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予備知識:京・宮・みやこ(付:唐の長安城):平安京:大内裏:

内裏

(最終更新日:98.10.02

 − 目次 −




 

内裏


『内裏』とは、「大内裏〔だいだいり〕(=宮・宮城)の内側の地区のうちでも特に、天皇が常住している(はずである)区画、すなわち「皇居」を指していい、「御所」などとも呼ばれます。(※後述の内裏の呼称参照)

大内裏の内側は「内重〔うちのえ〕」「中重〔なかのえ〕」「外重〔とのえ〕」の3つに区分され、一般的には、「内裏」の内郭(承明門からのぐるり)地区を「内重」、その外側、「内裏」の外郭(建礼門からのぐるり)地区を「中重」、さらにその外側の宮城の外郭(朱雀門からのぐるり)地区を「外重」と言います。(というか、「内裏」というのは、もともと、この宮城の「中重」から内側を指して言う言葉なのです。)
要所の門には、警衛のため、「六衛府」の陣を置いてあります。

内裏焼亡の際などには、天皇は市街地(=京)にある有力貴族の邸に移り住みます。これを『里内裏〔さとだいり〕』と言います。
11世紀半ば以降は、火災などとは関りなく、天皇は「里内裏」に常住していることが多くなります。
ちなみに現在の「京都御所」は、14世紀前半の北朝の光厳天皇の「里内裏」が継続したものです。

天皇が常住している(はずの)建物が(時代によりますが)「清涼殿」です。(※別ページ「清涼殿」参照。)


− 内裏図 −

内裏図 GIF ?K

 

宮門(中門)と閤門(内門)


「中重〔なかのえ〕」(=内裏の外郭)を囲む門は、大宝令では「中門」、養老令では「宮門」と呼びます。一般に「内裏外郭門」と呼ぶこともあります。
「内重〔うちのえ〕」(=内裏の内郭)を囲む門は、大宝令では「内門」、養老令では「閤門」と呼びます。一般に「内裏内郭門」と呼ぶこともあり、12門あったことから、「内裏内郭十二門」と呼ぶこともあります。
また、「内重」の中でも随所に門があり、これらの門は、「内閤門」と呼びます。

以下、内裏の外郭から内郭へ向かって、南側中央から時計回りに、各宮門を説明します。


 ● 「宮門(中門)」(中重〔なかのえ〕を囲む門)


・建礼門〔けんれいもん/けんらいもん〕

内裏外郭の南側中央の正門で、「青馬の陣」「南端門」とも言い、門前に「大庭〔おおば〕」があります。左右衛門(兵衛?)が警衛しており、門前脇には東西の「仗舎〔じょうしゃ〕」(=詰め所)が、互いに向かい合う格好で建てられています。また、「仗舎」の前にはそれぞれ「炬屋〔ひたきや〕」があります。
元日節会・朝観行幸・白馬節会〔あおうまのせちえ〕・相撲節会などの際のみ開かれる門で、門前の「大庭」では、射礼〔じゃらい〕・射遺〔いのこし〕・荷前使〔のさきのつかい〕派遣などの儀式が行われます。

・修明門〔しゅめいもん/すめいもん/しゅうめいもん〕

内裏外郭の南側西隅の門です。門前の東西に右馬寮の「仗舎〔じょうしゃ〕」(=詰め所)があったため、「右馬陣〔うまのじん〕」とも呼んでいます。また、建礼門の掖門的なものだったでしょうか、「右廂僻仗門〔みぎびさしへきじょうもん〕」とも呼んでいます。

・宜秋門〔ぎしゅうもん〕

内裏外郭の築地西側中央の門です。門外の築地に沿って右衛門府の「陣」(=詰め所である「南舎」「北舎」)が置いてあったため、「右衛門陣」とも呼んでいます。

・式乾門〔しきけんもん〕

内裏外郭の北側西方の門です。朔平門の掖門のような使われ方をしており、「西廂僻仗門〔にしびさしへきじょうもん〕」とも呼んでいます。衛門府の管轄で、門の東西に「腋舎」があります。

・朔平門〔さくへいもん/さくべいもん〕

内裏外郭の北側中央の門です。衛門府の陣(詰め所)が置いてあったため、「北陣〔きたのじん〕」とも呼び、また、縫殿寮のすぐ南にあったので「縫殿陣〔ぬいどののじん〕」とも呼んでいます。主に女性の入退出に使われたようです。
ちなみに、女御など身分が高く「輦車の宣旨」を得ている人(女性)は、ここで牛車から輦車に乗り換え、衛門府の役人にその旨を伝えてから参内します。通例では、女性は朔平門から玄輝門までの間だけ、輦車の使用が許されるようです。

・建春門〔けんしゅんもん〕

内裏外郭の東側中央の門です。左衛門府の陣(詰め所)が置いてあったため、「左衛門陣」とも呼んでいます。向かいに「外記庁」の西門があって、これを「外記門」と言いますが、建春門も同じく「外記門」と言うことがあったので、混同しないよう注意が必要です。門を出て南に「南舎」、北に「北舎」「後庁」「佐宿」があります。

・春華門(春和門)〔しゅんかもん〕

内裏外郭の南側東隅の門です。門前の東西に左馬寮の「仗舎〔じょうしゃ〕」(=詰め所)があったため、「左馬陣〔さまのじん〕」とも呼んでいます。「白馬陣〔あおうまのじん〕」「枇杷陣」とも言い、また、建礼門の掖門的なものとして「左廂僻仗門〔ひだりびさしへきじょうもん/ひだりのひさしへきじょうもん〕」とも呼んでいます。
ちなみに、「輦車の宣旨」を得ている人(男性)も、参内前、多くはこの門で輦車を降ります。通例では男性は宮城の門から、この春華門(春和門)など宮門までの間だけ、輦車の使用が許されるようです。


 ● 「閤門(内門)」(内重〔うちのえ〕を囲む門--「内裏内郭十二門」)


・承明門〔しょうめいもん/じょうめいもん〕

建礼門の北に位置する内裏内郭の南側中央の正門で、ここから東西に回廊が延び、内裏内郭をぐるっと囲んでいます。この門をくぐると「南庭〔なんてい/だんてい〕」(=紫宸殿の南にあるから)をはさんで正面に紫宸殿があります。
内裏の諸門のうちでも最も重要な門だったため、儀式・節会・行幸の際のみ開かれ、通常は閉ざされています。
ちなみに、節会などの儀式の際に大臣以下の公卿が勤める「内弁」「外弁」はこの門の内外に侍します。

・永安門〔えいあんもん〕

内裏内郭の南側西方にあって承明門の西廊(=西の回廊)の築地に開けられ(=穴門)ている掖門です。南の正門である承明門に対して「右廂門」とも言ったようです。
射礼はここでも(?)行われます。

・武徳門〔ぶとくもん〕

内裏内郭の西側南方にあって陰明門の南廊(=南の回廊)の築地に開けられ(=穴門)ている掖門です。西の正門である陰明門に対して「左廂門〔ひだりのひさしもん〕」とも言います。
この門を入って東に進むと月華門に当たり、それを抜けると紫宸殿の前方の南庭へ出ます。

・陰明門〔おんめいもん/いんめいもん〕

内裏内郭の西側中央の正門です。右兵衛府の「陣」(=詰め所)が置いてあったため、「右兵衛陣」とも呼んでいます。門の内外の南北には「南舎」「北舎」や「右兵衛督宿所」「頭宿所」「右大将宿所」があります。

・遊義門〔ゆうぎもん〕

内裏内郭の西側北方にあって陰明門の北廊(=北の回廊)の築地に開けられ(=穴門)ている掖門です。西の正門である陰明門に対して「右廂門」とも言います。

・徽安門〔きあんもん〕

内裏内郭の北側西方にあって玄輝門の西廊(=西の回廊)の築地に開けられ(=穴門)ている掖門です。西廂門と言っている場合もあります。

・玄輝門(玄暉門・玄亀門)〔げんきもん〕

内裏外郭の朔平門の南に位置する内裏内郭の北側中央の正門です。古くは皇妃・女官の通用口として男性の出入を禁じてありましたが、時代が下るとともに規制が緩んでいくようです。門の両側に「左右兵衛佐宿所」「将監宿所」があります。

・安喜門〔あんきもん〕

内裏内郭の北側東方にあって玄輝門の東廊(=東の回廊)の築地に開けられ(=穴門)ている掖門です。

・嘉陽門〔かようもん〕

内裏内郭の東側北方にあって宣陽門の北廊(=北の回廊)の築地に開けられ(=穴門)ている掖門です。東の正門である宣陽門に対して「左廂門〔ひだりのひさしのもん/さびさしもん〕」とも言います。

・宣陽門〔せんようもん〕

内裏内郭の東側中央の正門で「東中門」とも言い「東閤門」と呼んでいる例もあるようです。左兵衛府の「陣」(=詰め所)が置いてあったため、「左兵衛陣」とも呼び、また、「東陣」とも「枇杷陣」(?)とも呼んでいます(春華門(春和門)も「枇杷陣」と呼んでいるようですが....。)。陰明門と同様、門の内外の南北には「左兵衛督宿所」などがあります。

・延政門〔えんせいもん〕

内裏内郭の東側南方にあって宣陽門の南廊(=南の回廊)の築地に開けられ(=穴門)ている掖門です。「土門」とも言い、また、東の正門である宣陽門に対して「右廂門〔みぎのひさしのもん/うびさしもん〕」とも言います。
諸役所の役人の内裏への出入りに用いられます。

・長楽門〔ちょうらくもん〕

内裏内郭の南側東方にあって承明門の東廊(=東の回廊)の築地に開けられ(=穴門)ている掖門です。「左廂門」とも言ったようです。
朝堂院の南側、応天門の東の掖門も長楽門と言いますので、混同しないよう注意が必要です。


 ● 「内閤門」(内重〔うちのえ〕の中にある門) (※ここから下の説明は時計回りになっていません)


・日華門〔じっかもん/にっかもん〕

紫宸殿南庭の東側にある門で、北を宣陽殿に、南を春興殿に接しており、南庭をはさんで西にある月華門と対をなしています。「東の中門」とも言い、また、左近衛府の「陣」(=詰め所)が置いてあったため、「左近陣〔さこんのじん〕」とも呼んでいます。
紫宸殿東廊の「陣座」と近いので、月華門より重要とされ、節会・儀式などの際の通用門として多く使われます。

・月華門〔げっかもん〕

紫宸殿南庭の西側にある門で、北を校書殿に、南を安福殿に接しており、南庭をはさんで東にある日華門と対をなしています。右近衛府の「陣」(=詰め所)が置いてあったため、「右近陣〔うこんのじん〕」とも呼んでいます。

・崇仁門〔すうにんもん〕

紫宸殿の西北廊(紫宸殿後方の北廂から西の清涼殿へ続く軒廊)の中央にある門です。西に無名門、東に明義門(名義門)があり、その中間に位置します。
除目の際、ここで、外記から第一の納言へ、箱の受け渡しがあります。

・崇明門〔すうめいもん〕

紫宸殿の東北廊(紫宸殿後方の北廂から東の宣陽殿へ続く軒廊)と南の左近陣との間にある門で、最重要の政務が行われる場所に位置しています。
この門の開閉は、近衛の役人が行う習いになっています。

・明義門(名義門)〔めいぎもん〕

紫宸殿の西北廊(紫宸殿の北廂から西の清涼殿へ続く軒廊=馬繋廊(?))の東端にある門です。西端の無名門と対をなしており、すぐ北には仙花門(仙華門・宣華門)もあります。
まだよくわからないのですが、馬繋廊というのはどうやら儀式の際に多く用いられる軒廊だったようで(それとも軒廊というのがだいたいそういう使われ方だったのかな(?))、普段、清涼殿へ行くときには、仙花門(仙華門・宣華門)をくぐって行くことが多かったようです。

・無名門(无名門)〔むめいもん/むみょうもん〕

紫宸殿の西北廊(紫宸殿の北廂から西の清涼殿へ続く軒廊=馬繋廊(?))の西端にある門です。東端の明義門(名義門)と対をなしており、すぐ北には右青瑣門もあります。
殿上の小庭(=土間)の東にあったため、儀式などの際、殿上から紫宸殿正面の南庭へ移動する場合によく利用されています。たとえば、小朝拝で、公卿以下の群臣は、殿上の座→神仙門→無名門(无名門)→弓場殿と移動します。賭射・弓場始などの際にも利用され、諸々の奏や公卿の慶奏などもこの門のところで行います。
和徳門(華徳門・花徳門・化徳門)を無名門とも呼ぶ、という説があるようですから注意してください。

・神仙門〔しんせんもん〕

清涼殿南にある小門で、殿上の間の南の「沓脱」と「小板敷」の間の小庭にあります。
奏上文のときには、殿上口で奏文杖を取って、神仙門を抜けて小板敷に上がり進上する例が多いようです。

・右青瑣門〔みぎのせいさもん〕

左青瑣門と対になっており、紫宸殿の西北廊の先端にあります。殿上の間の小板敷に最も近い門で、すぐ南には無名門(无名門)があります。

・左青瑣門〔ひだりのせいさもん〕

右青瑣門と対になっており、紫宸殿の東北廊の先端にあります。
たとえば、摂政が東の方から参内するときに、敷政門(敷正門/布政門)→左青瑣門→恭礼門と抜けていった例があります。

・恭礼門〔きょうらいもん/きょうれいもん〕

紫宸殿の北廂(北簀子縁)の東の階(段)に接し、左近陣を含む東北廊の北の西端にあります。東側が正面で、そのすぐ南には、「陣座」の北戸があります。

・仙花門(仙華門・宣華門)〔せんかもん〕

紫宸殿の北廂(北簀子縁)の西の階(段)を下りてすぐ西にある門です。清涼殿東南部の落板敷へ続く「長橋〔ながはし〕」という縁(板敷)の出入口にあたります。この門のすぐ南には明義門(名義門)もあります。
よく使われる門だったらしく、この門をくぐり長橋を通って清涼殿へ云々、などの文章が多く残されているようです。(※明義門(名義門)の説明も参照ください。)

・宣仁門〔せんにんもん〕

紫宸殿と宜陽殿を繋ぐ軒廊の、宜陽殿側の端にあります。
宜陽殿への出入りには必ずこの門を通りますし、また西に左近陣という重要な政務の場があったため、内裏東側からの公卿の着陣でも、ほぼ必ずこの門を通ります。
また、ある摂政が紫宸殿後方から前方へ移る際、ここで靴を履いた記録があるようです。

・敷政門(敷正門/布政門)〔ふせいもん〕

宜陽殿と綾綺殿の間にある門です。「陣座」に近かったため、原則的に、大臣(特に一の人)の着陣の際の通用門となっており、納言以下の公卿は、特別の場合を除けば、和徳門(華徳門・花徳門・化徳門)を使うのが慣例となっています。

・和徳門(華徳門・花徳門・化徳門)〔かとくもん/わとくもん〕

綾綺殿の北の廊に開いた門です。無名門とも呼ぶ、という説があるようですが、無名門(无名門)とは別のものですので、注意してください。
この北の廊は西に流れる片廂屋根で、門内の庭を「和徳門(華徳門・花徳門・化徳門)の壺」と言います。門の外、北脇に「陣座」が作られており、これを「脇陣」とも言います。
納言以下の公卿が左近陣に出入りする際、この和徳門(華徳門・花徳門・化徳門)や敷政門(敷正門/布政門)を用いています。

 ● その他


・中和門〔ちゅうかもん/ちゅうわもん〕

平安宮の中和院東の外門です。兵衛が守衛管轄します。内裏に西面していたため、通常、中和院への天皇の行き来はこの門を通っています。


 

内裏の呼称


内裏の呼称は、そのまま天皇の呼称として用いられているものも多くあります。
また、『大宮』は皇太后・太皇太后を指しても用います


 ○ 日本固有の呼称

『御門〔みかど〕』『大御門』『内〔うち〕のみかど』『御垣〔みかき〕』『御所』
『大宮』『百敷〔ももしき〕
『雲の上』『雲居〔くもい〕

 ○ 中国の呼称等に由来するもの

『内裏』『内〔うち〕』『内のうへ〔うちのうえ〕』『大内〔おおうち〕』『大内山〔おおうちやま〕
『禁裏』『禁裡』『禁中』『禁門』『禁闕〔きんけつ〕
『紫禁〔しきん〕』『紫庭〔してい/むらさきのにわ〕
『九重〔ここのえ/ここのかさね〕
『蓬莱宮〔ほうらいのみや〕』『蓬壺〔ほうこ〕』『よもぎが洞〔ほら〕




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