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皇居の呼称は、そのまま天皇の呼称として用いられているものも多くあります。
また、『大宮』は皇太后・太皇太后を指しても用います。
『御門〔みかど〕』『内〔うち〕のみかど』『御垣〔みかき〕』『御所』
『大宮』『百敷〔ももしき〕』
『雲の上』『雲居〔くもい〕』
『内裏』『内〔うち〕』『内のうへ〔うちのうえ〕』『大内〔おおうち〕』『大内山〔おおうちやま〕』
『禁裏』『禁裡』『禁中』『禁門』『禁闕〔きんけつ〕』
『紫禁〔しきん〕』『紫庭〔してい/むらさきのにわ〕』
『九重〔ここのえ/ここのかさね〕』
『蓬莱宮〔ほうらいのみや〕』『蓬壺〔ほうこ〕』『よもぎが洞〔ほら〕』
『大内裏』とは、内裏を中心に諸役所の所在する地区を言い、皇居そのものを指すのとは少し違います。
天皇にのみ用いる純粋な帝号で【統べる】のバリエーションになっています。
古い時期の帝号で、時代が下ってからは、天皇以外にも尊号として用いる場合がある(=純粋な帝号とはいえない)ものです。
『日の御子』は皇子にも用い、『大君』は親王・諸王・皇女・王女(=内親王宣下のない皇族女子)までにも用います。
朝廷や、いわゆる「お公家〔くげ〕さん」を指していると勘違いしやすいので注意が必要です。
天下を知ろしめす君主、との尊号です。
金輪を有する聖帝=理想的な王、という仏教に由来する尊号です。
十善の功徳を積んでいる、という仏教に由来する尊号です。
中国の故事に由来する、勢力を象徴する尊号です。
「万乗」は何台もの(戦)車、ということです。
いずれも皇居の呼称ですが、天皇自身を指してもそのまま用います。
(自分も余人と変わらぬ)一人間、の意で、中国に由来し、自称(謙称)で用います。
『予小子〔よしょうし〕』は、喪に服している期間に用います。
(単に「小子」と言うのは自分を卑下していうもので、天皇が用いることはありません。)
「予」や「余」の漢字を当てるのは単に[よ]の音による借字なのですが、他に本来の字があるというわけでもありません。([よ]は[よ]じゃ、って感じ。)
※『一人〔いちにん〕』は、摂政・関白を指す『一の人〔いちのひと〕』、左大臣を指す『一の上〔いちのかみ〕』などと混同しないよう注意。
天皇の自称では他に『吾〔われ〕』などを用いています。
天皇の位を指すもので、天皇自身を指すのとはちょっと違いますが挙げておきます。
天皇の系統を指すもので、天皇自身を指すのとはちょっと違いますが挙げておきます。
八方を安らかに治める、の意で、「八隅知し」「安見知し」などの字を用い、「すめらぎ」「わがきみ」「名」などといった言葉にかかります。
例:やすみしる名〔な〕
【おりい】=「下り居」で、帝位を下りた、の意です。
上皇の住まい(御所)を指す言葉ですが、上皇自身を指してもそのまま用います。
「院」と聞くと出家の姿(法皇)を思い浮かべることが多いですが(?)、出家しているといないとに関わらず用います。
同時期に複数の「院」がいる場合、最上位の上皇を『本院』『一の院』と言い、次を『中院』、新しい人を『新院』と言います。
また他国に流されたりした院であれば、『讃岐院』(=崇徳院)、『隠岐院』(=後鳥羽院)などとも言うこともあります。
これらも上皇の御所を指すもので、神仙の住まいになぞらえて言う呼称ですが、上皇自身を指してもそのまま用います。
この呼称の由来には諸説あるようです。
『荘子』山木篇の「虚船」から出た、とか、「般若の舟」の意、とか、在位中は重く荷を積んだ舟のようだったからそれに対して、など。
出家している上皇、を言います。
「禅定」=「禅定門」の略で、仏門に入った(在家の)男性を言います。
※ 似た言葉で『法王』というのがありますが、これは弓削銅鏡が「仏教界に於ける王」ということで自ら置いて就いた位をいうもので、上皇とはまったく関係ありません。
「天皇(旧代を含む)の子息」を指す日本固有の尊称です。
※ このうち『大きみ〔おおきみ〕』は「王」を指しても用います。
嫡出の皇子、または嫡男の嫡出の皇子(=皇孫)のうち、親王宣下のあった人。
※ 天皇の皇子として生まれていても、親王宣下がないうちは「親王」ではありません。
令の規定では、親王宣下のない皇子を含め親王から五世以内の皇族男子です。
(明治以降は規定が変わっています。)
皇族ではあるけど、天皇家の家族とはいえないなぁ、という身分で、姓を賜って臣下に下る場合の他は特に姓がなく「○○王」と名乗っていますので、それを『王氏〔おうし〕』と言います。
※ 物語文などでは稀に天皇を指して『王』が用いられていることもありますが、通常は物語文などでも、地方での権力者(この場合、皇族に限りません)など、天皇より下の立場の人に用います。
次の天皇となる予定の皇子を言い、中国の呼称によるものです。
現天皇の弟である場合は、『皇太弟』と言います。
皇太子・皇太弟の立場は生まれによるものではなく、「立太子の詔〔みことのり〕」が下されて後、認められます。
ただし、必ず帝位に就くとは限らず、寿命で亡くなる場合の他、その時々の事情によって皇太子・皇太弟を下ろされることもあります。
従って帝位に就いたことのない「前の皇太子」なんて人も存在することがあります。
天皇の位を「天日嗣〔あまつひつぎ〕」「天津日高〔あまつひたか〕」と称したことによるもので、その位に就く皇子=皇太子、の意です。
※ 『日の御子〔ひのみこ〕』は「皇子」にも用います。
これも、天皇の位を「天津日高〔あまつひたか〕」と称したことによるもので、【虚空】は【天】に次ぐもの、つまり皇太子のことです。
※ ただしこれについては『官職要解』では「皇太子の御称だと本居宣長翁はいっている」との表現で説明されています。わたしは、皇太子自身を指すのではなく、皇太子の位を指すものではないかな、と思っています。
皇太子を言い、中国の呼称によるものです。
※ 南北朝の頃からは、皇太子に准ずる立場である「最上位の親王」を指すようになります。
また、さらに時代が下ると、まず儲君の宣下があり、その後に立太子、という運びになるようです。
中国の呼称によるもので、次に述べる「東宮」「春宮」と同様、皇太子を指します。
季節を色で表現することがありますが、青は春を表現する色とされています。
「東宮」は皇太子の御所、「春宮」は皇太子付きの役所である「春宮坊」を指すものですが、皇太子自身を指してもそのまま用います。
【東】や【春】は「これから」の人であるという若さを象徴するものです。
これも「春宮坊」に由来するもので、「立太子」を「立坊」、「前の皇太子」を「前坊/先坊」などと言うこともあります。
※ 皇族の女性を指す呼称は、大方の身分を表すものと考えた方がいいようで、その時期の立場を確実に表しているとは限りません。
「天皇の正妻」は概ね2〜3名ですが、他にも「天皇の妻」があります。
特に立場の定められていない妻もありますが、多くは皇后を含め、後宮の職として令に規定されており、宣旨が下されて後にはじめて「妻」と認められることになっています。
「妻」から「正妻」となるときにも「立后の宣旨」が下されます。(※「後宮」参照)
太皇太后・皇太后・皇后(中宮)の総称です。
たいていの場合は令に規定されている通りに「天皇の正妻」を指しますが、例外的に「皇女」である場合もあります。
たいていの場合は「天皇の母」を指しますが、「天皇の正妻」である場合もあります(後述)。
「天皇の祖母」または単に「旧帝の正妻」です。
「天皇の最上位の正妻」を指しますが、単に「天皇の正妻」である場合もあります。
※ 古くは「天皇の最上位の正妻」は『おほきさき〔おおきさき〕(皇后)』と言い、『きさき(后)』と言った場合には単に「天皇の妻」を指していましたが、のちには『きさき(后)』と言うと「天皇の(最上位の)正妻」を指すようになります。
「天皇の最上位の正妻」を指す、古い時期の言葉です。
「中宮」とは、もとは禁中全体を指した呼称で、それがいつのまにか常にそこにいる「天皇の祖母・母・妻」を指すようになり、さらに時代が下ってから「天皇の最上位の正妻」のみを指すようになりました。
ただし、一概に、『中宮』=「天皇の最上位の正妻」とか、『皇太后』=「天皇の母」、などとは言えません。
2名だった「天皇の正妻」が3名となったときに、格下の『皇后』を『中宮』へ、『中宮』を『皇太后』へと格上げした例がありますし、天皇没後(つまり先の天皇の未亡人になって)も『中宮』のままだった人の例もあります。
なんとなくその時期の力関係とか雰囲気で決まるんでしょうね(?)。
中宮を指します。「きさい」=「きさき」。
皇居を指す言葉ですが、皇太后・太皇太后を指しても言います。
というか、『中宮』を単に『宮』と言うのに対するものなのですけれども。
「天皇の母」を指します。
皇后宮を指す言葉ですが、そのまま「天皇の正妻」を指しても言います。
これも皇后宮を指す言葉ですが、そのまま「天皇の正妻」を指しても言います。
漢の代に、皇后宮の壁に山椒を塗り、その温気を以て悪気を避けた、という故事に由来します。
これは読みも身分も「きさき」(=天皇の正妻)ではありません。
が、出世して(?)「后〔きさき〕」に立てられる可能性は持っています。
令に定められた、皇族出身の「天皇の妻」です(大宝令(養老令?)の場合2名まで)。
※ 他に、令に定められた「天皇の妻」として、古くは「夫人〔ぶにん〕」「嬪〔ひん〕」、その他「女御」「更衣」等々がありますが、これらは出身が臣下で、「天皇の妻」となった後も皇族の身分にはなりません。(天皇の妻たる仕事を務める職です。)
しかしながら、これらの人も「后〔きさき〕」に立てられる可能性は持っています。
院(=上皇)に准ずる待遇の女性の尊称で、時代によって若干違うようですが、出家した皇太后・太皇太后、または、出家に関わらず天皇の母・三宮・内親王などを指します。
住まいに縁のある地名や門などの名を付けて「東三条(女)院」「上東門院」などと称します。
門名が付いているのを『門院』と言います。
天皇の娘。
天皇の娘、または内親王宣下のない皇族女子。
※ 「王女」については、99.04.13現在、「実際の用例がない」旨のご指摘をメールでいただいています。詳細は、後日またメールをくださるとのことですが、確かにわたしも、前後に何らかの言葉が付かない「王女」単独の用法は知りません。ご指摘ありがとうございます。
嫡出の皇女、または皇孫女子(=天皇の嫡男の嫡出の娘)のうち、「内親王宣下」のあった人。
皇女として生まれていても、内親王宣下がないうちは「内親王」ではありません。
【おくりな】=「死後に贈る名」の意で、『諡号〔しごう〕』『追号〔ついごう〕』とも言い、『いみな』と言うこともあります。
「諡号」は生前の徳や功績を讃える号、「追号」は在所その他にちなんだ号、という別があるようですが、この両者を併せて汎称的にも「諡号」または「追号」と言うようです。桓武天皇までは「諡号」ですが、それ以降は、一部の例外を除き原則的に「追号」のようです。
現代では「おくりな」=「諡号」という語を用いるのが通用的だと思いますので、このページではこれ以降、特に断らない限り「諡号」は「おくりな」という意味で汎称的に用います。
諡号は、(わたしの知る限り少なくとも江戸期まで、)天皇に限らず、太政大臣のような貴人(出家していた場合を除く)、学者、高僧などに贈られることもありました。
6世紀半ばの安閑天皇の辺り〜平安初期までは、天皇の諡号は、和風のもの(国風諡号(和風諡号))が贈られていたようですが、聖武天皇(在位722〜749年)以降は、漢風諡号といって、漢字2字のものになるようです。
聖武天皇以前の天皇の漢風諡号は、淡海三船〔おうみのみふね〕(722年生〜785年没)が追諡〔ついし〕したものといわれています。
ただし、弘文天皇(=壬申の乱で天武天皇こと大海人皇子に破れて亡くなった大友皇子)の諡号「弘文」は、明治政府が追諡したもので、また、廃帝(強制的に退位させられ、歴代のうちに数えられていなかった天皇)の諡号「淳仁」「仲恭」も、明治政府が追諡したものです。
以下、少し詳しくなってしまいますけど....。
漢風諡号を用いることが決められたのは、文武天皇(在位697〜707年)の代の大宝令(702年施行)からと考えられていますが、実際に大宝令以後、聖武天皇までの3代(=文武・元明・元正天皇)の漢風諡号については、天平勝宝3年(751年)成立の「懐風藻〔かいふうそう〕(現存最古の漢詩集)」でようやく「文武天皇」という表記が確認できる(らしい)だけですから、やはり聖武天皇以後、実施されるようになったと考えてよいかと思います。
また、聖武天皇以降、崩御に伴って直ちに国風諡号(和風諡号)も贈られたとはっきり確認できるのは聖武・光仁・桓武・平城・淳和天皇だけです(遅れて追諡された国風諡号(和風諡号)についてはよく知りませんが、たとえば「続日本紀」に称徳天皇(770年没)を倭根子〔やまとねこ〕天皇と呼んでいる例があります。ただ、倭根子は、歴代天皇の国風諡号(和風諡号)によく使われる言葉で、倭根子天皇という呼び方は、次の光仁天皇にも使われていますので、先の天皇に対する美称的表現かとも思われます。ちなみにこの称徳天皇は高野天皇〔たかののすめらみこと〕とも呼ばれており、これは陵墓(高野山陵)にちなんだ追号と思います)。
【いみな】=「忌み名」の意で、本来は、死者の「生前の本名」を指して言いましたが、時代が下ると(室町期くらいかな)、「貴人の本名」を指して、存命中から「いみな」と言うようになります。
なお、上述の「おくりな」の意味で「いみな」の語が用いられている場合もありますので、混同しないよう注意してください。
たとえば、天武天皇の場合には「大海人〔おおあま〕」、淳和天皇の場合には「大伴〔おおとも〕」、というのが諱〔いみな〕です。そして、「天武」「淳和」が諡〔おくりな〕ですが、これを「いみな」と言っていることもあります。
さて、(少なくとも)平安前期までは、天皇の諱〔いみな〕に重なる名を避けるために氏族名を改める、といったこともありました。たとえば、大伴氏は淳和天皇が生まれる前から「大伴」氏でしたが、淳和天皇の諱を避けて「伴」氏に改められます。
(※『古代(氏姓制度・部民制)』の「古代(大化改新以前)の氏と姓」という項に書いていますが、天智天皇以降、「姓〔せい〕」の変更は天皇固有の権限となります。この権限がいつまで続いたかは調べてないですが....。 )
天皇の公式な言葉・命令、また、それを書いた文章。
公式に皇太子を立てる旨の言葉です。
天皇の公式な意志を示す言葉・命令、または、それを書いた文章。
※ 『詔』『勅』は、対外的な大事には『詔』、小事には『勅』と使い分けます。
天皇の「み言葉」を記した公文書。
天皇の意向を記した公文書。
詔書と勅書の総称。
国の重大事に関する天皇の公式な言葉、または、それを書いた文章。
天皇が臣民を諭すために下す公式な言葉、または、それを書いた文章。
天皇の非公式な言葉、または、その文書、文章。
『宣旨』を下すこと、を言います。
皇子女、皇孫、また、皇兄弟姉妹などに「(内)親王」と称すことを許す宣旨を下すことを言い、奈良時代末頃から行われます。
皇子女として生まれていても、これらの宣下がないうちは「(内)親王」ではありません。
上皇(法皇)の命令として「院司」が出す公文書。
皇太子・三宮・女院・親王・王の命令文書。
天皇に「申し上げる」こと。
天皇に「意見を申し上げる」こと。
天皇に「意見・報告などを申し上げる」こと。
天皇に「可否を言上する」こと。天皇を補佐して「善を勧め悪を捨てていただく」こと。
天皇・諸侯・将軍などに、所定の手続きを経ず、「直に、報告・訴えする」こと。