ボロブドゥール ブッダ伝レリーフ 西北の部(61~90)Northwest part
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ボロブドゥールのブッダ伝(釈尊伝)レリーフはボロブドゥールの第1から第4の回廊の内、第1回廊、内側、上段に刻まれている。総数120面。このレリーフは東側階段より出発し、右回りで常に右に中央の大塔を見ながら経行する順序になっている。レリーフは縦、70~80㎝、横240㎝。このレリーフの出拠は「大方広荘厳経(Lalitavistara)」である。120面のレリーフの内容は、ブッダ生誕前の在兜率天から、初転法輪までである。(参考文献:「ボロブドゥル」井尻進 大正13年 大乗社)

東南の部 1~30
 Southeast part

西南の部 31~60
Southwest part 

西北の部 61~90
Northwest part 

東北の部 91~120
 Northeast part

ボロブドゥールを真上から観た図です。ブッダ伝レリーフは一番外側第1回廊、内側、上段に刻まれています。西北の部 61~90はこの図だと右上の30面です。

西北の部 61~90

61 深夜太子父王を訪れ給う

太子は老病死の三苦を惟うて、ここに出城の決心をいよいよ堅固にして、中夜父王の寝殿を訪われた。廷臣及び父王は太子の出現により樹々城壁に時ならぬ陰影を投ずるを見て驚いた。太子は王に謁し、「一切世間の中、生者必滅会者定離なり、この故にわれ今より出家して真の解脱を求め、一切衆生を煩悩より救済せんと欲す。父王希わくはわが願いを許させ給え」と本願を吐露して哀願せられた。父王は戦慄太子の手に縋り、涙を流して「悉達多よ、希わくはその所思を翻せ、卿は年歯なお少なり、その考え動揺し易く、たとえ苦行を修すと雖も徹底寂滅境に到ることなからむ。われのごとき老境を待って身を出家成道に委ぬるも遅しとせず。今やカピラ城の四隣列強相喰む。卿は国政を執り世法に従うべし。願わくばまた再び出家のことを語る勿れ」と諌止せられた。太子その哀情を察しで感泣せられたが、恭敬慇懃に「父王よ、区にもし老病死の患いなく、無量寿を保有し得は永く出家を思い止まらん、この四願にして不可能ならんには一カピラ城の栄華より全法界の済度さらに大なり、何卒わが願いを容れさせ給え」また「この四種の願い叶わずば一願にて足れり」と曰われた。父王はこれを聞いて愛着の心やや薄らぎ、一切衆生のために出家するを許された。

 殿中には父王と太子はおのおのその願いを述べて居られる。牀下には宿衛は仮寝している。 

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62 太子の警衛をいよいよ厳にす

浄飯王はすべての言辞の無益なるを悟って、太子の出家を許された。しかし、一方、さきに占相せる婆羅門の予言を追想し、益々歓楽世栄の極みを尺して太子を慰藉し、親族及び諸釈種を召して四城門、回街衢の警護巡邏をいよいよ厳重にせられた。姨母摩訶波闍波提もまた宮中の諸婇女を集めて終夜妙楽を奏せしめ、一方警戒に当らしめられた。太子の伯父摩訶那摩は諸兵を督して巡察し、また市民を一人も眠らしめなかった。太子妃耶輸陀羅(ヤショーダラ)は多数の乙女に二本の槍を携えしめ太子の寝殿宝牀の周囲に侍らせしめられた。

 太子の四囲には妃嬪婇女はすべての媚を捧げ、殿上閣下にはものものしい警護の衛士は侍っている。

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63 婇女の熟寐

婉美天女のごとき婇女は太子を囲繞して、妙楽歌舞を献ずと雖も太子の心寂静、あらゆる巧妙は太子を勤かすに足らずして、太子は覚えず眠られた。浄居天の降下し始むるとともに婇女等は「われらは太子のために舞楽を献ず、太子眠らせ給う上は何んぞこれをなすに足らん」と相謂うて皆眠り臥し、香油の燈火独り明らかであった。夜半太子覚めて先の婉麗なりし諸女を見るに、その美容は変壊して千姿万状見るに堪えぬ醜態であった。太子は憮然として「一切これ害悪、われこれに堪えず」と称し、決然出城断行を思われ、婇女の醜態の中を塚間を行くがごとき思いして出られた。

 太子宝牀上に跏趺して、婇女等の容儀乱れて醜穢見るに堪えざる、女子の本性を正観し給う。 

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64 太子は車匿(Chandaチャンナ)をして
       カンタカに馬装せしめ給う

浄居天は太子にその時到れるを告げた。太子は宮殿を出で、地上に下って合掌諸仏を至心に念ぜられた。提頭頼旽天王は乾闥婆等、一切の眷属百千万を従えて、音楽を奏しつつ東方から来って城を三帀し、地に下って、太子を合掌礼拝した。毘留勒叉天王は鳩槃荼を率いて香湯を盛った宝瓶を執って南方から来た。毘留博叉天王は龍を従えて香雲華雲宝雲に乗じ、香風を起して真珠を持って西方から永た。毘沙門天王は夜叉を率い、鎧甲を着け、弓箭刀槊戟を執り、火珠火炬を把って北方から来た。天主釈提桓因は一切の眷属百千万を率い、華鬘末香旛幢宝蓋瓔珞を持って三十三天から降って、各城を三帀して太子を礼拝した。諸天眷属が四方虚空を守護している時に鬼星は月と合した。この時諸天は「大聖太子よ、鬼宿己に合す、勝法を求めんと欲せばここに往する勿れ。人王師子よ、時到れり、速疾に捨宮出家すべし」と大音声に呼んだ。太子は自らと同日に生れた御者車匿(Chandaチャンナ)に命じて、人知れぬように、これもまた同日に生れた白馬カンタカに馬具を置かせ給うた。

 蓮台に太子は立たれ、車匿(Chandaチャンナ)は跪いて太子を礼拝し、カンタカはその後に立っている。諸天はこれを讃頌恭礼している。城中に衛兵は熟寐している。 

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65 太子の踰城

 
車匿(Chandaチャンナ)が命を受けて、馬を装する時、太子は耶輸陀羅(ヤショーダラ)姫の寝室に往って、密かにその戸を聞かれた。香油の燈火はやや暗き室内に、妃は宝牀に安臥して玉手をラーフラの頭上に置いて眠って居られた。太子は「愛子を取って抱けば妃必ず覚め、わが捨宮を妨げん、まず正覚を成じて後帰り来り愛子を見るべし」と思惟して宮殿を出で去られた。この時ラーフラは生後七日であった。太子は直ちにカンタカに跨って「汝今夜われを救え、われ汝の助力によって成仏せば、即ち人天を救うべし」と言われた。カンタカは長さ十八肘、高さまたこれと等しく、全身純白、体勢は龍のごとく、強健能く馳せて、その走る時の蹄声は全都に響いた。故に一歩一歩に天人は馬脚を受けてその響きを妨げた。夜半都城の大門に達せられた時、天人等は既に門に在って直ちにこれを聞いた。ためにその朝夕の開閉の音四十里に聞こえる重鉄門も音なくして通り得た。ここに於て太子儲位を棄てて阿沙法月満月の夜、遂に迦毘羅(カピラ)城を出で給うた。時に御年二十九歳であった。

 太子は霊馬カンタカの背に跨り、天人は馬脚を蓮台をもって受け、諸天の大衆は宝器を取りあるいは合掌しつつ馳奔している。カンタカの尾を執るは車匿(Chandaチャンナ)である。

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66 太子諸天の守護を思い給う

太子は暁までに六由旬を過ぎ、阿奴摩(アノーマー)川畔にある、往古仙人の苦行した林中に到着して、諸天の護持によって容易に出城し得たることを想われた。そして馬背から下り車匿(Chandaチャンナ)を慰諭して、「汝の真情勤労共に奇特とす。宮中に還り大王に奏上して『われは世間の財位封禄は希求するところに非ず、ただ一切衆生正路に迷い生死に転流するを見て牧済せんがために出家す、ただ願わくは憂慮を生じ給う勿れ』と復命すべし」と謂うて、大王に摩尼宝、姨母摩訶波闍波提に瓔珞を持ち帰らしめ、妃耶輸陀羅(ヤショーダラ)には諸の装飾を贈って「人生の哀別離苦を断ぜんとして出家して道を学ぶ、恋着をもって憂愁を生ずる勿れ」と言わしめ、その他宮中諸婇女、釈種同学童子等に悉く別れを告げしめられた。車匿(Chandaチャンナ)はこれを聞いて悲泣して大地に身を投じ、声を挙げて哭した。カンタカも頭を低くして、前に双脚を屈して太子の足を舐め、落涙して悲鳴した。

 太子は諸天衆に奉仕せられて蓮台上に立たせ給う。カンタカは太子を顧みて離別を惜しみ、車匿(Chandaチャンナ)は悄然としてこれを牽いている。

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67 太子の剃髪落飾

太子は「鬚髪を剃除せずんば出家の法に非ず」と宣うて、車匿(Chandaチャンナ)から摩尼剣を把って自ら剃髪し、「われもし成仏すべくんば空中に留まらん、然らずんば地上に落ちん」と言うて、これを空中に擲げられた。天帝釈はこの希有のことを見て大いに歓喜して天衣をもってこれを空中に於て受け、三十三天に持ち還り供養礼拝した。この時太子の頭髪は長さ2インチとなり、右旋して頭上に密着した。(この頭髪の長さは仏陀生存の間、常に異ることなく、鬚髪もまた同様であった。故にこれより以後鬚髪を剃るを要せなかった)

 太子は中央の蓮台上に立って、宝剣を把って鬚髪を自ら断っておられる。車匿(Chandaチャンナ)は跪いて宝冠及び宝剣の鞘を捧げている。天帝釈は空中に天衣を持して飛翔し、諸天は恭礼奉仕している。周囲の樹草は苦行林なることを表現している。

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68 浄居天は法衣を捧ぐ

太子鬚髪を剃り、なお宝衣を著給えるを見て「出家の服、当にかくのごとくなるべからず」と曰うた。この時浄居天は猟師と化して、身に袈裟を著け、手に弓箭を持って太子の前に黙然として留まった。太子は猟師に「汝の着くるところはすなわちこれ往古諸仏の服なり。なんぞこれを着けて罪をなすや。汝もしこの袈裟を与うれば、われ当に故に憍奢耶衣を与うべし」と謂われた。猟師は袈裟を脱いで太子に提した。時に瓶子と名づくる天使は、太子に出家の八什具(三衣、乞鉢、剃刀、針、帯、雨衣)を捧げた。ここに於て太子は羅漢の貌を整え、出家の法服を着し、車匿(Chandaチャンナ)に命じて父王母后にその安全を報ぜしめられた。車匿(Chandaチャンナ)は昨日の栄華の太子が今日は孤煢の沙門となり給えるを見て涕泣久しゅうした。遂にともに止って修道せんことを切願すれども許されず。恭敬頂礼して迦毘羅(カピラ)に還城した。

 太子浄居天の捧ぐる袈裟を受け給う。諸天は傍らに奉仕している。

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69 諸天太子を賛美祝福す

諸天は太子の僑奢耶の宝衣を捧持して昇天した。この光景を望見した諸天は参集して「年若き太子は沙門となれり」と頌歌を讃美しか。その響きは諸天界に鳴り渡り色究竟天にまで達した。一方車匿(Chandaチャンナ)漸く迦毘羅(カピラ)城に帰るや、城中大小の居人ただ車匿(Chandaチャンナ)のみにて太子のともにあらざるを見て、皆並びその後に随い「悉達太子今何所に在る」と問うた。「太子今、五慾を棄捨し、独り山林にいる」と答えた。人々おのおの相視て皆謂う、「われら当に太子に随い、去って山林に住すべし」と称し、満城寂漠、唯々歔欷の声を聞いた。車匿(Chandaチャンナ)はカンタカを牽き、宮門に入らんとする時、姨母妃婇女争うて宮門に迎え、車匿(Chandaチャンナ)のみにて太子のなきを見て、姨母は啼哭して「わが子の頭髪今何処にかある」と問われた。車匿(Chandaチャンナ)は「太子『わが母を再拝し慇懃に勧清し憂念を失心しむ莫れ』と宣えり」と答えた。時に妃は哀哭して車匿(Chandaチャンナ)を責めて「車匿(Chandaチャンナ)、太子去るの時、われ彼の夜、睡眠して覚らず、汝太子を送りて何処に在りしや」と謂われた。時に浄飯王哀哭の声を聞いて蒼皇居室を出で給うた。この時、車匿(Chandaチャンナ)は宝冠、珠瓔、繖蓋をもたらして、王の前に至って、いちいち具陳し、顔面をもって礼拝を作した。浄飯王は聞いて号哭せられた。

 右方の林中には獣類の遊ぶあり、また洞穴内にはかめを示している。太子の前には衆多の諸天は恭敬頂礼している。 

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70 太子婆羅門尼僧パドマを訪う

車匿(Chandaチャンナ)、カンタカを還らしめられた太子は、沙門の姿をもって、まず婆羅門夫人の住所を訪われた。夫人は厚く太子を迎え、敬重して饗応した。太子は進んで婆羅門のパドマ夫人の幽居へ向われた。夫人もまた太子を請じて款待供養した。さらにまた太子はRaivata夫人の隠舎を尋ねDatrimadaniの子 Rajakaの家に行かれ、ついに大都城、吠舎離(バイシャリ)に着き給うた。(普通釈迦伝にては、ここ於て草葉樹皮を衣服とする、数多の瑜伽苦行者の棲む瑜伽仙人の深林を問い給うのである)。

 太子は蓮台上に立ってパドマと語って居られる。樹下には多くの婆羅門婦人が修道している。

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71 阿藍(アーラーラカーラーマ)仙人
    太子を祝う

当時吠舎離(バイシャリ)には大徳阿藍迦藍(アーラーラカーラーマ)仙人が住して、その門弟大衆三百人を有していた。彼は常に寂減道を説き、その涅槃とするところは断滅に有った。またその生活は貧窮にいることを主とした。阿藍仙人は遥かに太子の来り納うを望んで、諸弟子に「彼の相好具足せるを見るべし」と称して、その顔貌端正、諸根恬静なるに深く感じ、大いに愛敬の念を起して奉迎した。太子は一応の会釈の後、生老病死の四苦の解脱法を問われた。阿藍仙人は答えて「空間のところに住して禅定に入り、非想非々想処に至らば諸苦は断滅せん。これ究竟解脱にして、諸学者の彼岸なり」と啓した。

 阿藍仙人は立って、左手に蓮華を把って太子を迎えている。その前には前図同様に燭火の燃えるを見、後方には苦行者を見る。また林中の洞穴には二匹の猿を示している。

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72 阿藍(アーラーラカーラーマ)仙人の
    ところに於ける太子

太子はここに留って数論学派の修行をせられた。しかしその知見するところは究竟のところに非ざるを知って、仙人に向って、「非想非々想に我ありとせんか、我なしとせんか、もし我なしと言えば非想と言うべからず。もし我ありと言えば、我には知(意識)ありとするか、知なしとするか。もし知なければ木石に等しく、もし知あれば則ち攀縁あり。既に攀縁あれば則ち染着あり。染着あれば、則ち解脱に非ず。汝麤結を尽くすと思えるも、自ら細結のなお存するを知らず。之をもっての故に究竟に非ず。細結増長してまた下界に生る。此を以っての故に度彼岸に非ざるを知る。もし能く我及び我想を除けば一切滅尽す。是を以って真の解脱となすべし」と謂われた。仙人はその深智に驚いて黙然として、遂に答え得なかった。

 太子は蓮台上に趺坐して阿藍仙人と対話して居られる。大衆は林中に苦行を積んでいる。

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73 太子王舎城を訪う

摩訶陀(マガダ)国の首都王舎城の近く、槃荼婆山がそびえるところに、太子は孤錫瓢然と来られた。遂にこの山を選んで住所と定め、空間のところに独居せられた。この時に当って数千万の天衆は降来して太子を護念した。ある朝、太子鉄鉢を持って、熱湯門を通り市街に入って托鉢せられた。市民はこれを看て「彼を何人とかなす。梵天なるか、帝釈なるか、毘沙門天なるか。もし然らずんば深山に棲居する神仙なるか」と怪しんだ。そして急いで食を捧げ供養し奉った。この時国王、頻婆娑羅(ビンバサラ)王は、台閣に立ってこれを望見して、托鉢比丘の威容顕耀なるに驚き、侍臣を額みて「汝らこの士を見よ、姿色清浄の梵志にして、動作姿勢正に法に適えり、姿勢法に適い、思慮また深し、思うに下賤の出に非ざるべし。使者を馳せて、何処に行くかを問わしめよ」と命ぜられた。

 空中地上に諸天は太子を讃頌し、頻婆娑羅王(ビンバサラ王)は王妃とともに臣佐を率いて城門を出で来って居られる。太子の前に跪いている婦人は何者なるか不明である。

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74 頻婆娑羅王(ビンバサラ王)の来訪

王使は聖者に尾行し、王に復命して「陛下、この比丘は槃荼婆山の東側に静座し、貴き虎のごとく、山洞の獅子のごとし」と奏した。王はこれを聞いて、百僚を率い壮麗なる車駕を馳せて、来って太子の側に坐し、互に礼を交え、恭敬して足下年少なりと雖も、姿色清浄にして貴き王子のごとし。いかんぞ跣足、遠くここに米りしか。われ、これを見るを悲しむ。足下もし意あらは、わが国土を中分して封ぜん、もし少しとせば国土の全部を与えん。なお足らずとせば、当に四兵を給すべし。足下自ら攻伐して他国を取るべきなり」と俗利を勧められた。太子は「われ出家して悉く世故を棄つ、故には苦あり、涅槃は安楽なり。われこれを観るが故に、将に修行して以ってこれに達せんとす。われ希うところただこれのみ」と説かれた。ここに於て王は太子成道の後、まず自国に臨んで教化を施し給うように請われた。太子は慇懃にこれを受諾し給うた。

 頻婆娑羅王(ビンバサラ王)は槃荼婆山の太子の隠所に駕を曲げて、太子に恭敬の礼をなして居られる。幽林には鳥獣が群棲している。 

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75 太子(ウッタカラーマプッタ)仙人を訪う

王舎城の辺に羅摩の子なりと言う一仙人がいた。その名を鬱陀羅迦(ウッタカラーマプッタ)と称して、七百の弟子を有し、常に非想非々想処を解いていた。太子はこの仙人のところに至って、一静処に於て専精修学せられたが、また禅定から起こって「この定を過ぎてさらに何の法かある」と問われた。仙人は「これ最勝にしてさらに余の法なし」と答えた。太子は容易にその定慧によって、仙人の法を証し終り、「これ正路に非ず、沙門の法に非ず、菩提に非ず、涅槃の法に非ず」と思惟せられて、彼の許を去られた。

 太子が阿蘭若の苦行林に欝陀羅を訪い、問答し給うのである。

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76 五釈種の随従

太子はかくのごとく儲位を棄てて出家して、道を求められたため、浄飯王は王師大臣を遣わして帰国を勧められた。しかしこれは返って太子の成道度生の大決心をいよいよ堅うするに過ぎなかった。彼らはその威容凛然として近づくべからず、また強ゆるに辞なきに及んで、益々深く畏敬の念を起して遂に帰城した。この時に彼らは協議して随伴の中より聡明にて智慧あり、心意柔軟にして性質忠直なる僑陳如、婆娑波、跋陀梨迦、摩訶那摩、阿湿婆恃の五人を選び太子に随従修行せしめた。普通にこれを五賢衆というて居る。仏初転法輪の時、最初に仏弟子となった五比丘は即ちこれである。太子は五賢衆を従えて、ついに象頭山(ガヤシールーサ)の麓、尼連禅河(ナイランジャナー)の辺の苦行林に留まられた。

 太子は金流(尼連禅河)の畔の苦行林内に座して静観を凝して居られる。五比丘はその前に列座している。林中には諸鳥遊戯し、清流には魚族遊泛するを見ることができる。

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77 尼連禅河畔の太子

太子は婆羅門諸学者を歴訪し給うこと一年に及ばれた。しかし皆いずれも真正の解脱方法ではなかった。よって尼連禅河畔、優婁頻螻(ウルベーラ)の苦行林に入って五賢察とともに静座思惟し「衆生の根機を観じ、応に六年苦行して以ってこれを度すべし」と宣うて、遂に六年の勤苦を積まれた。その間浄心をもって戒を守り、日に一麻一米を食し、あるいはまた二日ないし七日に一麻米を食うて、もし乞う者あればまたもってこれに施された。浄飯王はこれを聞いて、波闍波提、耶輸陀羅(ヤショーダラ)と議し、資糧を弁じて貨車千乗に載せ、車匿(Chandaチャンナ)に命じて太子に送らしめられた。車匿(Chandaチャンナ)勅を奉じて太子の所に至って、太子の形相を見るに、身体痩虚となり三十二相はために隠れて見るを得なかった。車匿(Chandaチャンナ)は頭面をもって太子の足を礼し、地に悶絶し、やや久しくして歔欷「大王、太子を憶い、われを遣わしてこの千乗を送り、もって太子を餉す」と曰した。太子は「われ父母に違い国土を捨て、遠くここに在り。求むるところは至道にあり、いかんぞまたこの餉を受けんや」と言われた。そしてこの修行中結跏趺坐して風雨塵土を避けず、屈伸俯仰せず、あるいは電雷霹靂(へきれき)の時と雖も立たず、春夏秋冬黙座して語根を乱し給うことはなかったのである。

 左方台上には太子跏趺し給うて、前方林中には五比丘がともに修行している。その傍には尼連禅河の流れを示し、その中に魚族を見る 。

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78 摩耶夫人太子に見ゆ

天子等は太子のこの形相を見て「噫、悉達太子逝けり」と称し、夫人摩耶ににこの悲報を伝えた。夫人は天使を従えて尼連禅河畔に下り、太子の足元に伏して哀哭し「太子、汝が藍毘尼園に生れし時は、独歩すること七歩『この身はこれ最後身なり』と尊く宣せり。然るに汝は四方遊行ついにその誓願成就するなし。アシタ仙の『汝仏陀たるべし』と予言せしは虚偽なりき。かつて転輪聖王を悦ばしめたる光明も、今は既に享有するなし。期くして汝は体達円満することなくして、遂に幽林に枯死せり。嗚呼、誰かわが愛子に再び生気を与え得るものなきか。毛髪乱れその美は去り、悲痛悶絶せるわれを誰とかなす。托胎十ヵ月、正に金剛石のごとく汝を懐き愛みたる母后摩耶なり。汝わが胸の張り裂くるを知らずや」と歎かれた。太子は「母后、悲痛し給う勿れ。アシタ仙の予言は必然実現せん。たとえ須弥は揺ぎ、蒼穹の星は落つるとも、わが発願は動ずることなし。やがて仏果を証得し円満成就してもって、わが母后に面謁せん」と、諭された。この慰めによって、天の妙楽の響く中を、夫人は再び天上に帰り給うた。

 夫人摩耶は諸天女を従えて降臨し、太子を合掌恭礼して居られる。太子は牀上に趺坐して母后に物語って居られる。

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79 諸天太子を念護す

太子、苦行の果、枯痩極に達し、皮骨相遂り、血脈悉く現われ、美わしぎ金色の皮膚は光沢を失い黒色となった。村民、樵夫、牧童は常に来って嘲笑し「塵芥に彼われたる彼の吸血鬼を見ずや」と称して、太子に砂上等を投げつけた。しかし斯る間にも諸天は昼夜その周辺を護念した。また浄飯王は日々に使臣を遣わして消息を知り給うた。

 蓮台上には太子苦行し給い、林中には諸天衆は加護している。なお華果豊麗なるをも見ることができる。

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80 悪魔太子を誘惑せんとす

悪魔波旬は苦行六年の間、絶えず太子の後にあって誘惑の機会をうかがった。肉落ち骨露われた太子に近寄り、言葉柔らかに「釈迦太子よ、座を立たせ給え、如何ぞ斯くも身体を苦しめ給う。人生は生くるにあり。まず生くべし。生きて大法を宣説すべし。卿の美しき皮膚は色失せ、その身は今や死に面し給うに非ずや。禁欲道は苦しく、心の調服は至難なり」と誘うた。太子は「悪魔よ去るべし。汝の我慾吾れこれを知る。去れ、やがてわれ汝を降伏せしめん」と答えられた。悪魔は直ちに姿を潜め、復讐の謀計を廻らせた。

 悪魔は慇懃に太子に礼して、修法の無意味なることを陳べ、成道の邪魔をしている

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81 村女の献乳糜

 太子の苦行を始め給うた時から十人の優婁頻螺(ウルベーラ)の若い乙女は、日ごとに麻米を携えて訪れた。苦行満六年の吠舎法(ベーサーカ)月の十五日満月の日、村長の女、スジャータ(須闍陀)神前に牛乳を供養せんとして、夙に起きて密林に行き、自ら浄器を取って乳を入れ香浄の粳米を雑じえ、これを煮て粥となした。この時スジャータは多くの奇瑞を見て、その婢盈満(優多羅)を呼び「われ天恩を蒙り今朝奇瑞の群集するを見る、汝速やかに聖所に至り準備を整えよ」と告げた。婢が馳せて大樹の下に至り見るに、太子東面して端座禅思し、光明は顕輝として四辺を照していた。婢はこれ樹神の降来供養を待ち給えるものと拝し、馳せ帰ってスジャータに斯々と曰した。スジャータは大いに喜んで、金鉢に乳糜を盛り、金蓋を載せ、布帛をもってこれを包み、盛装して頭上に鉢を戴き、尼拘律陀(nigrodha)樹下に至った。そして太子の形相を見て樹神の降臨と信じ、恭しくその側に進んで、頭上の金鉢を取ってこれを開き、別に華香の薫水を盛った金鉢を添えて太子の前に止った。梵天王は甞めてこれを太子に奉って忽然として消失した。よってスジャータは乳糜の金鉢を太子の玉手に載せ、礼拝して「世尊、願わくばわれを憐愍して妾の供養を受け給い、然る後、無上正覚を成じて仏陀とならせ給え」と乞うた。

 スジャータは、金鉢を両手に捧げて、恭しくこれを太子に供養し、四人の婢はその後に跪き、一女はなおまた後方に蓮華を待っている。村長の邸宅は宏壮に表わされ、太子の背後には苦行林を示している。まさに劇趣に富んだ図面である。

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82 死者の衣と着更へ給う

太子、擔然、正思惟、春風秋雨、厳寒酷暑と戦い給う内に、黄衣袈裟は破れて、皮膚を表わすに至った。ために太子はこれを更えんと希われた。ちょうどこの時、スジャータの家人の一人が死んだ。人々は死屍を麻布に包み火葬場へ運んだ。襤褸を纏い給うた太子は、身を屈めて死人の衣を取り上げて、これを洗わんとして水を探し求められた。天人はこれを見て地を打てば忽ち湛然たる浄水の池は出現した。帝釈天は池畔に岩石を横たえ、太子に代って洗濯せんとしたが、太子これを弁じて自らなし給うた。その後自らも六年の汚垢を洗滌せんとしてこの浄水に沐浴せられた。洗浴既におわって再び水から出でんとし給うたが、身体羸瘠し自ら岸に上り給うことがでぎなかった。時に天神降り来って阿斯那樹を低く垂れた。ために太子は樹枝を案じてよじて出ることを得られた。

 太子の後には諸天が奉仕し、その一人は金蓋を捧げている。スジャータは跪坐恭敬礼拝している。その前には幽邃なる蓮池があって水禽は戯れ、宝樹には諸鳥が遊んでしる。天衆の背後には苦行林を見る。 

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83 天人太子に赤衣を献ず

太子は死者の衣を着けられたが、なお一つ赤(赤褐色)の僧衣を要し給うた。Vima-Laprabhaと称する天人は太子にその赤衣を献じた。太子はこれを着して尼連禅河畔の空閑の地に立ち帰られた。

 天人は赤の僧衣を太子に献じている。野象、孔雀等の鳥獣は閑静なる幽林を楽しみあるいは舞い遊んでいる。

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84 スジャータの奉仕

 
この夜、諸天等はスジャータを訪うて「汝の供物を奉献せる聖者は、最早断食することなく、栄養を摂取し給わん。汝が『妾の供養を受け、円覚成道し給えかし』と、祈りし切願は将に成就せらるべし」と教えた。翌朝、スジャータは一千の牛より乳を搾り、七度これを煮沸し、乳糜を作らんとして七度奇瑞を見た。スジャータは婢優多羅をして聖者を迎えしめた。婢は馳せて往って見るに、東西南北の四方いずれの方向にも聖者を見た。優多羅は驚いて急ぎ馳せ帰り、これを告げた。スジャータは「われ今その世尊に供養せんとしてこの乳粥を作る、汝夙く往きてここに招じ来るべし」と婢に告げた。太子はその請に応じてスジャータの邸に入り、恭礼供養せる彼の女の奉仕を受けられた。

 太子はスジャータの宏壮なる邸宅に招ぜられ、牀上に坐して居られる。スジャータは鉢を捧げて糜を献じている。多くの侍女は供養饗応の具を把り、左端に於てはこれを炊焚している。

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85 太子尼連禅河に赴き給う

太子苦行六年、離欲寂静、既に真正の解脱の時機到れるを悟られた。遂に座から立って尼拘律陀樹(nigrodha)を右繞し、遂んで手に金鉢を執り、禅何の畔に赳かれた。そして鉢は河岸に留めて自らは清流に入らんとし給うた。

 太子は右手に金鉢を提げ、左手には衣端を把って河岸に起立して居られる。天衆は来って跪き合掌恭礼している。樹木鳥獣はすべて優婁頻螺(ウルベーラ)の苦行林及び尼連禅の河岸の様を示している。

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86 太子の沐浴

この時数千の天衆は空中より曼荼羅華を雨降らせた。太子はこの光景を眺めて後金流に沐浴し給うた。諸天はその浄水を掬して、天界に宝塔を造顕するために飛行昇天した。

 太子は河上の蓮台に立って居られる。諸天仙人は天空より天華を散じている。河岸には天人等が金流をすくうている。羚羊(カモシカ)は華果美わしい林間に棲んでいる。

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87 龍女、太子に宝座を献ず

太子沐浴後河岸に向わんとせられた。龍王の女は水面に浮び出て、太子に壮麗なる宝座を奉献した。

 右方に太子は尼連禅の河上に立って居られる。龍女は宝座とともに水面に現われ出て、太子に恭礼している。その後方に三人の侍女等は手に花を侍って跪いている。 

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88 太子残余の乳糜を摂り給う

太子は沐浴の後、聖者の衣を着け、宝座に上り、東面してスジャータの奉献した乳糜の残余を味わい給うた。太子はこれより以後は菩提樹下に七々日の静観をなして、正覚を成し給うまでは遂に食を取り給わなかった。かくのごとくに乳糜を摂り気力を回復し給うたため、今まで隠れていた三十二大人の相は再び現わるるに至った。随従の五比丘は太子遂に退転せりとて太子を捨て鹿野苑に赴いた。

 太子は龍女(龍王の娘)の献じた宝牀に趺坐し給い、龍女は二人の侍女を従え来って太子に讃頌している。尼連禅の流れには魚族は浮び、河畔の林中には水禽野鳥、その他諸種の動物を見る。

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89 太子金鉢を水に投じ給う

太子は宝座につき糜を味わい給うて、金鉢を惜しげなく尼連禅の水流に投ぜられた。河底の龍王はいよいよ太子の成仏し給うを知って、忽ち水面に現われ、それを受け讃掲を唱えて龍宮へもたらし帰った。大帝釈はこの金鉢を奪わんとして、身をガルーダの姿にやつし口に電光をくわえ龍王のところへ飛下した。しかしその無益なるを知って化相を改め、慇懃に鉢を龍王に乞うた。帝釈は遂にこれを龍王より受けて飛昇し、帝釈天宮に帰って宝塔を建立し、月の改まるごとをもって金鉢の祭礼をその天衆に命じた。その宝座もまた龍女が持ち帰って同様に宝塔を造顕した。

 右方に於ては太子宝座に坐し、龍王は水上の金鉢を把っている。左方に於ては大帝釈は龍王より金鉢を受けんとしている。そのまた左方には龍女は宮殿内に於て侍女に伝かれている。

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90 太子菩提樹下の覚座に進み給う

太子尼連禅に沐浴し、スジャータの奉糜を味わい給うて後、叢林山の菩提樹下の覚座に進ませ給うた。ここは四望清浄、風色高雅であって、甘泉は流れ、華香は馨り、実に天の装飾になれる一樹の蔭であった。風雨の女神等はその通路を宝幔をもって蔽うた。この日誕生の諸児はすべて此方に顛を向けていた。須弥山は麓から揺いで太子に礼を成した。諸天は手に蓮華を把って随従し、うずらは柔軟なる青草の下に囀鳴した。数万の仙人は奉仕し、白檀の香木は芳薫を発した。

 太子は蓮台土に立ち、諸の神仙はおのおの手に蓮華を持って讃頌恭敬し、うずらは草叢の内外に戯れている。四囲の樹々は太子に礼拝しているようである。

 

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