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皇太子を指します。二の宮は二番目の皇子くらいの意味では。
兵部卿宮などの職名+「宮」は、皇族がその職についていることを示しています。
嫡男は「ちゃくなん」です。基本的にはその家の後継ぎの男子のことでしょう。
まだまだ×3作りたてだけど、来て下さい
どうも初めまして日和と申します。
このたびは少々質問したいことがありやってまいりました。
1:東宮・二の宮・兵部卿の宮・弾正尹の宮・式部卿の宮って何なのですか?こちらのサイトには載ってないようでしたが・・・。少し気になったもので(汗)
2:嫡男って性格にはどういう意味なのでしょう?大体の意味はわかっているつもりなのですが。辞書をひこうにも読み方さえ判りませんので教えていただけると嬉しいです。
3:貴族に使える女房がその家の当主(?)のことを旦那様と呼ぶのはおかしいのでしょうか?
イキナリ現れて質問攻めですみません。
お答えがいただけると嬉しいです。
図々しくてすみませんでした。
では失礼いたします。
公家の職及び家格、氏名等を登載された古文書や文献に、どういったモノがありますでしょうか?
また管理人さんに提案です。明治期の太政官制度もホームページ化して下さい。
はじめまして。
私はWeb上で日本史の問題が解けるサイトを運営しているSchoinと申します。
しげちゃんさんのサイトは専門的で貴重な情報が多く、いち日本史ファンとして楽しく見させていただいてます。
さて、徳川の旧幕臣が明治時代でどう生きたのかですが、2001年本試験のセンター試験で、旧幕臣が題材になった問題がありましたのでその文章がご参考になればと思い、紹介させていただきます。以下、引用部(若干修正しました)です。
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旧幕臣や東北地方の諸藩出身者にとって、明治維新は敗北と受け止められ、人生を大きく変える出来事であった。彼らのなかには、洋学の知識や欧米への留学経験を認められ明治政府の官僚となった者もかなりいた。一方で、ジャーナリストとなり明治政府を批判する論陣を張る者もいた。また、明治維新での挫折を経ることで、キリスト教の信仰へと進む場合もあった。
明治維新の「敗北」として青年期を送った一人に、盛岡藩に生まれた原敬がいる。故郷を出て上京した原は、まもなくキリスト教に入信、その後司法省法学校に入学した。その時の同窓生のなかには、弘前藩出身でのちに新聞『日本』を創刊する陸羯南もいた。次いで原は、『郵便報知新聞』の記者となり、1882年には長州藩出身の外務卿井上馨の知遇を得て政府系新聞へと移る。さらに翌年には外務省に入り、緊迫する東アジア外交の担い手の一人として、官僚生活を始めたのである。
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あと、榎本武揚も旧幕臣で、明治政府では逓信、文部、外務、農商務の各大臣を歴任してますね。
数量的にはちょっとわからないですが、少しはご参考になれたでしょうか。
しげちゃん!!大変ご無沙汰しております。久保憲一です。しばらくご無沙汰しているうちに貴ページが大変充実していることにとても感心しております。心から敬意を表します。
私は、とくに「首相官邸 内閣制度の変遷 第7回会議別紙」に大変興味をもちました。
そこでこの場をお借りし、どなたかにお聞きしたいのですが、
徳川幕府「葵」から天皇「菊」に大政奉還されたとき…徳川の幕臣(官僚たち)の多くはどういう身の振り方をしたのだろうか?なんとか数量的に判らないかなあ。
幕臣・勝海舟などは結局新政権には加わろうとしなかったが、薩長土肥藩のわずかな藩士のみでは到底近代化を押し進めようとする新生日本国(地方政府も含め)を支えきれなかったであろうと推測しているのです。なぜならどの時代も一番不足するのはヒト(有用な人材)でしょうから…。
要するにこの結論は「明治維新は革命か、クーデターか」という問題にも解答をもたらします。
本ホームページの主旨とはいささか外れることをお詫びします。どなたかのご意見を賜ればありがたいのですが。
管理人しげちゃん、そして皆様のご多幸をお祈りしつつ。
平安時代の末期、即ち武士の時代のことを知りたくて参加させていただきました。いろいろ知りたいことばかりで、遊びの心境になれるまでにはまだまだ時間がかかるものと思われますが、よろしくお願いいたします。
しげちゃんさん、すんごいオひさしぶりっす(^-^)。
ゲームやってますか?
またまた、勉強しにきますんでよろしくお願いします(__)。
デスクトップのPCも新しくして、今度はノートも新調するっす。
年度始めはいろいろなことにお金がかかり、財布は軽く、気は重く
なるばかりでごんすー。ヽ(´o`;)ノ。
今後ともよろしくお願い島崎藤村!。
P.S.拝啓、背景変えて見やすくなったっす(^o^)/♪
こんにちは、飛鳥資料館HP管理者をしている、垣谷です。
歴史関係ではないのですが、このたび新サイトを立ち上げました。
相互リンクにご協力いただけないでしょうか。
相互リンクお願いします。
山陰鳥取春夏秋冬特産旬の市というずいぶん漢字の並ぶ、鳥取県の特産品を販売するサイトです。鳥取ならではのこだわり特産品を紹介しています。
サイト名:山陰鳥取春夏秋冬特産旬の市
URL http://shop.tottori.to/
リンク用コメント(60文字):店主が選ぶ鳥取の旬の味を厳選してお知らせします。どこでも買えるようなものではなく、鳥取ならでは!に、こだわった情報発信。
なお、当ホームページでは、旬の市アフィリエイトを掲載してくださる、HPオーナーの方を募集しています。
http://shop.tottori.to/affiliate/
から、お申込いただけます。(マルチ商法などではなく、正当な紹介謝礼です)
申込みページはSLLにより、個人情報は保護されています。
相互リンクの件メールでお返事いただければ幸いです。
横滑り(他の部へ)、転出(国司)、栄転(参議)などあるのかしら。
たしか、中国の律令官制については、正史を調査して官僚の出世コースを
分析した論文がありましたが、日本史でも同様のものがあるのでしょうか。
こんばんわ、しげちゃん様。
初めて書き込みをさせていただきます、TAROと申します。
以前から、平安時代の官職について調べる際、こちらのサイト様にお邪魔させていただいております。情報量が豊富で、しかもわかり易くまとめて下さっているので、とても重宝しています。ありがとうございます。
さて、今回書き込みをさせていただいたのは、質問があったからなのですが…。
昇進の仕方について、なのですが、
八省のうち、「中務省・式部省・兵部省の卿は親王のみが任ぜられる」と、どこかで読んだのですが、では、その下の位に当たる大輔が昇進した場合、位階のみが上がって、官職はずっとそのままなのでしょうか?
また、例えば民部省の職を務めた人は、ずっと民部省での務めとなるのでしょうか?それとも、他の省(例えば治部省など)に変わったりすることもあったのでしょうか??
身分制度について、本当に初心者の考えなので、おかしなことを言っていたら大変申し訳ありません。ご回答いただけると、とても嬉しいです。
では、初めてお邪魔したにも関わらず、長々と失礼いたしました。
お付き合い下さいまして、ありがとうございました。
ご無沙汰しております。リンクしていただき有難うございます。このたび、登録プロバイダのサイトが閉鎖されるため、@niftyに移籍しました。とりあえず3号館のみ、移動しました。今後ともよろしくお願いします。
我がsiteは、なかなか、更新、進みません。思うようにいかないね。
ではまた。
(旧宛先) kiya@intacc.ne.jp
(旧住所) http://www.intacc.ne.jp/~kiya/
はじめてではないです〜^^
じゃ 「塀」はどんなものですか?
形など・・・
ご無沙汰しています。と、管理者が云うのもなんですが....(^^;
留守が多くてすみません。
このたび当サイトの背景画像の色調を薄く変更しました。
それに伴い、元の色が薄かったため見えなくなってしまうもの
(以前のロゴや、一部の文字色)も変更しました。
図表等の一部の画像で、新しい背景の色調に合わず、
見にくくなってしまったものも若干あると思いますが、
ぼちぼち修正していこうと思います。
* アキラ さん
はじめまして。
> でも、地図にある平安京の周りはちゃんど四角型ができたじゃないですか?
平安京の周りの四角は「塀」で、城壁と呼べるような堅牢なものではなかったようですネ。
* ゴロ さん
入浴のハナシ、わたしにはサッパリでぜんぜんお力になれないけど、がんばってください。
高校の頃、先生は「女房たちは滅多にお風呂に入らなかったので、
(体がにおってしまうので)衣に香を焚きしめることをした」みたいなことを
おっしゃっていましたっけ。
今年の風邪は流行りましたねー。
わたしは何年か前から喘息持ちなんですが、
1月は風邪を引いたせいで咳と呼吸困難がものすごくて、
ほとんど死んでました。みなさまもお大事に。
いいえ、台湾人です〜^^
でも、地図にある平安京の周りはちゃんど四角型ができたじゃないですか?
>アキラさん
中国の方なのかしら?平安京には長安城のような城壁はなかったはずです。
平安京の周りにと唐の長安城のような壁もありましたか?
すみません、日本語はとっても下手なので....^^ll
今年は年始早々インフルエンザにかかってしまい大変でした…。 まだまだ寒い日が続いていますので、皆様もお風邪など召されませんようお気を付けください。
>まさ様
”お湯浴み”についてのご返答ありがとうございました。 やはり、湯浴みについて詳しく書かれている文献はなかなかないんでしょうかねぇ…(汗)。 でも、そんな中で色々調べていただいたみたいで、本当にありがとうございました。
個人用の浴槽の規定サイズなど、あったんですね。知りませんでした。 女房さんたちの入浴について詳しく分かれば良いのですが、…なかなか難しいでしょうか。
私の方でももう少し調べてみます。 もしまた何か分かりましたら、なんでもかまいませんので、お教えいただけたら幸いです。(あ、忙しくない合間で結構ですので…)
参考文書は探してみます。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ゴロ様
調べてみますとレスしてから2ヶ月近く経ってしまいました。
遅くなってすみません。
いろいろと調べてみましたが、ご質問の女房の湯浴みについては
まだよくわかりません。(教えていただいた『ビジュアル源氏物語』
No.21はまだ見ていません)
湯浴みに関してこれまでに調べたことを以下に記載します。
『延喜式』に個人用の浴槽の規定として、「長五尺二寸、広二尺五寸、
深一尺七寸、厚二寸」とあり、個人(貴族)の家でも湯浴みができた
ことが確認できます。また、『九条殿遺誡』に「択日沐浴、〈五箇日一度〉」
という記述が見え、少なくとも五日に一度は湯浴みをしていたようです。
「択日」については、例えば一日に沐浴すると短命になるであるとか、
八日は長命、十一日は目が明るくなる、十八日は盗賊に会うなど、吉凶に
より沐浴するかどうかを決めていました。
現在と同じような用例としては、『平治物語』に「都の都合戦道すがらの
御辛労に御湯被召候へと申せば、可然とて、身を湯殿へ入給へば、」と見える
ように疲れをとるための湯浴みもあったようです。
なお、参考にしたのは『古事類苑』居処部です。
はじめまして。以前からこのサイトは利用させていただいておりましたが、初めてカキコします。
私はいま大学院修士課程の2回生で、修士論文で「宮内省と中務省の成立」について書いています・・・我ながらテーマが大きすぎて、・・・提出まであと20日を切っていますが、完全に行き詰っています・・
今調べているのは、(まだ「調べている」段階・・・泣)持統朝に出てくる人名が、その後どのような職掌に就いていくか、其れを追うことで何かが見えてくるんじゃないか、ということで、延々史料と格闘しているのですが・・何かお助言をお願いします・・・・(>_<)
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