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『六衛府』のひとつで、和名『ちかきまもりのつかさ』と言い、内裏内の警衛、及び行幸の際の供奉を担当する令外の官です。
左右に分かれており、それぞれ『左近衛〔さこんえ/さこのえ〕・右近衛〔うこんえ/うこのえ〕』、また「近衛」を略して『左の司〔ひだりのつかさ〕・右の司〔みぎのつかさ〕』とも言います。
夜警(=「宿直〔とのい〕」)の仕事があり、左近衛は亥〔い〕の一尅〔こく〕〜子〔ね〕の四尅(夜9時〜0時半頃)まで、右近衛は丑〔うし〕の一尅〜寅の四尅(深夜1時〜4時半頃)まで巡回に当たります。
※ ただ、本来は武勇に優れてなければいけない筈ですが、時代が下ると職掌が衰え、大将〜少将はともかくとして、その下の近衛の官人は神楽〔かぐら〕の方が本務のようになってしまい、舞人・楽人から任じられるようになりますので、みな武器を身に着けてはいますが、必ずしも武芸に長じているわけではありません。
もとは「左近衛府」が『近衛府』、「右近衛府」は『中衛府』でしたが、平城天皇の代に改名されます。
それ以前までには、以下のような変遷を辿っています。
(称徳) 元明天皇 聖武天皇 淳仁天皇 孝謙天皇 光仁天皇 平城天皇 授刀舎人寮 −−−−→ 授刀衛 −→ 近衛府 −−−−−−→ 左近衛府 (授刀寮) 中衛府 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−→ 右近衛府 外衛府 −−−−−−−−− 廃止 (中衛府・近衛府に合併)
陰明門・宣陽門から内側(内裏内)を担当し、大内裏の入り口、殷富門・陽明門を入ってすぐのところにある官舎の他、内裏内にも、左近衛は日華門内、右近衛は月華門内に『陣座〔じんのざ〕』(=詰め所)があります。(※「府」六衛府所管区域参照。)
<−−−この将監以下を指して、近衛舎人、官人、陣官などと言います。−−−>
大将 → 中将 → 将監 → 将曹 → 府生 → 番長 → 府掌 → 吉上 → 近衛 (各1名) (各1〜4名) (各1〜10数名) (各4〜20数名) (各6名)(各6名) (各300名) 権中将 少将(各2〜4名) 権少将
※ 中将ははじめ左右に各1名だったのが、各2名となり、白河天皇の代に各4名となりますが、のちには権官だけで正員は置かないようになります。
※ 少将ははじめ左右に各2名だったのが、後白河天皇の代に各4名となりますが、のちには権官だけで正員は置かないようになります。
従三位
従四位下
正五位下
正六位上
正七位下
「近衛」を総督して、禁門の警衛、天皇の侍衛を担当する職で、行幸の際は中将・少将などと共に弓箭を身に着けて供奉します。
また、必ず『馬御監〔ごげん〕』を兼任しています。
和名で『おほき〔おおき〕 ちかきまもり』と言い、また役所名そのままに『ちかきまもりのつかさ』とも言います。定員は左右各1名。
左大将は宣陽門内に、右大将は陰明門内に内裏内宿所があり、また他にも「曹司〔そうし/そうじ〕」(=役所)として内裏内に一室が設けられています。
従三位相当の職ですが正三位相当の大納言よりも勝ると見なされる重職です。そのため任官は容易ではありませんし、概ね、納言が兼任していますが、大臣や参議が兼任していることもあります。
禁門の警衛、天皇の侍衛を担当する職で、行幸の際は大将・少将などと共に弓箭を身に着けて供奉します。
近衛府の上位のスケなので『おほい〔おおい〕すけ』(=大のスケ)とも言います。
従四位下相当の職ですが二〜五位の人が就いている場合もあり、中納言が兼帯した例もあります。こういうとき、三位の人であれば「三位中将」、参議が兼帯した場合には「宰相中将」、また蔵人頭が兼帯した場合には「頭中将」などと呼んでいます。
定員ははじめ左右に各1名だったのが、各2名となり、白河天皇の代に各4名となりますが、のちには権官だけで正員は置かないようになります。
職掌は中将と同じです。
近衛府の下位のスケなので『すないすけ』(=少のスケ)とも言います。
正五位下相当の職ですが三〜四位の人が就いている場合もあり、こういうとき、四位の人であれば「四位少将」などと呼んでいます。
定員ははじめ左右に各2名だったのが、後白河天皇の代に各4名となりますが、のちには権官だけで正員は置かないようになります。
※ 中将にしろ、少将にしろ、通常は位階が進めば位階に相当する職に転任するものを、軍功があるとかなんとかの理由でそのまま現職に留められることがあって(=「叙留」)、それはとっても名誉な(カッコいい)ことだったようです。
大将〜少将を指して「羽林大将軍」といったふうに用います。
【羽林】=羽林天軍=北斗星を守護する星の名称で、また、羽の如く速く、林の如く多い、ということから付けられたという漢代の宿衛の官名に依っています。
中将・少将を指して歌や文章で繁用されています。
由来は不明ですが、三笠は御笠に通じ、天皇の笠として守護する意だろう、とかの説があるようです。
中将・少将を指します。
近衛府の三等官に当たるので[ジョウ(またはゾウ)][まつりごとひと]とも言います。
時代が下って近衛府の職掌が衰えると、舞人・楽人から任じられることが多くなります。
従六位上相当の職ですが五位の人が就いている場合もあり、こういうとき、「左近大夫〔たいふ〕」「右近大夫」などと呼んでいます。(※大夫は[たゆう]ではなく[たいふ]もしくは訛って[だいふ]と読みます。「位階」参照)
五位以上の身分は昇殿を許される可能性がありますが、そのような昇殿を許された将監を指して「殿上のジョウ(ゾウ)」と言うこともあります。
定員ははじめ左右に各4名でしたが、のちには各10数名となります。
近衛府の四等官に当たるので[さくわん〔サカン〕]とも言います。
定員ははじめ左右に各4名でしたが、時代が下ると各20数名となります。
後述の「近衛」から任じられる場合の他、舞人・楽人からも任じられます。
職掌は不明ですが、おそらくは「近衛」の監督を行った役だろうといいます。
将監〜府生までの人が任じられます。
役名の由来は不明ですが、諸門の警衛及び皇族の御所・宮城の守衛を担当し、乱暴狼藉があった場合には逮捕しますので、「輦車の宣旨」が下された場合などは、必ずその旨、吉上にも伝えられます。
(※「輦車〔れんじゃ〕」とは人力車のことで、貴族のうちでも上級の人の乗り物です。通常、これに乗ったまま宮門を出入することはできないのですが、「輦車の宣旨」が下された人の場合はそれを許されます。)
六衛府のいずれにも置いてあり、近衛府の吉上であれば「近衛の陣の吉上」「吉上近衛」などと言います。
内裏内の警衛・夜警、及び、天皇行幸の際の護衛や高級官吏の護衛を担当する職で、位階を持つ人の子息や勲位がある人を試験して、上奏したのちに採用します。定員は左右各300名です。
『近衛舎人〔とねり〕』とは将監以下の近衛府の役人(=「官人」「陣官」)全般を指して言うものですが、主にこの『近衛』を指しています。
また、文章などで、「随身」(=天皇以外の人の護衛。後述)の人(々)を単に[とねり]と呼んでいる場合がありますが、これは「近衛舎人」を指しています。
※「舎人」の付く職は他に中務省の「内舎人」、大舎人寮の「大舎人」、蔵人所の「小舎人」などがありますが、「内舎人」「大舎人」は天皇の護衛を行うもの、「小舎人」は御所内の警備やお使い・雑用をするものです。
【とね】=近侍官、の意で、由来は諸説あり、「刀禰入り」の意、だとか、「殿侍り」が縮まったのだとか、「殿馴〔とのなれ〕」の通音だとか、「殿居〔とのい〕する」意、など言われています。これに「舎人」の字を用いたのは、中国の官名に依るもので「左右に親近する者の通称=舎人」から来たのだといいます。
定員は左右各6名、「近衛」の中から任じられる役で、後述の「随身〔ずいじん〕」を務める際、騎馬で「前駆〔ぜんく〕」を担当します。
和訓では【番】を「つがひ〔つがい〕」と読むので『つがひのをさ〔つがいのおさ〕』とも言います。
行幸の際、『駕輿丁〔がよちょう〕』の監督を行う役で、最も力の強い近衛5名が選任されます(※場合によっては「番長」からも任じられます)。
『駕輿丁』とは行幸の際の鳳輦〔ほうれん〕を舁く役で、「隊正〔たいせい〕」2名、「火長〔かちょう〕」10名、「直丁〔じきちょう〕」1名、「丁〔ちょう〕」18名、以下総勢101名です。(派手ですね〜)
上皇、及び、高級官吏である摂政・関白・大臣〜参議・大〜少将の護衛として付けられる役で、「将曹」以下が務めます。
この際、「将曹」〜「番長」は騎馬、「近衛」は徒歩、このうち「番長」が「前駆〔ぜんく〕」を担当します。
随身の人数にはそれぞれ規定があり、例えば上皇であれば、将曹2名・府生2名・番長2名・近衛8名の随身を付けることになっています。
神楽の行事を勤める役です。
どのような役だったのか詳細は不明ですが、近衛の中から、東遊〔あずまあそび〕(=神楽〔かぐら〕のひとつ)に長じた人を選んで任じます。