そのあと丘の頂上まで階段を上がりました。登りきったところでメトロの券で乗れるケーブルカーを見つけました。「今更見つけても遅いぞ!」と思いました。モンマルトルの丘とは、Mont(丘)・Martyer(殉教した)で『殉教者の丘』という意味です。ここではパリ市内を一望できます。頂上には『サクレ・クール寺院(Basilique du Sacre Coeur)』があります。高さ83m、奥行100mと寺院にしては大きめです。側には『テルトル広場(Place du Tertre)』があり、画家など芸術家の卵がここで観光客に声をかけて似顔絵を書いて売っています。"Oh! You are good-looking!"と声をかけられたことも何回かあり(お世辞?)、日本語が聞こえてきたと思ったら、日本人のアーティストも見つけました。丘を降りて次の観光地へ地下鉄で行きました。地下鉄で売られている缶ジュースは1本約300円と異常に高いのです。


コンコルド広場
     (Place de la Concorde)
 1748年に着工され、1763年に完成しました。
 1793年にルイ16世、マリー・アントワネットがギロチンで処刑された広場です。この辺りから凱旋門までシャンゼリゼ通りのある有名な地域です。この付近に世界的に有名な美術館『ルーブル美術館(Musee du Louvre)』があります。

ルーブル美術館
     (Musee du Louvre)
 残念ながら時間が無くてここで見学することが出来ませんでした。ここは200年以上の歴史を持つ世界的に有名な美術館です。
コンコルド広場 ルーブル美術館


シャンゼリゼ大通り (Avenue des Champs-Elysees)
 全長2km、幅約100mの並木道で、1828年にパリ市の管轄になってからは、ガス灯や噴水で飾られた通りになりました。正面に見えるのは凱旋門です。

シャンゼリゼ大通り


凱旋門
凱旋門

凱旋門 (Arc de Triomphe de L'Etoile)
 1806年にナポレオンの提案で着工し、ナポレオンの死後1836年に完成しました。ナポレオンが生前にこの門をくぐることはなかったものの、1840年にイギリスから返還された棺となってやっとこの門をくぐりました。高さ49.54m、幅44.82mです。門の下から見ると美しい彫刻を見ることが出来ます。車で凱旋門付近を初めて通過すると、道路が5本も交差していて、車が多いことからなかなか出ることが出来ず、何周もしてしまうのです。

凱旋門内側
凱旋門の天井


エッフェル塔 (Tour Eiffel)
シャン・ド・マルス公園
(Parc du Champ de Mars)
 1889年のパリ博覧会のために建築家『エッフェル』によって設計されて完成しました。当時は気持ち悪い建物として非常に嫌がられて、博覧会が終わってから取り壊すことになりましたが、無線通信に役立つことが分かって存続が決定しました。パリのシンボルであるエッフェル塔の無い風景は想像出来ませんね。エレベーターは塔の足から出発する為、傾きながら乗車することになります。エッフェル塔の中の公園は『シャン・ド・マルス公園』です。

絵画用

エッフェル塔


ノートルダム寺院

ノートル・ダム大聖堂
     (Cathedrale Notre-Dame)
 セーヌ川のシテ(Cite)島にあるこの寺院は1163年に着工され、1345年に完成した初期ゴシック建築です。
ガイドブックにより『ノートル・ダム寺院』と書いてある場合もあります。


star危険なTGV乗車の様子?!!
 パリ・ノール駅へ戻りました。この駅からはユーロスターのほかにTGVとThalys(タリス)も運行されています(300km/h)。タリスはフランスを出て、ベルギーのブリュッセルを経由して、オランダのアムステルダムへ行くルートです。現在はドイツへも乗り入れています。この駅で私は大きい荷物を持って走っている若い女性を見かけました。向かっているのは出発したばかりのTGVでした。地球儀しかも列車が動き始めているのに、駅員が外側から手動でドアを開けてその女性を乗せようとしていたのです。TGV・Eurostar・Thalysのような高速鉄道は電気機関車で集中して動かしている為、加速が鈍いのです。女性は荷物が大きいから諦めて泣き崩れていました。でも手動でドアを開けて載せようとするなんて日本では絶対考えられないことです。


踏切ユーロスターで再びロンドンへ
 ここから9055便ユーロスターに乗り、パリ・ノール駅を19:19発に出発しました。外はもう暗くなっていました。周りの景色が殆ど畑の為明かりが殆ど無く、わずかな住宅からの光が見えるのがやっとでした。時には一列に並んだ光を見ることもあったのですが、これは高速道路でした。車内で缶入りのスプライトとサンドウィッチ1個を買ったのですが、日本円で何と約900円。日本のお店で売っている値段と比較すると3倍の値段でした。車内ではフランスの通貨で支払いました。現在の通貨はユーロですが、イギリスの通貨で支払うことも出来ます。

 ロンドン・ウォータールーに21:13着予定でしたが、12分早い21:01に到着しました。日本では駅を通過する時刻が秒単位で決められていますが、ここでは駅の通過時刻まで決まっていないのです。列車での入国は飛行機に比べて簡単な為、パスポートを忘れて乗車しないよう心がける必要があります。国際列車は車内で入国審査を行う場合や、乗車前に入国審査、降車してから入国審査など色々ですが、飛行機を利用する場合より簡単です。


アシナガバチと格闘!
 ホテルに戻る前に、コンビニでイギリス名物『フィッシュ&チップス』を買って客室内で夕食にしました。入浴しようと思ったら、バスルームが散らかっていました。月不思議に思いながらバスタブのカーテンをめくると昨日から居るアシナガバチが飛んできたのです。散らかっていた原因は、メイドさんはアシナガバチが飛んできたのを驚いて逃げ出してしまったからです。もうこれ以上蜂とお付き合いをしているといつ刺されるか不安になったため、蜂と格闘。隙を見てスリッパで叩いて殺しました。これで刺される心配は無くなりました。


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