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官制の沿革:

律令制定以後(六官制)

(最終更新日:98.08.24

 − 目次 −




 

令二十二巻の制定(六官制)


7世紀後半、初めて令〔りょう〕の制定・施行があって(天智天皇の代の近江令、天武・持統天皇の代の浄御原令)、官制がある程度定まります。

ただし、近江令・浄御原令は、その存在や成立時期等に諸説あり、それはともかくとしても、令の本文が現存しませんので、当時の役所や職名については、『日本書紀』や『続日本紀』の記述、或いは発掘の成果等によって断片的に知ることになります。

そうやって知り得るこの時期の官職は、約30年後の大宝令で定められる二官八省などの役所とは若干名称が違うものもあります。実務的には大差ない役所・職だったようですが、この頃の官制を指しては「六官制」と言っています。
いつ二官八省の役所・官職名に改称あるいは廃置分合されたのか、その時期も曖昧な、過渡期の制と言えます。

以下に挙げるのは「六官制」に於ける官職の一部です。唐制の「六部(吏部・戸部・礼部・兵部・刑部・工部)」を模して行われたとされており、「六官」はのちの「八省」に当たります。

「六官制」ではのちの中務省宮内省に当たるものがありませんが、藤原京の発掘では、中務省などと書かれた木簡も出土しています。
中務・宮内の両省は、主に皇族の日常と直結する諸役所の統括を担当する役所ですから、この当時は朝廷の役所としてではなく、皇室直属の役所として、諸氏が世職で務めていたのではないか、といわれています。


 

六官制に於ける役所・官職


※ 以下、長官は卿、大輔などと書いていますが、ちょっと自信がありません(^^;
この当時はまだ明確な「四部官(四等官・四分官)」の規定はありませんが、のちの八省では長官(カミ)は卿、次官(スケ)が大輔となります。


○ 『法官〔のりのつかさ〕


のちの「式部省」、中国の「吏部」に当たります。長官は「法官大輔〔たいふ〕」です。



○ 『民官〔たみのつかさ〕


のちの「民部省〔みんぶしょう〕に当たります。ただし、藤原京の発掘では、民部省と書かれた木簡も出土しています。長官は「卿」です。



○ 『理官〔おさむるつかさ〕


のちの「治部省」に当たります。長官は「治部卿〔じぶきょう〕」です。



○ 『兵政官〔へいせいかん〕


のちの「兵部〔ひょうぶ〕省」に当たります。長官は「大輔〔たいふ〕」です。



○ 『刑官』


のちの「刑部省〔ぎょうぶしょう〕に当たります。長官の職名は不明(「刑部尚書〔ぎょうぶしょうしょ〕」のままでしょうか)。他に「判事〔はんじ〕」「解部〔ときべ〕」などの職があります。



○ 『大蔵』


のちの「大蔵省」に当たります。長官の職名は不明。


以上「六官」の他に、『神祇官〔じんぎかん〕』『太政官〔だじょうかん〕』もあります。


○ 『神祇官〔じんぎかん〕


長官は「伯〔はく〕」。(※「官職要解」によると、『持統紀』では「頭」と書いてあるそうです。前身が『神官頭〔かんつかさのかみ〕』に当たるからでしょうか。)

「神祇伯」ともども、もっとも古い役所・官職のひとつで、のちの二官八省制以後もずっと継続していきます。
下に「神部〔かんべ〕」などがあります。



○ 『太政官〔だいじょうかん〕


 『内臣』『太政大臣』

当初、『内臣』(=中臣鎌足)が、『大臣〔おおおみ〕』の「姓〔かばね〕」に代わって置かれ、「左右大臣」の上にあって、のちの「関白」のような立場でしたが、その後、廃止され、代わって、皇族を『太政大臣』に任命して「左右大臣」の上に置くようになります。
大宝令でも「内臣」は置かれなかったのですが、いわゆる平安時代、光仁天皇の代になって、『内大臣』として左右大臣の下に復されることになります。


 『左大臣』『右大臣』

ご存知、大政を執る職です。

 『御史大夫〔ぎょしたいふ〕

のちの「大納言」です。定員3名。唐制の御史台大夫とは職責がだいぶ異なるようです。



○ その他の官職(取りあえず順不同)


 『御史〔ぎょし〕官』

 『宮守官』

 『舎人〔とねり〕官』

 『陶官〔すえのつかさ〕

 『膳職〔かしわでのつかさ/ぜんしき〕

食品管理・調理を担当します。大宝令以降は天皇の食事を担当する「内膳司」とその他の役人の食事を担当する「大膳職」とに分かれますが、この時期はまだ分かれていなかったようです。
「奉膳〔ぶぜん〕」の職は、この頃すでにあったようです。

 『文職』

 『薗職〔そののつかさ〕

おそらく「園池司」の前身で、菜園や庭園の管理を担当します。

 『塞職』

 『兵庫職〔ひょうごしき〕

 『左右京職〔きょうしき〕

長官は「京職大夫〔だいぶ〕」です。

 『学職〔ふみやつかさ〕/大学寮』

長官は「頭〔かみ〕」で、「大学博士・音博士・書博士」などの職がすでにあります。

 『陰陽寮〔おんようりょう〕

「陰陽博士」といった職がすでにあります。

 『馬寮〔めりょう〕

 『外薬寮〔げやくりょう〕』・『典薬〔てんやく〕

「外薬寮」は「典薬寮」の前身ですが、いつ変遷があったものか、藤原京の発掘では「典薬」の名が書かれた木簡も出土しています。
医療関係の職として「侍医〔じい〕」があり、他に医師を養成する「医博士」、まじない師を養成する「呪禁博士」などの職もすでにあります。

 『内蔵寮〔くらりょう〕

 『大炊省〔おおいしょう〕

のちの「大炊寮」です。

 『東宮〔とうぐう〕

のちの「春宮坊」です。「大傅〔たいふ〕・大夫〔だいぶ〕・亮〔りょう〕」などの職があります。

 『撰善言司〔よきことえらぶつかさ〕

 『製衣冠司(制衣冠司)〔せいいかんし〕

 『鋳銭司〔じゅせんし〕

銭貨の鋳造を担当します。
(※和同開珎以前にも銭貨は流通の補助的なものとして存在していました。)

 『造京司〔ぞうきょうし〕

 『造高市大寺司〔ぞうたけちだいじし〕

 『巡察使〔じゅんさつし〕

 『左右兵衛〔ひょうえ〕

 『監物〔けんもつ〕

 『班田大夫〔はんでんたいふ〕

 『糾職大夫〔きゅうしきだいぶ〕

のちの「弾正台」のカミ「弾正尹〔いん〕」に当たります。

 『宮内卿〔くないきょう〕/宮内大夫〔くないたいふ〕

「宮内省」は大宝令に至って正式に置かれることになりますが、この時期すでに、これらの職名が見えています。

 『陣法博士〔じんぽうはかせ〕

 『左右大舎人〔おおとねり〕

 『内命婦〔ないみょうぶ〕

女官です。

 『女孺〔にょうじゅ/にょじゅ/めのわらわ〕

女官です。



○ 地方官


 『摂津職〔せっつしき〕

長官は「大夫〔だいぶ〕」です。

 『大宰府〔だざいふ〕/都督府〔ととくふ〕
 (※「太宰」と書くのは地名で、役所名は「大宰」と書きます。)

長官は「筑紫大宰〔つくしだざい〕、筑紫帥〔そつ〕、筑紫大宰率〔そつ〕、筑紫惣領〔そうりょう〕」などと言います。
下に「大弐〔だいに〕、典〔さかん〕、防人〔さきもり〕」などがあります。

 『惣領〔そうりょう〕

常陸・吉備・周防・伊予などに置かれました。「吉備大宰」などと言うときの「大宰」もこの「惣領」のことだろうといわれています。在所は「惣領所〔そうりょうしょ〕」といったようです。

 『国司〔こくし〕』・『郡司〔ぐんじ〕

「守〔かみ〕・目〔さかん〕」などの職があります。




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