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官職:府:

左右兵衛府

(最終更新日:97.07.11

 − 目次 −




 

左右兵衛〔ひょうえ〕


『六衛府』のひとつで、左右に分かれており、それぞれ内裏周囲の警衛、及び、行幸・行啓の際の供奉・雑役を担当します。

別名『兵乃舎人司〔つわもののとねりのつかさ〕』、また唐名に依って『武衛〔ぶえい〕』とも言います。(「武衛頼朝〔ぶえいよりとも〕」とか言うのはこれです。)


 

● 左右兵衛府所管区域


陰明門・宣陽門にそれぞれ『陣』(=詰め所)を置いて、陰明門・宣陽門の外側から宜秋門・建春門の内側までの内裏周囲を担当します。(※「府」六衛府所管区域参照。)


 

● 左右兵衛府職員構成


  督  → 佐  → 大尉   → 大志 → 府生 → 番長→ 案主→ 府掌→ 吉上→ 兵衛
 (各1名) (各1名) (各1〜25名) (各1名) (各6名) (各6名)            (各400〜200名)
       権佐   少尉     少志
           (各1〜25名) (各1名)

※ 大尉ははじめ左右に各1名だったのが、各20名→各25名となります。

  兵衛ははじめ左右に各400名だったのが、宇多天皇の代に各200名と減らされます。

  吉上の位置はまだよくわかってないので、違うかもしれません。


 

● 左右兵衛府四部官(四等官・四分官)


 ・ カミ

『督〔かみ/とく〕

従四位下


 ・ スケ

『佐〔すけ〕

従五位上


 ・ ジョウ

※ 『尉』は中国の武官の称号を輸入したもので、現代の読み方のように[たいい][しょうい]とは言わないようです。

『大尉〔たいじょう〕

従六位上

『少尉〔しょうじょう〕

正七位上


 ・ サカン

『大志〔だいさかん〕

正八位下

『少志〔しょうさかん〕

従八位上


 

○ 『左右兵衛督〔かみ〕


兵衛を総督する職で、行幸・行啓の際の供奉を担当します。定員は左右各1名。

従四位下相当の職ですが、概ね、中納言参議が兼帯し、二・三位の人が任じられることが多いようです。

この左右兵衛督または左右衛門督で、参議以上の人のうち1名が、検非違使別当を兼任します。


 

○ 『左右兵衛佐〔すけ〕


『平家物語』中で、源頼朝(=右兵衛佐)を「佐殿〔すけどの〕」と言っているように、単に「佐」と言う場合、概ね、衛門佐ではなくこの兵衛佐を指すようです。定員左右各1名。


 

・ 兵衛督〜尉の総称・別称


 『柏木』『かしはぎ〔かしわぎ〕

由来は不明。衛門府の役人を指して用いられることもあったようですが、通常は兵衛府の方を言うようです。


 

● その他の職員

 

○ 『吉上(吉祥)〔きちじょう/きちしょう〕


役名の由来は不明ですが、諸門の警衛を行います。六衛府のいずれにも置いてあり、兵衛府の吉上であれば「兵衛の陣の吉上」などと言います。(※「近衛府」の同項参照)


 

○ 『兵衛〔ひょうえ〕


六位〜八位の下級役人の嫡子で、年齢21歳以上で、現任でない(=官職に就いていない)人を、能力によって上中下の三等に分け、上等は「大舎人〔おおとねり〕、中等を「兵衛〔ひょうえ〕」、下等を「使部」として配属します。
他に、有位の人(位階がある人)の子息や、勲位がある人の中からも、弓馬に優れた人を試験して採用したようです。

定員ははじめ左右各400名でしたが宇多天皇の代以降は左右各200名となります。





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