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官職:所:

(最終更新日:98.10.02

 − 目次 −




 

〔ところ/しょ〕


『〜所』というのは、現代人には「役所」と言うよりも「仕事場」といったほうがイメージしやすい、専門性の高い職場です。いずれも兼任職となっており、のちに勢力を伸ばしていく「蔵人所」を除いては、特別な技術・技能を必要とされます。

天皇の身の周りに関わる家政機関としての性格が強いものも少なくなく、そうした「所」のほとんどは「蔵人所」が統括しています。また、そうした被官関係とは別に、それぞれ関係の深い役所があります。

官位相当の定めは特になく、また、他の役所のようにはっきりと四部官(四等官・四分官)に分けられてもいません。

※ なお、内裏内にある「賢所〔かしこどころ〕」=「内侍所〔ないしどころ〕」というのは、天照大神の霊代〔たましろ〕「八咫〔やた〕の鏡」を祀っている神の室で、役所名ではありません。
また、大内裏内にある「朝所〔あいたんどころ〕」というのも太政官が政務を執る場所のことで、役所名ではありません。(本来は「朝食所」「朝膳所」で、食事を取る場所ですが、「記録所」が置かれていたり、内裏が焼けてしまったときや方違えのときの仮の御所とされたりします。)


 

○ 『内豎所』〔ないじゅどころ〕


「蔵人所」の配下にあって、「内豎」の管理統括を担当します。

「内豎〔ないじゅ〕」=「ちひさわらは〔ちいさわらわ〕」=小童で、殿上の駈使を担当しています。

前身は『豎子所〔じゅしどころ〕』と言います。
「豎子」が、後の「内豎」のことで、この「内豎」への名称変更があったときに、役所も『内豎所』と改称され、その後さらに『内豎省』と改称されました。『内豎局』としてあることもあります。

8世紀後半に「内豎」が廃止されるとき、『内豎省』も一緒に廃止されますが、その後まもなく「内豎」の復活→廃止→再復活があり、これ以降『内豎所』として定着していきます。
平城天皇の代に一時『大舎人寮』へ併合されますが、嵯峨天皇の代にまた分けられます。

官舎は内裏を南に出て東の方、大内裏内にあり、また、大舎人寮の南にも厨がありますが、他に内裏内東南の春興殿〔しゅんきょうでん/しゅんこうでん〕にも詰め所(=「内候所〔うちのこうしょ〕」)が置かれています。

長官は「別当」で、大臣納言の兼任職です。他に「頭」6名があり、その下に「預〔あずかり〕」「執事」(古くは「官人代」と言いました)6名などがあって、「内豎」は定員120名→200名→300名と変遷します。


 

○ 『画所/絵所』〔えどころ〕


一時期は式乾門内東にあり、その後、建春門内東に移動したようです。「蔵人所」の配下にあります。宮殿の絵画・調度の模様・装飾・衣服の模様を担当します。

前身は画工司で、9世紀のはじめ内匠寮に併合されますが、9世紀後半、この部門のみが独立します。

長官は「別当」で、「五位蔵人」の兼任職です。下に「預〔あずかり〕」「墨書〔すみがき〕」「内豎〔ないじゅ〕」「画工〔えたくみ/がこう〕」があります。
「墨書」は「画工」を試験し、宣旨によって蔵人が任じます。さらにその「墨書」の中から、秀でた人を「預」とし、宣旨によって蔵人が任じます。


 

○ 『作物所』〔つくもどころ〕


「蔵人所」の配下で、内裏内にあります。内裏の、主に天皇・皇后・東宮などが用いる調度等の作製、仏具や神宝、及び、銭貨改鋳の際の文字彫刻(文字自体を書くのは別の役所の書に長けた人で、こちらはその文字を用いた型を作る職人さん)などを担当します。木製のもののみならず、金属製のものも加工・製作しています。

長官は「別当」で、「近衛少将」などの兼任職です(結局、「蔵人頭」である人が兼ねている例が多いようです)。他に「頭」もあり、下に「預〔あずかり〕「史生〔ししょう〕「小舎人〔こどねり〕」や、「細工〔さいく〕」などの雑工、があります。ここの雑工はその仕事柄、特に腕の良い職人さんが勤めていたようです。


 

○ 『御厨子所』〔みずしどころ〕


内裏内の後涼殿〔こうりょうでん/こうろうでん〕にあり、元は内膳司の配下でしたが、のち、「蔵人所」の配下となります。
天皇の朝夕の食事、及び、日常用いる土器を管理し、節会の酒肴を担当し、また、「進物所」と共に、諸国から貢がれた「御贄」を保管・管理します。

長官は「別当」で、四位以上の殿上人、または「内蔵頭」の兼任職です。下に「預〔あずかり〕」があり、これは民部大輔の兼任職で、のちには武内宿禰〔たけしうちのすくね〕系高橋氏の世職となります。(※内膳司の「奉膳」を世職とするのも高橋氏ですが、そちらは、磐鹿六雁命〔いわかむつかりのみこと〕系高橋氏で、こちらの高橋氏とは祖先の異なる別の家です)。

また、時代が下ると「小預〔こあずかり〕」という職も置かれ、これは大隅氏の世職となります。

預の下に「所衆〔ところ(の)しゅう〕」「膳部〔かしわでべ〕」6名、「女孺」4名などがあり、「膳部」の下に「滝口〔たきぐち〕」があります。
(※武士の「滝口」と単語は同じですが、この滝口は漁師職で、全く別のものです。「鵜飼〔うかい〕・江人〔えびと〕・網代〔あじろ〕」などの種類があり、それぞれに長〔おさ〕もあったようです。)


 

○ 『進物所』〔しんもつどころ/たまいどころ〕


内裏内にあり、元は内膳司の配下でしたが、のち、「蔵人所」の配下となります。
内膳司で作られた天皇の食事の暖め直しや簡単な料理を担当し、臨時の際に用いる銀器を管理し、また、「御厨子所」と共に、諸国から貢がれた「御贄」を保管・管理します。

長官は「別当」で、公卿(つまり、三位以上の人)、または近衛中少将の兼任職です。他に「頭」もあり、その下に「預〔あずかり〕」「執事」「膳部」などがあります。「預」は内膳司の「奉膳」の兼任職です(内膳司の「奉膳」は磐鹿六雁命〔いわかむつかりのみこと〕系高橋氏の世職です)。
他に女官もあって、その長官も「別当」と呼んだようです。

時代が下ると、院や摂関家にも置かれるようになります。


 

○ 『内御書所』〔うちのごしょどころ〕


唐名にあてて『秘書閣』『芸閣〔うんかく〕』とも言います。

「蔵人所」の配下で、内裏内の承香殿〔じょうきょうでん/しょうきょうでん〕東にあります。内裏の書籍に関することを担当します。また、詩作や歌詠み「学生〔がくしょう〕」の試験をこちらで行うこともあります。(ここで行う、と決められているものかはわかりません。)

長官は「別当」2名で、下に「覆勘〔ふっかん〕」「開闔〔かいこう〕」があり(※後述「開闔・寄人」参照)、その他「文章得業生〔もんじょうとくぎょうしょう〕」「文章生〔もんじょうしょう〕」「学生」なども出仕したようです。(※「文章得業生」などについては「大学寮」参照。)


 

○ 『御書所』〔ごしょどころ〕


「蔵人所」の配下で、式乾門の東にあります。内裏の書籍や文書の書写(=コピー)に関することを担当し、また、「一本御書所」と分担して仁王会の呪願文を清書します。ただ、11世紀以降は廃れていったようです。「内御書所」に対して「外御書所」と言うこともあったようです。

長官は「別当」で、下に「預〔あずかり〕」があります。「預」は特に字が上手な人が務めており「時簡〔ときのふだ〕」を書くのを担当する例となっています(ちなみにこの職は紀貫之が勤めたりしています)。その下に「覆勘〔ふっかん〕」「開闔〔かいこう〕」「寄人〔よりひと/よりゅうど〕」(※後述「開闔・寄人」参照)「書手〔しょしゅ〕」などがあります。


 

○ 『一本御書所』〔いっぽんごしょどころ〕


「蔵人所」の配下で、内裏を南に出て東の方、大内裏内の侍従所(侍従の詰め所)の南にあります。「一本(一本書)」とは、いまで言う稀覯本のことで、内御書所などの蔵書写本(=コピー)を担当し、また、「御書所」と分担して仁王会の呪願文を清書します。

長官は「別当」で、公卿(つまり、三位以上の人)の兼任職です。下に「預〔あずかり〕」「書手〔しょしゅ〕」などがあります。


 

○ 『糸所』〔いとどころ〕


『縫殿〔ぬいどの〕寮』の別所ですが、「蔵人所」の配下で、官舎は内裏を北に出て西の方、大内裏内にあります。裁縫を担当します。

長官は「別当」で、「女房」の兼任職です。


 

○ 『大歌所』〔おおうたどころ〕


「蔵人所」の配下で、大内裏内にあります。五節舞〔ごせちのまい〕・神楽〔かぐら〕(=神祇を祭る舞楽)・催馬楽〔さいばら〕(=唱歌で神楽の一種)・風俗〔ふぞく〕(=諸国の古謡)などの「大歌〔おおうた〕」(「小歌〔こうた〕」に対するもので、節会などの儀式の際に必ず演奏されます)を担当し、また、その教習に当たります。

鎌倉時代以降の「大歌所」の変遷は史料に現れず未詳のため、平安期で廃絶したという説があるようです。ともあれ、それから約550年後の18世紀半ば(江戸時代)に「大歌所」は再興され、明治維新後、宮内省の楽部に併合されます。ただし、その大歌(つまり現代に伝わる大歌)がどこまで古代の面影を伝えているかは疑わしいとされています。ちょっと残念ですね。

長官は「別当」で、古くは親王を任じることもあり、十世紀以降には、納言以上の兼任職と定められますが、非参議六位などが兼任していることもあります。

下に「十生〔としょう〕」「案主〔あんじゅ〕」「預〔あずかり〕」「琴師〔ことのし〕」「和琴師〔わごんのし〕」「笛師〔ふえのし〕」「歌師〔うたのし〕」などがあります。


 

○ 『楽所』〔がくしょ/がくそ〕


当初は臨時に置かれる楽人の詰め所のようなもので、特に決まった場所にはありませんでしたが、のちに内裏の北、桂芳坊内にあって、「蔵人所」の配下に置かれるようになります。「雅楽寮」と連携して音楽・歌舞に関することを担当します。

長官は「別当」で、雅楽・音律に通じている公卿(=三位以上の人)の兼任職です。「蔵人頭」である例が多かったようですが、中世〜江戸時代は四辻家の世職となります。
また、六位蔵人の勤める「六位別当」という職もあったようです。

下に「預〔あずかり〕」があり「五、六位の蔵人」が兼任しますが、これを指して特に「楽所の預」と言います。(まぁ他の「所」の「預」のことも「〜所の預」と言ったでしょうけど(^^;)

その下に「楽人〔がくにん〕」があり、これは「六衛府〔ろくえふ〕(特に近衛府)の「府生〔ふしょう〕」の兼任職です。これも五位〜六位の人が多いです。
他に、「楽師」「楽生」があります。

この「楽所」は内裏のものですが、別に、南都興福寺を中心とする「楽所」、四天王寺を中心とする「楽所」もあり、これらを総称して『三方楽所』と言います。


 

○ 『和歌所』〔わかどころ〕


『撰和歌所』の略です。特にどの役所の配下ということはなく、勅撰和歌集の撰集が行われる際の臨時の役所なので、官舎の定めも特になく、その度、内裏や上皇御所、諸氏の館などに置かれます。撰者が一人である場合も多いので、その場合はその人が個人的にその私邸に置きます。

勅撰和歌集編纂を担当し、また、夜遅くまで人が集まって歌詠み・連歌などする娯楽集会所としての機能も持っています。

長官は「別当」1名で、和歌の編纂の監督、非違の検察、公事の上奏を担当し、文才に長じた摂家・大臣などが任じられます(ただ、不勉強でよくわからないのですが、もしかしたら実際に「別当」が置かれたのは、「後撰和歌集」のときだけだったかもしれません)。

下に事務長として「開闔〔かいこう〕」が1名、これが実質的な責任者だったようで、他に「寄人〔よりひと/よりゅうど〕」などがあります。
たとえば、「新古今和歌集」のとき、藤原定家が「寄人」を勤めています。「寄人」の定員は時に応じて4名、6名、14名などと変わります。また、「新後撰和歌集」以降は「連署」と言います。(※後述「開闔・寄人」参照)


 

○ 『記録所』〔きろくしょ〕


特にどの役所の配下ということはなく、必要に応じて臨時に置かれた役所で、『記録荘園券契所』『記録荘園所』『荘園記録所』などとも言われ、荘園の濫置(宣旨も官符もなく公田を掠めて荘園と名乗る例)の防止・弊害(濫置によって受領の仕事が困難になるなど)の矯正のため、「券契〔けんけい〕」(=所有の荘園に関する文書)の審査・記録、及び、所有権訴訟などの裁判を担当します。

初めて置かれたのは後三条天皇の代ですが、このときは「券契〔けんけい〕」を提出させ審査しただけのもので、所有権訴訟などの裁判は行わなかったようです。鳥羽天皇の代に置かたものは裁判も行ったようですが、すぐに廃絶します。また、後白河天皇の代にも藤原通憲(信西入道)の進言で置かれますが平治の乱で廃絶します。
さらに、源平争乱後、平氏の没官領が多数生じて、武士間の争乱が耐えなかったため、頼朝の院奏により後白河法皇が再置しますが、これは臨時のものではなく、鎌倉時代を通じて、「券契」に関することの他、土地に関する下級民事裁判所として機能します。

官舎は太政官の「朝所〔あいたんどころ〕」に置かれましたが、もともと臨時に置かれるものなので、特にその場所と定められていたものでもありません。

長官は「上卿〔しょうけい〕」で、納言以上の兼任職です。
下に「弁」3名がありますが、これは「執権」「勾当〔こうとう〕」とも言い、弁官局の「七弁」の兼任職です。その下に「開闔〔かいこう〕」や「寄人〔よりひと/よりゅうど〕」12名などがあります。(※次項「開闔・寄人」参照)


 

● 『寄人』〔よりひと/よりゅうど〕『開闔』〔かいこう〕という役


『寄人〔よりひと/よりゅうど〕』や『開闔〔かいこう〕』は「内御書所」「御書所」「和歌所」「記録所」にあります。

「和歌所」の『寄人』については『四人〔よりゅうど〕』『召人〔めしうど〕』『連署』などとも言ったようですが、他の「所」の『寄人』もそう言うことがあったかは不明です。

『開闔』の【闔】=門扉・閉じる・(蔵に)しまう・統べまとめる・結ぶ・禁止する・合う・呼吸する・残らず全て、などの意があり、熟語では「闔闢〔こうへき〕」=開閉、「闔廬〔こうろ〕」=家屋、「闔邑」=村全体、「闔境」=国境内全体、などと使います。

「内御書所」「御書所」「和歌所」の『寄人』は、詩歌など文章の撰定を担当し、『開闔』は、書物の出納その他の雑事を担当します。

「記録所」の『寄人』『開闔』については、『官職要解』によると、『職原抄通考』に「寄人は古法を明らめている人を選んだ」とあり、「開闔は、善を開き悪を闔〔と〕じる義で、理非を判断し」たものと解いてあるそうです。(孫引きですみませんm(_ _)m)

ただ、わたしはこの『職原抄通考』にあるという解説について、『寄人』のことはなるほど、その道に明るい人だろうな、と思っていますが、「記録所」の『開闔』については、いまのところ、ちょっと疑問に思っています。
「記録所」の『開闔』は、四位〜正五位下相当のの下で働くのですから、おそらくは五位以下相当の中級役職と思われ、もしそうであるならば、理非の判断は特にすることなく、他の「所」の『開闔』同様、単に書物の出納その他の雑事を担当したんじゃないかな、と思うのです。

「和歌所」の『開闔』は、先ほど、書物の出納その他の雑事を担当する、と書きましたが、事務長として責任のある立場だったようですし、ちょっとこの『開闔』は、イメージするのが難しい職(名)のひとつです。現時点では、わたしはよくわかっていません。





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