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単に『所〔ところ〕』と言っている場合、この蔵人所を指しています。「画所」「作物所」「進物所」「御厨子所」「内御書所」「御書所」「一本御書所」「糸所」「大歌所」「楽所」など、ほとんどの「所」は、この蔵人所の配下にあります。
他の配下にない独立した令外の役所で、嵯峨天皇の代に置かれ、内裏内の「校書殿〔きょうしょでん〕」に官舎を置いています。
はじめは天皇の家政機関として、常に禁中にあって、書籍や御物(=調度・衣服等、天皇の持ち物)の出納といった天皇の側向きの用、及び、機密文書の取り扱いや訴訟事を担当していましたが、時代が下ると、訴訟事に関わることこそなくなるものの、参議以上の上日に関する奏や詔勅の伝宣にまで関係するようになって『少納言』や『侍従』の職掌を奪い、結局、禁中一切の諸事を担当することとなったため、大変な勢力を誇ります。
これによって、「殿上〔てんじょう〕」も全て「蔵人所」の支配するところとなりますので、『殿上〔てんじょう〕』は「蔵人所」の別称に用いられることもあります。
※ ちなみに、書籍は「校書殿」や「宜陽殿〔ぎようでん〕」内の「納殿〔おさめどの〕(=「書殿〔ふみどの〕」)」に、御物は「綾綺殿〔りょうきでん〕」「仁寿殿〔じじゅうでん〕」などに収めてあります。
蔵人所は、院や春宮、後宮、女院・斎宮・斎院、摂関家などにも置かれてあり、また、穀倉院・贄殿などといった諸役所にも置かれている場合があります。ただし、それらはいずれも平安中期以降のことです。
別当(1名) ↓ 頭 → 五位蔵人 (2名) (2〜3名) 六位蔵人 → 非蔵人(3〜6名) → 出納 (3名) (4〜6名) 雑色 (8名) 小舎人(6〜13名) 所衆 (20名) 滝口 (20(10〜30)名) 鷹飼 (10名) 候人 (?名)
※『頭』は、原則的に「近衛府」「弁官」から各1名、と内訳が規定されています。
『六位蔵人』『非蔵人』は、概ねこの程度の人数、とされているものです。
『小舎人』は、はじめ6名ですが高倉天皇の代に増やされています。
『滝口』は、10名→20名となり、白河天皇の代に30名、その後また20名となります。
※ 蔵人所は令外の官職なので、令に官位相当の規定があるわけではありません。また「所」の性質として、特に四部官(四等官・四分官)と言うふうに分けられてもいません。
正従二位
(※蔵人所に限っては「頭」を[かみ]と読みません。)
従四位上〜正五位上
正従五位上下
正従六位上下
正従六位上下
正従六位上下
蔵人所の総裁、詔勅の伝宣を担当する職で、別称『殿上〔てんじょう〕の別当』とも言います。
はじめは醍醐天皇の代、藤原時平が大納言で任じられましたが、その後は左大臣の兼任職となっています。ただし、左大臣が関白を勤めている場合には、右大臣が任じられます。
「蔵人」は「蔵人所」自体を指して言うこともありますが、通常は「蔵人頭」「五位蔵人」「六位蔵人」の総称です。
青い衣を着用したことから、別名『青色』とも言い、また、唐名では『侍中』ですが、『夕拝郎〔せきはいろう〕』『夕郎〔せきろう〕』と言うこともあります(「夕拝郎」「夕郎」は特に「五位蔵人」を指す場合が多いかもしれません)。
これは唐の「黄門郎〔こうもんろう〕」の別名に由来するもので「日暮に出仕して青瑣門〔せいさもん〕に拝する」ことから言ったもののようです。(「黄門郎」と、中納言に当てた「黄門侍郎〔こうもんじろう〕」とは別の職なのか、また、どうして「黄門郎」を蔵人に当てたものかは不明です。)
直属の親官ですから蔵人職に就くにはそれなりの資格(各職の項を参照)が必要で、天皇の代替わりの際には選任し直されます。
ただし、資格さえ備えていれば任官の次第は簡易なもので、勅命によって蔵人頭が任命を行い、その際、特に除目のような儀式が行われることもありません。
文章等で単に『頭』とあるときは必ずこの『蔵人頭〔くろうどのとう〕』を指しています。必ず[とう]と言って[かみ]とは言いません。
殿上の管理・事務その他一切を担当する職で、蔵人の任命も、勅命によって頭が行います。
定員は四位の殿上人の中から特に人選を厳しくして2名、うち1名は「弁官」から、もう1名は「近衛府」から任じることになっています。
たいていは「中弁」「中将」が任じられており、それを『頭弁〔とうのべん〕』『頭中将〔とうのちゅうじょう〕』と言います。ただ、場合によっては、その他の役所の人を任じることもあります。
禁色(=禁制の服色)を許されており、殿上での席次(通常は、官位と年齢を基準に定められる)も一番上に着きます。頭が着席しないうちは誰も着席せず、頭が話し始めるまでみな声も上げられない、というほどの殿上の最重要職で、「参議」に欠員が出たときにはすぐさま頭が転任(=昇進)します。
※ この際、古くは、自分の後任も随意に推挙していったようですが、時代が下ってからは重い職となったので、そう簡単にいったかどうか....不明です。
殿上の首席を占める第一の人、の意です。『夕郎〔せきろう〕貫首』と言うこともあります。(夕郎=蔵人。上述。)
この職名は注意が必要で、単に五位の身分の蔵人、と言っているのではありません。ちゃんとした役職名で、四部官(四等官・四分官)でいうと次官に相当します。
また「蔵人五位」と言った場合は別の立場の人(前職)を指しますので、そちらにも相当な注意が必要です(後述)。
殿上の雑務を担当する職で、禁色を許されます。
天皇の代替わりの際には再度、選任し直されますが、概ね、先帝の蔵人をそのまま引き継いだようです。
「八省の輔」→「勘解由次官」→「衛門佐」の経歴を持つ五位殿上人の中から材器があり門閥のよい人を選んで定員3名任じます。
なお、このあと順番通りに進めば弁官に転任します。
五位蔵人で前職の「衛門佐」を兼任している場合がありますが、これはよほどの勲功があった等でその職に留められていることになり、たいへん誇れることなのですが、さらに弁官に進んでもなお「衛門佐」「五位蔵人」を兼任している場合には『三事〔さんじ〕兼帯』と称して、何よりも誇れることなのでした。
『五位蔵人〔ごいのくろうど〕』とそっくりな呼び名で『蔵人五位〔くろうどのごい〕』とか『蔵人大夫〔くろうどのたいふ〕』などと言っている場合があります。
これは現職と前職との違い、つまり、「蔵人五位」とは「五位蔵人」ではなく、元蔵人であった五位の人という意味で、「六位蔵人」を勤めていて五位に上がったけれども「五位蔵人」に空席がなかったために「蔵人」職を辞めることになった人を指しています。混同しやすいので注意が必要です。
天皇の食事の給仕その他、殿上の雑務を担当する職で、毎日1名ずつ交替で勤めます。
「五位蔵人」同様、こちらもちゃんとした職名で、天皇の代替わりの際には再度、選任し直されますが、概ね、先帝の蔵人をそのまま引き継いだようです。
日毎に出仕する下級殿上人ということで、別称『日下臈〔ひげろう〕』とも言います。
六位の身分でも、殿上勤めであるがために「昇殿」し、禁色も許されますので、名誉な職とされ、以下の優先順位に従って定員4〜5名ほど任じられます(定員に厳密な規定はありません)。
通常、官位と年齢を基準とする殿上の席次ですが、「六位蔵人」については任官順に席次を定めます。
首席の「六位蔵人」で、「新蔵人」(=六位蔵人の新人)が任じられた後の「分配〔ぶんぱい〕」(=儀式その他の務めに関する受持ち分担決め)を担当します。
禁色の他、「麹塵の御袍〔きくじんのごほう〕」(=天皇のおふるの山鳩色(青)の袍〔ほう〕)を下され着用することができます。
6年間勤続すると五位に叙せられる例となっており、これを『巡爵〔じゅんしゃく〕』『かへりかうぶり〔かえりこうぶり〕』などと言います。
ただ、「五位蔵人」に空席がないときは、蔵人を辞職し殿上の籍を除かれることになります。こういう人を「蔵人五位〔くろうどのごい〕」と言います。
位階は上がっても「地下〔じげ〕」に戻るということですから、本人は嘆きます。人によっては、翌月までに叙爵を辞退し、再度「六位蔵人」として勤め直すことを許されることがあって、これを『還昇〔げんしょう〕』と言います。
「還昇」した場合は、末席の「新蔵人」からの再出発となります。それを称して『鷁退(逆退)〔げきたい〕』と言います。【鷁〔げき〕】=水鳥のことで、高く飛んでも風にあって退く、ということから来たそうです。
次席の「六位蔵人」です。
中席の「六位蔵人」で、藤原氏であれば「藤蔵人」、源氏であれば「源蔵人」などと呼ばれます。
末席の「六位蔵人」です。
蔵人頭までを指す場合もあります(つまりその場合は「蔵人」の別称として使われていることになります)。『官職要解』には「職事官・散官」から移った名称だろう、とあります。
(※(99/06/21)この部分の記述は、「予備知識:官職」の「職事」の説明とやや矛盾しますね。時代による違いがあるのかもしれませんが、よくわかりません。とりあえずこちらはこのまま保留しておきますが、「予備知識:官職」の「職事」の説明の方を優先させてください。)
殿上の駈使を担当する職で、家柄のよい六位の人が4〜6名任じられます。職名どおり「蔵人」ではなく見習いの立場ですが、これも立場上、昇殿を許されます。席次は「六位蔵人」と同様、任官順になっています。
「六位蔵人」に空席ができた場合、新任は、ほぼ確実にここから選ばれますから、この職名は、『非参議』と言うのと同様、いつ蔵人になってもおかしくない立場だよ、という意味があります。
同様に「職事」ではないけれどもいつ「職事」になってもおかしくない立場だよ、ということで『非職〔ひしき〕』と言うこともあります。
ただ、参議の場合とは身分が違いますから、「非職のもの」てな言い方になります。
『所〔ところ〕の雑色』とも言い、種々の雑用を担当します。定員8名。
これも昇進すると「六位蔵人」に進みます。「六位蔵人」に進む優先順位では下位の方なのですが、『枕草子』に「雑色が蔵人になるのってめでたい」という文章がありますから、ほどほどにそういう例もあったのでしょう。
[すいとう]ではなく[すいのう]と読みます。「納殿」の出納、及び、蔵人所の関わる一切の業務を担当します。定員3名。
「出納〔すいのう〕」と共に「納殿」の出納、その他、「新蔵人」の任官があった際、その旨その人の家まで告げに行くお使いをしたり、禁内に犯人があったときにそれを捕らえ検非違使に引き渡す等、種々の雑用を担当します。
定員ははじめ6名ですが、高倉天皇の代に12名と増やされます。
※ 時代が下ると、「蔵人」が職務を怠って、諸事は「出納」「小舎人」が専断で取り計らうようになり、「僭上の振る舞い」が目立つようになります。
禁内の警衛・宿直、天皇の供奉、お使い、庭の植樹などを担当する職で、特に容姿に優れ、武芸に長じた人を試験して任じます。
後世の武家の「小姓〔こしょう〕」にたとえると思い浮かべやすいかもしれません。
(....けど、小姓=美少年=男色のお相手、てな連想を働かせてしまうと、年齢や職務の面で若干の誤解が生じるかも。話のついでに、「滝口」の職掌とは関係のない余談ですが、平安時代にも男色というのはありました。)
定員は、はじめ10名でしたが、のちに定員20名となり、白河天皇の代に30名まで増やされ、その後また20名となります。
『滝口』という職名の由来は、清涼殿の北西、「御溝水〔みかわみず〕」(=御殿周囲を取り巻く溝)の落ちるところを「滝口」と言い、その脇に詰め所があったことから来るものです。
任官順に『一臈〔ろう〕』『二臈』と言い、「一臈」は別称『滝口惣官〔たきぐちそうかん〕』と言います。また、『三臈』までの3名を『上臈〔じょうろう〕』と言い、『四臈』は『事行〔じぎょう〕』と言います。
3名以上で宿直〔とのい〕する際は、『問籍〔もんじゃく〕』(=『名対面〔なだいめん〕』『とのゐ申し〔とのいもうし〕』)といって姓名を名乗ることをし(1〜2名のときはしません)、それを蔵人が奏聞します。
六位の「侍〔さぶらい〕」から任じられ、月末の御所の煤〔すす〕払いや、御殿の中の力仕事、といった類の雑用を担当する職です。定員20名。
『官職要解』に「御用を勤めないときは出仕を止められることが『侍中群要』に書いてある」とあります。
鷹の飼育、及び鳥狩りを担当します。かつての『鳥養部〔とりかいべ〕』の後身に当たるのでしょうか。