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八省院(朝堂院)

(最終更新日:98.10.02

 − 目次 −

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「八省院(朝堂院)二十五門」(八省院(朝堂院)にある門)


八省院(朝堂院)の門は25門あったことから、「八省院(朝堂院)二十五門」と呼びます。

・応天門〔おうてんもん〕

八省院(朝堂院)の南の正門で、朱雀門の北にあります。東西に回廊(または築地)が延び、それがそれぞれ南に折れて、東は「棲鳳楼」、西は「翔鸞楼」に続きます。
朝賀の儀などでは、隼人172人が門外左右に並びます。
治承元年(1177年)の大火で焼失して以降は廃絶しました。

・永嘉門〔えいかもん〕

応天門の西の回廊(または築地)に開く掖門で、西の朝集堂の南方にあります。東側の長楽門と対になっており、右廂門と言うこともあったようです。
即位の際、弾正は、この永嘉門と長楽門を抜けて東西の朝集堂の南に列するものだったようです。

・章義門〔しょうぎもん〕

朝集堂院の西の回廊に開かれ、東の回廊に開かれた含耀門と対になっています。

・敬法門〔けいほうもん〕

十二堂院の西の回廊の南寄りの掖門で、章善門を挟んで北の顕親門と対になっており、また、東の回廊の咸化門(感化門・盛化門・成化門・盛花門・成花門)と対になっています。この門を入ると、朝堂十二堂の西の第三堂「顕章堂」と第四堂「延禄堂」の間に出ます。

・章善門〔しょうぜんもん〕

十二堂院の西の回廊の中央門で、東の回廊の宣政門と対になっています。この門を入ると、朝堂十二堂の西の第二堂「含嘉堂」と第三堂「顕章堂」の間に出ます。

・顕親門〔けんしんもん〕

十二堂院の西の回廊の北寄りの掖門で、章善門を挟んで南の敬法門と対になっており、また、東の回廊の通陽門と対になっています。この門を入ると、朝堂十二堂の西の第一堂「延休堂」と第二堂「含嘉堂」の間に出ます。

・広義門〔こうぎもん〕

大極殿の西南にある「白虎楼」から西に延びる回廊中にある掖門(小門)です。大極殿の東南にある「蒼竜楼」の東の回廊中にある永陽門と対になっています。

・光範門〔こうはんもん〕

大極殿の西南にある「白虎楼」から北に延びる回廊中にある掖門(小門)です。大極殿の東南にある「蒼竜楼」の北の回廊中にある昭訓門と対になっています。
朝賀の儀では、この門から「典儀」「賛者」が入り、また、大舎人寮以下の役人や少納言二人が、この門と昭訓門とから入るようです。また、大嘗會辰日節会では、乗輿はこの光範門を抜けて、豊楽院に向かいます。

・永福門〔えいふくもん〕

昭慶門の西の回廊に開く掖門で、昭慶門の東の回廊に開く嘉喜門と対になっており、西廂門と言うこともあったようです。
祈年穀奉幣では、内侍がこの門を抜けて、小安殿の北の西戸から中に入ったようです。

・昭慶門〔しょうけいもん〕

大極殿院の北の回廊の中央門で、この門を入ると正面に小安殿があります。大極殿の北の門であることから「北殿門」とも言います。

・嘉喜門〔かきもん〕

昭慶門の東の回廊に開く掖門で、昭慶門の西の回廊に開く永福門と対になっており、東廂門と言うこともあったようです。
斎王群行では、斎王はこの門を抜けて、大極殿へ向かったようです。

・昭訓門〔しょうくんもん〕

大極殿の東南にある「蒼竜楼」から北に延びる回廊中にある掖門(小門)です。大極殿の西南にある「白虎楼」の北の回廊中にある光範門と対になっています。
御斎会では、皇太子(東宮)はこの門を抜けて、大極殿へ向かったようです。

・永陽門〔えいようもん〕

大極殿の東南にある「蒼竜楼」から東に延びる回廊中にある掖門(小門)です。大極殿の西南にある「白虎楼」の西の回廊中にある広義門と対になっています。

・通陽門〔つうようもん〕

十二堂院の東の回廊の北寄りの掖門で、宣政門を挟んで南の咸化門(感化門・盛化門・成化門・盛花門・成花門)と対になっており、東廊北掖門とも言ったようです。また、西の回廊の顕親門とも対になっています。この門を入ると、朝堂十二堂の東の第一堂「昌福堂」と第二堂「含章堂」の間に出ます。

・宣政門〔せんせいもん〕

十二堂院の東の回廊の中央門で、西の回廊の章善門と対になっています。この門を入ると、朝堂十二堂の東の第二堂「含章堂」と第三堂「承光堂」の間に出ます。

・咸化門(感化門・盛化門・成化門・盛花門・成花門)〔かんかもん(/せいかもん)〕

十二堂院の東の回廊の南寄りの掖門で、宣政門を挟んで北の通陽門と対になっています。東廊南掖門と言ったかどうかはよくわかりません。また、西の回廊の敬法門とも対になっています。この門を入ると、朝堂十二堂の東の第三堂「承光堂」と第四堂「明礼堂」の間に出ます。
[せいかもん]=盛化門・成化門・盛花門・成花門などと書かれている史料もあるようなのですが、正しくはおそらく咸化門か感化門のどちらかで、他は転写の際に誤ったものだろうとされています。

・含耀門(・含輝門・含暉門)〔がんようもん(/がんきもん)〕

朝集堂院の東の回廊(築地)に開かれ、西の回廊に開かれた章義門と対になっています。
儀式の際、大臣以下や外弁などは、東の朝集堂へ入るのに、この門を通っています。

・長楽門〔ちょうらくもん〕

応天門の東の回廊(または築地)に開く掖門で、東の朝集堂の南方にあります。西側の永嘉門と対になっており、応天門東掖門と言っている場合もあります。
内重〔うちのえ〕を囲む内裏内郭の南側東方、承明門の東の掖門も長楽門と言いますので、混同しないよう注意が必要です。

・会昌門〔かいしょうもん〕

八省院(朝堂院)の南の第二の正門で、朝堂院南門とか単に南門とも言い、第一の正門である応天門の北にあります。東西に回廊が延びており、朝集堂院(朝集堂のある広場)と十二堂院(十二堂のある広場)とを仕切っています。
朝賀の儀では、この門の東西の戸口から公卿が入り、門内左右の廂には伴・佐伯の両氏が控えます。

・興礼門〔こうらいもん/こうれいもん〕

会昌門の西の掖門で、東の掖門である章徳門と対になっています。
朝賀の儀では、儀衛に当たる佐伯氏が3名の門部〔かどべ〕を従えてこの門から入り、同じく儀衛に当たる伴氏とともに会昌門内左右の廂に控えます。

・寿成門〔じゅせいもん〕

大極殿から西へ延びる回廊(軒廊)の西端、大極殿院の西の回廊とT字型に繋がるところにあり、南北に開きます。東へ延びる回廊にある宣光門と対になっています。

・西華門〔せいかもん〕

大極殿から西へ延びる回廊(軒廊)の途中にあり、南北に開きます。東へ延びる回廊にある東福門と対になっています。

・東福門〔とうふくもん〕

大極殿から東へ延びる回廊(軒廊)の途中にあり、南北に開きます。西へ延びる回廊にある西華門と対になっています。

・宣光門〔せんこうもん〕

大極殿から東へ延びる回廊(軒廊)の東端、大極殿院の東の回廊とT字型に繋がるところにあり、南北に開きます。西へ延びる回廊にある寿成門と対になっています。

・章徳門〔しょうとくもん〕

会昌門の東の掖門で、西の掖門である興礼門と対になっています。
朝賀の儀では、儀衛に当たる伴氏が3名の門部〔かどべ〕を従えてこの門から入り、同じく儀衛に当たる佐伯氏とともに会昌門内左右の廂に控えます。

・殿門〔でんもん〕(正門〔せいもん〕(/閤門〔こうもん〕))

大極殿の南にあった門で、平安宮では竜尾道(竜尾壇)に置き代えられましたが、藤原宮・平城宮ではたいへん重んじられました。




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