フォトギャラリー ・ 天竺紀行

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このフォトギャラリーは正法寺住職が古本店でたまたま見つけた「天竺紀行」(昭和16年刊)と言う、インド仏跡紀行の本に載っている仏跡写真集。昭和の12年の仏跡写真なので、現在のと比べてみると面白い。例えば、それらしい古さを感じさせる僧院跡の煉瓦の礎石は最近復元したものであることがわかる。この本の写真は礎石が埋まったままで写ってない。

ルンビニ、マヤ夫人浴池

マヤ夫人がお釈迦さまをお産みになる前に沐浴されたという池。
この写真を撮ったときは酷暑期で水が枯れていて風情がなく、発掘調査のため樹木が伐採され尽くし、唯一、池畔に菩提樹の巨木があると記されている。現在この池はプールのように四角く護岸整備されているが、菩提樹の巨木だけはもっと巨木になって今もある。 [トップ] 

ルンビニ、アショカピラーとマヤ堂 

西暦1897年フェーラー氏はネパール國ルンミンディーと称する地点の森林中に一大石柱の埋没せるを発見し、そのアショカ文字の刻文を研究してこの地こそブッダ降誕の聖地なることを確認した。昭和7年よりネパール政府により一大発掘が開始され、昭和12年4月に完了した。その直後5月24日に到着して、具に発掘の状況を見ることが出来た。石柱の東方、小丘上にありと思われていたマヤ夫人堂は、往昔の誕生寺の本殿基跡の上に立つことが明らかとなり、この付近苑内一帯に大精舎、僧院ストゥーパの基跡が多く発見された。
(本文脚注より)  [トップ]

ルンビニ・マヤ堂 

堂は東に向かって立つ。南側より北面して撮影。往昔の本殿基跡の上に後年小祠を建てしこと発掘の現状より明らかである。右方木柵に沿って登れば入り口に達し、堂内石段を下りて、マヤ夫人太子を産みたもう石彫像を拝することが出来る。マヤ夫人浴池を去ること北に20歩、まさしくブッダご降誕の地点である。アショカ王柱ははすぐこの西背に立つ。
(本文脚注より) [トップ]

パトナ市、クムラハルのアショカピラー

パ−タリプトラ宮殿ホール跡発掘地から出土したアショカピラー。現在は屋根が付き保存されている。[トップ]

クムラハル遺跡にあるビハーラ棟

「樹木が壁から生い茂って小さい森のように見える」(本文より)[トップ]

クムラハル遺跡にあるビハーラ棟

上の写真の近影。現在このビハーラはなくマウンドだけが残っている。[トップ]

ブッダガヤ尼蓮禅河畔乳糜林

 尼蓮禅河の東岸。釈尊はここでスジャータの乳粥供養を受け、体力を回復して前正覚山にに向かった。 [トップ]

ブッダガヤ前正覚山留影窟

 釈尊は6年間にわたる苦行を無益とし、乳粥の供養を受けこの山で悟りを開こうと思ったが山の神天の神が恐れおののき、菩提樹の木の下で悟りを開くように勧めた。その時、ここに住んでいた龍がここで悟りを開くよう願ったので、釈尊はその願いをかなえるために自らの陰を残して立ち去ったという石室。
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ブッダガヤ金剛法座

お釈迦さまが悟りを開かれた場所。この当時は柵も門もなかった。柵と門が出来ても中に入れた頃もあった。今は柵の中には入れなくなった。大きな木は菩提樹の木。この木下で悟りを開かれた。この菩提樹の木は幾度か邪道によって切られた。今の菩提樹は1876年の嵐で倒れた古木の根から芽を出した物。
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ブッダガヤ大塔

 アショーカ王によって紀元前3世紀頃に精舎が建てられ幾度の増広と改修により現在の形になったという。最初は小さな精舎が建てられ、5〜7世紀頃に大塔の増広が完了し、19世紀にイギリス人カニンガムによって発掘修理され現在に至っている。最初は煉瓦造りに漆喰を塗った物であったようだが現在はセメント仕上げ。
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ブッダガヤ大塔・蓮池(浴池) 

釈尊成道の地を祀るブッダガヤの大塔。高さは五十メートル有余。創建は前三世紀、アショーカ王の時代に溯る。大塔の下には、釈尊がさとりを開かれた金剛法座と菩提樹、しばしば沐浴されたという蓮池がある。 [トップ]

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ブッダガヤ大塔の欄楯の支柱

大塔の正面をのぞく三方に回らせれている欄楯。支柱だけが残り横柵はない。紀元前2世紀のものと5世紀のものがある。これらは当時の王族の寄進による。彫刻は仏伝、ジャータカを題材にしている。現在これらの支柱は現地の博物館や各地の博物館に移されている。したがって大塔の回りにあるのは複製が多い。しかし、この写真を撮った頃は本物かもしれない。 [トップ]

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ラージギル・霊鷲山ビンバサラ道

現在は舗装され階段が着いているが、このころは未舗装。
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ラージギル・霊鷲山精舎跡

 霊鷲山頂上の精舎跡。釈尊の香室は右手前にある。「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」はこの崖下の広場で説かれた。 [トップ]

 

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ラージギル・霊鷲山頂広場

 現在とほとんど変わらない。 [トップ]

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ラージギル・北門付近から旧王舎城を望む

おそらく竹林精舎あたりから旧王舎城方面を撮ったものであろう。現在は木が生い茂り人も多くこのように見えない。
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ラージギル・温泉精舎 

 この精舎の中に温泉が湧いている。温泉と言ってもぬるく、お湯も泥水。温泉では祈る人あり、遊ぶ子どもありの状態。 [トップ]

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王舎城(ラージギル)地図

 当時の王舎城の地図。七葉窟の場所が現在それとされている所と違っている。今はバイバーラ丘の上(温泉精舎の裏から登る)の「無名窟」と記されている所が七葉窟とされているいる。ここで「無名窟」とされているところはソンバンダル窟と言っている。 [トップ]

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サールナート・チャウカンディーストゥーパ
  (迎仏塔)

 釈尊はさとりを開いたあと、一緒に修行をした5人にそれを話すためサールナートに向った。その5人が釈尊を迎えたという場所にたつストゥーパ。こんもりした小山がこれで、頂上の建物は無関係。これは、ムガル朝のアクバル帝が父フマユーン帝のサールナート訪問を記念して1588年に建てた物。現在は山肌のギャップが無くなっている。 [トップ]

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サールナートダーメーク塔

釈尊が初めて説法をした(初転法輪)地、サールナートにあるダーメーク塔。表面には数々の文様が刻まれ、それが現代の仏教建築に用いられている。周囲の小さい8つの窓(がん)には仏像があったと言うがいまはない。マウリヤ期に創建されグプタ期に文様が刻まれた。由来は諸説有るが不明。周囲28メートル。高さ43メートル。 [トップ]

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サールナート・初転法輪寺

釈尊の御遺骨が安置されている。
英人仏教徒フォスター夫人の懇志を元とし建てられた寺院。塔はブッダガヤの大塔を模してある。中に野生司香雪画伯の釈尊の生涯を表した大壁画がある。現在は寺院の境内がもっと整えられている [トップ]

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祇園精舎・香室跡

 祇園精舎の精舎跡の中でも、ひときわ高い位置にある精舎跡。釈尊の香室であるとされている。ここで「仏説阿弥陀経」が説かれた。
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クシナガラ・精舎跡

 この頃の精舎跡の煉瓦の礎石は埋まっている。現在は掘り起こされ、きれいにそれらしく修復されている。 [トップ]

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クシナガラ・大涅槃塔

釈尊が亡くなられた場所クシナガラに建つ涅槃塔。タイの信者が作った。ドームは金色だったそうである。さぞかし美しかったであろう。
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クシナガラ・涅槃堂と涅槃塔

前出のドームの写真の反対側というか、こちらが正面。手前の建物、涅槃堂に釈尊の涅槃像が安置されている。現在のような丸い屋根はまだない頃。 [トップ]

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クシナガラ・ラーマバールストゥーパ

釈尊のご遺体を荼毘に付したところ。煉瓦の塔に草木が生い茂っている。現在はストゥパの回りが整備され遺跡公園の様になっている。ストゥーパの草木も取り除かれて煉瓦造りの様子がよくわかる。 [トップ]

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クシナガラ・ラーマバールストゥーパ近影

 中に煉瓦造りの塔があるとは思えない
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仏舎利

サールナート初転法輪寺の須弥壇内に深く安置されているお釈迦さまのご遺骨。この写真はこの寺の壁画を制作中の野生司香雪氏が撮影したもの。 [トップ]

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ラージギル・ソンバンダル窟

カニンガムはここを七葉窟とし第一結集の地としているが、それは間違い。ここはジャイナ教の祠の説が強く、ここは明らかに人工の窟であり、近くに七葉樹もない。第一結集の地、七葉窟はこの山の反対側、王舎城の外郭山ヴァイヴァーラ丘北面中腹にある。そこは自然窟で七葉樹もある。
第一結集とは、釈尊が亡くなられた年に、選ばれた弟子たち500人が集まり、釈尊の教えを合誦し仏説として確認した会議。マハーカッサパが司会し、ウパーリが律を、アナンが法を暗誦したという。第二結集は仏滅100年後バイシャリで700人を集めて行われている。仏滅236年後のパトナの第3結集は南伝、北伝にありその形態諸説あり。

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