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兼任規定によって、近衛大将が総裁の『御監』として四部官(四等官・四分官)の上に置かれていますが、役所自体は他の配下にない独立の大寮です。左右に分かれており(左馬〔さま〕寮・右馬〔うま〕寮)、両者で御所や諸国の牧場の馬、及び馬具に関することを担当します。和名で『うまのつかさ』とも言い、『馬司』と書いている場合もあります。
もともと左右に分かれていたのを、桓武天皇の頃に一度『主馬〔しゅめ/しゅま〕寮』として合併して、平城天皇の代に「兵馬〔ひょうめ〕司」を吸収しますが、のちにまた、左右の『馬寮』へと戻されました。
御所の御厩〔みうまや〕の馬はこの馬寮が扱っているため「寮の馬」と呼び、「使〔つかい〕」の役人はこの馬に乗って出かけます。
御監(各1名) ↓ 頭(各1名)→ 助(各1名)→ 大允(各1名、のちには各30名)→ 大属(各1名)→ 馬医師→ 馬部→ 使部 権助(各1名) 少允(各1名、のちには各30名) 少属(各1名) 騎士
別称『馬のつかさ』で、厩馬に関することを総裁する、近衛大将の兼任職です。定員は左右1名ずつ。
※ [うまのつかさ]は馬寮自体を指しても言うので、混同しないよう注意が必要です。
従五位上
正六位下
正七位下
従七位上
従八位上
従八位下
御厩の馬の調教飼育、馬具、飼い葉の配給、飼部(=牧人)の名簿、及び、諸国の牧場に関することを担当する職です。定員は左右1名ずつ。
馬寮のジョウは大允も少允もはじめは左右各1名ずつ、のちに左右各30名ずつとなります。
もとは七位相当の職ですが、時代が下ると六位の侍(滝口・武者所・帯刀など)が、原則的には任官順に、任じられることになります。ときには五位の侍が任じられることもあり、この場合、その人を「馬大夫」と呼びます。
一応、馬専門の獣医師に当たる職ですが、任じられた人に必ずしも獣医師としての経験が伴っているとは限りません。諸社の祭に神馬を献上した場合、同行します。
馬の世話をする職ですが、他に、禁中の警官としての役割も勤めていたようです。
牧場を「牧〔まき〕」と言います。
時代によって違うと思いますが、養老令の時期には、武蔵・上野・甲斐・信濃の4国に計32ヶ所の牧があり、ここで牛馬を育てています。
また、延喜式の制では、武蔵には『牧別当〔まきべっとう〕』、他の3国には『牧監〔ぼくげん〕』を置いて支配させ、牧ごとには『長』『帳』を各1名、牛馬100匹を「群」として、群ごとに『牧子〔ぼくし〕』2名ずつを置いています。
上野・甲斐の「牧監」には職田6町が与えられます。(※「俸給」参照)
昔の日本の馬は、サラブレッドのような背の高いスマートな肢体ではなく、宮崎の都井岬の馬や北海道の道産子のような、小さい体に頑丈(?)な太い足といった姿だったそうです。戦国時代、山内一豊の「名馬」もそのような馬です。しかし、このように足が短かったからこそ、義経(や信長?)がやったように道なき山の急坂を駈け下ることもできたようです。