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外蕃に没落して帰還できた場合には、1年以上であれば、復3年。2年以上ならば、復4年。3年以上ならば、復5年。外蕃の人が帰化したならば、復10年。家人、奴婢が、放されて籍に附いたならば、復3年。
公使として出向いて外蕃より帰還した場合には、1年の課役を免除すること。唐国に出向いた場合には、3年の課役を免除すること。
孝子・順孫・義夫・節婦(いずれも、子孫として人としてまた妻としてのカガミ)の志行が、国郡に名高ければ、太政官に申告して奏聞して、その門閭〔もんりょ〕に表彰(その家の門、及び、里門の横に堆を築き、「孝子門」などと書いた札を立てる)すること。同籍の人は悉く、課役を免除すること。精誠の通感する者(これらの美徳が神に通じて奇跡を生じた者)があれば、これとは別に優賞をも加えること。
三位以上の父祖、兄弟、子孫、及び、五位以上の父子は、いずれも課役を免除すること。
舎人、史生、伴部、使部、兵衛、衛士、仕丁、防人、帳内・資人、事力、駅長、烽長、及び、内外の初位の長上、勲位の八等以上、雑戸、陵戸、品部、徒人の役にある場合は、いずれも課役を免除すること。主政、主帳、大毅以下兵士以上、牧の長帳、駅子、烽子、牧子、国学の博士、医師、諸々の学生、侍丁、里長、得第したがまだ叙位されていない貢人、勲位の九等以下、初位、及び、残疾は、いずれも徭役を免除すること。坊長、価長は、雑徭を免除すること。
除名されてまだ除せられない人は、役を免除して庸を輸納させること{自身で役を願ったならばこれを許可すること}。庸を徴収する場合もまた、雑徭、及び、点防(兵役)は担当させない。
父母の喪に遭ったならば、いずれも朞年(期年)〔ごねん/きねん〕(=1周年)の徭役を免除すること。
丁を雇役(強制的雇傭)するにあたっては、本司(木工寮)は、あらかじめ当年に製作するところの種類と数量を計算して、太政官に申告すること。記録して主計寮に預けること。 (主計寮は)それを再審し、(太政官は)実施の手配をすること。7月30日以前に奏し終えること。10月1日から2月30日以内までに、仕事量を均分して上役すること。1回の上番で、50日を超過してはならない。もし要月(農繁期)であれば、30日を超過してはならない。その人が、限度以上に上役して、直〔じき〕(労賃(?))を取ろうとしたならば許可すること。国司は、みな親しく貧富強弱を把握し、それによって戸口について9等を定めた簿を作成すること。あらかじめ差発の順番を定め、その順に依って役に赴かせること。
差科(賦役を科すこと)は、富強の人を優先し、貧弱の人を後回しにすること。多丁(戸内に丁が多い家)を優先し、少丁を後回しにすること。分番(交替で番を分けること)して上役する場合には、家に兼丁(=2人以上の正丁・中男)があれば要月に、家が貧しく単身(丁が1人)であれば閑月に。
(丁と(?))匠丁が役に赴く場合は、みなつぶさに簿を作成すること。(丁と(?))匠丁の到着前3日(3日前なのか、それ以前の月日の3日付ということなのか(?))に、あらかじめ簿を太政官に送って配置先を分けること。京外へ配置する場合は、配所に簿を送ること。みな近いところから遠くへと配置すること(?)。簿によって(?)配置先を分けること。作具は自身で備えること。
丁匠が役に赴くにあたって、理由があって到着せず就労しなかった場合には、後の番で赴任する人と一緒に配送して、就労を埋め合わせさせること。もし、故意に、怠ったり忌避したり、また逃走したならば、所司は、すぐに追捕して、決罪すること。そうして専使(特別に派遣(?))して役の配所に送り、就労を埋め合わせさせ、雇用料は給付すること。
丁匠が役に就労した場合、10人に対して、外から1人を給付して火頭(炊事係)に充当すること。疾病したり、また、雨に遭って、就作できない日は、半食(支給される米のうち、給食としてでなく、それとほぼ同量で米のまま支給されるもの)を減らすこと。就労の欠けたぶんは埋め合わせさせること。ただし、疾病した場合には、役日(所定就労日数分(?))の雇用料を給付すること。雨天といっても、露天で就労するのでないものについては、この限りにあらず。
京において、大営造(500人以上を必要とするような大規模工事)させることがあって、丁匠を就労させる場合、みな弾正に巡行させること。もし非違が在れば、事情に応じて糺弾すること。
丁匠が就労中、父母の喪に遭ったならば、みな国司は、実情を調べて役所に申告すること。すぐに雇用料を給付して放還させること。
京に供給する藁・藍といった雑用品の類は、毎年、民部省が、あらかじめ畿内に斟量して、科し下すこと。
丁匠を就労させる場合には、みな労働量を斟量して、労働の軽重が均しくなるようにして課すこと。徴発日限になったならば、すくに放還すること。主当の官司(司る官司)が検校を加えずに、労働日程をないがしろにするようなことがあったならば、節級(?)して推科すること。そうして考殿(?)に附けること。
丁匠の往来にあたって、もし重患があり、任地に到着することができない場合は、留めて最寄りの郡里に置き、供給飲食させること。快癒を以て、発遣すること。もし粮食がない場合は、すぐに公粮を配給すること。
丁匠が役に赴いて死亡した場合、棺を給付すること。路上で死んだ場合は、所在の国司が官物を以て作り給付すること。いずれも道脇に埋めて仮安置すること。牌を立て、併せて、本籍地に報告すること。もし、取りに来る家の者がいなければ焼くこと。人が迎えに来ることがあれば、分明に(?)付け、受領させる(?)こと。
丁匠が役したときには、みな、昼には作り、夜には止めること。6月7日は、午(正午)から未(午後2時)まで、解放して休息するのを許可すること。(喪葬や饗宴といった)要の役にあたる場合はこの例に該当しない。
公事のために、車、牛、人力を用いて伝送するにあたっては、それについて令条に載せないので、みな臨時に勅を聴くこと。差科の日には、みな所司が、必要数を量定して行下させること。(数量や日時等を明示しないことで)在下(供の下司)に疑い(不安不審)を抱かせたり、百姓を労擾(疲れ乱す)させてはならない。
諸国の貢献の物は、みな当地の所出に限ること。金、銀、珠、玉、皮、革、羽、毛、錦、「けい」(毛氈の類)、羅、「こく/こめ」(文(もん)があるのを羅といい、文がないのを「こく」というらしく、また、「こく」は薄紬ともいうらしい)、紬(「こく」に対して厚紬というらしい)、綾、香薬、彩色、服食、器用、及び、諸々の珍異の類は、みな、布に準じて値を定めること。官物を以て購入すること。50端を超過する値になってはならない。送るところの物は、損壊していたり汚れ(穢悪)ていることのないようにするだけで、(たとえば、薦で包めば済むところに布を用いるなどして)必要以上に整えて、浪費をしてはならない。
調物、及び、地租、雑税は、みな明確に輸納すべき物の数を写して、牌を坊里に立てて、衆庶に等しく知らしめること。
令条に定めのない雑徭は、人ごとに均しく使役すること。総日数が60日を超過してはならない。
仕丁は、50戸ごとに2人{1人を廝丁〔しちょう/かしわで〕に充てること}。3年に1度交替させること。もし本司が、その才用に頼ることがあり、自身も交替を望まなければ、許可すること。女丁は、大国に4人、上国に3人、中国に2人、下国に1人。
斐陀(飛騨)の国は、庸調ともに免除すること。里ごとに匠丁を10人、点じること{4丁ごとに、廝丁を1人支給すること}(つまり、10人中の2人を廝丁とする)。1年に1度交替させること。その他の丁は、米を輸納して、匠丁の食に充てること{正丁に6斗、次丁に3斗、中男に1斗5升}。