ボロブドゥール ブッダ伝レリーフ 東北の部(91~120) Northeast part
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ボロブドゥールのブッダ伝(釈尊伝)レリーフはボロブドゥールの第1から第4の回廊の内、第1回廊、内側、上段に刻まれている。総数120面。このレリーフは東側階段より出発し、右回りで常に右に中央の大塔を見ながら経行する順序になっている。レリーフは縦、70~80㎝、横240㎝。このレリーフの出拠は「大方広荘厳経(Lalitavistara)」である。120面のレリーフの内容は、ブッダ生誕前の在兜率天から、初転法輪までである。(参考文献:「ボロブドゥル」井尻進 大正13年 大乗社)

東南の部 1~30
 Southeast part

西南の部 31~60
Southwest part 

西北の部 61~90
Northwest part 

東北の部 91~120
 Northeast part

ボロブドゥールを真上から観た図です。ブッダ伝レリーフは一番外側第1回廊、内側、上段に刻まれています。東北の部 91~120はこの図だと右下の30面です。

東北の部 91~120

91 梵天及び迦梨迦(五比丘の一人)
   の敬礼

この日の晩、梵天は諸弟子を集め、彼らに「今菩薩なる太手衆魔を降伏し、無上正覚を成ぜんとして菩提樹下に赳けり、われらもまた彼の所に詣でて菩提樹を荘厳し、敬礼せざるべからず」と唱えた。この時樹の女神venu,valga,Samanas,ojopati等はこれを賛助した。太子は獅子の如く歩んで進まれ、歩々に大地は震動した。妙光は身より放たれて、その身元の及ぶところ、世の憂愁悲傷はすべて常暗の国へと逃げ隠れた。また光明は龍王迦梨迦の宮殿を照らした。龍王はその眷属群衆を率いて浮び出で、太子に恭敬の意を表して幟幢等を献じた。龍王の第1妃 Suvarnaprabhasa はその宮を出て多くの龍婢に傅かれ、手には美麗なる傘を携えて太子の前に現われた。

 太子は蓮台上に立って居られる。右方には梵天等は讃頌し白払を執り、天蓋を差し懸けている。太子の前には龍王は躬を曲げて敬礼し、左方には龍妃等が香華を捧げているのを見ることができる。頭上の吉祥の樹々は装飾せられている。

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92 諸天他の菩提樹を厳飾す

太子は菩提樹下の覚座に赳かれた時、自ら心に「過去の諸仏、草蓐に坐して最正覚を成ぜり」と念ぜられた。この時にちょうど途に樵草人吉祥なる者が柔軟整斉、恰も天衣のごとき青草を刈っているのを見給うた。太子は吉祥に近づいて、悲心をもって「われ草を得んと欲す、吉祥われにその功祚を与えよ、当に衆魔を伏して無上覚を成ずべし」と宣うた。吉祥は歓喜踊躍して軟草八束を奉った。太子はこれを受けて覚座に敷き静観を擬し所謂法楽に入り給うた。この時諸天はさらに二十八本の菩提樹を美麗に荘厳し、その下にはおのおの蓮華の玉座を据えた。またその周囲には衆多の宝器を置き、芳香を薫じた。百千の菩薩は太子の座に就き給うのを見て、おのおのは「太子わが捧げたる宝座に着き給えり」と考えた。

 菩提樹は壮麗に装飾せられ、各吉祥樹には天人等は敬しく華香を捧げている。

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93 菩提樹下の太子

太子は吉祥より柔軟草を受けて、菩提樹(畢波羅樹 Pippala)の下に至り、樹を繞って各方向に面して坐し給うかが、毎時大地は激震を生じた。ついに東辺より西面し給うた時に微震だもせなかった。太子はこれ勝智に達する位置なり。諸仏静座し給える不動の場所なり。煩悩の邪網を掴裂する地点なり」と称して、軟草を執ってこれを振られた。功祚は忽ち自ら整斉の形状をして、長さ十四肘の宝座を成した。太子は菩提樹の幹を背にして、東面して坐し「わが皮肌、筋骨、身体、血肉悉く枯腐すと雖も、等正覚を成ずるに非ざればこの座を起たず」と大誓願を起された。そして結跏趺坐、端身正念して、百雷一時に落つるとも動ぜざるがごとき姿であった。

 太子は菩提樹(畢波羅樹)下の覚座に禅思して居られる。両側には天人と天女(龍女?)が恭敬奉仕している。そのまた両側には諸天龍が坐している。

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94 釈尊の降魔

菩薩なる太子菩提樹下に於て誓願を述べ給うに当って、天龍八部は悉く歓喜踊躍して虚空に於て讃歎した。しかし第六天の魔王の宮殿は自然に震動して、魔王波旬は大いに心に懊悩を生じた。そして「今沙門瞿曇樹下に端座思惟し久しからずして当に正覚を成ずべし。その道もし成ずれば、広く一切を度し、我が境を超越せん。道成らざるに先だち、往ぎてこれを壊乱せん」と称して、手には強弓五箭を執り、男女眷属の太群衆を率いて菩提樹(畢波羅樹)下に降った。牟尼の寂然として動ぜざる姿を視て偈を以って「尊者、足下痩弱憔悴将に死に近づき給えり、何ぞ斯くのごとく勤苦のみを事とし給うや。世間の善行をなし、梵行を修し給うに若かず」と誘惑した。太子は「汝悪逆の友よ、少善なおわれに用うる所なし。魔王試に告げよ、何の善根を要するや、われに信念、威力、智慧あり、わが勤苦に当りて何すれぞわれに世楽を勧むるや。肥肉落ち去れば心益々静粛となり、正念智慧禅定いよいよ固し。われかつて五欲の楽を極め、既にこれに飽き、今や欲楽に意なし。人界世間これ苦界のみ、敗れて生きんよりは寧ろ戦いて死するに若かず」と魔王に告げ給うた。ここに於て魔王は大象に乗り、羅刹、毘舎遮鬼、鳩槃荼、阿修羅、伽婁羅を始めとし百億の全軍を率いて来り襲うた。太子は「汝が軍、人天勝つ能わずと雖も、われ智慧をもってこれを摧破せん」と宣うて、端然一髪も動かし給わず、恰も獅子の鹿群に処するがごとくであった。異形の百鬼夜叉等は黒雲を起し、雷霆を呼び攻め立つれど、太子慈悲をもって念じ給えば、投げし砂礫は空に懸って墜ちず、毒龍悪気を吐けば変じて香風となり、放ちし箭は悉く繽紛たる落花と化した。

 これが所謂猪魚ロバ獅子龍頭熊羆虎*及び諸獣類、あるいは一身多頭、あるいは面おのおの一目、あるいは衆多の目ある諸悪類の異形の怪物が大挙天地を震駭せしめて攻め寄せたるところである。太子は恬然として左手定印、右手を地に垂れて降魔の姿をして居られる。

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95 魔王の三女

魔王に三女があって、染欲、能悦人、可愛楽と称し、その容貌極めて艶麗、妖冶巧媚能く人を魅惑すること天女中第一であった。波旬は諸女を呼んで「沙門瞿曇、身に法鎧を被り、自在の弓を執り、智慧の箭を鏃し、衆生を伏してわが境界を壊さんと欲す。われもししかずば、衆生彼を信じて皆悉く帰依し、わが土は遂に空しからん」と告げ、天子を綺言をもって誘わしめた。魔女三姫は凡百の方法を以って太子をみだしたが、寂定として深淵のごとく、円光朗に明珠のごとくであった。時に魔王は歎じて「われ太子を狙うこと七年、正知解脱の仏陀、われ遂に穴隙を見ず」と唱え、魔心慙愧して、天宮に還帰し、群魔は憂感して皆悉く崩散した。

 左方に於ては魔王は諸女を集めて太子の誘惑を説き勧めている。右方には波旬は立って楽を奏し、魔女は舞戯し妖媚を作している。 

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96 太子の大悟成道

悪魔遂に退散し、太子一切の煩悩を断滅して深妙の禅定三昧に入り、七日の間解脱の安を楽しみ給うた。まず初夜に宿命通を得、過去世を憶念して百千万の死生悉くを了知し、人生の因果の関係を順逆に両観せられた。即ち「無明あるが故に行(業)あり、行あるが故に識(意識)あり、識あるが故に名色あり、名色あるが故に六処(六感)あり、六処あるが故に触あり、触あるが故に受(感覚)あり、受あるが故に愛あり、愛あるが故に取(努力)あり、取あるが故に有(善悪)の状態あり、有あるが故に生あり、生ある故に老死憂悲苦悩あり、一切の苦痛はかくのごとくして起る。されば苦痛の本源たる無明を断ずれば即ち六処滅し、次第に順を追うて生老死等もまた滅し、かくのごとくして一切の苦痛皆断滅す」と、十二因縁(十二縁起)を観察し給うた。中夜に於て天眼通を得て、一切衆生を見ること鏡中の像を見るごとく、衆生の生死、貴賤、貧富、清浄不浄の業は隨うて苦楽の報を受く」と、生死海の六道を輪転して窮りなく、衆生長流に没し、漂泊してよるところのないことを観察せられた。後夜に於ては漏尽通を得て、諸世間を観察し給うた。斯くのごとくにして諸の現象を次第に仏眼に現前観察して、究竟第一義を得、一切智明朗として正覚を成ぜられた。この時世尊(釈迦)は歓喜に堪えずして成道偈を頌せられた。天神は雲集して空中に天楽を奏して大法を讃歎した。大地は普く震勤し、宇宙悉く清明となり、天華は雨降って牟尼尊(釈迦牟尼)を供養した。

 中央の菩提樹下の覚座には世尊(釈迦牟尼)湛然降魔成道の姿勢を作して居られる。虚空には衆多の神仙は歓喜踊躍し、手には蓮華あるいは宝器を執って、頌歌を讃し妙楽を奏している。地上には諸天諸菩薩等は恭敬合掌あるいは讃頌している。

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97  成道後最初の七日

釈尊は成道正覚を得て後もなお七日の間は樹下の覚座を去り給わなかった。諸天神の大群衆は降下して、如来にならせ給うた菩薩(太子)を讃歎頌歌した。恒沙の古仏は来臨して新しき仏陀に道服を呈した。三千大千世界は赫耀たる光明に浴した。天上に於てはすべての菩薩及び天衆は歓呼して「仏出現し給えり。これ有情の白蓮なり。無漏の知海より生じて、世間の道に汚され給うことなし。また広く含識の上に慈雲を布き、法雨を降して群萌の根芽を沾し、菩提の華実を結ばしむ、善き哉」と叫んだ。

 仏陀は樹下座上にやはり成道の印相を作して趺坐して居られる。天の女神または諸菩薩は諸の楽器を執りあるレは法華を持って讃歎している。

 

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98 諸天仏陀を灌頂す

 
天界の大衆仏陀のところに来り詣でた。手には馥郁たる香水を盛れる宝器を把って、恰も菩提樹に注いだごとくに仏陀の頭上に灑いだ。Rupavacara-Bhuvanaの天人等も同様に来って世尊(釈迦)を灌頂し奉った。

 如来は中央の覚座に跏趺して居られる。右方には、Rupavacara-Bhuvanaの天人天女等香水瓶、白払、宝器等を持って参詣している。左方にもまた天界の大衆来臨して同様に灌頂し讃頌している。

 

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99 諸天成道仏陀を讃偈す

仏陀正覚を成じて後も、なお菩提樹下の金剛座を起ち給わざるを見、諸天の中の一人は進み寄って、仏足を頂礼し「婆伽梵(仏)よ、云何ぞ成道の後、なお黙然かくのごとく端座し給うや」と問うた。世尊(釈迦)は「われ今解脱の楽を受くるなり」と答え給うた。諸天はこの一七日の禅思の意を解して歓喜し三十二の偈を以って讃頌した。即ち世尊(釈迦)は「今や本願成満すれど、一切衆生は五濁に覆蔽せられ、薄福鈍根にして智慧あることなし。いかにしてこの甚深難解、無上最勝の大法を転法輪すべぎや」と、自ら念じて居られたのである。

 世尊(釈迦)は樹華美わしきところの中央の金剛座に、端座弘法の姿勢をして居られる。諸天神は恭敬讃頌している。 

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100 成道第二週より第四週

仏成道後七日を経て、漸くその座を起って大遊行をなされた。即ち第二週は三千大千世界を経歴し給うたのである。第三週は金剛座の少し東北方に行き、七日間一瞬もなし給うことなくして、ただ天の一方のみを凝視せられた。第四週は一定の歩道を繰返し往復し給うのみであった。この三七日(二十一日)は世尊(釈迦)は天界の大乗諸菩薩に対して所謂「散華」の妙法を説法為し給うたのである。吾人の凡眼凡耳にては触れ得ざるも、仏眼には明らかに映ずる世界に対する弘法であった。

 左方には華果豊麗なる幽林あり、その中に鳥獣の遊戯しているのを観る。中央に荘厳せられた金剛座あり、仏陀はその左に立って居られる。諸天はこれに随伴し、その一人は宝座の左に果している。 

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101 第五週、ムチリンダ龍王の礼仏

 
仏は第五週を目真隣陀(Mucilindaムチリンダ)樹下の龍王、目真隣陀(Mucilindaムチリンダ)の住居に結跏趺坐し、また七日の間解脱の安を楽しみ給うた。時たまたま雨季なりし故に寒風冷雨は仏陀の頭上に注がれた。龍王はその大身をもって七重に囲繞して仏身を擁蔽し、また七頭をもって世尊(釈迦)の上に垂れて天蓋を作り、寒冷暑熱風湿虻蚊諸虫を世尊(釈迦)の体に触るることを避けしめた。七日を過ぎて虚空を見るに雲霧は晴れて白日青天となった。この時目真隣陀(Mucilindaムチリンダ)はその龍身を隠し、化けて年少童子の形を現じ、仏前に合掌して世尊(釈迦)を恭敬した。世尊(釈迦)はこの因縁をもって、偈にて「歓喜寂定は全て安楽なり、諸法の甚深を観ずるは安楽なり、世間を悩まさず、衆類を苦しめず、またまた安楽なり、世間に於て一切の欲貪を道離すればまたまた安楽なり、能く我慢の念を捨つればこの楽実に最勝第一なり」と説かれた。

 龍王は世尊(釈迦)の足下に長跪頂礼している。男女龍属はその後に供養の具を執って随従している。仏陀は殿中蓮華座上に坐し、趺坐して目真隣陀(Mucilindaムチリンダ)(文隣)を教化して居られる。その傍には一小児は臥伏せる小象の上に戯れている。

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102 第六週

世尊(釈迦)、龍王目真隣陀(Mucilinda)の殿堂と、金流尼連禅河の岸の間にあるZiegenhirtenbanianのところに赳かれた。そして途中衆多の托鉢比丘及び隠者に出逢い給うた。彼らは「天人師瞿曇よ、卿のための険悪なる天候は既に無異経過したるか」と問うた。世尊(釈迦)は一偈を以ってこれに答えて往き過ぎ給うた。

 四天人は世尊(釈迦)に、宝蓋、白払、蓮華等を把って随従し、沙門苦行者は仏前に奉伺し、世尊(釈迦)はこれに答えて居られる。 

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103 二商主の供養

成道第七週を仏陀は、阿闍波羅尼拘律(Ajapara Nigrodha)樹下に静座し給うた。この時に当ってUtkala(今のオリッサOrissa)地方の二商主、帝梨富娑及び跋梨迦は五百の商車を率いて、南方からマガダ国に進んだ。この隊商は須闍陀(Sujata)吉流支(Kirti)と称する、絶倫無双の二霊牛が導いていた。ところがこの樹下に至った時、牛車はにわかにKhirikaの森の女神の力によって停止した。商主等はこの坦道に於て、くびきは切るるもなお車の進まざる不可思議に驚いた。この時女神は現われて「友よ、世尊(釈迦)今等正覚を成じ給い、阿闍波羅尼拘律(Ajapara Nigrodha)樹下に在り。往いて世尊(釈迦)を恭敬し、麨蜜(甘い麦こがしのようなものだと思う)を奉れ。汝等必ず安楽を得ん」と告げた。時恰も食事跡であったため、商工等は麨蜜を執って、世尊(釈迦)の前に進み、恭敬して「世尊(釈迦)、願わくはわれらの供養を受けさせ給え」と白し、これを奉献した。

 樹下に正思惟し給うは仏世尊(釈迦)である。右方に起つは商主等にて、その前に女神を見る。また金剛座下にはその女神は跪生し、その後方には侍女が麨蜜を盛れる鉢を捧げている。左方の諸天は蓮華を把って恭礼し、その左には二匹の獣類を見る。あるいは二霊牛であるかも知れぬのである。

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104 四つの鉢

時に世尊(釈迦)は「過去諸仏如来は皆手ずから食を執らず。古仏はすべて鉢を以って受け給えり」と想起せられた。空界の主、四天王にこれを看取して、金、銀、水晶、緑玉の四鉢を将来奉呈した。世尊(釈迦)は「かくのごときの宝器は沙門の用に適せず」と宣うてこれを退け、一つの石鉢を求め給うた。天子毘盧旃那の告げにより、四天王は四方よりおのおの石鉢を持来し「世尊(釈迦)、この中に麨蜜を受け給え」と白してこれを呈した。仏陀はこれに施物を受けて味わい給うた。釈尊が鉢を摂め、手を浄められたのを見て、二商工は頭面をもって仏を礼拝した。

 世尊(釈迦)は中央の金剛宝座に施無畏の印相をなし給い、四天は玉鉢を執ってこれを捧げ、中一人は跪坐している。その他の天衆は、恭敬合掌している。仏の右方に合掌起立する一人は毘盧旃那か。

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105 乳糜の献奉(第7週)

隊商の列はここを過ぎて、村端れに於て牛乳を搾った。牛は乳汁の代りに選良なる牛酪を出した。二商主は驚愕して、これが吉凶の占を婆羅門に乞うた。婆羅門は答えてこれ凶徴となす、ただ婆羅門に対する布施に、当つることをもってのみあがない得べし」と称した。彼の二商主の親戚に当るCikhardinと呼ぶ婆羅門は、この牛酪を製選して仏陀に奉献すべきことを命じた。ここに於て、一千の乳牛より搾汁せられた乳酪は世尊(釈迦)に供養せられた。仏はこれを嘉納し、甞めて鉢を空中に投じ給うた。梵天王はこれを受持して、自らの天界に立ち帰り、その眷属とともに尊崇供養した。商主等は長偈をもって頌讃し「世尊(釈迦)、われら仏に帰依し奉る、われら法に帰依し奉る。世尊(釈迦)願わくはわれらをして仏門に入らしめ給え」と白した。世尊(釈迦)は天神及び悪魔に向ってこの二商主を加護すべきように告げ給うた。商主等はこれを聞いて歓喜踊躍した。彼ら二商主は実に帰依仏、帰依法の二法式によって仏門に入った最初の優婆塞である。

 世尊(釈迦)は阿闍波羅尼拘律(Ajapara Nigrodha)樹下、宝座上に弘法の印相を結び給い、その左方には商主は鉢を執って乳酪を献じている。右方には梵天王は起立し、その眷属の大衆は坐して讃頌している。

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106 梵天の勧請

二商主出発の後、世尊(釈迦)は阿闍波羅尼拘律(Ajapara Nigrodha)樹下に再び立帰り給うた。そして自らこの閑静のところに往して「われ既にこの微妙最勝の法を得たりと雖も、深妙難解にして、ただ賢聖のみこれを知る。今貪瞋の衆生を見るに、徒らに誤見に陥り娯楽に耽り、因縁の法は解し難し、何ぞ能く愛染を離絶して涅槃の妙境に到達し得べけんや。寧ろこれを説かざるに若かず」と心中に念じ給うた。この時梵天王は遥かにこれを察知して「如来、応供、等正覚、沈黙を守り法を説き給わずんば、世間道に退落破滅せん」と思惟し、力士と化現し、天上より降り、世尊(釈迦)の前に現われて、偏袒右肩長跪合掌し「世尊(釈迦)、願わくは大法を垂れ給え、善逝、願わくは法を説き給え、世間の衆生また染垢薄くして、これに耐ゆるものあり」と称して三回仏に勧請した。世尊(釈迦)は衆生を哀愍して、これを受諾し、世間を観察し給うに、多少利根のもの莫きに非ざるを見給うた。よって偈をもって「われ今甘露の法を宣ぶ、聞く者須らく信ずべし。梵天よ、法は微妙最上なり。われたわまずこれを説かん」と答え給うた。梵天この請の容れられたるを知り、歓喜して仏足を頂礼し、右繞三帀して忽然と姿を隠した。

 世尊(釈迦)は阿闍波羅尼拘律(Ajapara Nigrodha)樹下の蓮華宝座上に弥陀定印を結んで居られる。左方に梵天王は長跪合掌し、多くの眷属は随従奉仕している。

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107 諸天の勧請

天界の天帝釈、地神、菩提樹神等の諸神は出現して仏前に現われ、世尊(釈迦)に法輪を転じ給わんことを勧請した。仏これを聴き容れ給えば、諸天は慶喜して「天人師、仏、世尊(釈迦)よ、何処に於て初転法輪を為させ給うや」と問い奉った。世尊(釈迦)は答えて「鹿野苑の仙人住所の傍なる婆羅那斯(Varanasi)に於て」と白うた。

 世尊(釈迦)は樹下を去り、供養荘厳せられたる宝座上に、弘法の印相を以って端坐して居られる。上空には天帝釈等は飛翔し、右方には他の神々、左方には菩提樹の諸神は勧請、恭敬、供養している。

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108 アーラーラカーラーマ、
          ウッタカラーマプッタの二梵師の
          死を確む

世尊(釈迦)斯く答えて、「この大法をまず誰に宜説すべきや」と、自ら念じ給うた。世尊(釈迦)はさきの羅摩の子なる欝陀羅迦を想起し給うた。しかし直ちに、彼は利根なるも既に七日以前に死したることを気づき給うて「この勝妙最尊の大法を聞き得ざるは彼の一大損失なり」と宣うた。また「耆宿阿藍迦藍は聡明にして、克くこれを領解し得るならん」と思い給うたが、これまた三日以前に既に逝けることを悟られた。この時Cuddhavasakayika神は彼ら賢聖の已に人間界を去れることの確報をもたらした。

 世尊(釈迦)は荘厳せられたる宝牀上に坐し、身を傾けて神々と物語らせ給う。Cuddhavasakayika神は跪坐合掌恭礼し、多くの諸神は供養の具を捧げてその後に従い、あるいは侍衛している。

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109 仏のマガダ国通過

世尊(釈迦)はかつてウルベーラの苦行林に侍従した五賢衆を想起し給うて「彼の五比丘は久しくわれに仕侍し、労苦して怠なかりき、われはまず彼らに向い法を説くべきなり」と宣い、清浄の天眼をもって彼らの在住のところを観て、婆羅那斯(Varanasi)城、鹿野苑の仙人住所に移り居ることを察せられた。これによって彼のところに於て最初の転法輪(説法)をなすべく出発して、マガダ国を経由し給うた。

 図の解説不明なるも、多分鹿野苑に赳く途中、マガダ国の王舎城を過ぎり給えるところと思わるる。中央神殿のごとき建築物は頻婆娑羅の王城、右方の世尊(釈迦)の前に立って、鉢を執り布施し給うは王、その背後に蓮華を持ち給うは王妃と見得る

  

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110 アジバカとの邂逅

世尊(釈迦)は伽耶山に到り給うた。ここに滞在せるAjivakaの教会の大衆は出でて奉迎し、仏より放たれている身光を見て驚異して、彼らは「瞿曇(Gautama)よ、卿は何ぞ欣悦に充ちて行き給うや、また何ぞ卿の皮膚は斯くも金色に輝けるにや、卿の師を誰とかなす」と尋ねた。世尊(釈迦)は「吾に師あることなし。われは世間応供、無上士にして最尊なり。われ今独り等正覚にして永寂涅槃の境に達す。今まず法輪を転じて、もって衆生を甘露の法雨に沾わしめ、妙楽の邦土の基礎を開かんとして婆羅那斯(Varanasi)城に赳かんとす」と答えて、北行し給うた。アジバカはこれより道を南進した。

世尊(釈迦)はアジバカ等三人に説示し給い、彼ら仏を恭敬尊崇している。一天人は宝蓋を捧げ、伽耶の山中には衆多の禽獣の棲息するを見る。

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111 スダルカナ龍王の供饌

世尊(釈迦)、伽耶市の近くに来り給うた時に、龍王(Sudarcana)は、その殿堂に於て、仏陀に食饌を供せんことを請うた。世尊(釈迦)はこれを受けてその館舎に停まられた。

 世尊(釈迦)は右方の宝牀蓮台上に端坐し給うて、一龍はその右方に宝蓋を捧持している。龍王は坐下に長跪合掌して恭敬している。諸の天龍、龍女等はおのおの饗応の供物を執って盛んに款待している。 

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112 ロヒタバスツの款待

Rohitavastuに於てもまたその市民は世尊(釈迦)を聘して飲食を供設せんとした。仏はこの請を容れて供養を受け給うた。

 右方蓮台上には世尊(釈迦)は手を伸べて静かに物語り給う。仏前には数多の食饌は設けられ、城中の善男子善女人は皆供物を捧持し、あるいは恭敬尊崇の相をなしている。

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113 ウルビルパカルパの招待

Uruvilbakalpa市に於てもまた同様に世尊(釈迦)を饗応供養した。世尊(釈迦)はまたこれを受け給うた。

 右方には仏は起立し給い、天龍は跪坐して宝蓋を捧げている。一城の貴顕婇女等は出でて恭敬供養している。左方には美麗なる空の宝座あり、獅子、象等をもって装飾せられている。

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114 サラチの供養

それより世尊は、Anala及びSarathiに赳ぎ給うた。ここに於てもまた、前同様に世尊を招待してもって大いに供養し奉った。

 仏は中央の宝牀上に説法し給う。左方には数多の女人、献貢供養の諸物を捧げ、右方には衆多の善男子は荘厳の具を把り、あるいは頂礼恭敬している。 

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115 世尊(釈迦)と渡船師

世尊は諸所遊行の後、遂に恒河に達したもうた。時恰もその水嵩増大の折柄であった。世尊は舟師に彼岸への渡船を請い給うた。舟師は「喬答摩よ、まず船賃を支払うべし」と金銭を求めた。如来は「友よ、われに金銭を所持するなし」と答えて、空中を対岸に飛行したもうた。舟師は驚駭かつ憂慮して「嗚呼、値い難き、この無上の供養に価せる渡御を、われ勤め得ざりき」と叫んで、茫然自失地に倒れた。蘇生の後、彼は直ちに馳せて王頻婆娑羅の下に赳き「陛下、われ沙門瞿曇(釈迦)に船賃を諸えるに、彼飛空瞬時にして彼岸に到達せり」と伏奏した。爾後王は托鉢偏土の沙門に渡船の賃銀を請わざるように命じたもうた。

 如来は渡河、既に岸に立ち給う。華果豊麗なる林中には水禽野鳥、猪鹿を見、また河上には渡船及び魚族の浮泛を見る。右方の台上には二人の舟師は坐し、その背後にもまた二人あり、いずれも皆驚畏の眼を見張っている。

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116 バラナシ城に於ける仏陀

世尊各地を巡遊しつつ北行して、遂に大都城、婆羅奈斯(バラナシ)に着き、城中至るところに托鉢して、布施を乞い給うた。仏鉢の充つるをまって鹿苑の仙人住所に向い給うた。

 一市民は仏前に跪坐し、その背後に二人は立って、おのおの鉢を執り、世尊に糜を奉献している。また多くの都人は崇敬している。左方には神殿あり、前面に一人あって蹲踞してこれを守護している。

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117 五比丘の教化

世尊の来給うを望見し、五賢衆はおのおの相誡めて「友よ、旧主瞿曇来れり。彼は苦行に耐えずして、遂に世楽に染す。もしここに来るも汝等共に言語を交え礼敬する勿れ。さらに別に小座を設けて坐せしめん」と言うた。世尊五比丘のところに至り給うに当って、皆覚えず起って奉迎敬礼した。然れども彼らは世尊を呼ぶに「友喬答摩」をもってして「卿は、先に修するところの梵行をもってなお威儀を執持すと雖も、今や既に道を失い染欲多し、何ぞ世人以上の法、神通智見を得んや」と言うた。世尊は「諸比丘よ、如来を呼ぶに『友』をもってする勿れ。如来は応供等正覚なり。如来は道を失わず。既に甘露の境を獲、当に汝等に教誡せん。須らく諦聴すべし」と宣うた。遂に「愛欲の凡愚無識なるもの、及び徒らに身体を苦しむるは涅槃の真因に非ず。賢聖八道なる中道の知見を得、苦集滅道の四聖諦をもって、わが法眼明らかに智慧清浄なり。梵王、魔羅、沙門、梵志、人大、一切世間、わが無上正覚を成ぜるを如る……」と説き給うた。これを仏の初転法輪と呼んでいる。

 世尊左方に於て法輪を転じ給う。苦行林中の五比丘は婆羅門の姿をなして坐し、世尊の来臨を見て相誡めている。

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118 改宗の五尊者

憍陳如は如来の説法を聴聞して、直ちに歓喜の念を生じ、諸塵垢尽き、法眼浄を獲て、生者必滅の理を悟った。世尊はこれを讃して「憍陳如已に知れり」と言われた。遂に憍陳如は法を見、法を得、法を弁じ、浄智明となって、世尊に「世尊、願わくはわれに出家を与え、具足戒を授け給え」と請願した。これより婆沙波、跋陀梨迦、摩訶那摩、阿湿婆恃の四比丘を順次に教化し給うた。ここに於て、彼らは遂に一切の執着を離れ、無漏の解脱に住した。時に阿紗茶月十四日の夜であった。

 世尊は中央の蓮華座上に説法し給い、五比丘は婆羅門の姿を変じて仏弟子の相をなしている。左方には四人の沙門華香を執りあるいは合掌礼拝している。林中の華果樹鮮麗を極め、鳥獣遊戯している。


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119 蓮池に於ける灌頂

五賢衆等は世尊に随従し、華葉鮮栄、荘厳寂静なる蓮池に赳き、ここに於て如来を灌頂し奉った。

 世尊は蓮池中の華台上に弥陀定印を結んで正坐し給うて、五比丘中二人は宝瓶を捧げ、両側より如来の頭上に灌頂している。右方には龍王は宝蓋を把り、龍妃は蓮華を持っている。左方にもまた龍王跪坐して宝器を執り、龍妃は合掌礼拝している。

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120 弘法の世尊(釈迦)

世尊は、かくのごとく灌頂を受け給うた後、今や弘く説法勧化の時到れるを悟られた。遂に三つの宝牀を巡り、第四の宝坐上に端座、禅定に入り、仏身より背光を演出して、普く十方世界を照し給うた。この光明中に偈が聞えた。その偈中には仏の降誕が讃頌せられていた。この時に十万の諸菩薩は現われ、天帝釈及び梵天王その大眷属を率いて降来した。彼らは世尊に弘法の時機の延期せられがらんことを勧請した。転輪聖王菩薩は世尊に宝玉燦然たる金輪を将来し、二、三偈を讃してこれを奉献した。世尊はこれを受けて寂定禅思し、夜に入ってなおこの姿を変え給わなかった。そして第二夜に於て世尊は静かに口を開き、更生の説法を始め、遂に最後の夜に於て、大法の宣説をなし給うた。即ち「出離を求めんとするものは、下劣の愛欲に堕すること、及び苦行をもって身骨を徒労せしむるの両端の無識を避くるにあり」と称して、最勝道、四聖諦を開闡し給うた。斯くして、弥勒を始め数千の諸菩薩の教を解脱して、仏法弘通の方便を示し給うた。然る後世尊は、諸天諸菩薩に向い「Lalitavistaraの宣教せらるるところは、世界何地の涯と雖も、逆政、盗難、饑餓、不和、争闘、神鬼、天龍、夜叉等の八難その跡を断つ」と説き給うて、特に五比丘を顧み、彼らに尊者の名を授け給うた。諸菩薩、諸天、声聞、人間、修羅、餓鬼、その他はこの如来の無上甚深徴妙法を拝聴して、歓喜踊躍、皆無等等、阿耨多羅三三藐三菩提心を発した。

 中央宝牀上には、本師釈迦牟尼世尊、弘法の姿勢をなし給うている。空中には天の大衆雲集し、また右方には諸菩薩左方には諸比丘衆、慶喜恭礼讃偈している。

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