(※ 医疾令は現存しないため、以下は日本思想大系「律令」(岩波書店)に収録された復原逸文の訳です。第21条・第22条は、養老令ではなく大宝令施行期のものとなっています。)
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医博士〔いはくじ〕(=医術教官)は、医人(=医師)のうちの、学識技能が優長な人を任用すること。按摩・咒禁の博士もまたこれに準じること。
医生〔いしょう〕・按摩生〔あんまのしょう〕・咒禁生〔じゅごんのしょう〕・薬園生〔やくおんのしょう〕(=いずれも典薬寮に属す、各分野の学生)は、まず薬部〔くすりべ〕(=いわゆる部〔べ〕ではなく、薬師〔くすし〕の姓〔かばね〕を持つ諸氏が世襲している医術職)、及び、世習〔せしゅう〕(=3代以上にわたって医業を受け継いでいる家)を任用すること。次に庶人の、年齢13歳以上16歳以下で聡明な人を任用すること。
医針の生〔しょう〕は、各経(=書物)ごとに授業の単位とすること(※以下、列挙されるのは履修書名)。医生は、甲乙〔こうおつ〕、脈経〔みゃくきょう〕、本草〔ほんぞう〕を習うこと。兼ねて(=選択科目として)、小品〔しょうぼん〕、集験〔しゅうげん〕等の薬方〔やくほう〕を(2つ)習うこと。針生〔しんのしょう〕は、素問〔そもん〕、黄帝針経〔おうだいしんぎょう〕、明堂〔みょうどう〕、脈決〔みゃくけつ〕を習うこと。兼ねて、流注〔るちゅう〕、偃側〔えんそく〕の図、赤烏神針〔しゃくうじんしん〕等の経を習うこと。
医針の生は、初めて学に入ったならば、まず(医生は)本草、(針生は)脈決、明堂を読むこと。本草を読んで、薬の効能・性質を習得すること。明堂を読んで、図を検討し、その孔穴(=ツボ)を習得すること。脈決を読んで、(針生が)互いに診察しあって、時間帯による脈の状態変化を習得すること。次に、(針生は)素問、黄帝針経、(医生は)甲乙、脈経を読むこと。みな精通しておくこと。兼ねて(=選択科目として)教習する(2つの)授業も、それぞれ通熟しておくこと。
医生は諸経を習熟したならば、授業を分けて教習させること。総数20人の割合にして、12人に体療〔たいりょう〕(=成人の一般診療科)を学ばせること。3人に創腫〔そうしゅ〕(=腫瘍科か)を学ばせること。3人に少小〔しょうしょう〕(=未成年の一般診療科)を学ばせること。2人に耳、目、口、歯を学ばせること。おのおのその授業を専攻すること。
医針の生は、おのおの教習するところに従って、(上の条までに挙げた諸経以外にも多数ある)往古の薬方から自身の専攻に必要な部分を拾って憶えること。腕のいい医〔くすし〕が診療をすることがあれば、その助手をして、針灸の方法を習得すること。
医針の生について、博士は1ヶ月に1度、試験すること。典薬の頭・助は1季に1度1度、試験すること。宮内の卿・輔は、年末に、総まとめの試験をすること。{考試の方式は、大学生の例に準じること。}もし実力に優れ、現任の官人を追い越している人があれば、すぐに任用し替えるのを許可すること。学にあって9年までに修了できない場合は、退学させて(医針生に採用する以前の)もとの身分に戻すこと。
体療を学ぶについては、7年を期限として修業させること。少小、及び、創腫は、各5年で修業させること。耳目口歯は、4年で修めさせること。針生は、7年で修めさせること。成業したならば、典薬寮の医術優長の人が宮内省において丞以上と共に面接して、(最終試験として)詳しく校練(=試問)を加えること。つぶさに品行・技能を述べて、太政官に申送すること。
私的に自ら学習して、医療を習得した人があれば、(本人自ら)名を典薬寮に投じること。試験に合格したならば、医針生の例に準じて考試するのを許可すること。
医針生は、初めて学に入ったならば、みな束脩〔そくしゅ〕(=束ねた乾し肉)の礼(入学時の教官への贈物)を行うこと。大学生に準じること(※学令第04条「在学為序条」)。按摩・咒禁の生は半減すること。
本草、素問、黄帝針経、甲乙を教習するに付いては、博士はみな、諸経の文に依拠して講説すること。五経を講義する方法と同様にすること(※学令第09条「分経教授条」)。
医針の師は、典薬寮がその所能(=専門技能)を量って、病があるところへ派遣して救療すること。毎年、宮内省が、その識見の優劣、病を癒した数の多少を検討して、考第を定めること。
医針生について、成業して太政官に送られたならば、式部省が覆試すること。それぞれ12条。医生は、甲乙4条、本草、脈経、各3条を試験すること。針生は、素問4条、黄帝針経、明堂、脈決、各2条を試験すること。選択科目については、医針それぞれ2条。問答の方式は、いずれも大学生の例に準じること。医生がすべての問題に合格したならば、従八位下に叙すこと。8つ以上合格したならば、大初位上に叙すこと。針生は、医生よりも1等落とすこと。不合格者は退けて、本学へ還すこと。経が不合格であっても、実技が堪能で、病を癒すことは可能と考えられるならば、そのまま医師に任用するのを許可すること。
按摩生は、按摩、傷折〔しょうせつ〕(=打ち身・捻挫・骨折)の治療法、及び、刺縛〔しばく〕(=針で悪血を瀉出したり、骨折過所を固定したりする)の技術を学ぶこと。咒禁生は、咒禁(=まじない)して邪気を払い病災を防ぐ方術を学ぶこと。みな3年を期限として成業させること。成業したならば、いずれも太政官に申送すること。
医針の生、按摩咒禁の生は、専ら習業させること。雑事に使役してはならない。
女医(=宮廷の婦人科治療にあたる女性医師)は、官戸・婢(=どちらも官有賤民の女性)の、年齢15歳以上25歳以下の、知性秀でた人30人を採用して、別所に安置して、産科、及び、創腫、傷折、針灸の法を教えること。みな経文に依拠して(諸博士が)口授(=書物を読ませず口頭で授ける)すること。毎月、医博士が試験すること。年末に内薬司が試験すること。7年を期限として修業させること。
国の医生について、医術優長で、熱心に(中央へ)仕えたいと願ったならば、本国は、つぶさに技能を述べて、太政官に申送すること。
国の医師について、医術を教授すること、及び、生徒の履修課程の年限は、いずれも典薬寮の教習の方法に準じること。その他、治療法や使用必要なことがあれば、また兼ねて習わせること。
国の医生は、毎月、医師が試験すること。年末に、国司が面接して試験すること。いずれもはっきりと優劣を定めること。試験して合格しないことがあれば、状況に応じて科罰すること。もし師の教えに従わず、しばしば間違いを犯すことがあった場合、及び、学業を果たせず、長期間進学できない場合は、事情に応じて退学させること。すぐに替わりの人を立てること。
薬園(=典薬寮所属の薬草園)は、師に検校させること。園生〔おんのしょう〕を採用して、本草を教え読ませ、諸薬、併せて、採取・栽培方法を弁え知らせること。付近の山沢に薬草があるならば、採ってきて植えること。(その際に)用いる人手は、いずれも薬戸(=典薬寮所属の品部)を使役すること。
薬品の備えは、典薬寮が毎年、必要量を推計すること。薬の産地に対し、太政官に申請して散下〔さんげ〕する(=太政官が諸国へ輸進の指示を出す)こと。
国について、薬を輸出する処では、採薬師〔さいやくのし〕を置くこと。適切な時期に採取させること。(その際の)人手は、当処の付近から採用して配置すること。
(天皇の)御薬を合和するにあたっては、中務省の少輔以上1人が、内薬司の正と共に監視すること。服薬の日には、侍医がまず毒味すること。次に内薬司の正が毒味すること。次に中務省の卿が毒味すること。しかるのちに御〔ご〕(=天皇)にたてまつること。{中宮、及び、東宮についてもこれに準じること。}
五位以上が疾患したならば、いずれも奏聞すること。医〔くすし〕を派遣して治療すること。病気を診断して薬を支給すること。{致仕(=定年退職)の人もまたこれに準じること。}
典薬寮は、毎年、傷寒〔しょうかん〕(=寒気で起こる病)・時気〔じけ〕(=季節の変調で起こる病)・瘧〔ぎゃく/おこり〕(=夏の日射で起こるマラリヤの類の熱病)・下痢・傷中〔しょうちゅう〕(=諸々の内臓病)・金創〔こんそう〕(=刃物による傷)、諸々の雑薬を調製して、治療の用意をしておくこと。{諸国もこれに準じること。}
医針の師等が患者の家を巡回診療して治療した所は、(その家の人が)病状の経過と、患者の家、医人(=医者)の姓名を記録して、宮内省に報告すること。それによって(その医人の勤務評定をし)進退すること。{諸国の医師もまたこれに準じること。}