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官職:太政官:

太政大臣・左右大臣・内大臣・准大臣

(最終更新日:00.03.18

 − 目次 −




 

大臣


『太政官〔だいじょうかん〕のうちでも、最も上位にある「三大臣」(「太政大臣」と「左右大臣」)、及び「内大臣」を総称して言います。位階は正一位〜従二位に相当します。

通常、俸給は位階に対してのみ下されるもので、職に対する俸給は原則的にないのですが、大臣職にある人へは特別に、職に対する俸給も支給されます。(※これについての説明は「予備知識」にある「俸給」「上級官吏に与えられる俸給」という項を参照ください。)

 

三大臣


「大臣」のうち、「内大臣」を除く「太政大臣」「左大臣」「右大臣」の総称です。

 

○ 『太政大臣〔だいじょうだいじん/おほいまつりのおほいぶちきみ〕


全官職中、最高の職で、正一位ないしは従一位に相当します。職掌は特にありませんが、最も重く扱われます。
摂政・関白が臣下の役として定着する以前は、この太政大臣がそれと同様の役割を担っています。
(※なお、「摂政・関白」というのは、通常は、その時点で最も高位にある大臣が兼任する役です。
  「延喜式に至るまで(廃置分合の期間:摂政・関白・その他令外の官職)」参照。)

『養老令』の規定に「天皇の師範としてあり、世界に善法を知らしめる存在(=天下の手本)であり、国事を経緯し(=政治を行い)道を論じ、陰陽を和らげ治める(=陰陽のこともよく司る)ものである。そのような有徳の人がない場合は、「則〔すなわ〕」ち「闕〔か〕」くこと(=そのまま闕官とする。この官職自体を設置しないということで、結果的には同じことですが欠員にするのとは意味が異なります)。」とあることから『則闕〔そっけつ〕の官』とも言われます。

671年、天智天皇が初めて太政大臣という職を置いたときに子息の大友皇子を任じて以来、ずっと皇太子の職でしたが(※藤原不比等が太政大臣職を贈られたのは没後のことです。また、恵美押勝、弓削道鏡が就いた例もありますが、これはちょっと、当時の「普通」からかけ離れた特例。)、平安朝になってから、良房以降の藤原氏が続けて任じられるようになり、さらに少し時代が下ってからは、他家の人も任じられるようになります。定員1名。

太政大臣を勤めた人は没時の待遇も厚く、「忠仁〔ちゅうじん〕公」藤原良房、といった諡号を下されます。(※ ただし、生前に出家していた場合には諡号は下されません。)

 

・ 太政大臣の別称


 『相国〔しょうこく〕・大相国』

秦・前漢の宰相の職名(相国=丞相)に依るものです。
唐代の丞相は秦・前漢の丞相と違ってあまり実権を持っていなかったようですが。)

※左右大臣を指す「相府」、参議を指す「相公」と混同しないよう注意が必要です。


 

○ 『左大臣〔さだいじん/ひだりのおほいまちきみ〕


正二位ないしは従二位に相当し、職掌は、政務を統治し、綱目を掲げ持ち、庶事を惣判すること、つまり、太政官の政務を実質的に総裁します。(太政大臣は特に職掌が無く、また則闕の官→いない場合があった、ので。)
また、弾正が糺すことのできないような事件・事柄があった場合、これを弾劾することができます。定員1名。

 

・ 左大臣の別称


 『一の上〔いちのかみ〕

官中のことをすべて統領したことから来たもの。

※ 天皇を指す『一人〔いちにん〕』、摂政・関白を指す『一の人〔いちのひと〕』と混同しないよう注意が必要です。


 

○ 『右大臣〔うだいじん/みぎりのおほいまちきみ〕


左大臣と同じく正二位ないしは従二位に相当し、職掌も左大臣と同じです。左大臣が欠員の場合や、何らかの事情で出仕しない場合、または、左大臣が関白を務めている場合などに、代わって太政官の政務を総裁します。定員1名。


 

三大臣の総称


太政大臣・左右大臣の三大臣を以下のように総称することがあります。


 『三公〔さんこう〕

中国での政治を総轄する3職の総称に依ります(随・唐では「大師〔たいし〕」「大傅〔たいふ〕」「大保〔たいほ〕」を「三公」とします)。
※ 太政大臣が置かれる前は、内臣・左右大臣を「三公」と言っています。

 『星の位〔ほしのくらい〕

中国で「三公は天の三台星(中国の天文では、天帝を中心としてその周囲に三台星がある)をかたどるもの」としているのに依るものです。

 『三槐〔さんかい〕』『槐門〔かいもん〕

中国の称号で、「槐〔えんじゅ〕を植えて、その下を三公の座席と定めた」という故事から来ているものです。
※ 太政大臣が置かれる前は、内臣・左右大臣を「三槐」と言っています。


 

○ 内大臣


令には規定されていない職ですが、左右大臣と同じく正二位ないしは従二位に相当し、職掌も左右大臣と同じです。左右大臣が欠員の場合や、何らかの事情で出仕しない場合などに、代わって太政官の政務を総裁します。定員1名。

大宝令以前(7世紀半ば〜8世紀)は「内臣」といって左右大臣よりも上の位で、中臣鎌足が最初にこの職に就きましたが、大宝令では置かれませんでした。8世紀末の光仁天皇の代になって「内臣」を復活、藤原良継・魚名を任じたのち、「内大臣」と改名して、左右大臣よりも下の位としました。10世紀末に藤原道隆が就任して以降より常設の職となります。

 

・ 内大臣の別称


 『数の外〔ほか〕の大臣』

大宝令選定ののちに置かれた「員外大臣」、の意です。

 『かげなびく星』

由来不明。「員外だけれども、三公に転任するはずの職」の意、という説があるようです。


 

大臣共通の別称


 『おほいまうちぎみ〔おおいもうちぎみ〕』『おほいまちきみ〔おおいまちきみ〕』『おほいぶちきみ〔おおいぶちきみ〕

『おほきまへつぎみ〔おおきまえつぎみ〕』の訛ったものです。
【おほき】(=大)+【まへつぎみ】(=天皇の御前の公。または、「政(まつりごと)」を略して呼んだものだろう、という説もあります。)。
太政大臣の場合はこの前に【おほき】(=太)などを付けて「おほきおほいまうちぎみ」「おほいまつりのおほいぶちきみ」、左大臣ならば「左のおほいまうちぎみ」、右大臣ならば「右〔みぎり〕のおほいまちきみ」、などとなります。

 『おほい殿〔おおいどの〕

『おほき殿〔おおきとの〕』(=大殿)の訛ったものです。
太政大臣の場合は「太政のおほい殿」、右大臣ならば「右のおほい殿」となります。

※ 「前の摂政・関白」を指す「大殿〔おおとの〕」と混同しないよう注意。

 『大臣〔おとど〕

これも大殿が訛ったものと言われます。
内大臣ならば「内〔うち〕のおとど」となります。
物語などで「左/右/内」の「大臣」と書かれている場合は、たいてい[おとど]と読んで間違いないようです。

 『相府〔しょうふ〕

中国の秦・前漢代に置かれた宰相=丞相府〔じょうしょうふ〕になぞらえた略称名です。
左右大臣をそれぞれ、『左相府〔さしょうふ〕』・『右相府〔うしょうふ〕』などと言い、略して『左府〔さふ〕』・『右府〔うふ〕』、また内大臣を『内府』などとも言います(内相府とは言わないようです)。ただし太政大臣の場合は『相国』と言います(上述)。

※参議を指す「相公」と混同しないよう注意が必要です。

 『蓮府〔れんぷ〕

晋の大臣、王倹〔おうけん〕が家に植えた蓮を愛でた、という中国の故事に依るものだそうです。


 

○ 准大臣


大臣の空席がなく、昇進すべき筈の人を就任させられないような場合、慰めの意味で「准大臣の詔〔みことのり〕」を出して出仕させたものなので、特に職掌や定員はありません。(ちょっと不明m(_ _)m)。


 『儀同三司〔ぎどうさんし〕

本来、中国の位階の「一位(一品)」のことですが、藤原伊周が准大臣のとき、「大臣(三公)も同然」というつもりで職名をこう自称したそうです。




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