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宮内省の配下で、「采女」の支配、名簿や進退記録の管理、及び、采女の月料養田に関する事務を担当します。
(采女は采女司に管理される立場で、采女司の職員は男子です。)
平城天皇の大同3年、前年に諸国の采女の貢上の制度を廃止したため、必要がなくなって、縫部〔ぬいべ〕司と共に、縫殿寮へ吸収合併されますが、嵯峨天皇の弘仁3年、翌年からの采女貢上制度再開の準備として、再び独立分置されることとなります。
采女司の管理下、後宮12司に勤める女官です。(水司に6名、膳司に60名。采女司へは勤めていません。)
当初は、中務省から出される令によって、国ごとに定められた員数ぶん容姿を基準に選び、地方より貢上させた、郡司・諸豪族出身の女官でした。
延喜式以降からは、次第に、在京諸氏から貢上される都会育ちの女官ばかりとなっていきます。
「采女」の官名は、唐に於ける、皇后以下の階級名のひとつから来ているようです。
皇后
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夫人〔ぶにん〕(貴妃〔きひ〕・淑妃〔しゅくひ〕・徳妃〔とくひ〕・賢妃〔けんぴ〕)
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九嬪〔ひん〕(昭儀〔しょうぎ〕・昭容〔しょうよう〕・昭媛〔しょうえん〕、修儀〔しゅうぎ〕・修容〔しゅうよう〕・修媛〔しゅうえん〕、充儀〔じゅうぎ〕・充容〔じゅうよう〕・充媛〔じゅうえん〕)
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世婦〔せいふ〕(しょうよ・美人・才人)
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御妻(宝林・御女・采女)
字義については諸説あるようで、たとえば、【采】=選択、の意、つまり、選りすぐりの美女、ということである、という説があります。
また、なぜ日本では、この職の官名にこの字を当て、[うねめ]と訓じたか、についても諸説あります。髪型や服装から来たものとする説、氏の女の意だとする説、地方=田舎=田の畝〔うね〕出身の女の意だとする説など。
右弁官局 → 宮内省 → 大膳職〔だいぜんしき〕 木工寮〔もくりょう〕 大炊寮〔おおいりょう〕 主殿寮〔とのもりょう〕 典薬寮〔てんやくりょう〕 掃部寮〔かもんりょう〕 正親司 内膳司 → 進物所 御厨子所 贄殿 造酒司 采女司 主水司
正 → 佑 → 令史 → 采部 → 史生 → 使部 (1名) (1名) (1名) (6名)
正六位下
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正八位上
大初位下
采女の管理支配を担当します。定員は1名。