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『六衛府』のひとつで、左右に分かれており、それぞれ大内裏内の警衛、及び、行幸の際の供奉を担当します。
衛門府の役人は、常に弓箭を身に着け、靫〔ゆき〕(=箭筒)を背負っていることから、和名で『靫負〔ゆげい〕のつかさ』とも言います。
『検非違使〔けびいし〕』は、この『衛門府』の役人の兼任職と定められていたので、検非違使の官舎「検非違使庁」も別名「靫負庁」と言います。混同しやすいので注意が必要です。
(※両者には定員に若干の違いがありますので、全員が検非違使を兼任しているわけではありません。)
衛門府の役人を指して『かしはぎ』と言っている例もあるようなのですが、通常、『かしはぎ』は、『兵衛府』の督〜尉を指して言うものです。
官舎は大内裏の外(左京・右京)にそれぞれありますが、宜秋門・建春門にそれぞれ『陣』(=詰め所)を置いて、宜秋門・建春門の外側から殷富門・陽明門の内側までの大内裏内を担当します。(※「府」六衛府所管区域参照。)
督 → 佐 → 大尉 → 大志 → 府生 → 番長 → 府掌→ 門部 → 吉上 → 物部 → 衛士 (各1名) (各1名) (各2〜70数名?) (各2名) (各6名) (各6名) (各600名) 権佐 少尉 少志 (各1名) (各2〜70数名?) (各2名)
※ 大尉ははじめ左右に各2名だったのが、各20名→各25名となり、その後、3倍にもなった、と『官職秘抄』にある、と『官職要解』に(^^;書いてあります。
少尉の定員については最終的にどうなったかよくわかりません。
従四位下
従五位上
※ 『尉』は中国の武官の称号を輸入したもので、現代の読み方のように[たいい][しょうい]とは言わないようです。
従六位上
正七位上
正八位下
従八位上
諸門の警衛・出入管理をし、礼儀を正し、定時ごとに諸部を巡検する職です。定員は左右各1名。
従四位下相当の職ですが、概ね、中納言・参議が兼任し、右衛門督の場合は非参議で任じられた例もあるようです。
この左右衛門督または左右兵衛督で、参議以上の人のうち1名が、検非違使別当を兼任します。
漢名に依って『金吾〔きんご〕』と言うこともあります。
この漢名の由来は、天子の先導の際に非常事態を避けられるよう、不祥を避ける鳥「金吾」の名を付けたのだとか、その他、諸説あるらしいです。
『靫負佐〔ゆげいのすけ〕』とも言います。単に「佐」と言っている場合、通常は、この衛門佐ではなく、兵衛佐の方を指すようです。定員は左右各1名。うち1名が検非違使佐を兼任する規定になっています。
『尉』は中国の武官の称号に依ります。この衛門大少尉を指して『靫負尉〔ゆげいのじょう〕』とも言いますが、現代の読み方のように[たいい][しょうい]とは言わないようです。
上でも書きましたが、大尉・少尉ともに「左右各二人であったが、だんだんとまして、二十人、二十五人となり、のちには三倍にもなったと、『官職秘抄』に見えている」と『官職要解』にあります。少尉の定員については最終的にどうなったかよくわかりません。
なお、検非違使の大少尉は衛門大少尉が兼任する規定になっています。
大尉は従六位相当の官ですが、五位の人が務めている場合、「衛門大夫」などと言います。
外記・史・式部丞・民部丞・左右衛門尉などは、「顕官」と言って、下級官職のうちでは特に重要な職、とされており、上流とされる家柄出身ではない人(=「卑姓官人」)にとっては、叙爵への足掛かりとなる官職です。(『職原抄』では、外記・史・式部丞・弾正忠・勘解由判官が「顕官」と解説されているようです。)
「顕官」には、「顕官の挙」ということがあって、これは、県召除目の二日目に、これらの職に任じる人を公卿に推挙させるものです。
検非違使の大少志を兼任する規定になっています。
役名の由来は不明ですが、諸門の警衛を行います。六衛府のいずれにも置いてあり、衛門府の吉上であれば「衛門の陣の吉上」などと言います。(※「近衛府」の同項参照)
「吉上」の配下で、宮城や諸門、八省院、大極殿などの警衛を担当し、夜警を行います。諸国の軍団から毎年交替で上京させた兵士で、定員は左右各600名です。
「仕丁〔しちょう/してい〕」(=雑用を務める下級役人のひとつ)を指して衛士と言っている例もあるらしいのですが、それは誤った使用法です。
物部は他に囚獄司や左右市司にも置いてありますが、いずれも罪人に関わる刑罰担当の職です。衛門府の物部は『内物部〔うちのもののべ〕』とも言います。