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予備知識:

位階

(最終更新日:98.10.25

 − 目次 −




 

位階・位号


位階は『位〔くらい〕』『品〔しな〕』『階〔はし〕』『かうぶり〔こうぶり〕』などと言い、朝廷に於ける階級制度の基本となりますが、7世紀初頭の推古天皇の代に『冠位十二階』が定められるまで、日本の朝廷には、位階の規定はありませんでした。
(なお、「官位」は[つかさくらい]とも読み、「特定の官職と相当する位階」もしくは総称的な「官職と位階」のことで、階級としての「位階」のみを言い表す場合には用いません。)

[くらい]は【座居〔くらい〕】= 身分等級によって定められた座席、という言葉に由来します。

位階を示す呼称を『位号』と言い、当初は「大徳」などといったものから、最終的に「正四位下」のようなものに確定されます。

当初の「大徳」などの位号は直接には冠の色を指し示し、その冠の色がすなわち、それを被る人の相当する位階を表す、というもので、のちの「正四位下」(=『文位〔ぶんい〕』)のように人物の位階を直接指し示す位号とは少し性質が違います。
(冠位については、勲章が表す勲〜等といった「勲位」に例えるとわかりやすいかもしれません。人物ではなく、授けられた物の位(属性)によって間接的に人物の位階を指し表しているのです。結果的には同じことですが。)

冠位は大宝令のときに廃止されましたが、そののち冠を下されることはなくなっても、言葉だけは『かうぶり〔こうぶり〕』として残ったようです。

位階によって色分けして着用した衣を『位袍〔いほう〕』と言います。

位袍はその性質上、副次的に、それを着用する人の身分(大体の位階)を指し示す結果ともなりますが、冠位のように特に位階相当を指し表すために規定されたものとは違い、身分秩序とか特権とかいった性格を持つものです。従って、位階と1対1に規定されてはいません。


 

位階・位号の推移



 ○ 推古十一年(603年)

『徳・仁・礼・信・義・智』までの大小二階で、『冠位十二階』。
冠の色は、紫・青・赤・黄・白・黒の濃淡です。
こんな感じ→            
(※ 表示されている色はブラウザによっても見た目が変わりますのでだいたいの目安程度にお考えください)

 ○ 大化三年 (647年)

『織〔しょく〕・繍〔しゅう〕・紫〔し〕・錦〔きん〕・青・黒』までの大小二階と、『建武』で、『冠七色十三階』。
たとえば、最高の冠位は「大織」で、この冠を指して「大織冠〔たいしょくかん〕」と言います。

 ○ 〃 五年 (649年)

『織・繍・紫』までの大小二階と、『華・山・乙』までの大小二階に上下を付けたのと、『立身』で、『冠十九階』。

 ○ 天智三年 (664年)

『織・繍・紫』までの大小二階と、『錦・山・乙』までの大小二階に上中下を付たのと、『建』の大小二階で、『冠二十六階』。

 ○ 天武十四年(685年)

親王のために設定した『明』の大広二階に一・二を付けたのと、『浄〔じょう〕・正〔しょう〕・直〔ちょく〕・勤〔ごん〕・務〔む〕・追〔つい〕・進〔しん〕』の大広二階に一〜四を付けたのとで、冠位を改め、『爵位六十階』(親王・諸王十二階、諸臣四十八階)。
例: 直大弐

 ○ 大宝一年 (701年)

大宝令の完成に先立ち、冠位が正式に廃止され、親王四階、諸王十四階、諸臣三十階という位階・位号が確定されます。

・ 親王の位階=『品〔ほん〕

一品〔いっぽん〕〜四品〔しほん〕までの四階です。
便宜上「位階」と書いていますが、親王の場合、位階ではなく『品階〔ほんかい〕』と言います。
(※ちなみに中国の位階はみな、「〜位」ではなく「〜品」となっています。)
なお、『品階』のない親王は、『無品〔むぼん〕親王』と言います。

『親王〔しんのう〕』=親王の宣下〔せんげ〕があった皇子を指します。
天皇の皇子として生まれていても、親王宣下がないうちは「親王」ではありません。

・ 諸王の位階=『位〔い〕

一位〜三位までの正従二階と、四〜五位の正従二階に上下を付けたのとで、十四階です。

『諸王』=親王宣下のない皇子、及び、親王から五世以内の皇族男子です。
皇族ではあるけど、天皇家の家族とはいえないなぁ、という身分です。

 

・ 諸臣の位階=『位〔い〕

一位〜三位までの正従二階と、四〜八位の正従二階に上下を付けたのと、初位〔そい〕の大小二階に上下を付けたのとで、三十階です。

「正〔しょう〕位」は、天武天皇のとき「大」の字を用いたのでそれを継いで[おほい〔おおい〕]とも読み、「従〔じゅ/じゅう〕位」は「広」の字を用いたので[ひろい]とも読みます。

例: 正一位=おほいひとつのくらい

ただ、正一位は贈位の場合以外、殆ど授けられることはなかったようです。

三位以上であれば上級貴族、五位以上が貴族です。
昇殿を許される可能性が出てくるのは、五位以上の身分からで、三位以上になると俸給その他の面でいろいろな特権が与えられるようになります。

六位以下は中・下級役人の官位相当のためにある位階という感じで、いわゆる「貴族」とは言い難い身分になります。

また、律令制が形骸化し、摂関時代に入っていく10世紀末の一条天皇の頃以降は、七位以下を叙すことも滅多になくなっていく(「官職要解」より)ようです。

・ 地方官の位階=『外位〔げい〕

諸臣の五位〜初位の二十階は、内位と外位とに分けられており、「外位」は「卑姓の者」、具体的には、地方豪族、及び、郡司・軍毅・国博士・国医師といった地方官(=「外官」)に授けられる位階です。
「内六位」「外六位」などと区別します。


 

位階の別名

 

唐の「官名」との相当


唐の「官名」というのは、実務を伴う官職名ではなく、品階に応じた官人としての階級を示すものです。
文官か武官かによって、「文散官」「武散官」のどちらかの官名となります。
唐制についての詳細は、『中国(隋・唐)主要官職概覧』の「官名」などをご覧ください。

以下に示したのは、養老令での(実際には『令義解「官位令」』に書かれているもの。ただし文散官しかない)日本と唐の官名との相当です。武散官・ 勲官・爵の相当については、日本思想体系『律令』を参照しています。


位階文散官武散官勲官
正一位
従一位開府儀同三司驃騎(大)将軍嗣王
郡王
国公
正二位特進輔国(大)将軍上柱国開国郡公
従二位光禄大夫鎮軍(大)将軍柱国開国県公
正三位金紫光禄大夫冠軍(大)将軍
懐化(大)将軍
上護軍 
従三位銀青光禄大夫雲麾将軍
帰徳将軍
護軍開国候(県候)
正四位上正議大夫忠武将軍上軽車都尉開国伯(県伯)
正四位下通議大夫壮武将軍  
従四位上大中大夫宣威将軍軽車都尉 
従四位下中大夫明威将軍  
正五位上中散大夫定遠将軍上騎都尉開国子(県子)
正五位下朝議大夫寧遠将軍  
従五位上朝請大夫游騎将軍騎都尉開国男(県男)
従五位下朝散大夫游撃将軍
騎馬都尉
  
正六位上朝議郎昭武校尉驍騎尉 
正六位下承議郎昭武副尉 
従六位上奉議郎振威校尉飛騎尉
従六位下通直郎振威副尉 
正七位上朝請郎致果校尉雲騎尉
正七位下宣徳郎致果副尉 
従七位上朝散郎翊麾校尉武騎尉
従七位下宣義郎翊麾副尉 
正八位上給事郎宣節校尉 
正八位下徴事郎宣節副尉
従八位上承奉郎禦侮校尉
従八位下承務郎禦侮副尉
大初位上儒林郎仁勇校尉
大初位下登仕郎仁勇副尉
少初位上文林郎陪戎校尉
少初位下将仕郎陪戎副尉

 

位階の俗称


(※概ね平安中期以降。これらはあくまでも呼称で、正式に規定があったものではありません。)


  三位    = まつの位〔くらい〕

  従三位   = 上階
          上流階級の仲間入り、ということなのでしょう。

  四位    = しひしば〔しいしば〕
          「四位」→「椎」から「椎柴」となったのではないか、とのことです。
          (『官職要解』より)

  四位以上  = 紫〔むらさき〕の袖
          「黒袍〔くろのほう〕」を指して「紫の衣」とも言ったようです。

  五位    = あけの衣〔ころも〕

  六位    = みどりの袖、あをき衣〔あおきころも〕


 

位袍(=位階による衣の色)


〔※ 表示されている色はブラウザによっても見た目が変わりますのでだいたいの目安程度にお考えください。〕


  天皇 =  黄・青
  上皇 =    赤


  一位 =    深紫(平安中期以降は黒)
  二位 =    浅紫(平安中期以降は黒)
  三位 =     〃(    〃   )


  四位 =    深緋〔こきあけ〕(平安中期以降は黒=ここまでが「黒袍〔くろのほう〕」)
  五位 =    薄緋〔うすあけ〕


  六位 =    深緑(平安中期以降は縹〔はなだ〕
  七位 =    浅緑(平安中期以降は縹〔はなだ〕
  八位 =    深縹〔ふかはなだ〕(平安中期以降は縹〔はなだ〕
  初位 =    薄縹〔うすはなだ〕(平安中期以降は縹〔はなだ〕


  禁色 = 古くは深紅、深紫の色が禁制であること。
       時代が下ると、織物装束が禁制であることを言います。
       人によってはこうした禁色〔きんじき〕の着用を許可されることがあり、
       それを「禁色を許される」と言います。


 

叙位等級


位階の下され方は三等級に分けられています。

はじめはこの叙位等級が、大雑把な身分階級を言い分ける際にも使われていましたが、時代が下るうちに叙位の際だけの区分となり、普段、身分階級を言い分ける際には待遇も付加して『公卿/殿上人/地下/庶人』を用いるようになります。


 『勅授〔ちょくじゅ〕

五位以上。
天皇が自ら授ける位階です。

 『奏授〔そうじゅ〕

六位〜内八位・外七位。
大臣以下が相談し、天皇に奏聞したのち授けられる位階です。
※ 時代によって異なったものか、七位以上を「奏授」としてある書籍もいくつかあり、よくわかりません。

 『判授〔はんじゅ〕

外八位〜初位。
大臣以下が相談し、奏聞なしで授けられる位階です。


 

叙位に関連する用語



 『叙す』『授ける』『進める』『加へる』『そへる〔そえる〕』『上賜〔あげたまう〕』『加級』『転位』

位を下したり下されたりすることを言います。
【叙〔じょ〕】=(位階の)秩序を定める、の意。

 『叙爵〔じょしゃく〕』『かうぶり給はる〔こうぶりたまわる〕

平安中期以降(?)、五位の位を下されたときに言ったようです。

 『越階〔おっかい〕

途中の位を飛び越して昇進することを言います。

 『叙位の儀式』『加階』

天皇が自ら位を授ける儀式で、1月5日または6日に行われます。
ただし、この儀式は五位以上が対象です。
六位以下は大臣以下の相談で、天皇の意思とはほとんど関わりなく授けられます。

 『位記〔いき〕

平安中期以降(?)、叙位の際に下される文書(身分証明書)です。
大臣、納言の署名、及び、文官には「式部省」の、武官には「兵部省」の官吏の署名が入れられます。
また、五位以上の場合は『内印』(=天皇御璽)が用いられるため、天皇の側周りの政務を担当し御璽の管理を行っている「中務省」の官吏の署名も最後に入れられます。

 『還昇〔げんしょう〕

新たな位に叙された人が、それを返上して、もとの位に戻してもらうことを言います。
たとえば、「五位の蔵人」の欠員がないときに五位に叙された「六位の蔵人」が、「蔵人」職をやめる(=地下の人となる)羽目になるのを嫌って「還昇」する例などがあります。


 

位階を基にした身分呼称


 ○ 上級貴族


 『公卿』『〜卿』

三位以上の人を指して言います。(※「公卿・殿上人・地下・庶人」参照)

 『非参議』

三位以上で、参議ではないけれども参議になってもおかしくないような人を指して言います。(※「参議」参照。)

 ○ 貴族


 『通貴〔つうき〕

五位以上の人を指して言います。

 『栄爵〔えいしゃく〕』 及び、『大夫〔たいふ/だいふ/たゆう〕』『太夫〔たいふ/だいふ/たゆう〕
 (※文末も参照ください)

五位の人を指して言います。

『大夫』は、もとは、一位〜五位の人をすべて指したようですが、その後、三位以上を『〜卿』と言うようになると、『大夫』は四・五位のみを指すようになり、さらに時代が下ってから、五位のみを言うようになったようです。(※変わり目の時期はよくわかりません。)

 『無官大夫〔むかんたいふ〕

五位の散位(=官職のない人)を指して言います。


 

[だいぶ/だいふ/たいふ/たゆう]の違い


「大夫」「太夫」「だいぶ」「だいふ」「たいふ」「たゆう」というのは紛らわしい言葉で、用いられる漢字や読み方によって指す意味がだいぶ....ではなくて、全く、違ってきます。


 [だいぶ]

【大夫】と書き、『職〔しき〕』・『坊』(どちらも役所)のカミ(四位相当の職)の職名です。
身分を意味する『大夫』とは全く別のものです。

 [だいふ]

次に述べる[たいふ](五位の人)が訛ったものです。

 [たいふ]

【大副】と書いた場合は、「神祇官のスケ」(五位相当の職)の職名です。
(※ ただ、【大副】は[たゆう]と読んでいることもあるようです。)
【大輔】と書いた場合は、「八省のスケ」(五位相当の職)の職名です。
【大傅】と書いた場合は、「大臣」に相当する中国の職名です。
【大夫/太夫】と書いた場合は、単に「五位の人」という身分を表します。

※ 庶民の登場する説話などは別として、通常、文章に最も多く登場する「大夫」はこの「五位の人」という使われ方です。

※ 八省のジョウ(=六位相当の職)を務めている五位の人を『大夫』(=五位の人)と呼ぶ場合、八省のスケ(=五位相当の職)の『大輔〔たいふ〕』と混同しないよう、呼称を区別して、例外的に[たゆう]と読みます
例: 式部大夫〔しきぶのたゆう〕
 このことは神祇官の場合にも当てはまるはずなのですが、神祇官の場合、スケの【大副】自体、[たゆう]と読んでいることもあったりして、もともと混同しています(^^; 五位でジョウを務めている例があまりなかったのかもしれませんね。

(※ カミ・スケ・ジョウについては「四部官(四等官・四分官)」参照)

 [たゆう]

【大夫/太夫】と書き、通常は、神主、もしくは役者・遊女のことです。
【大副】(=「神祇官のスケ」)を[たゆう]と読んでいることもあるようです。

例外的に、八省の五位のジョウを、スケと混同しないよう[たゆう]と読んでいることもあります。(※上述)




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