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宮内省の配下で、供御(=天皇の食事)の調理を担当します。和名は『うちのかしはで〔かしわで〕のつかさ』で、「内膳」は大膳職の「大膳」に対するものです。
いくつかの役所(進物所・御厨子所・贄殿)を内包しており、それぞれに別当以下の職があります。
また途中、同じ宮内省配下の『園池〔そのいけ〕司』を吸収しています。
右弁官局 → 宮内省 → 大膳職〔だいぜんしき〕 木工寮〔もくりょう〕 大炊寮〔おおいりょう〕 主殿寮〔とのもりょう〕 典薬寮〔てんやくりょう〕 掃部寮〔かもんりょう〕 正親司 内膳司 → 進物所 御厨子所 贄殿 造酒司 采女司 主水司
内膳司: 別当 ↓ 奉膳(1名)→ 典膳 → 膳部 → 令史→ 史生→ 使部 正(1名) 筑摩御厨長 江長(畿内5国に各々) 網曳長(畿内5国に各々) 進物所: 別当 → 預 女官 御厨子所: 別当 → 預 → 膳部 → 滝口(鵜飼・江人・網代) 小預 所衆 贄殿: 別当 → 蔵人 → 預
大中納言の兼任職です。
正六位上
正六位上
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従七位下
大初位上
どちらも内膳司のカミで、供御に関する一切(毒味も)を担当します。
もとは『正』はなく、高橋・安曇〔あずみ〕の2氏を『奉膳』として、この2名に管理を担当させましたが、その後、他氏からもカミを任じることになって『正』を置きました。
つまり「奉膳」は高橋・安曇の2氏に限られ(ただし、安曇氏は桓武天皇の頃に断絶しますので、最終的には高橋氏(のちの浜島氏)の世職となります)、その他の氏がカミを勤める際は「正」となります。
定員は(安曇氏が滅んだので)「奉膳」「正」各1名ずつです。
『膳部〔かしわでべ〕』以下と共に調理を担当します。
いずれも内膳司に属する建物です。
釜殿は「内膳屋〔ないぜんのや〕」とも言って、神代伝来という釜(「平野」「忌火〔いんび〕」「庭火〔にわび〕」)が据えてあり、里内裏へ移転する際などには必ず一緒にこれも移したようです。
主殿寮の釜殿(かなへ殿)の項も参照してみてください。
こちらも供御を担当する役所で、内裏の内にあります。
別当は、公卿(=三位以上の人)、または近衛中少将の兼任職で、その下の預は奉膳が兼任します。
他に女官もあり、その長があって、これも別当と呼んだようです。
天皇の朝夕の食事、及び、節会の酒肴を担当する役所で、内裏内の後涼殿にあります。
別当は、四位以上の殿上人、または内蔵頭の兼任職で、その下の預〔あずかり〕は民部大輔が兼任します(預は、のちには奉膳になるのとは別の高橋氏の世職となります。
ちなみに、奉膳になる高橋氏は磐鹿六雁命〔いわかむつかりのみこと〕の子孫を称す家、こちらの高橋氏は武内宿禰〔たけしうちのすくね〕の子孫です)。
また、時代が下ると小預〔こあずかり〕という職も置かれ、これは大隅氏の世職となります。
預の下に所衆〔ところしゅう〕、膳部〔かしわでべ〕があり、膳部の下に滝口〔たきぐち〕があります(武士の「滝口」と単語は同じですが、全く別のものです)。この滝口は漁師職で、鵜飼・江人・網代などの種類があり、それぞれに長もあったようです。
諸国の貢産物を納める役所です。別当、蔵人、預〔あずかり〕といった職がありますが詳細は不明。