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宮閤門に入るべき人については、本司はつぶさに(自分の部署のそれらの人の)官位姓名を注記して、中務省に送って、(その記述を)衛府に預けること。(宮城に出入りする人はみな)それぞれの便門(出入りに便利とされる、勤務の部署に近い門)に応じて籍(=門籍)を置くこと。ただし五位以上はみな(便門の他にも自由に出入りできるよう、すべての)宮門に置くこと。みな籍を着けている門でない場合は、いずれも退出することはできない。もし改任(外官へ異動)となったり使いに行くような類は、本司は当日、省に牒して籍を除くこと。毎月、1日、16日に、それぞれ一度、籍を換えること。{宿衛の人もこれに準じること。}
籍なくして禁中に入るような場合、及び、禁中から物品を請迎し、禁中に物品を輸送し、丁匠(造営にあたる役民)が役に入る場合は、中務省は臨時に名を記録して府(衛府)に預けること。50人以上ならば、当衛が記録して奏すること。輸送することがあって、終わらずに、禁中に宿泊して物品を守ろうと願ったならば、斟量して留まるのを許可すること。
兵衛、衛士の上番は{衛士の上番というのは、本国から初めて上京する者をいう}、みな正身(本人か)を検点(名簿に点の印を付ける)して、しかる後に奏聞すること。
門の開閉については、第1の開門鼓を撃ち終わったならば、すぐに諸門(大門以外の宮城内諸門)を開くこと。第2の開門鼓を撃ち終わったならば、すぐに大門を開くこと。退朝の鼓を撃ち終わったならば、すぐに大門を閉じること。昼の漏が尽きて(=日没となって)、閉門の鼓を撃ち終わったならば、すぐに諸門を閉じること。{理門(出入りの便宜のため昼夜を通じ開けておく門)は閉門の範囲にない。}宮城門(羅城門)は、暁の鼓(=第1の開門鼓)を打ち始めたなら開くこと。夜の鼓(閉門鼓)の音が絶えたなら閉じること。鎰の出し入れについては、第1の開門鼓の3刻前に出すこと。閉門鼓の3刻後に返すこと。諸衛はすぐに、所部、及び、諸門を按検すること。時を待って行夜(夜間巡検)する人は、みな兵仗を執って巡行すること。分明に相知ること(互いをよく知っておくこと(?))。毎朝、色別(兵衛・衛士・門部の種類別)にそれぞれ1人、在直の官長(宿直している衛府の次官以上)のところへ出向き、平安(異常がなかったこと)を報告すること。
詔勅は、まだ宣行(=中務少輔以上が覆奏の後、施行のため太政官に送ること)してないときは、司(担当である中務少輔以上)でない人が安易に見てはならない。
車駕〔きょが〕(=行幸する天子)が出行するときには、兵衛・衛士がまず按行〔あんぎょう〕(=(行列を)調べ整える、ないしは、(先行して)視察)すること。道の辺の日陰・暗がりの所に及んだときは、非常を検察し、前後を呵叱〔かしつ〕する(=叱る=怒鳴る(?))こと。人が騒々しい声で物を言ったり高い所に登っているのを見たなら、下りさせること。もし行幸する所(滞在地)にあったなら、みな、まず門巷(家の門や街路)を防禁(検察)して、留まるべからざる所(乗輿の周囲300歩以内)の者を追い斥〔しりぞ〕けること。
理門は、夜になったなら火をたくこと。併せて、大きな器に水を貯めておき、もろもろの出入者を検察すること。
兵庫・大蔵の院(建物)の内には、みな火を持って入ってはならない。守当〔しゅとう〕(=守衛担当)の人は、食事を作る際は、外で作ること。その他の庫蔵もこれに準じること。
庫蔵の門及び院の外の四面では、常に兵仗を執って防固すること。司(管理担当の左右兵庫・内兵庫・大蔵省等)でなくして安易に入ってはならない。夜はきちんと時を分けて検行すること。
諸門、及び、守当〔しゅとう〕(=守衛担当)の場所に、正司(担当の衛府)でない役人が来て監察し(ようとし)たならば、先に合契〔ごうけい〕を検査すること(字を書いた木札を分割して、一方は監察者が携行し、一方は守衛の部署に置いておき、両者を照合する)。一致すれば検校を許可すること。一致しなければ捕らえて本府(守衛担当の衛府)に身柄を送ること。
宮墻の四面の道の内側には物を積んではならない。宮闕の近くで悪臭の物を焼き、また騒々しい声を上げてはならない。
宿衛(兵衛・内舎人)の器仗(武器)は、もし誰かが勅と称して求めることがあれば、主司(兵衛府・中務省の判官以上)は覆奏すること。しかる後に渡すこと。
鹵簿(〔ろふ〕=天子出御の行列)の中には横入(横切る)してはならない。監仗(行列の監督担当)の役人が検校する場合は、行き来してもよい。
車駕が臨幸するところがある際に、もし夜に行幸する場合は、部隊の主帥は、互いにおのおのを見知っておくこと。このとき侍臣(少納言・侍従・中務判官以上、及び、内舎人)といえども、外から来たなら勅でない場合はたやすく入れてはならない。
勅を受けて、夜、諸門を開く場合は、勅を受けた人はつぶさに開くべき門と併せて入出の人の名帳を記録して、中務に申し送ること。中務は衛府に申し送ること。衛府は覆奏すること。しかる後に開くこと。もし中務・衛府ともに勅を受けたのであれば、覆奏してはならない。勅を受けて実際に出入りする人と、入出の名帳の名に相違がある場合には、すぐに身柄を拘束して奏聞すること。
諸門の関鍵〔げんけん〕・管鑰〔かんやく〕は、みな完全に管理すること(?)。
五衛府(衛門・左右衛士・左右兵衛)の官長は、みな時々、所部を按検し、法の違反を糺察すること。
儀仗(礼容に用いる武器)・軍器(征伐に用いる武器)は、10事(1事は弓1張・箭50隻)以上諸門を出入したならば、みな【片旁】(〔ぼう〕=門【片旁】=搬出入する武器その他の品名・数量のリスト)を確認すること。門司(門を固める衛府)は、奏聞して、検討を加えて出入を許可すること。宿衛の人が常に携帯しているものについてはこの制限に拘束されない。
軍器・戎仗(武器)を献上することがあれば、すぐに内舎人を献上する人に随えて、持ち入らせること。
車駕行幸する場合には、すぐに(宮城以内の)諸門を閉じること。必要に応じて理門を開くこと。留守〔るしゅ〕の人はおのおの理門より出入りすること。いずれも遷幸の駕(天子の帰宮)の先駆の隊列が到着したときには開門すること。
宿衛人(内舎人・兵衛)が上番する場合に、そのため理由(自身の病気や父母の病気・喪)があっても他所へ赴く(帰宅する)ことができず(?)、また、下番(=非番)の時に日程1日以上出かけよう(帰宅しよう)とするときには、みな本府に申請すること。つぶさに行こうとする場所のことを注記すること。もし日程が1日もかからない場合は、仮に往還するのを許可すること。
元日・朔日、(またそれ以外でも)もし聚集することがある場合、また、蕃客の宴会・辞見には、みな儀仗を立てる(武装して整列する)こと。
宮門の内側、及び朝堂では、飲酒したり、音楽を鳴らしたり、個人的な挨拶を述べたり、決罰を行ってはならない。
京の街路は、街角ごとに鋪〔ふ〕(=警備小屋)を立てること。衛府は時々夜間巡回すること。夜の鼓の音が絶えたなら往来を禁止すること。暁の鼓を打ち始めたなら往来を許可すること。もし公使、及び、結婚・喪病があり互いに連絡を取り合ったり医薬を求めて訪問する場合は、勘問して明らかに事実であると知ったならば許して通過させること。この類の人でなくして夜を犯したならば、衛府はその当日(夜が明けた日)に刑を執行して解放すること。贖〔ぞく〕す(実刑ではなく代価の徴収で償う)場合、及び、余罪がある場合には、所司(刑部省ないしは京職)に移送すること。
諸門より物資を搬出するにあたって、【片旁】〔ぼう〕がない場合、1事(=1物)以上の場合、いずれも搬出してはならない。その【片旁】は、中務省、衛府に預けること。門司は勘考して、欠けるところあれば、事情に応じて推駁すること。別勅で賜う物はこの限りではない。
車駕が出入するとき、諸々の駕に従う人の隊列配置は、鹵簿の図のごとくに。天子から300歩の範囲内で兵器を持つことはならない。宿衛人が駕に従うのは許可すること。
行幸の隊列内に違反者があったとき、弾正の役人がその姓名を弁えていない場合には、隊列の先頭へ行って、主司の指揮官に違反者の姓名を問うのを許可すること。
宿衛、及び、近侍(少納言・侍従)の人の二等親以上(一等親・二等親)が死罪を犯して推劾(罪状審理)を受けたならば、推断の司は速やかに専使を遣わして、牒によって、宿衛及び近侍の人の本司・本府に通報して、宮城内に入るのを許すことがないようにすること。