正法寺沿革

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  「火事は消えたか正法寺」と歌われたほど、よく火事にあっている浄土真宗本願寺派(西)伏見山正法寺
  江戸の名のある大火にはほとんど焼かれ、その数八回、そのたびにつづらに宝物や過去帳などを入れて難をのがれたといいます。そうして守られてきたものが、いくつか残っています。
  本尊の阿弥陀如来像、親鸞聖人の筆になる「南無阿弥陀仏」の六字名号、関所の通行手形など、古文書類が多数あります。
 また、前々坊守白川秀が明治の狩野派の画家、
小林永濯(えいたく)(天保14〜明治23、1843〜1890)の姪にあたり、小林永濯やその弟子であり養子の小林永興(えいこう)(明治5〜昭和8、1872〜1933)の作品、下絵、春画など多数所蔵しています。これらは内外の日本美術研究家の方々に高く評価されています。両者とも墓所は当寺。

  正法寺は現在、東京都世田谷区松原五丁目にありますが、もとを訪ねると京都成勝寺(現在世田谷区宮坂)の創建までさかのぼります。
  成勝寺は平安時代後期の保延五年(1139)、第七十五代崇徳天皇の勅願寺、真言宗のお寺として創建されました。場所は京都の東郊、白河の地(現在の平安神宮に近い二条通り沿い。近くに白川が流れる)。当時、天皇の勅願寺として建てられたお寺が六ヶ寺あり、いずれも「勝」の寺がついていたので「
六勝寺」とよばれていました。
 後に、成勝寺は京都を襲った地震や源平の戦で堂宇が破壊されましたがその都度修復されてきました。しかし、承久元年(1219)、白河殿付近より出火した火事により灰燼に帰しました。その後、承久三年(1221)の承久の乱のあと成勝寺は京都の伏見に再建されました。そこで山号を「伏見山」とし「伏見山成勝寺」として約四百年を過ごしました。
 本願寺は第八代蓮如上人(1457年宗主に就任)をむかえ、上人の布教により他宗寺院が本願寺につぎつぎに帰属していきました。真言宗成勝寺が浄土真宗に変わったのはこの頃と考えられます。
 江戸時代に入り本願寺は元和三年(1617)、江戸御坊を浅草浜町(横山町)に創建されました。
 正法寺は江戸御坊創建の一年前の元和二(1616)年、玄覚法師(開基)によって京都伏見に「伏見山正法寺」として創建され、同三年江戸御坊創建にあわせて江戸浜町に移転しました。京都伏見にあった「伏見山成勝寺」も江戸御坊創建にあわせて江戸に寺基移転し、江戸御坊の寺中は、寺院十八ヶ寺、子院二十八ヶ寺になりました。 
 正法寺は「伏見山正法寺」と称すること、また、代々住職の姓を「白川」と称すること、成勝寺も白川の姓を名乗っていたことから、開基玄覚法師は成勝寺と血縁または法縁にあったことは明かであります。

 その後、明暦の大火(1657)で江戸御坊、地中寺院共々焼失し、江戸御坊の築地移転と共に築地に移転し、築地本願寺地中五十八か寺の一つとして関東大震災(大正十二年)で焼けるまでそこにありました(現在の築地場外市場)。

  震災後、区画整理により昭和四(1929)年、松原に移ってきました。条例にかない、都心に一番近い所をというと麦畑やすいか畑だったこのあたりが一番適当な場所でした。当時は本堂が建てられず庫裡の一室を本堂にあてた座敷本堂でありました。

  移転後年月を経た昭和三十三(1958)年に前本堂が建立されました。当時としてはモダンなインド風建物で、お寺の明るいイメージ作りにも役だっていましたが、幾年もの星霜により老朽化がすすみ、新本堂建築のため平成23(2011)年10月に解体が始まりました。建築は平成24(2012)年12月に終了し落成しました。新本堂は前本堂の意匠をより発展させた本格インド風建築になっています。

  このあたりは正法寺と同じように、築地の区画整理で移転してきたお寺が他に4か寺あり、世田谷区の烏山と並んで世田谷の第二の寺町などといわれています。
現在の住職は開基玄覚法師から数えて第十三代目に当たる白川淳敬が勤めています。


歴  代  住  職

   法 名     生  年     没  年    西  暦
 開   基   玄 覚     慶長年間  寛文10年10月16日    ?  〜1670 
 第 二 世  暁 円     不  明  享保4年6月3日   ?  〜1719
 第 三 世  隆 天     不  明  安永元年11月19日   ?  〜1772
 第 四 世  観 了     不  明  天明元年8月6日   ?  〜1781
 第 五 世  玄 海     不  明  文化元年10月17日   ?  〜1804
 第 六 世  遵 海  安永2年  寛政5年11月21日  1773〜1793
 第 七 世  證 海

 宝暦2年

 天保2年4月25日  1752〜1831
 第 八 世  顕 道  文化13年12月25日   明治2年7月8日  1816〜1869
 第 九 世  海 恩  弘化2年  明治8年10月15日  1845〜1875
 第 十 世  嘉 元  嘉永6年11月4日  昭和4年3月7日  1853〜1929
 第十一世  嘉 敬  明治31年8月23日  昭和44年3月5日  1898〜1969
 第十二世  謙 敬  大正15年2月5日  平成15年6月2日  1926〜2003
 第十三世  淳 敬   昭和31年9月1日    1956〜

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