ボロブドゥール ブッダ伝レリーフ 東南の部(1~30)Southeast part
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ボロブドゥールのブッダ伝(釈尊伝)レリーフはボロブドゥールの第1から第4の回廊の内、第1回廊、内側、上段に刻まれている。総数120面。このレリーフは東側階段より出発し、右回りで常に右に中央の大塔を見ながら経行する順序になっている。レリーフは縦、70~80㎝、横240㎝。このレリーフの出拠は「大方広荘厳経(Lalitavistara)」である。120面のレリーフの内容は、ブッダ生誕前の在兜率天から、初転法輪までである。(参考文献:「ボロブドゥル」井尻進 大正13年 大乗社)

東南の部 1~30
 Southeast part

西南の部 31~60
Southwest part 

西北の部 61~90
Northwest part 

東北の部 91~120
 Northeast part

ボロブドゥールを真上から観た図です。ブッダ伝レリーフは一番外側第1回廊、内側、上段に刻まれています。東南の部 1~30はこの図だと左下の30面です。

 東南の部(1~30)

1 在天当時の菩薩(釈迦)

釈尊は前世に於て三十波羅蜜を行じて、兜率天(tusita)に生を享け、天衆を化導せられて、その名を浄幢と言われた。大荘厳経、巻の一に現われているように、菩薩は兜率天に生れて、その天子となられ、諸天は恒にこれに供養奉仕した。そして遂に天界を去って人中に生れて阿耨多羅三藐三菩提を証せられるのである。「仏諸比丘に告ぐ、天宮の中微妙安楽のところありて、高閣、重門、層楼、大殿あり。…………処々に盈満せる諸天采女、天の伎楽を奏す。諸天子等大いに法堂に集って菩薩を囲繞し、説くところの無上大法を聴き、貪瞋きょう慢一切の煩悩を断ち、広大の心を生じ、踊躍歓喜して安楽に往す」とあるが、図はこれを表わしたのである。

 釈尊の前世である浄幢菩薩は天宮に住し、宝台上に結跏趺坐し、頭周に光明を放っている。左右に二人づつの天人が奉侍して、二人は払子を執っている、これは王者の表章である。宮室の外の右側下段に天人がいて、一人は燈火を執り、一人は蓮華を把り、一人は楽を奏している。宮室の左側下段に天人が多く詣で、雲上には天人来集歓喜し、あるいは拍手している者もある。

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2 菩薩降下の評定

 未だ兜率天に居られた頃、梵天王、帝釈天以下の諸天は、菩薩が将来仏陀となって民衆を救い結うべきことを知って、菩薩に人界に降って衆生を済度せられるように乞うた。菩薩はその降神せられる時、方、国、族に関するところの四種の観世をせられて、遂に人寿百歳をもって、インド中天竺迦毘羅(カピラ城)の城主浄飯王の皇后摩耶夫人を生母となすことに決せられた。そしていかなる形体を取って神を母胎に降すべきかと言うことが議せられた。

 師子座に結跏趺坐し結うは菩薩で、来集しているのはちょうど諸天等がその降下の形象を儒童の形、帝釈、梵天の形、あるいは大王の形等と論じた結果、紅頭六牙の白象と現じて母胎に宿ることとなった評議のところである。

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3 吠陀(ベーダ)の説法

 諸天等が恭敬礼拝して菩薩を見率るに、何所よりか声があって「十二年の後菩薩はその母胎内に入るべし」と聞えた。この声を聞くや忽ちこれらの天人等は、その神々しい姿を捨て去り、婆羅門の形に身をやつしてインドヘと飛行した。それはその地に於て吠陀を解かんがために降ったのである。

 図面は甚だしく損傷せられているが、吠陀を解いている婆羅門や、飛翔している天人、聴衆等を見得るのである。

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4 菩薩の降天を喜んで飛遊する天衆

 かかる中にまた他の天衆等はインドに降下して、辟支仏(縁覚)となった。そして謂うて曰く「十二年の後に菩薩は地上に降り、仏陀の教えを垂れ給うべし」と。このときに王舎誠に「白象」と称する羅漢がいた。彼はこの語を聴くや石を僕ちつけるように地上に降りて、直ちに空中高く七城を築き、流星のように姿を消し去った(Rissipadaniの物語)。この時にまたベナレスにいた五百の羅漢もまたこの物語を聞いて、空中高く七城を築いて忽ち消え去った。

 三人の羅漢は樹下の蓮台上に於て禅定に入っている。右端にはなお一人の辟支仏がその蓮華座上に飛下せんとしている。左方の上空には一天人の飛行するを見る。林中には雌雄の野鹿が横たわっている。

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5 降天前の説法

降天に先立って、百八つの尊い法門は説かれた。この時に八万四千の得道の天衆は曼荼羅華を雨ふらして、菩薩を頂礼讃美した。

 天上の多くの菩薩の群は跪いて師子座に説法の菩薩(釈尊)を礼拝し讃美している。 

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6 弥勒菩薩に宝冠授与

天衆は菩薩の仏足を頂礼して悲しんで「真に尊い菩薩よ。菩薩の去られし後はこの愛する兜率の宮殿も最早光を失うならん」と、謂うた。菩薩はこれに応え「未来に於ては弥勒菩薩が汝らに法を授くるならん」と曰うて、弥勒菩薩を補処に位せしめ、菩薩自身の頭から宝冠を取って弥勒の頭に載せられた。そして「わが去りし後は、汝尊敬すべき菩薩よ、御身は最も高き円満なる智慧の法門を良き人々に垂れよ」と告げられた。

 台上に坐しているのは弥勒、立って宝冠を親授するは菩薩である。優良な天衆は坐してこの典礼に列している。

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7 菩薩降天の形態の議定

 菩薩は再び天衆に対して、問うて「いかなる姿に於て母胎に宿るべきか」と言われた。例の多くの姿がここに挙げられた、しかし1つとして目的に適合したものはなかった。遂に既に仙人になっていたUgratejaが言うに「菩薩は今や三妙に通ずる婆羅門を教戒せんがために行かせ給うものなれば、必ず彼の気高き姿をなす、力強き象として、身には光り輝く金の綱を掛け、頭には赤色の徽を戴き、威容堂々三十二相を具足して母后の胎内に入り給うを要す」と。

 菩薩は宝座に、天衆は皆跪いて、各自考案を廻らしている姿態をしている。

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8 王妃と浄飯王

天上に於て熟議中に、一方迦毘羅(カピラ)城中に於ては八つの前徴が現われた。百花は時ならぬ時に於て満開美麗を極めた。すべての害虫毒蛇は姿をかくした。雪山からは千種百態の諸鳥が来って、喜んで飛遊囀鳴し、崇高な宮殿の屋根や軒に座した。四季に生ずべき果実は一時に成熟した。苑池は車輪大の蓮華を以て一時に覆われた。王の倉庫は日々米穀を取り出さるるに拘わらず、その量は少しも減じなかった。後宮に鳴り響く音楽は絶えず妙音を伝えた。宮殿に蓄えられた金銀宝珠は箱の中に蔵められてめるに拘わらず、その光は燦然として外にまで輝いた。かくのごとくにして王宮は光明が四方に放たれて日月の光も尚し墨のごとくせしめられたのである。

 中央の殿中宝座に王と王妃は悦予して坐し給う。宮女、廷臣、婆羅門、武臣はその周囲に奉仕し、樹幹には華果が豊満している。 

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9 宮室に於ける王妃

インドラ(帝釈天)の園に於ける若い天津乙女のごとく愛らしい姿の王妃は、宮女等に傅かれてその宮室へ行き給うた。そして花の香が非常に薫しく漂うている宝床に安臥せられた。

 右手に蓮華を把って摩耶夫人は坐し、払子を捧げた両人の侍女に傅かれておられる。天女は空に飛遊し、采女宮臣は地上にひざまづいて侍衛し、愛すべき鳥獣は果樹の上に戯れている。 

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10 天衆菩薩に随従に一決す

天宮に於ては帝釈、梵天、四天王その他無数の天衆は会集して群議した。「誰か克く真心より菩薩に随伴し奉るべき」との声に対して、「われわれこそまず附随せざるべけれ」と称して全部こぞって扈従することに決議し、あわせて菩薩を讃美した。

 諸天が鳩議している殿堂の遥か後方に、菩薩の宮殿が望まれる。 

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11 兜率天に於ける最後の崇拝

天女等は聖母と定っている乙女摩耶に対して好奇心を持った。そしてこの王妃のために尽くさんと、各自驚くべき美わしい冠に花の馨を一杯載せて、この長生不死の国の住家を消え失せ、カピラ城指して出発した。浄飯王の城の宮殿の高い塔に達した時に、天女達は長い羅衣を纏うて、身には光り輝く光明をつけた。そして空中に浮んで、美わしい王妃を指さして讃美し唱うた。この時に天使等は多くの諸菩薩や他の天界の諸神等とともに菩薩のところに詣でて、その降誕の前に今一度彼らの崇敬礼拝をなした。その上で全天衆の随従の決議を菩薩に奏上した。

 師子宝座に坐し給う菩薩を諸天は牀上から最後の恭敬礼拝をしている。

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12 菩薩の降神

菩薩が兜率天から降り給うに当って、梵天王、帝釈天、四天王等が相率いて随従し、威儀甚だ盛んである。この時に天人等は皆相集まって「今菩薩降天し給うに当り、われわれ諸天が侍従せざるは、実に菩薩の恩養を識らざるものなり」と言うて菩薩を侍衛した。

 菩薩は宮殿に住し、勝蔵師子座に坐し給う。百千の天衆はこれに奉仕して人界に降る状を示している。天人はおのおの宝蓋、白払、燈明、幢幡等のすべて帝王の標徽を捧持している。これは菩薩は人天の法王なる故をもってである。宝座の下に雲のあるは天空を下るの意であって、幢幡が翻っているのは降下の速度大なるを示したものである。

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13 摩耶夫人の霊夢

 
冬節が過ぎて春分の中、ベーサーカ月(陽暦四月後半より五月前半に至る)叢林の華葉は鮮沢であって愛すべく、寒からず、暑からず、互に宿合うの時に於て、三界の勝人が天下を観察し給うたのに、白月円満であって報沙星(pausa)は正に月と合うていた。菩薩はこの時に、兜率天から没して母胎に入られた。聖后はこの時に静に睡眠して、下のごとき夢を見給うたのである。「菩薩は白象の形となって、六牙を具足し、その牙は金色であって頭上は紅色である。形相諸根は悉く皆円満していて、正念正智をもって神を降して、右脇から母胎に入られた。」

 寝殿に安臥して眠り給うは夫人。その左には燈光があり、右には五人の侍女がいて、一人は扇子を持って扇ぎ、一人は王妃の足を撫でている。左上には金蓋をつけた白象の菩薩は蓮台に乗って降下し、その下には天衆が恭敬している。また床下や宮殿外には臣僚等が侍護している。

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14 諸天の王妃守護の合議

その晩に四方の大臣どもや二十八の薬叉族の頭等その他のものは、帝釈天のところに至って相談の結果、彼らもすべて協力して王妃を守護することに決議した。

中央の殿中に坐するは帝釈天である。

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15 無憂園に於ける摩耶夫人

翌る朝王妃は目を醒して「未曽有なり、われ未だかくのごとく妙好厳飾具足せる象あるを見聞せず、またわれにこれを語れる何人もなし。崇高にして、宗教味に豊かなる殊象よ」と独語を謂われた。王妃は喜悦のあまり、衣服や装飾のことは気にも留めずに寝殿を去り、多くの宮女に取繞かれて庭に出で、無憂林(アショカ)に入って休息所に腰を下ろされた。そして使いを遣って夫君浄飯王に来臨を請われた。

 華果豊かに、禽鳥囀鳴している朝の無憂園に、美わしい摩耶夫人は遊歩して居られる。その前には一人の侍女が跪いて命を承っている。遠くには王宮が表わされている。

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16 浄飯王無憂園に来臨

王はこの話を聞いて、王座を立ち、星学者や貴族、高僧を従えて無憂園に行かれた。園に入らんとして王は身に非常な重みを感じて立ち止まられた。王はその理由を考えながら園内を一目見遣って謂われた。「われ未だ嘗てかくのごとくなるを識らず。わが英雄帯に於てもなおこの重みあることなし。今日わが家にさえ赳く能わず。ああいかなる大事の出現せんとするにや。さらに可解すべからず。」

 室内には、王妃は坐し、王は諸君を従えて立ち止って居られる。王妃の使いは王の前に跪いて伝奏している。 

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17 摩耶夫人の夢物語

 天から声があって「兜率天より汝の一子降誕せん。而してその王子は剃髪して山に入り仏道を修業せん」と言うた。王は驚異の眼を見張って夫人を顧みて「妃よ!何の異変かありし」と問われた。王妃は答えて「真に純銀あるいは白雪のごとく輝いて美わしく、その光り日月に勝れる一の殊象わらわの胎内に入り、数万の天衆はわれを誉め讃えたり。然れどわらわにその意解すべからず。願わくば、わが君よ、速やかに吠陀(ベーダ)及び優波尼沙陀(ウパニシャド)に精通せる婆羅門を呼び寄せ、真理に従うてわらわの夢を解かしむべし。なおまたこの夢はわが家に対し吉凶いずれなるかを説かしめ給え」ともうされた。

 殿上には王と王妃は対話し給うて居る。

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18 霊夢の解釈

王は古典に精通した婆羅門耆徳六十四人を宮中に召し、厚く遇して霊夢を占せしめられた。彼らは答えて「皇后に慶事あり。王女に非ず、皇子なり。もし月天右脇より入るを見給わば、在家の転輪聖王を生み給うべし。然れども白象右脇より入るを見給いしなるをもって、その王子は三界の無上尊、大導師となり、甘露の法雨を灑ぎ、煩悩の大海を度脱せしめ、よく世の迷闇を破り給うなるべし」と謂うた。

 位置の高い婆羅門は牀上に坐し、その他の沙門は地上に跪いている。婆羅門は弟子衆を率いて至り、無憂樹の茂生している庭園に於て占夢を奏している。王の臣僚の多くは庭内に趺坐奉仕し、あるいは宝蓋を捧げ、あるいは椰子扇を執っている、背景には遥かに王宮を見る。

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19 婆羅門に布施す

浄飯王はこの占夢を聞いて非常に悦び、金銀の器に乳糜麨蜜を盛って婆羅門に施し、また衣服黄牛を賜うて厚くこれを賞して帰らしめ給うた。同時に国中民衆にも施与はなされた。

 図面はほぼ前同様であって、婆羅門憎は盛んに布施を受けつつある。

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20 諸天は聖母に宮殿を捧ぐ

この時に当って王は摩耶夫人を今後住まわしむるにいかなる宮殿をもってすべぎかを考慮し給うた。四天王は来って「王よ、これがために心を悩まし給うなかれ、われわれに於て好適の宮を奉献すべし」と言うた。また帝釈天は自己の宮殿を捧げ、他の諸天あまた主張するに各自の宮殿を呈することをもってした。そして誰一人譲歩するものがなく、ついに彼らは各自その宮殿を迦毘羅(カピラ)城に将来した。

 諸天は殿上に合議し、諸宮臣は外に集会している。

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21 すべての宮殿に聖母の姿を現す

しかし夫人はこれらの諸天の捧げた宮殿には往み給わずして、浄飯王が夫人のために特に精美を尽して築営し結うた宮に居られた。しかし菩薩は大寂定の力により摩耶夫人の姿を諸天の呈しかすべての殿中に現じ、宝牀上の夫人の右脇に菩薩自らを顕わし結うた。ここに於て諸天等は夫人が特に自己の捧げた宮を撰び結えることと考えて満悦した。浄飯王も斜ならず喜び結うた。

 おのおのの殿中に夫人は坐し、太子はその傍に居られる。 

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22 摩耶夫人の施療

カピラ城は宛然極楽世界であった。城中の人民も、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅も夫人の姿を見て忽ち悉く喜悦した。囚人は急いで市外に出でた。病に悩み苦しめるものは夫人のもとに詣でて、彼らの右手を自分の頭に置くや忽ち病は癒えた。また夫人は病者のために薬草を施与してこれを治療し結うた。

 宝牀に坐して施を命じ結うは夫人であって、侍女をして病痾者に施薬せしめて居られる。

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23 迦毘羅城の大施会

菩薩、聖母の胎内に在す間は諧調の音楽は昼夜妙音を伝えた。諸天は風雨を節度に交換し、星晨は正しく軌道を運行した。王は四城門、四衢道に大施を催して、香華、臥具、田宅、騎乗、一切の求むるところは皆悉く喜捨し給い宗教上の会式はすべてこれを尽くされた。

 図は人民が衣食等を施与せられ、百庶皆喜んでいるところである。 

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24 梵志としての浄飯王

 釈迦種族の者は雨季は家居して楽しんだ。浄飯王は俗世の諸事を捨てて、清浄にして美わしい宮嬪等に交ることさえも避けられた。そして一梵志として仙人のごとき宗教生活に入り給うた。

 王は梵天の法を志求する婆顕門の一求道者の姿をなして牀上に坐して居られる。

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25 迦毘羅城の奇瑞

托胎まさに十ヵ月にならんとして、菩薩の誕生は近づいた。この時に浄飯王の宮苑には三十二の驚くべぎ奇瑞が生じた。すべての樹草は悉く芽を出して繁茂せず、苑池の蓮華は美わしい芽を生じて未だ咲かず、果樹はいずれも果実をつけて熟さず、八樹は成長し、多くの宝蔵は現われ、采女の殿堂には宝石の坑は現われ、温泉、冷泉、香水泉、香油泉は湧出した。雪山の麓からは小獅子が来ってカピラ城の周囲にいこい、遂に城門に腰を据えた。しかし人々には何らの危害も加えなかった。五百の若い黄白色の象は王を訪れ、鼻をもって地を掘り、あるいは王の手足を撫でて媚を呈した。王の宮殿内には天人の子等が戯れ遊び、宮女の殿中には山海の女神は群れ集うた。

 城門には小獅子は坐し、王の膝には諸天の子等が戯れ、小象の群は王を訪れている。

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26 王と夫人の装身

空中には龍女が供物の器や孔雀の羽扇を携えて現われ、一万の醇酒の樽は街衢に転り出で、一万の天女のごとき美人はその頭に佳き香水の器を戴いて現われ、一万の天女は手に宝蓋、幢幡等を把って顕れ、数十万の蝶貝、角笛、銅はち、旗幟、鐘鼓を執って出て来た。風は吹くことを止め、河川は流れを停め、雷霆は震わず、日月星晨は運行を留め、銀沙星座は観るを得た。珠玉の礦坑は宮苑内に発われ、火は燃ゆることを止めた。宝塔、宮殿、城門上の網には宝珠が懸った。空気は清澄、純浄に、到るところ香気は馥郁として薫じた。鳥梟鷹狼豺等の猛禽悪獣は声を潜め、妙音は絶えず鳴り響いた。街衢、市場は花毛氈をもって敷き詰められ、屋内には出産の苦痛の声は聞かれなかった。時に聖后摩耶は初夜に起きて服飾を着け、浄飯王の所に詣でて「園観して法典を思惟するを希う。大王よ許させ給え」と顕われた。王は答えて「今聖人を懐く、衆果芬華甚だ喜ぶべき彼の園に行きて観るべし」と、宣うた。そしてカピラ城から夫人の父王の居城たる提婆陀訶城に至る道路を修めしめ、一切の荊棘砂礫糞穢土塊を除き、香湯を地に灑ぎ、種々のいみじき花の香をその地に散らさしめられた。また夫人は諸種の花鬘、瓔珞をもって装い、諸の音楽を奏せしめ、大王の威風をもって諸々の侍従を宝車に従え、采女はこれを囲繞して、藍毘尼園(ルンビニ園)に遊観し給うこととなった。

 図は王も王姑もおのおの自分の室に帰り、妃は出発のために盛装し給うのである。 

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27 藍毘尼園の行啓

今、聖胎を懐ける夫人は、仏母の常として菩薩降誕後生命長からざるを知り給えると、古代インドの習慣とにより生国に帰り分娩せんとせられた。途中父王が夫人のために両城間に設け給うた世に双びなき一大林園藍毘尼に向い給うた。夫人は大白象に安然端坐し、天人は微妙の宝帳を夫人に垂れた。ロバには一万の勁い香象を七宝をもって飾り、黄金の鞍を置き、また一万の紺青の毛色の善馬に黄金の馬装を施し、次にまた一万の四頭立の宝車に幡蓋を張り、衆くの鈴を懸け鏗鏘と鳴らし、次に二万の近衛の勇士は身に甲冑を着け、于には弓箭、闘輪等の兵器を執って扈従し、その後には万の宝車は粛々と続いて、瓔珞を戴き華やかな裳を着けた十干の妃嬪はこれに乗り夫人の前後左右に随従した。王はさらに警備を厳にして、浪人輩が夫人の御車に近づかぬように、また諸妃嬪の列を乱さぬようにし、ただ童女のみを夫人に侍らしめ給うた。梵天王、天帝釈、四天王は皆ともに翼従して、諸の天華を散じた。この時に当って娑羅樹の楽園藍毘尼の樹本の幹枝は悉く華果を載せ、色蜂鳥禽は来って華枝の間に妙音を転じ、池水は湛えて瑠璃のごとく、地には摩尼を始め多くの宝石が敷き満ちてあった。

 梵天、帝釈等の諸天は三、四の天人とともに先導となり、二頭の馬は夫人の宝輦を曳き、馬上の御者はこれを調御している。カピラ城の臣僚は椰子扇、白払、蓮花等を執って宝輦に従うている。 

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28 仏の誕生

春の初の如月八日鬼宿合するの時、父王(善覚長者)は摩耶夫人を迎えて倶にともに時恰も百花爛漫の園林に馳入り給うた。夫人は苑中の樹蔭から樹蔭に逍遥し一大娑羅樹(サーラ樹)を見てその美を愛し、樹下に至って一枝を把らんとせられた。時に枝は菩薩の風力によって自ら曲り垂れて夫人に近づいた。夫人は手を伸べてその枝を把り給うにその美わしさは、み空の虹のごとくであった。この時に夫人は産気を催し給い、女官等は皇后を繞らすに幕をもってして退く。二万の天女は皇后を囲み十指の掌を合せてともに夫人に向って頌を讃した。夫人は起立して娑羅樹の枝(一つに無憂樹)を把りたるままに菩薩を生み給うた。梵天王は金色の網をもって菩薩を受けて四天王に渡した。四天王は氈鹿の軟皮をもって造った氎衣の上に菩薩の玉体を捧げた(インド古代の皇子誕生の吉例に則る)。三十二の瑞相は現われ、天地は震勤し龍王は天から産湯を吐いた。奉侍の人々はこれを四天王より受けて綾帛の上に載せ奉った。この時菩薩は自ら地に下って直立して東面より順次十方を観察し給うに、大千世界の人天一つとして菩薩に当るものがなかった。ここに於て菩薩は七歩前進し静に止り、蕨のごとき拳を伸べ、妙音をもって「我於世間最尊最勝、此即是我後辺身、尽生老病死」即ち天上天下唯我独尊を大喝獅子吼し給うた。梵天王白蓋を執り、天帝釈は白払を把り、諸天はおのおの手に聖王の什具を捧げて随従したのである。

 聖后摩耶は起立して右手をもって無憂樹の枝を把り、菩薩は右わきより降誕あらせられ、七つの蓮花上を歩み給う。龍女は長跪して灌頂の水を捧持している。

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29 諸天は浄飯王を訪れ、王は婆羅門を    供養す

斯くのごとく菩薩が本来の円覚の聖者たることを啓示し給うた時、諸天及び多くの仙人は太子を恭礼、頌讃するために来り集うた。この時もまた三十二の吉瑞は再び現われ光明は輝き、天楽は響き、天華は雨降った。上流の釈種からは一万の乙女、一万の仔馬、五千の象、五千の子牛等が太子のために贈られた。桂卉珍草園、白檀の森、光輝映い宝石坑は出現した。太子は悉達多と名付けられた(悉達多とは一切成就の意)。国中百庶は求むるところを与えられ、三万二千の婆羅門は日々供養を受けた。天帝釈、梵天王は婆羅門僧教団に入って礼讃を誦した。

 宮殿中には天人は浄飯王に謁して讃嘆の掲を頌している。他の牀上牀下には婆羅門の大施会を示す。 

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30 太子の哺乳

釈尊降誕後七日、仏陀を懐胎せる聖母摩耶崩じて、夫人の妹、摩訶波闍波提(大愛道)Mahā-prajāpatī(マハー・プラジャーパティー)は諸釈種の請により代りて太子を乳哺養育し給うた。

 おばの大愛道は宝座上に坐して太子を抱き給う。庭内樹林には果実豊満するを見る。

 

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